私、魔王軍の四天王(紅一点)なんですが、敵であるはずの勇者が会うたびに口説いてきます

夏見ナイ

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第9話 竜の顎(あぎと)渓谷の戦い

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四天王「豪雷」のガレスが、たった一人の勇者に完膚なきまでに叩きのめされた。その報は、魔王城に重い衝撃となって駆け巡った。誰もが、あの勇者の底知れない実力に戦慄した。

医務室のベッドで巨体を横たえるガレスは、幸いにも命に別状はなかった。しかし、その心に刻まれた敗北の傷は深い。私は彼の見舞いに訪れたが、かける言葉が見つからなかった。私のせいだ。私が不甲斐ないばかりに、彼を無謀な戦いへと駆り立ててしまった。

「……すまない」

ベッドの上から、ガレスが掠れた声で呟いた。

「謝るのは私の方よ。あなたを危険な目に……」

「違う」

ガレスは私の言葉を遮った。彼はゆっくりと体を起こし、真剣な眼差しで私を見据える。

「俺は、あの男を見誤っていた。奴はただの狂人じゃねえ。本物だ。お前が心を乱されるのも、無理はねえかもしれん」

「ガレス……?」

「だから、気をつけろよ、リディア。あいつは、俺やお前が今まで戦ってきたどんな敵とも違う。……本当に、お前の心を奪っちまうかもしれんぞ」

その言葉は、忠告であり、予言でもあった。彼の口からそんな言葉が出たことに、私は少なからず動揺した。

私の混乱に追い打ちをかけるように、新たな命令が下った。魔王ザルディアス様直々の勅命。

『四天王リディア・ノワールは、再度軍を率い、竜の顎渓谷を攻略せよ』

それは、私に対する最後の信頼の証。そして、これ以上の失敗は許されないという無言の圧力だった。ガレスが敗れた同じ場所で、私が結果を出さなければならない。

私は全ての私情を心の奥底に封じ込め、覚悟を決めた。もう、あの男に惑わされない。私は魔王軍四天王「煉獄の魔女」。ただ、任務を遂行するのみ。



再び訪れた竜の顎渓谷。切り立った崖が天然の城壁をなし、人間たちの防衛施設がそこかしこに点在している。ガレスが破壊した箇所も、既に修復され始めていた。

私は空から戦場を見下ろし、冷静に戦況を分析する。ガレスは真正面から突撃し、敗れた。ならば私は、この地形を最大限に利用するまで。

「全軍、散開。崖の上から魔法による集中砲火を。敵が混乱した隙に、別働隊が側面を突きなさい」

私の指示に従い、魔族たちは統率の取れた動きで人間軍に襲いかかった。崖の上から降り注ぐ炎と氷の雨。左右の岩陰から現れる屈強な魔獣たち。奇襲と波状攻撃の組み合わせに、人間軍の防衛線は面白いように崩れていく。

順調だ。今回は、私のペースで戦いが進んでいる。
私は自らも前線に降り立ち、抵抗する騎士団を闇の魔法で薙ぎ払った。私の心は、凍てついた湖面のように静かだった。あの男さえ現れなければ、このまま勝利できる。

