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第7話 甘い言葉と乱れる魔法
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本能的な警戒心。それは、私の数多の戦場経験が導き出した、極めて正確な危険予知だった。目の前の勇者は、聖剣を構えるよりも、甘い言葉を紡ぐ方がよほど厄介な兵器になる。
「さあ、お喋りを続けようじゃないか」
アルフレッドは聖剣を鞘に納めると、まるで散歩でも楽しむかのように私に向かって歩み寄ってきた。無防備にも程がある。だが、その全身から発せられる圧倒的な自信が、私に섣부른攻撃を躊躇させた。
「近寄らないで!」
私は警告と共に、足元に闇の魔法陣を展開した。地面から無数の棘が突き出し、彼と私の間に壁を作る。しかし、彼は気にも留めない。聖剣の柄に軽く触れただけで、神聖な光が私の闇を霧のように払ってしまった。
「そんなに警戒しないでくれ。僕はただ、君ともっと親しくなりたいだけなんだ」
彼は棘の壁が消えた道を、何事もなかったかのように進んでくる。その一歩一歩が、私の心の領域に無遠慮に踏み込んでくるようで、たまらない不快感と……そして、奇妙な焦燥感を覚えた。
「君の赤い瞳は、本当に美しい。まるで夜明け前に燃える一番星のようだ。いや、どんな宝石も、君の瞳の前では色褪せてしまうだろうな」
「なっ……!」
唐突な賛辞に、言葉が詰まる。前回も似たようなことを言われたが、慣れるものではなかった。むしろ、二度目だからこそ、その言葉の異常さが際立つ。
「その黒髪も素晴らしい。月の光さえ吸い込んでしまいそうな、深淵の闇の色。一度でいいから、この手で触れてみたいものだよ」
「なれなれしいことを言うな、変態!」
私は咄嗟に炎の鞭を生成し、彼に叩きつけた。しかし、アルフレッドは最小限の動きでそれをかわし、さらに距離を詰めてくる。
「変態か。愛の言葉を変態と罵るなんて、君はひどいな。でも、そんな風に頬を染めて怒る君も、たまらなく魅力的だ」
「そ、染めていない! これは怒りで赤くなっているだけよ!」
嘘だ。自分でも分かる。私の顔は、怒りだけではない、別の熱で燃え上がっていた。羞恥。戸惑い。そして、心のどこかで彼の言葉に揺さぶられている自分への嫌悪感。それらがごちゃ混ぜになって、私の思考をかき乱す。
駄目だ。このままでは前回と同じ。彼の口車に乗せられて、ペースを乱される。私は必死に冷静さを取り戻そうと、大きく息を吸った。
戦うのよ、リディア。こいつは敵。魔王様の、そして私の、倒すべき敵なのだから。
「黙らせてあげるわ!」
私は意識を集中させ、得意とする闇属性の魔法を練り上げた。私の周囲に黒い魔力の渦が巻き起こり、空間そのものが軋むような音を立てる。
「おお、すごい魔力だ。君が魔法を操る姿は、まるで情熱的な踊り子が舞を披露しているかのようだ。その指先の動き一つ一つから、目が離せないよ」
「……っ!」
耳を塞ぎたい。彼の声が、呪いのように私の集中力を削いでいく。詠唱中の術式が、僅かに揺らいだ。いけない。この程度のことで動揺するなんて。
私は無理やり術式を安定させ、魔法を放った。
「闇よ、彼の者を喰らい尽くせ! ダーク・ヴォイド!」
私の手から、全てを飲み込む漆黒の球体が放たれる。命中すれば、存在そのものを消滅させかねない危険な魔法だ。
だが、アルフレッドはやはり動じなかった。
「闇もいいけれど、僕は君の心にある光の方が見たいな」
彼は呟くと、聖剣を抜き放った。剣先から放たれた閃光が、私の闇と激突する。光と闇は拮抗し、やがて互いの力を相殺し合って霧散した。
私の魔法が、またしても破られた。しかし、今回は前回ほどの衝撃はない。それよりも、彼が口にした言葉の方が、私の心に深く突き刺さっていた。
私の心にある、光……?
