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第20話 背中を預けて
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遺跡の闇から溢れ出した魔物の群れは、私が知るどの生物とも似ていなかった。甲殻に覆われた多足の獣、影のように実体のない不定形の怪物、そして、目が合っただけで体の自由を奪おうとする邪眼を持つ爬虫類。古代の魔力によって歪められた、悪夢の具現だった。
「来るわよ!」
私の警告と同時に、数体の多足獣が壁を駆け上がり、天井から襲いかかってきた。アルフレッドは一瞥しただけで状況を判断する。
「上は任せた!」
彼はそう叫ぶと、正面から殺到する爬虫類の群れに聖剣を振るった。浄化の光が闇を切り裂き、邪眼を持つ魔物を数体まとめて消滅させる。
彼の背中は、完全に私に預けられていた。
その信頼に応えなければならない。私は短剣を逆手に持ち替え、天井から落下してくる魔物に向かって地を蹴った。左足の痛みが走るが、今は無視する。
一体目の硬い甲殻を、落下速度を利用して短剣で貫く。そのまま、その体を足場にしてさらに跳躍し、二体目の喉元を切り裂いた。空中で体勢を整え、着地と同時に身を屈める。私の頭上を、三体目の鋭い爪が空しく薙いだ。その隙を見逃さず、私は立ち上がりざまに敵の腹部へ短剣を突き立てた。
淀みない動き。まるで、手足のように体が動く。
彼の背中を守っている。その意識が、私の肉体に限界以上の力を与えていた。
「リディア、右!」
アルフレッドの声が飛ぶ。
私は振り返ることなく、右後方へ短剣を投げつけた。影に潜んでいた不定形の魔物が、断末魔の叫びを上げて霧散する。
「あなたも、左後方に一体!」
「承知!」
彼の聖剣が、私の死角を完璧にカバーする。
言葉は最小限。互いの呼吸と気配だけで、次に何が起こり、どう動くべきかが手に取るように分かった。商業都市での共闘が、まるで子供の遊びのように思えるほどの、完璧な連携。
強い。
彼は、私が今まで出会った誰よりも。
そして、彼の隣で戦う私もまた、今まで知らなかった自分の力を引き出されているのを感じていた。
どれほどの時間が経っただろうか。
最後の魔物が浄化の光に包まれて消滅した時、通路には静寂が戻っていた。残されたのは、魔物の体液の酸っぱい匂いと、お互いの荒い呼吸音だけ。
「……ふう。どうやら、片付いたみたいだな」
アルフレッドが、緊張を解くように息を吐いた。
「ええ。ひとまずは、ね」
私は壁に手をつき、ずきりと痛む左足の感覚に顔を顰めた。無理をしたせいで、痛みが悪化している。
その様子に気づいたアルフレッドが、すぐに駆け寄ってきた。
「やはり、無理をしていたんだな。見せてごらん」
彼は私の返事を待たずにその場に膝をつくと、私のブーツを慎重に脱がせ始めた。
「なっ……! 何をするの!」
「手当てだよ。このままでは歩けなくなる」
彼の真剣な眼差しに、私は反論の言葉を失った。彼は私の足首を優しく手に取ると、自分の服の袖を破いて即席の包帯を作る。その手つきは、驚くほど手慣れていた。
「……あなた、どうしてこんなことを」
私は、思わず尋ねていた。「なぜ、私を助けるの。私は、あなたの敵でしょう」
包帯を結ぶ彼の手が、一瞬だけ止まった。しかし、すぐにまた動き出す。
「君が敵だから、とか。僕が勇者だから、とか。そういうことは、今はどうでもいいんだ」
彼は顔を上げずに、静かに言った。
「僕はただ、目の前で困っている君を、放っておけないだけだよ。それに……」
彼はそこで言葉を切ると、しっかりと包帯を結び終えた。そして、ゆっくりと顔を上げる。その空色の瞳は、この薄暗い遺跡の中でも、澄み切った光を宿していた。
「君が傷つくのを見るのは、僕が傷つくより、ずっと辛いからね」
その言葉は、何のてらいもない、彼の本心だった。
私の心臓が、大きく、そして甘く締め付けられる。もう、彼の言葉を策略だと切り捨てることは、私にはできなかった。この男は、本気でそう思っているのだ。敵である、この私に対して。
