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第94話 そして、物語は日常へ
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あれから十年という歳月が流れた。
世界はあの激しい戦いが嘘だったかのように、穏やかな平和を謳歌している。人間と魔族の間にあった壁は人々の行き来と新しい世代の誕生によって、少しずつ、しかし確実にその意味を失いつつあった。
「母上! 見てください!」
王城の庭園に子供の元気な声が響き渡った。
声の主は太陽のように輝く金色の髪と、血のように赤い瞳を持つ十歳になる少年。私の、そしてアルフレッドの愛する息子、ガレスだ。
彼はその小さな手のひらの上に淡い光を灯していた。それは父から受け継いだ聖なる光と、母である私から受け継いだ深淵の闇、その二つが奇跡的な調和をもって渦巻く白と黒の小さな銀河のようだった。
「まあ、すごいわ、ガレス」
私はベンチに腰掛けたまま微笑んで拍手をした。「けれど、あまり無理をしてはだめよ。その力はまだあなたには大きすぎるのだから」
「分かっています!」
彼は得意げに胸を張ると、手のひらの光をふっと消した。そして私の元へと駆け寄ってくると、その小さな頭を私の膝の上に乗せた。
「ねえ、母上。父上はまだお仕事なのですか?」
「ええ。もう少しで終わるはずよ」
私は彼の柔らかな金髪を優しく撫でた。
国王となったアルフレッドは今や世界連合の議長として多忙な日々を送っている。しかし、どれだけ忙しくても彼が家族との時間を疎かにすることは決してなかった。
やがて庭園の向こうから見慣れた足音が聞こえてきた。
王としての威厳と父としての優しさをその身に纏った、私の愛しい夫。
「ただいま、リディア、ガレス」
アルフレッドは少し疲れた顔をしていたが、私たちを見るなりその表情を柔らかな笑顔へと変えた。
「父上!」
ガレスは私の膝から飛び起きると父の胸へと飛び込んでいった。アルフレッドは、その小さな体を軽々と抱き上げ、その頬に自分の頬をすり寄せた。
「すまない、遅くなってしまったな。会議が長引いてしまって」
「もう。無理をしてはいけないと、あれほど言っているのに」
私が少しだけ心配そうに言うと、彼は「分かっているよ」と笑いながら私とガレスをその大きな腕でまとめて抱きしめた。
この何でもない穏やかな時間。
それこそが私たちが命を賭して守り抜いたかけがえのない宝物だった。
◇
その日の夜。
眠りについたガレスの寝顔をしばらく見つめた後、私たちはいつものように二人きりで思い出のバルコニーに立っていた。
眼下に広がる王都の夜景は、十年前よりもさらにその輝きを増している。
「レヴィから定期報告が来ていたよ」
アルフレッドが夜風に吹かれながら言った。「魔族領もずいぶんと豊かになったらしい。今度ガレスを連れて一度訪ねてみたいものだな」
「ええ、きっと喜ぶわ」
魔王として魔族を導くレヴィとは、今や種族を超えた固い友情で結ばれている。彼が時折送ってくる皮肉と友情に満ちた手紙を読むのが、私たちの楽しみの一つになっていた。
「ダリウスもすっかり鬼教官として騎士たちに恐れられているようだしな」
王国軍の総司令官となったダリウスは、その厳格さと実直さで多くの若い騎士たちの目標となっていた。
「エルザは相変わらず研究室に閉じこもって新しい魔法の開発に夢中だ。イリーナも世界中の孤児院を飛び回っている。……みんな、自分の場所でこの平和を支えてくれている」
仲間たちのそれぞれの活躍を語る彼の横顔は誇らしげだった。
私たちは一人ではなかった。
あの戦いを共に乗り越えた仲間たちがいるからこそ、今のこの平和があるのだ。
「……ガレスも」
私がぽつりとその名を呟いた。「見ていてくれているかしら。この平和な世界を」
