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第53話:【ヒーロー視点】後悔と殺意
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執務室の窓に冷たい雨が叩きつけている。半年前、俺があの森で彼女を見つけた日と同じ雨だ。あの時、俺は誓ったはずだ。このか細い光を、今度こそ自分が守り抜くと。
それなのに、俺は何をしていた。
彼女を危険に晒してしまった。あの汚らわしい男たちの手が彼女に触れる寸前まで、俺は気づくことさえできなかった。
ベッドの上で青ざめた顔で震える彼女の姿が、瞼の裏に焼き付いて離れない。俺が駆けつけるのがあと数秒遅れていたら。そう考えただけで、全身の血が逆流するような感覚に襲われる。
後悔。
それは俺がこれまで最も縁遠いと思っていた感情だった。俺の人生は常に前へ進むことだけだった。過去を振り返る暇などない。戦い、責務を果たし、そして死ぬ。それがシュヴァルツ辺境伯としての俺の宿命だと受け入れていた。
だが、彼女と出会って俺は変わった。
彼女の笑顔を見るたびに、胸が温かくなるのを知った。
彼女の手料理を食べるたびに、生きている喜びを感じることを知った。
彼女を守ること。それが俺の人生に与えられた何よりも尊い意味なのだと知ってしまった。
その俺の生きる意味そのものを、失いかけたのだ。
俺自身の慢心と油断によって。
エルミールの愚かな王子が小細工を弄してくることは分かっていた。だから警備は固めていた。彼女の周囲には常に影のように護衛をつけていた。それで万全だと思っていた。
だが、甘かった。
奴らは俺の想像以上に卑劣で、そして執念深い。
俺が守りを固めれば、奴らはそのさらに上を行く策を弄してくるだろう。
今回のようなことが、また起こらないという保証はどこにもない。
次に奴らが狙うのは毒殺か、あるいは呪詛か。あるいはこの領地の民を人質に取るような、さらに下劣な手に打って出るかもしれない。
考え得る全ての脅威が、彼女という一点に集中している。
そう考えた時、俺の心を支配していた後悔は、静かに、そして確かな殺意へと変貌していった。
エルミール王国。
リリアンナを捨て、そして今また彼女を奪おうとする愚かで腐敗した国。
あの国が存在する限り、彼女に真の安寧は訪れない。
ならば答えは一つだ。
芽は小さいうちに摘み取るに限る。
脅威の根源を、この手で完全に断ち切るしかない。
俺は机の上に広げられた地図に目を落とした。エルミール王国とガルヴァニア帝国の国境線。その赤い線を、俺は指でなぞった。
国境を越え、王都へ進軍する。
腐った王族と貴族を一人残らずその座から引きずり下ろし、断罪する。
そしてリリアンナを脅かす全てのものを、この地上から消し去る。
それは帝国騎士として、辺境伯として決して許される行為ではない。独断での侵攻は帝国そのものを揺るがす大罪だ。皇帝陛下も決して許しはしないだろう。
だが、知ったことか。
皇帝陛下への忠誠も、辺境伯としての責務も、彼女の安全の前では何の意味もなさない。
俺が忠誠を誓うべき相手は、ただ一人。
俺が守るべき世界は、彼女が存在するこの場所だけだ。
俺は悪鬼になる覚悟を決めた。
彼女の穏やかな日常を守るためならば、俺はどんな罪でも背負おう。たとえこの身が地獄の業火に焼かれることになろうとも。
「ハンス」
俺の呼びかけに、扉の外に控えていた副官が入室する。
「はっ」
「全騎士団に第一級戦闘準備を発令しろ」
「…!御意」
ハンスは俺の意図を察したのだろう。何も問わず、ただ力強く頷いた。
「それから帝都に使者を送れ。皇帝陛下に俺からの親書を届けさせろ」
俺は羊皮紙を取り出すと、インクに羽ペンを浸した。
そこに綴るのは言い訳でも、許可を求める言葉でもない。
ただ、揺るぎない決意の表明だ。
『エルミール王国は我がシュヴァルツ辺境伯領に対し、再三にわたり敵対行為を繰り返してきた。これ以上の看過は帝国の威信を損なうものと判断する。よって、我、ギルバート・フォン・シュヴァルツは我が騎士団の全権をもって、かの国に正義の鉄槌を下す』
これは宣戦布告だ。
俺一人の名をかざした、傲慢で独善的な。
リリアンナ。お前は何も知らなくていい。
この血生臭い戦いは全て俺が終わらせる。
お前はただ、あの温かい厨房で、穏やかな畑で笑っていてくれればいい。
雨がさらに激しく窓を叩いていた。
