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第92話 父の剣
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神殿の外は静寂に包まれていた。
しかし、それは嵐の前の静けさだ。木々のざわめきに混じって、この世界の理とは相容れない不協和音のような気配が、徐々にその濃度を増している。
アルフレッドは聖剣を抜き放ち、静かに目を閉じた。
精神を研ぎ澄まし、敵の気配を探る。
一体、二体……いや、それ以上。森の四方からじりじりと包囲網が狭まってくるのを感じた。斥候というには数が多すぎる。奴らは本隊を呼び寄せる前に、我々をここで始末するつもりなのだ。
彼の脳裏に、腕の中で眠る我が子の無垢な寝顔が蘇る。
そして、その子を愛おしげに見つめるリディアの優しい笑顔。
(守る)
その一念だけが彼の心を支配していた。
もはや王としてではない。勇者としてでもない。
ただ一人の父として。夫として。
愛する家族のささやかな未来を、この手で守り抜く。
彼がゆっくりと目を開けた。
その空色の瞳にはもはや慈悲も迷いもなかった。
そこにあるのは、巣を脅かす外敵を前にした雄の獣が放つ、冷徹で絶対的な闘志だけ。
「―――来たか」
森の闇の中から、数体のアビス・ウォーカーが同時にその姿を現した。
彼らはアルフレッドを囲むように、ゆっくりと距離を詰めてくる。その虚ろな目は、神殿の中にいる「獲物」だけを見つめていた。
アルフレッドは動かない。
ただ聖剣を自然体のまま、だらりと下げているだけ。
その姿はあまりにも無防備に見えた。
一体の怪物が痺れを切らしたように甲高い咆哮を上げて彼に襲いかかった。
その刹那。
アルフレッドの姿が消えた。
いや、消えたのではない。常人の認識を遥かに超える速度で動いたのだ。
閃光。
怪物は自分が斬られたことさえ認識できないまま、その体を光の粒子へと変え霧散した。
「……遅い」
アルフレッドの声は氷のように冷たかった。
彼はもはや光の奔流となって森の中を駆け巡った。
聖剣が描く軌跡は死の舞踏。
一閃するごとに一体、また一体とアビス・ウォーカーたちが断末魔の叫びを上げる間もなく浄化されていく。
それは戦いですらなかった。
一方的な蹂虙。
父となった勇者はその守るべきもののため、かつてないほどの非情なまでの強さをその身に宿していたのだ。
数分後。
神殿の周囲に展開していた斥候部隊は完全に殲滅されていた。
後に残されたのは、聖剣の放った光の残滓がキラキラと舞う幻想的な光景だけ。
しかし、アルフレッドは剣を鞘に納めなかった。
彼の視線は森のさらに深い闇の一点に、鋭く注がれていた。
「……いるんだろう? 出てこい」
その呼びかけに応えるかのように。
闇が蠢いた。
そして、その中からゆっくりと、あの司令官クラスの個体がその冒涜的な姿を現した。
王城を襲撃し、ダリウスたちを屠ったあの宿敵。
『……やるな。我が尖兵をこれほど容易く』
司令官の思念が直接脳内に響く。『だが、それもここまでだ。光の王よ。お前の光も、やがては尽きる』
司令官は王城で見た時よりもさらにその力を増していた。王都で喰らった数多の魂をその力へと変えているのだ。その体からは空間そのものを歪ませるほどの圧倒的なプレッシャーが放たれている。
「お前の相手はこの僕だ」
アルフレッドは聖剣を構え直した。「僕の家族に指一本触れさせるものか」
「家族、だと?」
司令官の思念に初めて嘲笑の色が浮かんだ。『愚かな。愛や絆など、矮小なる世界の脆き幻想に過ぎん。我らが女王の御前では全てが無意味なのだ』
司令官がその歪な腕を振るった。
空間が断裂する。
不可視の斬撃がアルフレッドを襲った。
彼はそれを聖剣で辛うじて受け止めた。
しかし、その衝撃は先ほどの雑魚どもとは比較にならない。腕が痺れ、数歩後ずさる。
(強い……!)