私の言葉にアルフレッドは黙って私の手を握った。
その温もりが私の心に静かに染み渡る。
彼の魂は慰霊碑だけでなく私たちの心の中に、そして彼の名を受け継いだ私たちの息子の中に確かに生き続けている。
私たちはしばらくの間、言葉もなくただ寄り添い眼下の夜景を見つめていた。
それは失われたものへの追悼であり、そして与えられたものへの感謝の時間だった。
やがてアルフレッドが私の肩を抱き寄せ、私の瞳をじっと見つめた。
その空色の瞳には初めて会った日から少しも変わらない深い、深い愛情が湛えられていた。
「リディア」
彼は私の名を世界で一番愛おしい響きで呼んだ。
「愛しているよ。昨日よりも今日。今日よりも明日。この命が尽きるその日まで、僕は君を愛し続ける」
その言葉に私の胸が熱くなった。
十年という歳月が流れても彼は毎日こうして私に愛を囁いてくれる。
『覚悟しておいてほしい』
あの夜の彼の言葉は本物だったのだ。
「……私もよ、アルフレッド」
私は涙がこぼれないように必死で笑顔を作った。「私も、あなたを愛しています。永遠に」
彼は満足そうに微笑むとゆっくりと顔を近づけてきた。
そして、私たちの唇が静かに、そして自然に重なり合った。
それは情熱的なだけではない。
共に過ごした日々の重みと、これから共に歩んでいく未来への誓いが込められた、どこまでも深く穏やかな口づけだった。
私たちはもう何も恐れない。
どんな困難が訪れようとも、この愛がある限り二人で、そして仲間たちと共に乗り越えていける。
私たちの物語はまだ終わらない。
この愛しい日常の中に永遠に続いていくのだから。
バルコニーに穏やかな夜風が吹き抜けていく。
それはまるで私たちの未来を祝福する優しい歌声のようだった。
星空の下、寄り添う国王と王妃の影はいつまでも、いつまでも一つに固く結ばれていた。
―――私、魔王軍の四天王(だった)のですが、敵であるはずの勇者が会うたびに口説いてきて、色々ありましたが、今は愛する夫と可愛い息子と共に、世界で一番幸せな日々を送っています。
【完】
世界はあの激しい戦いが嘘だったかのように、穏やかな平和を謳歌している。人間と魔族の間にあった壁は人々の行き来と新しい世代の誕生によって、少しずつ、しかし確実にその意味を失いつつあった。
「母上! 見てください!」
王城の庭園に子供の元気な声が響き渡った。
声の主は太陽のように輝く金色の髪と、血のように赤い瞳を持つ十歳になる少年。私の、そしてアルフレッドの愛する息子、ガレスだ。
彼はその小さな手のひらの上に淡い光を灯していた。それは父から受け継いだ聖なる光と、母である私から受け継いだ深淵の闇、その二つが奇跡的な調和をもって渦巻く白と黒の小さな銀河のようだった。
「まあ、すごいわ、ガレス」
私はベンチに腰掛けたまま微笑んで拍手をした。「けれど、あまり無理をしてはだめよ。その力はまだあなたには大きすぎるのだから」
「分かっています!」
彼は得意げに胸を張ると、手のひらの光をふっと消した。そして私の元へと駆け寄ってくると、その小さな頭を私の膝の上に乗せた。
「ねえ、母上。父上はまだお仕事なのですか?」
「ええ。もう少しで終わるはずよ」
私は彼の柔らかな金髪を優しく撫でた。
国王となったアルフレッドは今や世界連合の議長として多忙な日々を送っている。しかし、どれだけ忙しくても彼が家族との時間を疎かにすることは決してなかった。
やがて庭園の向こうから見慣れた足音が聞こえてきた。
王としての威厳と父としての優しさをその身に纏った、私の愛しい夫。
「ただいま、リディア、ガレス」
アルフレッドは少し疲れた顔をしていたが、私たちを見るなりその表情を柔らかな笑顔へと変えた。
「父上!」
ガレスは私の膝から飛び起きると父の胸へと飛び込んでいった。アルフレッドは、その小さな体を軽々と抱き上げ、その頬に自分の頬をすり寄せた。