そんなもの、あるはずがない。私は魔王様に拾われた時から、光の世界を捨てたのだ。私の心にあるのは、魔王様への忠誠心という名の、揺るぎない闇だけのはず。
「君は知らないだろうけど」
アルフレッドは聖剣を構え直しながら、優しい声で言った。
「僕の聖剣は、魂の輝きを見ることができるんだ。そして、君の魂は、僕が今まで見てきた誰よりも、強く、気高く輝いている」
「……何、を……」
「君は本当は、とても優しい人なんだろう? 無益な殺生を好むような人間じゃない。何か、君を縛り付けている大きな悲しみがあるんだね」
彼の言葉が、私の心の最も柔らかな部分を抉った。
やめて。それ以上、私の中に入ってこないで。私の過去も、私の心も、あなたに知る権利などない。
「戯言を!」
私は叫び、半ば自暴自棄に魔法を放った。巨大な氷塊をいくつも生成し、彼に叩きつける。しかし、私の心は乱れに乱れていた。魔力のコントロールが、明らかに精彩を欠いている。
氷塊は、アルフレッドに届く前に軌道を逸らし、あらぬ方向の木々を薙ぎ倒した。一つは、あろうことか味方の魔族がいる方へと飛んでいく。
「危ない!」
アルフレッドの声が響いた。彼が素早く動いて、聖剣の光でその氷塊を破壊しなければ、私の部下が私の魔法で潰されていたところだった。
「……あ……」
私は自分のしでかしたことに、愕然とした。
四天王として、ありえない失態。味方を危険に晒すなど、言語道断だ。
「大丈夫かい、リディア? 少し疲れているんじゃないか? 無理はしない方がいい」
アルフレッドが、心から心配そうな顔で私を見る。その優しさが、今は何よりも私を追い詰めた。
「うるさい、うるさい、うるさい!」
私は半狂乱で叫んでいた。もう、自分が何をしているのかも分からない。ただ、目の前の男の存在を、その言葉を、視線を、私の世界から消し去ってしまいたかった。
「あなたさえいなければ! あなたさえ現れなければ、私は……!」
私は最後の力を振り絞り、再び大魔法の詠唱を始めた。煉獄劫火。前回、彼に防がれた最大最強の魔法。今度こそ、今度こそこの男を……。
術式を組み上げながら、私は憎しみを込めてアルフレッドを睨みつけた。
彼は、そんな私を見て、悲しそうに微笑んだ。
「……そんな顔をしないでくれ」
そして、彼は言った。私の全ての思考を、焼き切る一言を。
「君が僕の名を呼んでくれるだけで、胸が高鳴るんだ。たとえそれが、憎しみに満ちた声だとしてもね、リディア」
ぶつん、と。
私の頭の中で、何かが切れる音がした。
「なっ……!?///」
詠唱していた術式が、頭から完全に抜け落ちる。彼の言葉の意味を理解した瞬間、私の顔にありったけの血液が集中した。心臓が、破裂しそうなほど大きく跳ねる。
魔力が、行き場を失って暴走した。
私が中心となり、制御を失った魔力の嵐が吹き荒れる。天に向かって放たれるはずだった煉獄の炎が、横殴りの爆風となって周囲一帯を薙ぎ払った。
「リディア様!」
「うわあああっ!」
部下たちの悲鳴が聞こえる。木々が根こそぎ吹き飛ばされ、大地が抉れる。私はその暴風の中心で、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
自分の魔法が、暴発した。
この私が、魔力の制御を誤り、暴走させた。
絶望的な事実が、私の意識を打ちのめす。しかし、その破壊の嵐は、最後まで私や私の部下たちを飲み込むことはなかった。
ふと気づくと、私の目の前にアルフレッドが立っていた。
聖剣を地面に突き立て、光の障壁を展開し、暴走した私の魔力全てを、その身一つで受け止めてくれていたのだ。
「……もう、いいだろう」
障壁を解いた彼が、静かに言った。その額には、うっすらと汗が滲んでいる。さすがの彼も、今のを防ぐのは骨が折れたらしい。
「これ以上戦えば、君が君自身を傷つけてしまう」
彼はゆっくりと私に近づくと、私の肩にそっと手を置こうとした。私は反射的にその手を振り払う。
「……触らないで」
震える声で、それだけを言うのがやっとだった。
作戦は、失敗。
いや、それ以上の、惨めな敗北だった。私は敵に手も足も出ず、自滅したのだ。