一対一。
小細工なしの純粋な力のぶつかり合い。
アルフレッドは地を蹴り、再び神速の動きで斬りかかる。
聖剣の連撃が司令官に叩き込まれる。
しかし、その全てが空間の盾によって阻まれ、あるいは再生能力によって瞬時に修復されてしまう。
逆に、司令官の放つ次元の斬撃が、アルフレッドの鎧を、肉を、少しずつしかし確実に削り取っていく。
戦いは消耗戦の様相を呈し始めた。
そして、その天秤は徐々に司令官の方へと傾きつつあった。
アルフレッドの体力と聖なる力は有限。しかし、相手は異次元から無限に力を引き出しているかのように衰える気配がない。
「はあっ……はあっ……!」
アルフレッドの膝がついに地に着いた。
全身は血で真っ赤に染まっている。
聖剣を握る腕も小刻みに震えていた。
『終わりだ、光の王』
司令官が勝利を確信したようにゆっくりと近づいてくる。『お前の魂もその子の魂も、我が女王の偉大なる糧となるがいい』
司令官がとどめの一撃を放つべく、その腕を振り上げた。
アルフレッドにもはやそれを防ぐ力は残っていなかった。
(……ここまで、なのか……)
彼の脳裏にリディアと、そして生まれたばかりの我が子の顔が浮かんだ。
(すまない……守れ、なかった……)
彼が完全に意識を手放しかけたその時。
彼の背後。神殿の中から一つの気高い光が放たれた。
「―――私の夫に、何をする」
その声は静かだったが、この世のどんなものよりも強い意志を宿していた。
声の主は産後で立つことさえままならないはずのリディアだった。彼女はイリーナの肩を借り、神殿の入り口に凛として立っていた。
その手には何も握られていない。
しかし、その赤い瞳にはかつての煉獄の魔女を、いや、それ以上の母となった女王の絶対的な怒りが燃え盛っていた。
そして、その彼女の傍ら。
アルフレッドが落とした聖剣と呼応するように。
眠っていたはずの赤ん坊、ガレスを包む産着の中から一つの淡い光が生まれ始めていた。
それは父から受け継いだ光と母から受け継いだ闇。
その二つが奇跡的なバランスで融合した、新たな第三の力。
その光景を見た司令官の無数の目が、初めて驚愕とそして歓喜に見開かれた。
『……これ、は……! なんという魂の輝き……! これこそ、女王様が真に求めておられた……究極の……!』
その標的はもはやアルフレッドではなかった。
ただ一点。
生まれたばかりの赤ん坊に。
その絶対的な危機が。
瀕死の父に最後の、そして最大の奇跡をもたらすことになる。
アルフレッドはその光景を、薄れゆく意識の中で確かに見ていた。
我が子に伸びる敵の魔の手。
(―――させるものか)
彼の魂が絶叫した。
父としての本能が肉体の限界を、理性の枷を完全に打ち破った。
彼の体から金色の後光のようなオーラが噴き上がった。
それはもはや聖なる力ではない。
愛するものを守るという、ただ一つの純粋な想いが極限まで昇華された魂そのものの輝き。
「僕の、宝物に」
彼は立ち上がった。
傷も疲労も感じない。
「―――触れるなアアアアアアアアアッ!!」
父の絶叫が世界を揺るガした。
その手にある聖剣はもはやただの剣ではない。
父の愛と怒りを乗せた神殺しの刃。
アルフレッドの最後の剣が、光さえも置き去りにする速度で司令官へと振り下ろされた。
しかし、それは嵐の前の静けさだ。木々のざわめきに混じって、この世界の理とは相容れない不協和音のような気配が、徐々にその濃度を増している。
アルフレッドは聖剣を抜き放ち、静かに目を閉じた。
精神を研ぎ澄まし、敵の気配を探る。
一体、二体……いや、それ以上。森の四方からじりじりと包囲網が狭まってくるのを感じた。斥候というには数が多すぎる。奴らは本隊を呼び寄せる前に、我々をここで始末するつもりなのだ。
彼の脳裏に、腕の中で眠る我が子の無垢な寝顔が蘇る。
そして、その子を愛おしげに見つめるリディアの優しい笑顔。
(守る)
その一念だけが彼の心を支配していた。
もはや王としてではない。勇者としてでもない。
ただ一人の父として。夫として。
愛する家族のささやかな未来を、この手で守り抜く。
彼がゆっくりと目を開けた。
その空色の瞳にはもはや慈悲も迷いもなかった。
そこにあるのは、巣を脅かす外敵を前にした雄の獣が放つ、冷徹で絶対的な闘志だけ。
「―――来たか」
森の闇の中から、数体のアビス・ウォーカーが同時にその姿を現した。
彼らはアルフレッドを囲むように、ゆっくりと距離を詰めてくる。その虚ろな目は、神殿の中にいる「獲物」だけを見つめていた。
アルフレッドは動かない。
ただ聖剣を自然体のまま、だらりと下げているだけ。
その姿はあまりにも無防備に見えた。
一体の怪物が痺れを切らしたように甲高い咆哮を上げて彼に襲いかかった。
その刹那。
アルフレッドの姿が消えた。
いや、消えたのではない。常人の認識を遥かに超える速度で動いたのだ。
閃光。
怪物は自分が斬られたことさえ認識できないまま、その体を光の粒子へと変え霧散した。
「……遅い」
アルフレッドの声は氷のように冷たかった。
