私、魔王軍の四天王(紅一点)なんですが、敵であるはずの勇者が会うたびに口説いてきます

夏見ナイ

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第79話 侵食される世界

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エルザの絶叫は開戦の号砲だった。
彼女が持つ魔力観測儀が示す世界地図の上に、まるで悪性の疱瘡のように赤い光点が次々と灯っていく。北方のドワーフの山脈、西方のエルフの森、そして東の魔族領との国境。アビス・ウォーカーは一体や二体ではない。世界の理の綻びから軍勢となって同時に溢れ出してきたのだ。

「……始まったか」
アルフレッドの声は硬かった。
王城の作戦室は瞬く間に野戦司令部と化した。通信魔術師たちが悲鳴のような報告を次々と上げてくる。

「ドワーフ領、鉄の都が正体不明の怪物に襲撃されています!」
「エルフの森、聖なる樹が汚染されていると!」
「魔族領国境、第3防衛線が……陥落しました!」

報告される被害はこちらの想像を遥かに超えていた。
奴らはただ破壊するだけではない。その土地の魔力や生命力を喰らい、汚染し、自らの領域へと変えていく。まさに世界の癌細胞。

「落ち着け!」
アルフレッドの一喝がパニックに陥りかけた作戦室の空気を引き締めた。「光の同盟の名において各国の代表に通達! 事前に定めた防衛計画に従い、迎撃を開始せよ!」

国王としての彼の最初の采配だった。
しかし現実は彼の理想通りには進まない。

「ダメです! 通信が安定しません!」
「ドワーフたちが我々の指示を無視して籠城戦を選択しました!」
「エルフは森から一歩も出る気はないと!」

ようやく結ばれたばかりの同盟はあまりにも脆かった。
共通の脅威を前にしても彼らは自らの国の守りを優先し、足並みはバラバラ。訓練も連携もあったものではない。紙の上での共同戦線など何の役にも立たなかった。

「くそっ……!」
アルフレッドは玉座の肘掛けを強く握りしめた。
歯がゆい。もどかしい。
自分が前線にいれば。聖剣を手に、あの光で道を切り開けば。
しかし彼はもうただの勇者ではない。この国の、そして同盟の最高司令官。この場を動くことは許されない。

彼の葛藤を隣に立つ私はただ見守ることしかできなかった。



魔族領国境。
黒煙と瘴気が渦巻く荒野で、レヴィは冷静に、しかし内心の焦りを押し殺しながら指揮を執っていた。

「第一部隊、後退しろ! 奴らに魔力を喰わせるな!」
「第二部隊、物理攻撃で足止めに徹しろ! 狙うは中心の核だ!」

彼の的確な指示の下、魔族の兵士たちは統率の取れた動きでアビス・ウォーカーの群れと交戦していた。しかし戦況は絶望的だった。
魔族はその力の源を魔力に大きく依存している。その最大の武器を封じられた彼らは牙を抜かれた狼に等しかった。

「レヴィ様!」
側近が血相を変えて駆け寄ってきた。「東の渓谷から新たな群れが出現! 規模はこちらの倍以上です!」

「……やはりか」
レヴィは苦々しげに呟いた。
奴らは知性を持っている。こちらの戦力を分析し、的確に増援を送り込んできたのだ。

挟撃される。
このままでは全滅する。

(ここまで、か……)
彼の脳裏に初めて「敗北」という二文字がよぎった。魔王ザルディアスとの戦いでさえ感じたことのない種類の絶対的な無力感。

彼は懐から通信用の水晶を取り出した。
繋ぐ先はただ一人。

「……勇者王殿。聞こえるか」
彼の声はいつもと変わらぬ涼やかな響きを保っていた。しかしその奥には彼らしくない僅かな焦りが滲んでいる。「少し厄介なことになった。君の『光』の力が必要だ。悪いが貸してもらえるか?」

それは彼が生まれて初めて口にする他人への「救援要請」だった。



「レヴィから救援要請!?」
王城の作戦室でアルフレッドは叫んだ。
水晶に映し出された魔族領の惨状。黒煙の中、次々と倒れていく兵士たち。そして彼らを守るようにたった一人で巨大なアビス・ウォーカーの前に立ちはだかるレヴィの姿。

「……僕が行く」
アルフレッドは即座に決断した。

「なりませぬ、陛下!」
宰相が慌てて彼の前に立ちはだかる。「王が軽々しく玉座を空けるなど! それに魔族を助けるために御自らが危険を冒すなど、言語道断!」

「黙れ!」
アルフレッドの怒声が玉座の間に響き渡った。「彼らはもはや敵ではない! 我々と共にこの世界を守ると誓った同盟の仲間だ! その仲間を見捨てる王に誰がついてくるというのだ!」

彼は壁にかかっていた聖剣をその手に取った。
その輝きは少しも曇ってはいない。

「僕が行かなければレヴィは死ぬ。魔族領の防衛線が崩壊すれば、その次はこの王国が脅威に晒されるのだ。それが分からんか!」

彼の気迫に宰相は言葉を失い、後ずさる。

「リディア、エルザ。後のことは頼んだぞ」
アルフレッドは作戦室の片隅で不眠不休の研究を続けていた私たちを振り返った。

「アルフレッド……」
私は彼の元へと駆け寄った。
行かないで、とは言えなかった。彼の決断が王として、そして勇者として唯一の正しい道であると私も理解していたからだ。

「……約束して」
私は彼の胸に顔を埋め、震える声で言った。「必ず生きて帰ってくると」

「ああ、約束するよ」
彼は私の髪を優しく撫でた。「君が待っていてくれる限り僕は決して死なない」

彼は私から体を離すと、決然とした表情で作戦室を出て行った。
その後ろ姿を私は祈るような気持ちで見送ることしかできなかった。

国王自らが前線へ。
その前代未聞の決断は混乱していた同盟軍に一つの強烈なメッセージを突きつけた。
我々の王は玉座に座しているだけではない。我々と共に血を流す覚悟があるのだ、と。

アルフレッドは最速の竜鳥に乗り、単騎、魔族領へと向かった。
彼の胸に宿るのは仲間を救うという熱い想いと、そしてこの世界の理そのものを脅かす未知なる敵への静かで燃えるような怒りだった。

束の間の平和は終わり、世界は再び戦火の時代へと突入した。
しかし今度の戦いは以前とは違う。
人間と魔族。かつて憎み合った者たちが今、一つの希望の光の下に集おうとしていた。

その光の名は勇者王アルフレッド。
彼の戦いはこれから始まる長きにわたる反撃の、最初の狼煙となろうとしていた。
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