「リディア様! ご決断を!」
遠くから、側近の声が聞こえる。
もう、戦える状態ではなかった。心も、魔力も、ズタズタだった。
私は唇を噛み締め、血の味が口の中に広がるのを感じながら、屈辱に満ちた二文字を口にした。
「……撤退、するわ」
振り返ることなく、私は転移魔法を発動させた。
去り際、彼の寂しそうな声が、確かに私の耳に届いた気がした。
「また会おう、リディア。次は、君の笑顔が見たいな」
森の景色が歪み、魔王城の自室へと転移する。
私はそこにたどり着いた途端、糸が切れたように床に崩れ落ちた。
耳の奥に、彼の甘い声がこびりついて離れない。
そして、私の心臓は、主の意思に反して、未だかつてないほど激しく鳴り響いていた。
「さあ、お喋りを続けようじゃないか」
アルフレッドは聖剣を鞘に納めると、まるで散歩でも楽しむかのように私に向かって歩み寄ってきた。無防備にも程がある。だが、その全身から発せられる圧倒的な自信が、私に섣부른攻撃を躊躇させた。
「近寄らないで!」
私は警告と共に、足元に闇の魔法陣を展開した。地面から無数の棘が突き出し、彼と私の間に壁を作る。しかし、彼は気にも留めない。聖剣の柄に軽く触れただけで、神聖な光が私の闇を霧のように払ってしまった。
「そんなに警戒しないでくれ。僕はただ、君ともっと親しくなりたいだけなんだ」
彼は棘の壁が消えた道を、何事もなかったかのように進んでくる。その一歩一歩が、私の心の領域に無遠慮に踏み込んでくるようで、たまらない不快感と……そして、奇妙な焦燥感を覚えた。
「君の赤い瞳は、本当に美しい。まるで夜明け前に燃える一番星のようだ。いや、どんな宝石も、君の瞳の前では色褪せてしまうだろうな」
「なっ……!」
唐突な賛辞に、言葉が詰まる。前回も似たようなことを言われたが、慣れるものではなかった。むしろ、二度目だからこそ、その言葉の異常さが際立つ。
「その黒髪も素晴らしい。月の光さえ吸い込んでしまいそうな、深淵の闇の色。一度でいいから、この手で触れてみたいものだよ」
「なれなれしいことを言うな、変態!」
私は咄嗟に炎の鞭を生成し、彼に叩きつけた。しかし、アルフレッドは最小限の動きでそれをかわし、さらに距離を詰めてくる。
「変態か。愛の言葉を変態と罵るなんて、君はひどいな。でも、そんな風に頬を染めて怒る君も、たまらなく魅力的だ」
「そ、染めていない! これは怒りで赤くなっているだけよ!」
嘘だ。自分でも分かる。私の顔は、怒りだけではない、別の熱で燃え上がっていた。羞恥。戸惑い。そして、心のどこかで彼の言葉に揺さぶられている自分への嫌悪感。それらがごちゃ混ぜになって、私の思考をかき乱す。
駄目だ。このままでは前回と同じ。彼の口車に乗せられて、ペースを乱される。私は必死に冷静さを取り戻そうと、大きく息を吸った。
戦うのよ、リディア。こいつは敵。魔王様の、そして私の、倒すべき敵なのだから。
「黙らせてあげるわ!」
私は意識を集中させ、得意とする闇属性の魔法を練り上げた。私の周囲に黒い魔力の渦が巻き起こり、空間そのものが軋むような音を立てる。
「おお、すごい魔力だ。君が魔法を操る姿は、まるで情熱的な踊り子が舞を披露しているかのようだ。その指先の動き一つ一つから、目が離せないよ」
「……っ!」
耳を塞ぎたい。彼の声が、呪いのように私の集中力を削いでいく。詠唱中の術式が、僅かに揺らいだ。いけない。この程度のことで動揺するなんて。
私は無理やり術式を安定させ、魔法を放った。
「闇よ、彼の者を喰らい尽くせ! ダーク・ヴォイド!」
私の手から、全てを飲み込む漆黒の球体が放たれる。命中すれば、存在そのものを消滅させかねない危険な魔法だ。
だが、アルフレッドはやはり動じなかった。
「闇もいいけれど、僕は君の心にある光の方が見たいな」
彼は呟くと、聖剣を抜き放った。剣先から放たれた閃光が、私の闇と激突する。光と闇は拮抗し、やがて互いの力を相殺し合って霧散した。
私の魔法が、またしても破られた。しかし、今回は前回ほどの衝撃はない。それよりも、彼が口にした言葉の方が、私の心に深く突き刺さっていた。
私の心にある、光……?
