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第1話 煉獄の魔女
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地平の果てまで続く骸と鉄屑。黒煙が空を覆い、血の匂いが風に乗って鼻を突く。ここは人間の王国と魔王領を隔てる緩衝地帯、エトラ平原。今や、ただの広大な墓場と化していた。
騎士たちの鬨の声はとうに悲鳴へと変わり、やがてそれすらも途絶える。希望を託されたはずの魔法師団の詠唱は、絶望の絶叫に塗り潰された。鋼の城壁と謳われた重装歩兵の隊列は、紙細工のように無惨に引き裂かれている。
その地獄の中心に、一人の女が静かに佇んでいた。
腰まで届く艶やかな漆黒の髪。戦場には不似合いな、黒を基調とした豪奢なドレス。その身に返り血ひとつ浴びることなく、ただ静かに戦況を見つめている。彼女の血のように赤い瞳が細められると、周囲の空気が歪むほどの魔力が膨れ上がった。
「ああ……『煉獄の魔女』だ」
かろうじて生き残っていた騎士の一人が、震える声でその名を呟く。それは恐怖と絶望の象徴。魔王軍が誇る最強戦力、四天王の紅一点。
私の名だ。
「これ以上、好きにはさせん!」
王国騎士団長を名乗る男が、聖銀の鎧を鳴らしながら突進してくる。その手に握られた剣は、聖なる加護を受けた名剣なのだろう。淡い光を放ち、魔を滅する力を宿している。だが、そんなものは無意味だ。焼け石に水という言葉すら生温い。
私は男に視線をくれることもなく、ただ白く細い指先を天にかざした。
「灰燼に帰しなさい」
呟きは、呪文ですらない。ただの宣告。
私の意思に応え、空が赤く染まった。暗雲渦巻く天蓋に巨大な魔法陣がいくつも浮かび上がり、灼熱の光を放ち始める。それはまさに、煉獄の再現。大地が震え、空気が燃え尽きるほどの熱量が世界を支配する。
騎士団長の顔から血の気が引いていく。勇敢さも使命感も、絶対的な力の前に霧散した。
「我が君、魔王ザルディアス様に栄光を」
静かな祈りとともに、私は指を振り下ろした。
天から降り注ぐのは、無慈悲な炎の豪雨。一筋一筋が城壁を容易く穿つほどの破壊力を持つ灼熱の槍だ。それが数百、数千と降り注ぎ、大地を抉り、人間たちの肉体を骨の欠片も残さず焼き尽くしていく。
阿鼻叫喚の地獄絵図。それが私の日常であり、私の仕事。
炎が止む頃には、動くものは何も残っていなかった。焦げ付いた大地に、かつて人間だったモノの黒い染みが点在しているだけ。私はその光景に何の感慨も抱くことなく、静かに踵を返した。
「リディア様。お見事でした」
配下の魔族が、いつの間にか背後に控え傅いていた。
「残党の掃討を。私は城へ戻る」
「はっ」
それ以上の言葉は不要だった。私は空間を歪ませる転移魔法を展開し、血と硝煙の匂いが満ちる戦場からその姿を消した。
◇
漆黒の尖塔が天を突く魔王城。禍々しくも荘厳なその城は、我ら魔族の故郷であり、希望の象徴だ。転移魔法で自室に戻った私は、まず戦闘で魔力を通したドレスを脱ぎ捨て、簡素な黒のワンピースに着替える。
窓の外に広がるのは、人間界とは全く異なる景色。紫色の空には二つの月が浮かび、大地には発光する奇妙な植物たちが群生している。人間にとっては毒にしかならない瘴気が満ちるこの土地こそが、我らにとっての安息の地。
この世界を、魔王ザルディアス様は我らにお与えくださった。
かつて私は、人間たちの村で忌み子として蔑まれていた。生まれつき強すぎた魔力と、不吉の象徴とされる赤い瞳。それだけの理由で、私は石を投げられ、罵られ、殺されかけた。飢えと絶望の中で死を待つだけだった私を救い上げてくださったのが、魔王様だった。
『お前には力がある。その力を私のために使え。そうすれば、居場所を与えよう』
あのお言葉が、私の全てを変えた。
魔王様は私に名前を与え、魔法を教え、そして四天王という破格の地位まで与えてくださった。この命は魔王様のもの。この力は魔王様のために振るうもの。魔王様の理想こそが、私の正義。
人間は愚かで弱い生き物だ。同族を平気で虐げ、些細な欲望のために争いを繰り返す。そんな彼らが支配する世界は、いずれ腐り落ちる。魔王様は、それを正そうとしておられるのだ。魔族による絶対的な統治。それこそが、世界を救う唯一の道。
だから私は戦う。魔王様の剣となり、盾となり、その御心に背く全ての敵を排除する。そこに一片の躊躇いも、憐憫もない。
身支度を終えた私は、城の最奥にある玉座の間へと向かった。重厚な扉を衛兵が開くと、広大な空間が姿を現す。天井からは巨大なシャンデリアが下がり、磨き上げられた黒曜石の床がぼんやりと光を反射していた。