「……お人好し」
私は俯き、そう呟くのが精一杯だった。顔が熱くて、彼に顔を見せられなかった。
手当てを終えた私たちは、遺跡の探索を再開した。アルフレッドは私の歩調に合わせて、ゆっくりと進んでくれる。その背中が、今は何よりも頼もしかった。
私たちは、道中でいくつかの古代の罠に遭遇したが、その度に二人で知恵を出し合って乗り越えていった。私が遺跡の構造から罠の法則を読み解き、アルフレッドがその圧倒的な力で道を切り開く。その時間は、不思議と苦痛ではなかった。むしろ、敵同士という立場を忘れられる、束の間の安らぎさえ感じていた。
やがて、私たちは巨大な石扉の前にたどり着いた。ここが、おそらくこの遺跡の中心部。そして、地上へと続く唯一の出口だろう。
しかし、その扉を守るように、一体の巨大なゴーレムが立ちはだかった。全身が黒曜石で覆われ、その両目からは不気味な赤い光が放たれている。
「ラスボス、というわけか」
アルフレッドが聖剣を構え直す。
「魔力結界の中心でもあるわ。あれを倒さない限り、私たちはここから出られない」
私も短剣を握りしめた。
最後の戦いが、始まった。
ゴーレムの攻撃は、一撃一撃が地を揺るがすほどの威力を持つ。まともに食らえば、骨も残らないだろう。
「奴の動きは遅い! 私が攪乱するわ!」
私は足の痛みを堪え、素早い動きでゴーレムの注意を引きつけた。その隙に、アルフレッドが聖剣で関節部分を狙う。しかし、黒曜石の装甲はあまりにも硬く、聖剣の刃ですら、深い傷を与えることができない。
「くそっ、硬すぎる!」
焦るアルフレッドに、私は叫んだ。
「額の宝石よ! あれがコアに違いない!」
「だが、あそこまでは届かない!」
その時、ゴーレムの巨大な拳が、私に狙いを定めた。動きが鈍った私には、もう避ける術がない。
「リディア!」
アルフレッドが叫ぶ。
私は死を覚悟した。しかし、その瞬間、アルフレッドは信じられない行動に出た。
彼は私に向かって駆け寄ると、私を軽々と抱き上げたのだ。
「えっ!?」
「しっかり掴まっていろ!」
彼は私を抱えたまま、ゴーレムの振り下ろされる腕を駆け上がった。そして、その肩から、額のコアに向かって、大きく跳躍する。
「あなたを、足場にするわ!」
私は彼の意図を瞬時に理解した。空中で彼の肩を強く蹴り、さらなる高みへと舞い上がる。
私の手には、投げつけた短剣が戻ってきていた。
狙うは、額の赤い宝石。
「砕けなさいっ!」
私の全体重を乗せた一撃が、ゴーレM.OL.D.のコアを正確に貫いた。
甲高い亀裂音が響き、宝石が粉々に砕け散る。ゴーレムの体から力が抜け、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。
私は空中で体勢を崩したが、地面に叩きつけられる寸前で、アルフレッドがその腕でしっかりと受け止めてくれていた。
彼の腕の中。
お互いの荒い呼吸と、高鳴る鼓動だけが聞こえる。
私たちは、ゼロ距離で互いを見つめ合っていた。
「……やったな」
「ええ……やったわね」
私たちは、どちらからともなく、ふっと笑い合った。
その時、私たちの間にはもう、敵も味方も、勇者も魔女もなかった。ただ、共に死線を乗り越えた、一組の男女がいるだけだった。
ゴーレムが崩れたことで、巨大な石扉がゆっくりと開き始める。
その向こうから、眩しい朝日の光が差し込んできた。
私たちは、その光に導かれるように、遺跡の外へと足を踏み出した。
地上では、生き残った人間と魔族の兵士たちが、互いに武器を構え、睨み合っていた。しかし、遺跡からボロボロの姿で、しかし寄り添うように現れた私たちを見て、誰もが言葉を失う。
私たちは、何も言わずに互いから離れ、それぞれの陣営へと歩き出した。
すれ違う瞬間、彼の声が、私にだけ聞こえるように囁いた。
「また、会えるな」
それは、疑問形ではなかった。
私は答えなかった。ただ、一瞬だけ足を止め、そして再び歩き出す。
もう、後戻りはできない。
私の心は、決定的に変わってしまった。