「すまない、遅くなってしまったな。会議が長引いてしまって」
「もう。無理をしてはいけないと、あれほど言っているのに」
私が少しだけ心配そうに言うと、彼は「分かっているよ」と笑いながら私とガレスをその大きな腕でまとめて抱きしめた。
この何でもない穏やかな時間。
それこそが私たちが命を賭して守り抜いたかけがえのない宝物だった。
◇
その日の夜。
眠りについたガレスの寝顔をしばらく見つめた後、私たちはいつものように二人きりで思い出のバルコニーに立っていた。
眼下に広がる王都の夜景は、十年前よりもさらにその輝きを増している。
「レヴィから定期報告が来ていたよ」
アルフレッドが夜風に吹かれながら言った。「魔族領もずいぶんと豊かになったらしい。今度ガレスを連れて一度訪ねてみたいものだな」
「ええ、きっと喜ぶわ」
魔王として魔族を導くレヴィとは、今や種族を超えた固い友情で結ばれている。彼が時折送ってくる皮肉と友情に満ちた手紙を読むのが、私たちの楽しみの一つになっていた。
「ダリウスもすっかり鬼教官として騎士たちに恐れられているようだしな」
王国軍の総司令官となったダリウスは、その厳格さと実直さで多くの若い騎士たちの目標となっていた。
「エルザは相変わらず研究室に閉じこもって新しい魔法の開発に夢中だ。イリーナも世界中の孤児院を飛び回っている。……みんな、自分の場所でこの平和を支えてくれている」
仲間たちのそれぞれの活躍を語る彼の横顔は誇らしげだった。
私たちは一人ではなかった。
あの戦いを共に乗り越えた仲間たちがいるからこそ、今のこの平和があるのだ。
「……ガレスも」
私がぽつりとその名を呟いた。「見ていてくれているかしら。この平和な世界を」
私の言葉にアルフレッドは黙って私の手を握った。
その温もりが私の心に静かに染み渡る。
彼の魂は慰霊碑だけでなく私たちの心の中に、そして彼の名を受け継いだ私たちの息子の中に確かに生き続けている。
私たちはしばらくの間、言葉もなくただ寄り添い眼下の夜景を見つめていた。
それは失われたものへの追悼であり、そして与えられたものへの感謝の時間だった。
やがてアルフレッドが私の肩を抱き寄せ、私の瞳をじっと見つめた。
その空色の瞳には初めて会った日から少しも変わらない深い、深い愛情が湛えられていた。
「リディア」
彼は私の名を世界で一番愛おしい響きで呼んだ。
「愛しているよ。昨日よりも今日。今日よりも明日。この命が尽きるその日まで、僕は君を愛し続ける」
その言葉に私の胸が熱くなった。
十年という歳月が流れても彼は毎日こうして私に愛を囁いてくれる。
『覚悟しておいてほしい』
あの夜の彼の言葉は本物だったのだ。
「……私もよ、アルフレッド」
私は涙がこぼれないように必死で笑顔を作った。「私も、あなたを愛しています。永遠に」
彼は満足そうに微笑むとゆっくりと顔を近づけてきた。
そして、私たちの唇が静かに、そして自然に重なり合った。
それは情熱的なだけではない。
共に過ごした日々の重みと、これから共に歩んでいく未来への誓いが込められた、どこまでも深く穏やかな口づけだった。
私たちはもう何も恐れない。
どんな困難が訪れようとも、この愛がある限り二人で、そして仲間たちと共に乗り越えていける。
私たちの物語はまだ終わらない。
この愛しい日常の中に永遠に続いていくのだから。
バルコニーに穏やかな夜風が吹き抜けていく。
それはまるで私たちの未来を祝福する優しい歌声のようだった。
星空の下、寄り添う国王と王妃の影はいつまでも、いつまでも一つに固く結ばれていた。
―――私、魔王軍の四天王(だった)のですが、敵であるはずの勇者が会うたびに口説いてきて、色々ありましたが、今は愛する夫と可愛い息子と共に、世界で一番幸せな日々を送っています。
【完】
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