その最奥。幾段もの階段の上にある玉座に、我が君は鎮座しておられた。
「魔王ザルディアス様。ただいま戻りました。エトラ平原の制圧、完了いたしました」
私は玉座の前で深く跪き、恭しく頭を垂れる。
「……うむ。見事だ、リディア」
玉座から響くのは、地の底を這うような深く、それでいて静かな声。魔王様の顔は、その強大すぎる魔力の影響か、常に影に覆われていて窺い知ることはできない。しかし、その声色だけで、ご満足いただけたことが分かった。
それだけで、私の心は満たされる。戦場で何千の命を奪おうと揺らぐことのない心が、この一言だけで歓喜に震える。
「過分なお言葉、痛み入ります」
「人間共の動きに変化は?」
「は。王国軍の主力を殲滅いたしましたが、まだ抵抗を諦めてはいない様子。各地に戦力を集結させ、反撃の機会を窺っているようです」
「そうか」
魔王様はそれだけ言うと、再び沈黙された。この沈黙が、私にとっては思考を巡らせるための時間となる。次の一手はどうすべきか。どの拠点を叩けば、人間たちの心をより効率的に折ることができるか。
私が思考に沈んでいると、魔王様が不意に口を開いた。
「奴らも、最後の切り札を切るようだ」
「切り札、でございますか?」
「うむ。聖剣に選ばれし『勇者』。近々、前線に現れるだろう」
勇者。人間たちが、神に祈りを捧げて生み出すという伝説の存在。魔を浄化する聖剣を手に、数々の奇跡を起こしてきたと伝えられる、人類の希望。
「……なるほど。ようやく出てきますか」
私の口元に、自然と笑みが浮かんだ。それは嘲笑でも、愉悦でもない。ただ純粋な、敵意の発露。
「勇者であろうと、魔王様に仇なす敵であることに変わりはありません。このリディアが、責任を持って排除いたします」
「頼むぞ、煉獄の魔女よ」
「御意」
私は再び深く頭を下げ、玉座の間を後にした。
自室に戻る廊下を歩きながら、私は思考を巡らせる。勇者。どれほどの力を持つのかは未知数だ。しかし、所詮は人間。魔王様から頂いたこの力の前には、等しく無力。
次の戦いが、少しだけ楽しみになった。
人間たちの希望が、私の煉獄の炎によって絶望に変わる瞬間を想像する。聖剣の輝きが、私の闇に飲み込まれていく様を思い描く。
どんな相手であろうと、やることは変わらない。
魔王様の敵は、全て焼き尽くす。
ただ、それだけだ。
私は窓辺に立ち、二つの月が浮かぶ夜空を見上げた。静かな夜。次の戦いに備え、今はただ魔力を練り、心を研ぎ澄ませる。
勇者アルフレッド。その名も知らぬ人類の希望。
あなたの希望は、私が残らず灰にしてあげよう。
騎士たちの鬨の声はとうに悲鳴へと変わり、やがてそれすらも途絶える。希望を託されたはずの魔法師団の詠唱は、絶望の絶叫に塗り潰された。鋼の城壁と謳われた重装歩兵の隊列は、紙細工のように無惨に引き裂かれている。
その地獄の中心に、一人の女が静かに佇んでいた。
腰まで届く艶やかな漆黒の髪。戦場には不似合いな、黒を基調とした豪奢なドレス。その身に返り血ひとつ浴びることなく、ただ静かに戦況を見つめている。彼女の血のように赤い瞳が細められると、周囲の空気が歪むほどの魔力が膨れ上がった。
「ああ……『煉獄の魔女』だ」
かろうじて生き残っていた騎士の一人が、震える声でその名を呟く。それは恐怖と絶望の象徴。魔王軍が誇る最強戦力、四天王の紅一点。
私の名だ。
「これ以上、好きにはさせん!」
王国騎士団長を名乗る男が、聖銀の鎧を鳴らしながら突進してくる。その手に握られた剣は、聖なる加護を受けた名剣なのだろう。淡い光を放ち、魔を滅する力を宿している。だが、そんなものは無意味だ。焼け石に水という言葉すら生温い。
私は男に視線をくれることもなく、ただ白く細い指先を天にかざした。
「灰燼に帰しなさい」
呟きは、呪文ですらない。ただの宣告。
私の意思に応え、空が赤く染まった。暗雲渦巻く天蓋に巨大な魔法陣がいくつも浮かび上がり、灼熱の光を放ち始める。それはまさに、煉獄の再現。大地が震え、空気が燃え尽きるほどの熱量が世界を支配する。
騎士団長の顔から血の気が引いていく。勇敢さも使命感も、絶対的な力の前に霧散した。
「我が君、魔王ザルディアス様に栄光を」
静かな祈りとともに、私は指を振り下ろした。
天から降り注ぐのは、無慈悲な炎の豪雨。一筋一筋が城壁を容易く穿つほどの破壊力を持つ灼熱の槍だ。それが数百、数千と降り注ぎ、大地を抉り、人間たちの肉体を骨の欠片も残さず焼き尽くしていく。
阿鼻叫喚の地獄絵図。それが私の日常であり、私の仕事。
炎が止む頃には、動くものは何も残っていなかった。焦げ付いた大地に、かつて人間だったモノの黒い染みが点在しているだけ。私はその光景に何の感慨も抱くことなく、静かに踵を返した。