それはまるで、これから始まる血の祝祭を前に天が流す涙のようにも見えた。
俺の心は不思議なほど静かだった。
愛するものを守るために全てを破壊する覚悟を決めた男の、冷徹な静けさがそこにはあった。
それなのに、俺は何をしていた。
彼女を危険に晒してしまった。あの汚らわしい男たちの手が彼女に触れる寸前まで、俺は気づくことさえできなかった。
ベッドの上で青ざめた顔で震える彼女の姿が、瞼の裏に焼き付いて離れない。俺が駆けつけるのがあと数秒遅れていたら。そう考えただけで、全身の血が逆流するような感覚に襲われる。
後悔。
それは俺がこれまで最も縁遠いと思っていた感情だった。俺の人生は常に前へ進むことだけだった。過去を振り返る暇などない。戦い、責務を果たし、そして死ぬ。それがシュヴァルツ辺境伯としての俺の宿命だと受け入れていた。
だが、彼女と出会って俺は変わった。
彼女の笑顔を見るたびに、胸が温かくなるのを知った。
彼女の手料理を食べるたびに、生きている喜びを感じることを知った。
彼女を守ること。それが俺の人生に与えられた何よりも尊い意味なのだと知ってしまった。
その俺の生きる意味そのものを、失いかけたのだ。
俺自身の慢心と油断によって。
エルミールの愚かな王子が小細工を弄してくることは分かっていた。だから警備は固めていた。彼女の周囲には常に影のように護衛をつけていた。それで万全だと思っていた。
だが、甘かった。
奴らは俺の想像以上に卑劣で、そして執念深い。
俺が守りを固めれば、奴らはそのさらに上を行く策を弄してくるだろう。
今回のようなことが、また起こらないという保証はどこにもない。
次に奴らが狙うのは毒殺か、あるいは呪詛か。あるいはこの領地の民を人質に取るような、さらに下劣な手に打って出るかもしれない。
考え得る全ての脅威が、彼女という一点に集中している。
そう考えた時、俺の心を支配していた後悔は、静かに、そして確かな殺意へと変貌していった。
エルミール王国。
リリアンナを捨て、そして今また彼女を奪おうとする愚かで腐敗した国。
あの国が存在する限り、彼女に真の安寧は訪れない。
ならば答えは一つだ。
芽は小さいうちに摘み取るに限る。
脅威の根源を、この手で完全に断ち切るしかない。
俺は机の上に広げられた地図に目を落とした。エルミール王国とガルヴァニア帝国の国境線。その赤い線を、俺は指でなぞった。
国境を越え、王都へ進軍する。
腐った王族と貴族を一人残らずその座から引きずり下ろし、断罪する。
そしてリリアンナを脅かす全てのものを、この地上から消し去る。
それは帝国騎士として、辺境伯として決して許される行為ではない。独断での侵攻は帝国そのものを揺るがす大罪だ。皇帝陛下も決して許しはしないだろう。
だが、知ったことか。
皇帝陛下への忠誠も、辺境伯としての責務も、彼女の安全の前では何の意味もなさない。
俺が忠誠を誓うべき相手は、ただ一人。
俺が守るべき世界は、彼女が存在するこの場所だけだ。
俺は悪鬼になる覚悟を決めた。
彼女の穏やかな日常を守るためならば、俺はどんな罪でも背負おう。たとえこの身が地獄の業火に焼かれることになろうとも。
「ハンス」
俺の呼びかけに、扉の外に控えていた副官が入室する。
「はっ」
「全騎士団に第一級戦闘準備を発令しろ」
「…!御意」
ハンスは俺の意図を察したのだろう。何も問わず、ただ力強く頷いた。
「それから帝都に使者を送れ。皇帝陛下に俺からの親書を届けさせろ」
俺は羊皮紙を取り出すと、インクに羽ペンを浸した。
そこに綴るのは言い訳でも、許可を求める言葉でもない。
ただ、揺るぎない決意の表明だ。
『エルミール王国は我がシュヴァルツ辺境伯領に対し、再三にわたり敵対行為を繰り返してきた。これ以上の看過は帝国の威信を損なうものと判断する。よって、我、ギルバート・フォン・シュヴァルツは我が騎士団の全権をもって、かの国に正義の鉄槌を下す』
これは宣戦布告だ。
俺一人の名をかざした、傲慢で独善的な。
リリアンナ。お前は何も知らなくていい。
この血生臭い戦いは全て俺が終わらせる。
お前はただ、あの温かい厨房で、穏やかな畑で笑っていてくれればいい。
雨がさらに激しく窓を叩いていた。
それはまるで、これから始まる血の祝祭を前に天が流す涙のようにも見えた。
俺の心は不思議なほど静かだった。
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