そんなもの、あるはずがない。私は魔王様に拾われた時から、光の世界を捨てたのだ。私の心にあるのは、魔王様への忠誠心という名の、揺るぎない闇だけのはず。
「君は知らないだろうけど」
アルフレッドは聖剣を構え直しながら、優しい声で言った。
「僕の聖剣は、魂の輝きを見ることができるんだ。そして、君の魂は、僕が今まで見てきた誰よりも、強く、気高く輝いている」
「……何、を……」
「君は本当は、とても優しい人なんだろう? 無益な殺生を好むような人間じゃない。何か、君を縛り付けている大きな悲しみがあるんだね」
彼の言葉が、私の心の最も柔らかな部分を抉った。
やめて。それ以上、私の中に入ってこないで。私の過去も、私の心も、あなたに知る権利などない。
「戯言を!」
私は叫び、半ば自暴自棄に魔法を放った。巨大な氷塊をいくつも生成し、彼に叩きつける。しかし、私の心は乱れに乱れていた。魔力のコントロールが、明らかに精彩を欠いている。
氷塊は、アルフレッドに届く前に軌道を逸らし、あらぬ方向の木々を薙ぎ倒した。一つは、あろうことか味方の魔族がいる方へと飛んでいく。
「危ない!」
アルフレッドの声が響いた。彼が素早く動いて、聖剣の光でその氷塊を破壊しなければ、私の部下が私の魔法で潰されていたところだった。
「……あ……」
私は自分のしでかしたことに、愕然とした。
四天王として、ありえない失態。味方を危険に晒すなど、言語道断だ。
「大丈夫かい、リディア? 少し疲れているんじゃないか? 無理はしない方がいい」
アルフレッドが、心から心配そうな顔で私を見る。その優しさが、今は何よりも私を追い詰めた。
「うるさい、うるさい、うるさい!」
私は半狂乱で叫んでいた。もう、自分が何をしているのかも分からない。ただ、目の前の男の存在を、その言葉を、視線を、私の世界から消し去ってしまいたかった。
「あなたさえいなければ! あなたさえ現れなければ、私は……!」
私は最後の力を振り絞り、再び大魔法の詠唱を始めた。煉獄劫火。前回、彼に防がれた最大最強の魔法。今度こそ、今度こそこの男を……。
術式を組み上げながら、私は憎しみを込めてアルフレッドを睨みつけた。
彼は、そんな私を見て、悲しそうに微笑んだ。
「……そんな顔をしないでくれ」
そして、彼は言った。私の全ての思考を、焼き切る一言を。
「君が僕の名を呼んでくれるだけで、胸が高鳴るんだ。たとえそれが、憎しみに満ちた声だとしてもね、リディア」
ぶつん、と。
私の頭の中で、何かが切れる音がした。
「なっ……!?///」
詠唱していた術式が、頭から完全に抜け落ちる。彼の言葉の意味を理解した瞬間、私の顔にありったけの血液が集中した。心臓が、破裂しそうなほど大きく跳ねる。
魔力が、行き場を失って暴走した。
私が中心となり、制御を失った魔力の嵐が吹き荒れる。天に向かって放たれるはずだった煉獄の炎が、横殴りの爆風となって周囲一帯を薙ぎ払った。
「リディア様!」
「うわあああっ!」
部下たちの悲鳴が聞こえる。木々が根こそぎ吹き飛ばされ、大地が抉れる。私はその暴風の中心で、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
自分の魔法が、暴発した。
この私が、魔力の制御を誤り、暴走させた。
絶望的な事実が、私の意識を打ちのめす。しかし、その破壊の嵐は、最後まで私や私の部下たちを飲み込むことはなかった。
ふと気づくと、私の目の前にアルフレッドが立っていた。
聖剣を地面に突き立て、光の障壁を展開し、暴走した私の魔力全てを、その身一つで受け止めてくれていたのだ。
「……もう、いいだろう」
障壁を解いた彼が、静かに言った。その額には、うっすらと汗が滲んでいる。さすがの彼も、今のを防ぐのは骨が折れたらしい。
「これ以上戦えば、君が君自身を傷つけてしまう」
彼はゆっくりと私に近づくと、私の肩にそっと手を置こうとした。私は反射的にその手を振り払う。
「……触らないで」
震える声で、それだけを言うのがやっとだった。
作戦は、失敗。
いや、それ以上の、惨めな敗北だった。私は敵に手も足も出ず、自滅したのだ。
「リディア様! ご決断を!」
遠くから、側近の声が聞こえる。
もう、戦える状態ではなかった。心も、魔力も、ズタズタだった。
私は唇を噛み締め、血の味が口の中に広がるのを感じながら、屈辱に満ちた二文字を口にした。
「……撤退、するわ」
振り返ることなく、私は転移魔法を発動させた。
去り際、彼の寂しそうな声が、確かに私の耳に届いた気がした。
「また会おう、リディア。次は、君の笑顔が見たいな」
森の景色が歪み、魔王城の自室へと転移する。
私はそこにたどり着いた途端、糸が切れたように床に崩れ落ちた。
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