この感情が、私をどこへ導くのかは分からない。だが、彼の背中を預けられたあの温もりと、共に戦った記憶だけは、もう決して消えることはないだろう。
私の胸に宿ったこの小さな光を、私は静かに受け入れることに決めた。
「来るわよ!」
私の警告と同時に、数体の多足獣が壁を駆け上がり、天井から襲いかかってきた。アルフレッドは一瞥しただけで状況を判断する。
「上は任せた!」
彼はそう叫ぶと、正面から殺到する爬虫類の群れに聖剣を振るった。浄化の光が闇を切り裂き、邪眼を持つ魔物を数体まとめて消滅させる。
彼の背中は、完全に私に預けられていた。
その信頼に応えなければならない。私は短剣を逆手に持ち替え、天井から落下してくる魔物に向かって地を蹴った。左足の痛みが走るが、今は無視する。
一体目の硬い甲殻を、落下速度を利用して短剣で貫く。そのまま、その体を足場にしてさらに跳躍し、二体目の喉元を切り裂いた。空中で体勢を整え、着地と同時に身を屈める。私の頭上を、三体目の鋭い爪が空しく薙いだ。その隙を見逃さず、私は立ち上がりざまに敵の腹部へ短剣を突き立てた。
淀みない動き。まるで、手足のように体が動く。
彼の背中を守っている。その意識が、私の肉体に限界以上の力を与えていた。
「リディア、右!」
アルフレッドの声が飛ぶ。
私は振り返ることなく、右後方へ短剣を投げつけた。影に潜んでいた不定形の魔物が、断末魔の叫びを上げて霧散する。
「あなたも、左後方に一体!」
「承知!」
彼の聖剣が、私の死角を完璧にカバーする。
言葉は最小限。互いの呼吸と気配だけで、次に何が起こり、どう動くべきかが手に取るように分かった。商業都市での共闘が、まるで子供の遊びのように思えるほどの、完璧な連携。
強い。
彼は、私が今まで出会った誰よりも。
そして、彼の隣で戦う私もまた、今まで知らなかった自分の力を引き出されているのを感じていた。
どれほどの時間が経っただろうか。
最後の魔物が浄化の光に包まれて消滅した時、通路には静寂が戻っていた。残されたのは、魔物の体液の酸っぱい匂いと、お互いの荒い呼吸音だけ。
「……ふう。どうやら、片付いたみたいだな」
アルフレッドが、緊張を解くように息を吐いた。
「ええ。ひとまずは、ね」
私は壁に手をつき、ずきりと痛む左足の感覚に顔を顰めた。無理をしたせいで、痛みが悪化している。
その様子に気づいたアルフレッドが、すぐに駆け寄ってきた。
「やはり、無理をしていたんだな。見せてごらん」
彼は私の返事を待たずにその場に膝をつくと、私のブーツを慎重に脱がせ始めた。
「なっ……! 何をするの!」
「手当てだよ。このままでは歩けなくなる」
彼の真剣な眼差しに、私は反論の言葉を失った。彼は私の足首を優しく手に取ると、自分の服の袖を破いて即席の包帯を作る。その手つきは、驚くほど手慣れていた。
「……あなた、どうしてこんなことを」
私は、思わず尋ねていた。「なぜ、私を助けるの。私は、あなたの敵でしょう」
包帯を結ぶ彼の手が、一瞬だけ止まった。しかし、すぐにまた動き出す。
「君が敵だから、とか。僕が勇者だから、とか。そういうことは、今はどうでもいいんだ」
彼は顔を上げずに、静かに言った。
「僕はただ、目の前で困っている君を、放っておけないだけだよ。それに……」
彼はそこで言葉を切ると、しっかりと包帯を結び終えた。そして、ゆっくりと顔を上げる。その空色の瞳は、この薄暗い遺跡の中でも、澄み切った光を宿していた。
「君が傷つくのを見るのは、僕が傷つくより、ずっと辛いからね」
その言葉は、何のてらいもない、彼の本心だった。
私の心臓が、大きく、そして甘く締め付けられる。もう、彼の言葉を策略だと切り捨てることは、私にはできなかった。この男は、本気でそう思っているのだ。敵である、この私に対して。
「……お人好し」
私は俯き、そう呟くのが精一杯だった。顔が熱くて、彼に顔を見せられなかった。
手当てを終えた私たちは、遺跡の探索を再開した。アルフレッドは私の歩調に合わせて、ゆっくりと進んでくれる。その背中が、今は何よりも頼もしかった。
