私、魔王軍の四天王(紅一点)なんですが、敵であるはずの勇者が会うたびに口説いてきます

夏見ナイ

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第53話 幻影の回廊

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レヴィの図書館を後にした四人が足を踏み入れたのは、どこまでも続くかのように思える長い長い回廊だった。
壁も床も天井も、全てが継ぎ目のない滑らかな黒い石でできており、光源はどこにも見当たらない。しかし不思議と完全な闇ではなく、足元がおぼろげに見える程度の薄明かりのような光が空間を満たしていた。

「……気味が悪い場所ですわね」
エルザが警戒を露わにして呟いた。
物理的な罠の気配はない。魔物の気配もない。ただ静寂だけがそこにあった。しかしその静寂は死そのもののように冷たく重く、四人の精神にのしかかってくる。

「気を抜くな」
先頭を進むダリウスが低い声で警告した。「この回廊……我々の精神に直接干渉してくるぞ」

彼の言う通りだった。
一歩、また一歩と進むにつれて、心の奥底に澱のように溜まっていた不安や恐怖が、じわじわと引きずり出されていくような不快な感覚があった。

レヴィは言った。『最後の試練だ。君自身の心の闇を、乗り越えてみせろ』と。
ここは侵入者の最も弱い部分を突き、精神を内側から破壊するための悪趣味な罠なのだ。

「聖なる光よ、我らの心を護りたまえ!」
イリーナが即座に反応し、パーティー全体を覆うように精神防壁の結界を展開した。彼女の清らかな神聖魔法が、回廊から発せられる邪悪な波動を和らげてくれる。
しかし、それでも完全には防ぎきれない。じわりじわりと毒が染み込むように、負の感情が心を蝕んでいく。

最初に異変をきたしたのは、最後尾にいたエルザだった。
「……え?」
彼女は不意に足を止め、誰もいないはずの虚空を見つめて目を見開いた。その顔からは血の気が引いている。

「どうした、エルザ!」
アルフレッドが鋭く問いかけた。

「あ……あそこに……」
エルザの指先が震えながら前方を指し示す。しかし他の三人の目には、何も見えない。

「見えないのですか!? あの巨大な魔導書が! 私がずっと追い求めていた、禁断の知識が……!」
彼女の瞳は虚空に浮かぶ幻影に、完全に心を奪われていた。
それは彼女が魔道の探求者として、心の奥底に秘めていた最も危険な欲望。知識への渇望。その欲望が幻影となって彼女を誘惑しているのだ。

「エルザ、しっかりして! それは幻です!」
イリーナが叫ぶが、彼女の耳には届いていない。エルザはまるで夢遊病者のように、ふらふらと幻影に向かって歩き始めた。

「待て!」
ダリウスが彼女の腕を掴んで引き戻そうとする。
その瞬間、今度はダリウスの動きが止まった。

「……子供……?」
彼の視線の先には、泣きじゃくる数人の子供たちの幻影が現れていた。それはかつて彼が騎士として守りきれなかった、魔物の襲撃で命を落とした村の子供たちの姿だった。
『どうして助けてくれなかったの』『僕たちを見捨てたんだ』
子供たちの無垢でしかし残酷な声が、彼の心を責め立てる。
「俺は……俺は、見捨ててなど……!」
彼の鉄壁の精神が、後悔という名の楔によって激しく揺さぶられていた。

「ダリウスまで……!」
アルフレッドが歯噛みする。
この回廊は一人ずつ、確実に精神を破壊していくつもりなのだ。

そして、その矛先はついにイリーナにも向けられた。
彼女の目の前に現れたのは、血塗れで倒れるアルフレッドの幻影だった。それはグレンデル平原で彼女が最も恐れた最悪の光景。
『ごめん、イリーナ……君がもっと強ければ……』
幻影のアルフレッドが、恨めしそうな声で彼女に囁く。
「いや……いやぁっ!」
聖女としての無力さ。最も大切な幼馴染を守れなかったという罪悪感。それが彼女の心を容赦なく抉った。
彼女が展開していた精神防壁の結界が、激しく揺らぎ始める。

「くそっ……!」
アルフレッドは聖剣を抜き放った。
「浄化の光よ、邪悪なる幻影を打ち払え!」
聖剣から放たれた光が回廊全体を包み込む。しかし幻影は消えない。それどころか光を吸収して、さらに濃くなっているかのようだった。

この幻影は、外部からの力では破壊できない。
囚われた者自身が、自らの心の力で打ち破るしかないのだ。

仲間たちが次々と心の闇に呑まれていく。
アルフレッドの心にも焦りが生まれていた。このままでは全滅する。
その時だった。

「……離せ」
幻影に囚われていたはずのダリウスが、低い声で呟いた。彼は自らの腕にまとわりつく子供たちの幻影を振り払うかのように、強く拳を握りしめた。

「俺は、もう二度と目を逸らさないと誓った」
彼の瞳に強い光が戻る。
「お前たちは俺が背負うべき戒めだ。だが、俺はもう過去の幻に囚われはしない! 俺の剣は未来を切り開くためにある!」
彼の絶叫と共に、子供たちの幻影がガラスのように砕け散った。

その覚醒が連鎖反応を引き起こした。
「そうですわ……」
エルザが禁断の魔導書から、ゆっくりと視線を外した。「私が求めるのは誰かを傷つけるための力ではない。仲間と未来を守るための知恵のはず……! こんなまやかしに私の魂は売れません!」
彼女の強い意志が、魔導書の幻影を霧散させる。

そしてイリーナもまた、涙を拭って顔を上げた。
「……そうよ。私がすべきことは過去を悔やむことじゃない。今、目の前にいるあなたを未来へと導くこと!」
彼女の祈りが再び力を取り戻す。揺らいでいた精神防壁が、以前よりもさらに強く温かい光となって仲間たちを包み込んだ。

三人は自らの力で、最初の試練を乗り越えたのだ。
しかしその精神的な消耗は計り知れない。三人の額には玉のような汗が浮かび、その呼吸は荒くなっていた。

「……みんな」
アルフレッドが安堵と、そして仲間への誇りを込めて呟いた。

「まだ終わっていませんわ」
エルザが前方を睨みつけながら言った。「この回廊……奥へ進むほど幻影はさらに強力に、そして個人的なものになっていくようです」

彼女の言う通りだった。
回廊の奥の闇がまるで生き物のように蠢き、次の獲物を定めようとしている。
その視線が今度はアルフレッド一人に集中しているのを、四人は確かに感じていた。

「ここからは僕の番、というわけか」
アルフレッドは聖剣を構え直した。

仲間たちの試練は終わった。
次は、このパーティーのリーダーであり中心である勇者自身の心の闇が試される番なのだ。
そしてその闇が仲間たちのそれよりも遥かに深く複雑であることを、アルフレッド自身が誰よりもよく理解していた。

彼は覚悟を決めて、一歩前へと踏み出した。
回廊の闇が歓迎するかのように、大きく口を開けて彼を待ち構えていた。
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