「リディア様。お見事でした」
配下の魔族が、いつの間にか背後に控え傅いていた。
「残党の掃討を。私は城へ戻る」
「はっ」
それ以上の言葉は不要だった。私は空間を歪ませる転移魔法を展開し、血と硝煙の匂いが満ちる戦場からその姿を消した。
◇
漆黒の尖塔が天を突く魔王城。禍々しくも荘厳なその城は、我ら魔族の故郷であり、希望の象徴だ。転移魔法で自室に戻った私は、まず戦闘で魔力を通したドレスを脱ぎ捨て、簡素な黒のワンピースに着替える。
窓の外に広がるのは、人間界とは全く異なる景色。紫色の空には二つの月が浮かび、大地には発光する奇妙な植物たちが群生している。人間にとっては毒にしかならない瘴気が満ちるこの土地こそが、我らにとっての安息の地。
この世界を、魔王ザルディアス様は我らにお与えくださった。
かつて私は、人間たちの村で忌み子として蔑まれていた。生まれつき強すぎた魔力と、不吉の象徴とされる赤い瞳。それだけの理由で、私は石を投げられ、罵られ、殺されかけた。飢えと絶望の中で死を待つだけだった私を救い上げてくださったのが、魔王様だった。
『お前には力がある。その力を私のために使え。そうすれば、居場所を与えよう』
あのお言葉が、私の全てを変えた。
魔王様は私に名前を与え、魔法を教え、そして四天王という破格の地位まで与えてくださった。この命は魔王様のもの。この力は魔王様のために振るうもの。魔王様の理想こそが、私の正義。
人間は愚かで弱い生き物だ。同族を平気で虐げ、些細な欲望のために争いを繰り返す。そんな彼らが支配する世界は、いずれ腐り落ちる。魔王様は、それを正そうとしておられるのだ。魔族による絶対的な統治。それこそが、世界を救う唯一の道。
だから私は戦う。魔王様の剣となり、盾となり、その御心に背く全ての敵を排除する。そこに一片の躊躇いも、憐憫もない。
身支度を終えた私は、城の最奥にある玉座の間へと向かった。重厚な扉を衛兵が開くと、広大な空間が姿を現す。天井からは巨大なシャンデリアが下がり、磨き上げられた黒曜石の床がぼんやりと光を反射していた。
その最奥。幾段もの階段の上にある玉座に、我が君は鎮座しておられた。
「魔王ザルディアス様。ただいま戻りました。エトラ平原の制圧、完了いたしました」
私は玉座の前で深く跪き、恭しく頭を垂れる。
「……うむ。見事だ、リディア」
玉座から響くのは、地の底を這うような深く、それでいて静かな声。魔王様の顔は、その強大すぎる魔力の影響か、常に影に覆われていて窺い知ることはできない。しかし、その声色だけで、ご満足いただけたことが分かった。
それだけで、私の心は満たされる。戦場で何千の命を奪おうと揺らぐことのない心が、この一言だけで歓喜に震える。
「過分なお言葉、痛み入ります」
「人間共の動きに変化は?」
「は。王国軍の主力を殲滅いたしましたが、まだ抵抗を諦めてはいない様子。各地に戦力を集結させ、反撃の機会を窺っているようです」
「そうか」
魔王様はそれだけ言うと、再び沈黙された。この沈黙が、私にとっては思考を巡らせるための時間となる。次の一手はどうすべきか。どの拠点を叩けば、人間たちの心をより効率的に折ることができるか。
私が思考に沈んでいると、魔王様が不意に口を開いた。
「奴らも、最後の切り札を切るようだ」
「切り札、でございますか?」
「うむ。聖剣に選ばれし『勇者』。近々、前線に現れるだろう」
勇者。人間たちが、神に祈りを捧げて生み出すという伝説の存在。魔を浄化する聖剣を手に、数々の奇跡を起こしてきたと伝えられる、人類の希望。
「……なるほど。ようやく出てきますか」
私の口元に、自然と笑みが浮かんだ。それは嘲笑でも、愉悦でもない。ただ純粋な、敵意の発露。
「勇者であろうと、魔王様に仇なす敵であることに変わりはありません。このリディアが、責任を持って排除いたします」
「頼むぞ、煉獄の魔女よ」
「御意」
私は再び深く頭を下げ、玉座の間を後にした。
自室に戻る廊下を歩きながら、私は思考を巡らせる。勇者。どれほどの力を持つのかは未知数だ。しかし、所詮は人間。魔王様から頂いたこの力の前には、等しく無力。
次の戦いが、少しだけ楽しみになった。
人間たちの希望が、私の煉獄の炎によって絶望に変わる瞬間を想像する。聖剣の輝きが、私の闇に飲み込まれていく様を思い描く。
どんな相手であろうと、やることは変わらない。
魔王様の敵は、全て焼き尽くす。
ただ、それだけだ。
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