私たちは、道中でいくつかの古代の罠に遭遇したが、その度に二人で知恵を出し合って乗り越えていった。私が遺跡の構造から罠の法則を読み解き、アルフレッドがその圧倒的な力で道を切り開く。その時間は、不思議と苦痛ではなかった。むしろ、敵同士という立場を忘れられる、束の間の安らぎさえ感じていた。
やがて、私たちは巨大な石扉の前にたどり着いた。ここが、おそらくこの遺跡の中心部。そして、地上へと続く唯一の出口だろう。
しかし、その扉を守るように、一体の巨大なゴーレムが立ちはだかった。全身が黒曜石で覆われ、その両目からは不気味な赤い光が放たれている。
「ラスボス、というわけか」
アルフレッドが聖剣を構え直す。
「魔力結界の中心でもあるわ。あれを倒さない限り、私たちはここから出られない」
私も短剣を握りしめた。
最後の戦いが、始まった。
ゴーレムの攻撃は、一撃一撃が地を揺るがすほどの威力を持つ。まともに食らえば、骨も残らないだろう。
「奴の動きは遅い! 私が攪乱するわ!」
私は足の痛みを堪え、素早い動きでゴーレムの注意を引きつけた。その隙に、アルフレッドが聖剣で関節部分を狙う。しかし、黒曜石の装甲はあまりにも硬く、聖剣の刃ですら、深い傷を与えることができない。
「くそっ、硬すぎる!」
焦るアルフレッドに、私は叫んだ。
「額の宝石よ! あれがコアに違いない!」
「だが、あそこまでは届かない!」
その時、ゴーレムの巨大な拳が、私に狙いを定めた。動きが鈍った私には、もう避ける術がない。
「リディア!」
アルフレッドが叫ぶ。
私は死を覚悟した。しかし、その瞬間、アルフレッドは信じられない行動に出た。
彼は私に向かって駆け寄ると、私を軽々と抱き上げたのだ。
「えっ!?」
「しっかり掴まっていろ!」
彼は私を抱えたまま、ゴーレムの振り下ろされる腕を駆け上がった。そして、その肩から、額のコアに向かって、大きく跳躍する。
「あなたを、足場にするわ!」
私は彼の意図を瞬時に理解した。空中で彼の肩を強く蹴り、さらなる高みへと舞い上がる。
私の手には、投げつけた短剣が戻ってきていた。
狙うは、額の赤い宝石。
「砕けなさいっ!」
私の全体重を乗せた一撃が、ゴーレM.OL.D.のコアを正確に貫いた。
甲高い亀裂音が響き、宝石が粉々に砕け散る。ゴーレムの体から力が抜け、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。
私は空中で体勢を崩したが、地面に叩きつけられる寸前で、アルフレッドがその腕でしっかりと受け止めてくれていた。
彼の腕の中。
お互いの荒い呼吸と、高鳴る鼓動だけが聞こえる。
私たちは、ゼロ距離で互いを見つめ合っていた。
「……やったな」
「ええ……やったわね」
私たちは、どちらからともなく、ふっと笑い合った。
その時、私たちの間にはもう、敵も味方も、勇者も魔女もなかった。ただ、共に死線を乗り越えた、一組の男女がいるだけだった。
ゴーレムが崩れたことで、巨大な石扉がゆっくりと開き始める。
その向こうから、眩しい朝日の光が差し込んできた。
私たちは、その光に導かれるように、遺跡の外へと足を踏み出した。
地上では、生き残った人間と魔族の兵士たちが、互いに武器を構え、睨み合っていた。しかし、遺跡からボロボロの姿で、しかし寄り添うように現れた私たちを見て、誰もが言葉を失う。
私たちは、何も言わずに互いから離れ、それぞれの陣営へと歩き出した。
すれ違う瞬間、彼の声が、私にだけ聞こえるように囁いた。
「また、会えるな」
それは、疑問形ではなかった。
私は答えなかった。ただ、一瞬だけ足を止め、そして再び歩き出す。
もう、後戻りはできない。
私の心は、決定的に変わってしまった。
この感情が、私をどこへ導くのかは分からない。だが、彼の背中を預けられたあの温もりと、共に戦った記憶だけは、もう決して消えることはないだろう。
私の胸に宿ったこの小さな光を、私は静かに受け入れることに決めた。
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