私、魔王軍の四天王(紅一点)なんですが、敵であるはずの勇者が会うたびに口説いてきます

夏見ナイ

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第8話 四天王「豪雷」のガレス

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黒の森での一件は、前回を遥かに凌ぐ速度で魔王城に知れ渡った。

『煉獄の魔女、再び勇者を前に敗走』
『あろうことか、自らの魔法を暴走させ、味方を危険に晒す大失態』

城内を歩けば、どこからともなく囁き声が聞こえてくる。それは侮蔑や嘲笑というよりは、むしろ困惑と畏怖に近いものだった。あの常勝不敗の、冷静沈着を体現したかのようだったリディア様が、一体どうしてしまったのか。誰もがその変貌を訝しんでいた。

私は自室に閉じこもり、ひたすらに耐えていた。
耳を塞いでも、瞼を閉じても、あの男の言葉と笑顔が蘇ってくる。私の心を掻き乱し、思考を麻痺させる甘い毒。

『君の魂は、誰よりも気高く輝いている』
『君が僕の名を呼んでくれるだけで、胸が高鳴るんだ』

思い出すだけで、顔に熱が集まる。心臓がうるさく鳴り響く。これは屈辱だ。敵に心を揺さぶられたことへの、どうしようもない憤りだ。そう自分に言い聞かせても、乱れた鼓動は一向に収まらなかった。

魔法の暴走。それは、私のプライドを根底から打ち砕いた。魔力の精密なコントロールこそが、私の強さの源泉だったはず。それが、あの男の前ではいとも容易く崩れ去ってしまう。

私は、あの勇者が怖いのかもしれない。
彼の強大な聖剣の力ではない。ただ、彼の存在そのものが、私という確立されたはずの個を、根こそぎ揺るがしてくる。その事実が、何よりも恐ろしかった。

私が膝を抱えて蹲っていると、部屋の扉が爆発でもしたかのような轟音と共に吹き飛んだ。

「リディアアアアアア!」

地響きを立てて部屋に飛び込んできたのは、岩のような巨躯を持つ同僚、四天王「豪雷」のガレスだった。その形相は、鬼神もかくやというほどに怒り狂っている。

「ガレス……ノックくらいしてと言っているでしょう」

「そんなことはどうでもいい!」

彼はズカズカと部屋に入ってくると、私の前で仁王立ちになった。その大きな体躯のせいで、部屋が急に狭くなったように感じる。

「聞いたぞ! またあの害虫にやられたそうだな!」

「……ええ」

私が力なく頷くと、ガレスはギリッと奥歯を鳴らした。彼の怒りは、私の失態そのものに向けられているのではない。それは、彼の次の言葉で明らかになった。

「お前が誑かされているという噂は本当か! あの勇者とかいう軟弱男に、一体何をされた!」

その瞳には、純粋な心配の色が浮かんでいた。彼は昔からこうだ。ぶっきらぼうで、粗野で、頭に血が上りやすい。だが、その根底には、私を妹のように案じる不器用な優しさがあった。

「……何もされていないわ。ただ、私が未熟だっただけ」

「嘘をつくな! お前はそんなタマじゃねえだろうが!」

ガレスは吼えるように言った。
「お前ほどの奴が、二度も続けて同じ相手に手こずるなんざ、おかしいに決まってる! あの男がお前の心を乱しているんだろうが! そうなんだろう!」

図星だった。
何も言い返せない私を見て、ガレスは全てを察したようだった。彼の怒りの矛先は、私から完全にあの勇者へと移る。

「……許せん」

低い、地の底から響くような声だった。
「よくも……俺の可愛いリディアの心を弄んでくれたな……。あの害虫、この俺が自ら八つ裂きにしてくれるわ!」

「待って、ガレス! あなたが行く必要はないわ! これは私の問題よ!」

私は慌てて立ち上がり、彼を止めようとした。しかし、決意を固めたこの男を止められる者など、魔王様くらいしかいない。

「うるさい! お前は少し頭を冷やしてろ!」

ガレスは私の頭を大きな手でわしわしと撫でると、踵を返した。
「いいか、リディア。お前の涙は、俺が魔王様以外に見せることを許さん。お前を泣かせる奴は、たとえ勇者だろうが神だろうが、この俺が雷槌で微塵にしてやる。それだけは覚えとけ」

