私、魔王軍の四天王(紅一点)なんですが、敵であるはずの勇者が会うたびに口説いてきます

夏見ナイ

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第21話 芽生えた気持ち

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中立地帯の古代遺跡での一件は、結局のところ「原因不明の地殻変動による事故」として処理された。生き残った人間と魔族の代表団は、会談の決裂を宣言し、それぞれの領地へと引き上げていった。こうして、歴史に残ることのない小さな戦いは、誰にも知られることなく幕を閉じた。

魔王城に戻った私は、医務室で左足の治療を受けていた。幸いにも骨に異常はなく、高位の治癒魔法によって痛みはすぐに引いた。体の傷は、もうどこにもない。しかし、私の心に残された傷跡、あるいは温もりと呼ぶべきものは、決して消えることはなかった。

「……リディア様、顔色が優れませんが」

治療を終えた魔族の医師が、心配そうに私の顔を覗き込む。

「いいえ、問題ないわ。少し疲れただけよ」

私はそう言って、無理に平静を装った。しかし、鏡を見なくても分かる。私の顔はきっと、自分でも見たことのないような、複雑な色を浮かべているに違いない。

自室に戻り、一人になると、私はベッドに倒れ込んだ。
目を閉じると、あの遺跡での出来事が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇ってくる。

瓦礫に足を挟まれた私を、必死の形相で助けてくれた彼。
背中を預け合い、無数の魔物と戦った時の、あの奇妙な一体感。
ゴーレムを倒すため、私を抱き上げて跳躍した、彼の力強い腕の感触。
そして、私の頬の傷を癒してくれた、あの優しい治癒魔法の温もり。

『君が傷つくのを見るのは、僕が傷つくより、ずっと辛いからね』

その言葉が、耳の奥で何度も反響する。
そのたびに、私の心臓がきゅうっと締め付けられるように痛んだ。そして、その痛みと同時に、胸の奥から温かい何かが込み上げてくる。

「……なんなのよ、これ」

私は自分の胸に手を当てた。
主の意思に反して、心臓がトクン、トクンと穏やかに、しかし力強く脈打っている。
頬が熱い。指先が、微かに震えている。

これは、怒りではない。屈辱でもない。
今まで私が経験してきた、どの感情とも違う。
もっと甘くて、もっと切なくて、そしてどうしようもなく心を揺さぶる、未知の感覚。

私はベッドから起き上がると、ふらつく足で姿見の前に立った。
鏡に映る自分の顔を見て、息を呑む。
そこにいたのは、私が知っている「煉獄の魔女」ではなかった。
眉を寄せ、頬を微かに赤らめ、潤んだ赤い瞳で何かを思い悩んでいる。ただの、一人の娘の顔がそこにあった。

アルフレッド。

彼の名前を心の中で呟いただけで、動悸が激しくなる。
彼の笑顔を思い出しただけで、呼吸が少しだけ苦しくなる。
彼に触れられた場所が、今でも熱を持っているような気がする。

ああ、そうか。
私は、ようやく、この感情の正体に気づいてしまった。

これは、きっと。
人間たちが言うところの、「恋」というものなのだ。

その事実を自覚した瞬間、私の全身を凄まじい衝撃が駆け巡った。それは、喜びなどでは断じてない。奈落の底に突き落とされたかのような、絶望的な感覚だった。

恋? この私が?
魔王軍四天王である、この私が?
敵である、勇者に?

「……ありえない」

私の唇から、乾いた声が漏れた。
ありえない。あってはならない。許されるはずがない。
これは、魔王様に対する、紛れもない裏切りだ。

私を絶望の淵から救い上げてくださった、唯一無二の主。
私に名前を与え、居場所を与え、生きる意味を与えてくださった、絶対の存在。
その御恩を、私は仇で返すというのか。
この命も、この力も、全ては魔王様のためにあるはずなのに。その心だけを、敵である男に捧げるなどと。

「私は……私はなんてことを……!」

罪悪感が、巨大な波となって私に押し寄せた。
立っていられなくなり、その場に崩れ落ちる。
私は床に膝をつき、両手で顔を覆った。涙が、止めどなく溢れ出てくる。生まれて初めて流す、悔恨の涙だった。

私は最低だ。恩知らずの、裏切り者だ。
魔王様は、きっと私のこの心の変化にお気づきになっている。あの沈黙の謁見は、そういうことだったのだ。私に、自らの罪を自覚する時間を与えてくださっていたに違いない。

この感情を、消し去らなければ。
心の奥底に芽生えてしまったこの毒草を、根こそぎ引き抜かなければならない。
そうでなければ、私は私でいられなくなる。魔王様の、忠実な剣ではいられなくなる。

私は何度もそう誓った。しかし、無情にも、私の心は言うことを聞かなかった。
消そうとすればするほど、アルフレッドの姿は鮮明になり、彼の言葉は甘く響く。罪悪感に苛まれれば苛まれるほど、彼に庇われた時の安堵感が、より一層輝いて思い出されるのだ。

どれほどの時間、そうしていただろうか。
不意に、部屋の扉が軽くノックされた。

「リディア? 入るよ」

返事をする前に、レヴィが静かに入ってきた。
私は慌てて涙を拭い、何でもないふりを装う。しかし、この男の目は誤魔化せない。

「……ひどい有様だね。まるで世界の終わりにでも直面したかのような顔だ」

彼は私の前に屈み込むと、珍しく揶揄するような色合いのない声で言った。
その声が、妙に優しく聞こえて、私の心の堰が再び決壊しそうになる。

「あなたには、関係ないわ」

「そうでもないさ。君は僕の大事な同僚だ。それに、君がそんな風に思い詰めている原因は、十中八九、あの勇者のことだろう?」

図星だった。
私は何も言えず、ただ唇を噛み締める。

レヴィは深いため息をつくと、立ち上がった。
「君が何を悩んでいるのかは、知らない。いや、知っているが、知らないふりをしておこう。だが、一つだけアドバイスをやろう」

彼は私の頭に、ポンと軽く手を置いた。ガレスのそれとは違う、ひんやりとして、どこか無機質な感触。

「感情というものはね、リディア。蓋をしようとすればするほど、強い力で溢れ出そうとするものだよ。無理に消そうとするのは、賢いやり方じゃない」

「じゃあ、どうしろと……!」

「向き合うのさ。自分の心と。そして、選ぶんだ。君が本当に大切にしたいものが、何なのかをね」

それだけを言うと、レヴィは静かに部屋を出て行った。
一人残された私は、彼の言葉を反芻する。

向き合う。選ぶ。
私が、本当に大切にしたいもの。

それは、決まっているはずだった。魔王様への忠誠。それ以外に、ありえるはずがなかった。
なのに、なぜ。
なぜ、彼の顔を思い浮かべると、こんなにも胸が痛むのだろう。
なぜ、彼といた時の記憶が、こんなにも輝いて見えるのだろう。

私は、もう分からなくなっていた。
自分の心が、どこにあるのか。
自分が、何をしたいのか。

ただ一つ確かなことは、私はもう、以前の私には戻れないということだけ。
アルフレッドという名の光を知ってしまった闇は、もう二度と、完全な闇には戻れないのだ。

私の長い苦悩の夜は、まだ始まったばかりだった。
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