だが、戦場とは皮肉なものだ。
望まないものほど、必ず現れる。

一筋の光が天から降り立ち、人間たちの最後の砦となっていた指揮所の前に、あの男が舞い降りた。

「勇者……!」

人間たちから歓声が上がる。私の配下たちには緊張が走る。
しかし、私の心は揺らがなかった。覚悟は、できている。

アルフレッドは私を見つけると、少しだけ困ったような、それでいて嬉しそうな複雑な表情を浮かべた。

「やあ、リディア。また会ってしまったね」

「ええ。今日こそ、あなたの息の根を止めに来たわ」

私は冷たく言い放ち、魔力を高めた。彼の言葉に耳を貸すつもりはない。会話をする前に、最大火力で叩き潰す。

しかし、彼の次の言葉は、私の意表を突くものだった。

「今日は、君を口説きに来たわけじゃない」

「……なんですって?」

「僕は、君を止めに来たんだ。これ以上の戦いは、もうやめにしよう。無益な血が流れるだけだ」

彼は聖剣を抜き放ち、その切っ先を私ではなく、地面に向けた。戦う意思がないという表示。だが、その瞳には、今まで以上の強い決意が宿っていた。

「あなたに、私の何が分かるというの。私たちは敵同士。どちらかが滅びるまで、戦いは終わらないわ」

「終わらせるんだ。僕と君で」

彼の真摯な言葉が、私の心の壁を叩く。やめて。そんな目で私を見ないで。あなたのその真っ直ぐな瞳が、私の覚悟を鈍らせる。

「黙りなさい!」

私は彼の言葉を振り払うように、魔法を放った。しかし、彼はそれを最小限の動きでいなし、決して反撃してこない。その態度が、私をさらに苛立たせた。

私がアルフレッドに全ての意識を集中させていた、その時だった。

渓谷の崖の上。人間軍の陣地の中でも、ひときわ奥まった場所から、禍々しい魔力が放たれたのを肌で感じた。それは、人間が扱っていい力ではない。古代の、禁忌に触れる類の術式。

「!?」

私と、そしてアルフレッドも、同時にそちらに視線を向けた。
崖の上の魔法陣から、極太の黒い光線が放たれる。その狙いは、アルフレッドではなく、明らかに私だった。

人間軍の、暴走か。あるいは、勇者のやり方を生温いと断じた過激派の仕業か。
どちらにせよ、あの威力は危険すぎる。

咄嗟に防御障壁を展開しようとしたが、間に合わない。光線は、音速を超えて私に迫る。避けられない。死を、覚悟した。

その、刹那。

私の視界が、純白の輝きに覆われた。

アルフレッドが、私と光線の間に割り込んでいたのだ。
彼は私を背中に庇うように立ち、聖剣を地面に突き立て、光の障壁を最大出力で展開していた。

「アルフレッド!?」

私の絶叫と、黒い光線が障壁に激突したのは、ほぼ同時だった。
凄まじい轟音と衝撃波が、渓谷全体を揺るがす。アルフレッドが展開した光の障壁が、メキメキと音を立てて軋みを上げた。

「ぐっ……!」

彼の苦悶の声が聞こえる。聖剣の輝きが、徐々に黒い光に飲み込まれていく。
そして、ついに障壁は限界を超えた。

光と闇の爆発が、彼を中心に巻き起こる。

私は爆風に吹き飛ばされ、地面を数回転がった。すぐに体勢を立て直し、爆心地に視線を向ける。土煙が晴れた先にいたのは、膝をつき、肩で荒い息を繰り返すアルフレッドの姿だった。

彼の純白の鎧には亀裂が走り、右腕からは赤い血が滴り落ちている。
聖剣は、彼の傍らの地面に力なく突き刺さっていた。

彼は、負傷したのだ。
私を、庇って。

「な……」

言葉が出なかった。
戦場の喧騒が、嘘のように遠のいていく。私の世界から、音が消えた。
部下たちの声も、敵兵の雄叫びも、何も聞こえない。

ただ、彼の荒い呼吸と、腕から滴り落ちる血の音だけが、私の鼓膜に焼き付いていた。

なぜ?

どうして、私を?

あなたは勇者で、私は魔王軍の幹部で。
あなたは光で、私は闇で。
あなたは私の敵で、私はあなたの敵で。

殺し合うべき相手なのに。

なぜ、あなたは私を庇って、傷ついているの?

私の頭の中は、その言葉だけで埋め尽くされた。
理解できない。信じられない。
敵であるはずの男が、自分の身を盾にして、私を守った。

その信じがたい光景に、私はただ立ち尽くすことしかできなかった。
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