彼はもはや光の奔流となって森の中を駆け巡った。
聖剣が描く軌跡は死の舞踏。
一閃するごとに一体、また一体とアビス・ウォーカーたちが断末魔の叫びを上げる間もなく浄化されていく。
それは戦いですらなかった。
一方的な蹂虙。
父となった勇者はその守るべきもののため、かつてないほどの非情なまでの強さをその身に宿していたのだ。
数分後。
神殿の周囲に展開していた斥候部隊は完全に殲滅されていた。
後に残されたのは、聖剣の放った光の残滓がキラキラと舞う幻想的な光景だけ。
しかし、アルフレッドは剣を鞘に納めなかった。
彼の視線は森のさらに深い闇の一点に、鋭く注がれていた。
「……いるんだろう? 出てこい」
その呼びかけに応えるかのように。
闇が蠢いた。
そして、その中からゆっくりと、あの司令官クラスの個体がその冒涜的な姿を現した。
王城を襲撃し、ダリウスたちを屠ったあの宿敵。
『……やるな。我が尖兵をこれほど容易く』
司令官の思念が直接脳内に響く。『だが、それもここまでだ。光の王よ。お前の光も、やがては尽きる』
司令官は王城で見た時よりもさらにその力を増していた。王都で喰らった数多の魂をその力へと変えているのだ。その体からは空間そのものを歪ませるほどの圧倒的なプレッシャーが放たれている。
「お前の相手はこの僕だ」
アルフレッドは聖剣を構え直した。「僕の家族に指一本触れさせるものか」
「家族、だと?」
司令官の思念に初めて嘲笑の色が浮かんだ。『愚かな。愛や絆など、矮小なる世界の脆き幻想に過ぎん。我らが女王の御前では全てが無意味なのだ』
司令官がその歪な腕を振るった。
空間が断裂する。
不可視の斬撃がアルフレッドを襲った。
彼はそれを聖剣で辛うじて受け止めた。
しかし、その衝撃は先ほどの雑魚どもとは比較にならない。腕が痺れ、数歩後ずさる。
(強い……!)
一対一。
小細工なしの純粋な力のぶつかり合い。
アルフレッドは地を蹴り、再び神速の動きで斬りかかる。
聖剣の連撃が司令官に叩き込まれる。
しかし、その全てが空間の盾によって阻まれ、あるいは再生能力によって瞬時に修復されてしまう。
逆に、司令官の放つ次元の斬撃が、アルフレッドの鎧を、肉を、少しずつしかし確実に削り取っていく。
戦いは消耗戦の様相を呈し始めた。
そして、その天秤は徐々に司令官の方へと傾きつつあった。
アルフレッドの体力と聖なる力は有限。しかし、相手は異次元から無限に力を引き出しているかのように衰える気配がない。
「はあっ……はあっ……!」
アルフレッドの膝がついに地に着いた。
全身は血で真っ赤に染まっている。
聖剣を握る腕も小刻みに震えていた。
『終わりだ、光の王』
司令官が勝利を確信したようにゆっくりと近づいてくる。『お前の魂もその子の魂も、我が女王の偉大なる糧となるがいい』
司令官がとどめの一撃を放つべく、その腕を振り上げた。
アルフレッドにもはやそれを防ぐ力は残っていなかった。
(……ここまで、なのか……)
彼の脳裏にリディアと、そして生まれたばかりの我が子の顔が浮かんだ。
(すまない……守れ、なかった……)
彼が完全に意識を手放しかけたその時。
彼の背後。神殿の中から一つの気高い光が放たれた。
「―――私の夫に、何をする」
その声は静かだったが、この世のどんなものよりも強い意志を宿していた。
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その手には何も握られていない。
しかし、その赤い瞳にはかつての煉獄の魔女を、いや、それ以上の母となった女王の絶対的な怒りが燃え盛っていた。
そして、その彼女の傍ら。
アルフレッドが落とした聖剣と呼応するように。
眠っていたはずの赤ん坊、ガレスを包む産着の中から一つの淡い光が生まれ始めていた。
それは父から受け継いだ光と母から受け継いだ闇。
その二つが奇跡的なバランスで融合した、新たな第三の力。
その光景を見た司令官の無数の目が、初めて驚愕とそして歓喜に見開かれた。
『……これ、は……! なんという魂の輝き……! これこそ、女王様が真に求めておられた……究極の……!』
その標的はもはやアルフレッドではなかった。
ただ一点。
生まれたばかりの赤ん坊に。
その絶対的な危機が。
瀕死の父に最後の、そして最大の奇跡をもたらすことになる。
アルフレッドはその光景を、薄れゆく意識の中で確かに見ていた。
我が子に伸びる敵の魔の手。
(―――させるものか)
彼の魂が絶叫した。
父としての本能が肉体の限界を、理性の枷を完全に打ち破った。
彼の体から金色の後光のようなオーラが噴き上がった。
それはもはや聖なる力ではない。
愛するものを守るという、ただ一つの純粋な想いが極限まで昇華された魂そのものの輝き。
「僕の、宝物に」
彼は立ち上がった。
傷も疲労も感じない。
「―――触れるなアアアアアアアアアッ!!」
父の絶叫が世界を揺るガした。
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