それだけを言い残し、彼は吹き飛ばした扉の残骸を踏み越えて、部屋から出て行った。

残されたのは、静寂と、破壊された扉と、そして私の胸に渦巻く罪悪感だけ。
私のせいで、ガレスまで危険な目に遭わせてしまう。

「やめて、ガレス……」

私の懇願は、誰の耳にも届くことはなかった。



人間軍の重要拠点、「竜の顎(あぎと)渓谷」。切り立った崖に挟まれた天然の要害であり、ここを突破されれば王都への道が大きく開かれてしまう。

その鉄壁の守りを誇る渓谷に、たった一人の魔族が雷鳴と共に降り立った。

「人間共! 四天王『豪雷』のガレス様が直々に出向いてやったぞ! さっさとあの軟弱勇者をここに連れてこい!」

巨大な戦斧を肩に担ぎ、ガレスは大地を揺るがす声で咆哮した。彼の全身からは絶え間なく紫電がほとばしり、周囲の空気をビリビリと震わせている。

彼の目的は、この拠点の攻略ではない。ただ一点、勇者アルフレッドをおびき出し、叩き潰すこと。そのために、彼はわざと単騎で乗り込んできたのだ。

「化け物だ!」「四天王が一人で!?」

人間たちが動揺する中、ガレスは待つことなく行動を開始した。彼が戦斧を振るうたび、雷を伴った衝撃波が大地を割り、防衛施設を木っ端微塵に破壊していく。それは戦闘というより、一方的な破壊活動だった。

「どうした、勇者はまだか! リディアを誑かした害虫は、俺様が怖くて隠れているのか!」

ガレスが嘲笑を浮かべた、その時だった。
一条の光が天から差し、彼の目の前に音もなく一人の青年が舞い降りる。

「僕を呼んだかい?」

涼やかな声。輝く金髪と、純白の鎧。
待ち望んだ獲物の登場に、ガレスの口元が獰猛な笑みに歪んだ。

「ようやく来たか、害虫め! 貴様が勇者アルフレッドだな!」

「いかにも。君は確か、四天王のガレスだったね。リディアから話は聞いているよ」

アルフレッドは、ガレスの殺気を意に介すことなく、にこやかに挨拶をした。その余裕綽々な態度が、ガレスの怒りの導火線に火をつける。

「なれなれしくリディアの名を呼ぶなあああっ!」

ガレスは雄叫びと共に突進した。体重を乗せた戦斧の一撃は、小型の城なら一撃で崩壊させるほどの破壊力を秘めている。しかし、アルフレッドはそれを聖剣で軽く受け止めた。

キィン、と甲高い金属音が響き、衝撃がガレスの腕を痺れさせる。

「なっ……!?」

見た目からは想像もつかないほどの力。いや、力で受け止めたのではない。完璧なタイミングと角度で、自分の力をいなされたのだ。

「リディアにちょっかいを出す貴様のような奴は、ここで死ね!」

ガレスは怒りに任せて、さらに猛攻を仕掛けた。雷を纏った戦斧が、嵐のようにアルフレッドに襲いかかる。一撃一撃が必殺の威力。だが、その全てが、まるで激流を避ける木の葉のように、ひらりひらりとかわされていく。

「君が彼女を大切に思っているのは、よく分かったよ。ありがとう」

攻撃の合間、アルフレッドはそんなことを口にした。

「だが、勘違いしないでほしい。僕は彼女を弄んでいるわけじゃない。本気で愛しているんだ」

「黙れ! 貴様の薄っぺらい言葉など聞きたくないわ!」

ガレスは最大の魔力を戦斧に込めた。紫電が凝縮され、眩いばかりの光を放つ。

「喰らえ! ギガ・サンダーブレイク!」

ガレスの奥義。放たれた雷の奔流が、渓谷そのものを消し飛ばさんばかりの勢いでアルフレッドに殺到した。

しかし、アルフレッドは冷静だった。
彼はその雷の奔流に突っ込むように踏み込み、最小限の動きでその中心軸をずらす。そして、すれ違い様に聖剣を閃かせた。

一瞬の交錯。

ガレスが我に返った時、彼の右手から戦斧が弾き飛ばされ、宙を舞っていた。そして、その喉元には、冷たい聖剣の切っ先が寸止めで突きつけられていた。

汗が、ガレスの額から流れ落ちる。
完敗だった。手も足も出なかった。奥義ですら、赤子の手をひねるようにあしらわれた。

「……殺せ」

ガレスは屈辱に歯を食いしばりながら言った。

しかし、アルフレッドは静かに聖剣を引いた。そして、困ったように微笑む。

「君を殺せば、きっとリディアが悲しむだろうからね。それは本意じゃない」

その言葉に、ガレスはハッとした。この男は、本気でリディアのことを考えている。その瞳に嘘はない。

「彼女によろしく伝えてくれ」

アルフレッドは鞘に剣を納めながら言った。

「次に会う時は、君のような邪魔者を入れず、彼女と二人きりでゆっくり話がしたい、とね」

それだけを言い残し、彼は光と共に天へと帰っていった。

一人残されたガレスは、その場に膝から崩れ落ちた。
己の無力さ。そして、勇者という男の、底知れない器の大きさに。

害虫などではない。あれは、本物の傑物だ。
そんな男が、本気でリディアに惚れている。

「……なんてこった」

ガレスは乾いた声で呟いた。
これは自分が思っている以上に、厄介で、とんでもない事態になっているのかもしれない。
その予感だけが、彼の心に重くのしかかっていた。
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