婚約破棄のついでに国外追放されましたが、私を拾ってくれたのは前世で最推しだった黒騎士様でした

夏見ナイ

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第20話:私にできること

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シュヴァルツ砦での日々は、静かに、そして穏やかに過ぎていった。
私はマーサの許しを得て、砦の中を散策するのが日課になっていた。もちろん、ギルバート様の「危険な場所には近づくな」という言いつけは固く守っている。

城壁の上から、眼下に広がる領地を眺めるのが好きだった。
どこまでも続く荒涼とした大地。ごつごつとした岩山。エルミール王国の緑豊かな風景とは全く違う、厳しくも雄大な景色。ギルバート様は、この広大な土地をたった一人で守っているのだ。

遠くの訓練場からは、騎士たちの力強い声が風に乗って聞こえてくる。
彼らは日が昇ると同時に訓練を始め、日が沈むまで剣を振るい続ける。その姿は、私が王都で見てきた着飾っただけの騎士たちとは全く違っていた。彼らは本物の戦士だ。いつ起こるとも知れない脅威から、この土地と人々を守るために、日々己を鍛え上げている。

時折、訓練を終えた騎士たちと廊下ですれ違うことがある。
最初は遠巻きにされ、どう接していいか分からないという空気が流れていた。しかし、私が会釈をすると、彼らは戸惑いながらも、ぎこちなく頭を下げてくれるようになった。無骨で強面な男たちばかりだが、その根は実直で誠実なのだろう。

そして、ギルバート様。
彼は領主として、息つく暇もないほど多忙な日々を送っているようだった。執務室の灯りは、いつも深夜まで消えることがない。昼間は騎士団の訓練を監督し、夕方からは分厚い報告書の山と格闘している。

彼が時折、私のもとを訪れるのは、そんな多忙な日々の合間を縫ってのことなのだ。図書室で静かにお茶を飲む、あの短い時間。それは彼にとって、唯一の休息なのかもしれない。

皆、懸命に生きている。
自分の役割を果たし、この砦を、この土地を支えている。
その中で、私だけが何もしていなかった。

与えられた豪華な部屋で過ごし、三食昼寝付きの生活。温かい食事、清潔な衣服、安全な寝床。その全てが、ギルバート様の優しさによって与えられたものだ。

感謝の気持ちは、もちろんある。命を救われ、居場所を与えられた恩は、一生かかっても返しきれないだろう。
しかし、その感謝の気持ちが大きくなればなるほど、私の胸の中では別の感情が育っていった。

申し訳ない。そして、歯がゆい。

私はただ、彼の庇護下で守られているだけのか弱い存在だ。彼に施しを受け、彼の財産を食いつぶしているだけのお荷物。その事実が、私をひどく惨めな気持ちにさせた。

恩返しがしたい。
この砦と、ここにいる人々のために、私にも何かできることはないだろうか。

そう思い至ったものの、具体的に何ができるのか、すぐには思いつかなかった。
侯爵令嬢として受けてきた教育は、刺繍やダンス、詩作といった、およそこの質実剛健な砦では何の役にも立たないものばかりだ。聖女の力?そんなもの、私にあるはずもない。あの時、子供を助けた光は、きっと火事場の馬鹿力のような、偶然の産物だろう。

私にできることなんて、何もないのかもしれない。
そんな無力感に苛まれ、私は図書室の窓からぼんやりと中庭を眺めていた。ちょうど昼時で、訓練を終えた騎士たちが食堂へと向かっていくところだった。

その時、ふとあることに気づいた。
騎士たちの表情に、食事に向かう楽しみや喜びのようなものが、全く感じられないのだ。彼らは皆、無表情で黙々と食堂へ入り、そして食後も誰と話すでもなく、すぐに持ち場へ戻っていく。

食事は、空腹を満たすためのただの作業。
そんな空気が、彼らの背中から漂っていた。

気になって、私はマーサに砦の食事事情について尋ねてみた。
「食事ですか?ええ、料理長は腕の良い男ですよ。栄養のバランスを考え、騎士たちが訓練で消耗した体力を補えるよう、量はたっぷりと用意しております」
マーサはそう言って胸を張った。

しかし、私は先日ギルバート様と共にした夕食を思い出す。
心のこもった温かいスープとパン。それは涙が出るほど美味しかった。けれど、王都の食卓に比べれば、あまりにも質素だったことも事実だ。特に、彩りを添える野菜がほとんどなかったことが印象に残っている。

「この辺りは土地が痩せていて、冬は長く厳しいですからな。新鮮な野菜はなかなか手に入らないのです。主な食材は、干し肉や塩漬けの魚、豆、そして硬い黒パン。どうしても、メニューが代わり映えしなくなってしまうのは仕方のないことですが…」
マーサは少し寂しそうに付け加えた。

その言葉を聞いて、私の頭の中に、一つの光が差し込んだ。

料理だ。

前世の私は、食べることが好きで、料理もそれなりに得意だった。休日にはレシピサイトを見て、色々な国の料理に挑戦したものだ。リゾット、グラタン、ポトフ、肉じゃが…。保存食として、ピクルスやジャムを作るのも好きだった。

この砦にある食材は限られているかもしれない。でも、工夫次第で、もっと美味しく、もっと楽しい食事を提供できるのではないだろうか。
体を温めるスープの種類を増やしたり、同じ干し肉でも調理法を変えてみたり。ハーブを使えば、香りも豊かになるはずだ。

温かくて美味しい食事は、人の心を癒し、元気を与える力がある。
戦いに明け暮れる騎士たちに、束の間でも安らぎの時間を提供できるかもしれない。多忙なギルバート様の心と体を、少しでも労うことができるかもしれない。

これなら、私にもできる。
いいや、前世の知識を持つ私だからこそ、できることだ。

ようやく見つけた、自分にできること。
それは、妃教育で学んだどんな高尚な教養よりも、今の私にとっては価値のあるものに思えた。

よし、決めた。
私は厨房を借りて、料理を作ろう。
それが、この場所で私が踏み出す、恩返しへの第一歩だ。

私はスカートの裾を握りしめ、固く決意した。まずは、頑固者だと噂の料理長に、どうやって厨房を貸してもらうか。作戦を練らなくては。

私の心に、久しぶりに前向きな炎が灯った瞬間だった。
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