婚約破棄のついでに国外追放されましたが、私を拾ってくれたのは前世で最推しだった黒騎士様でした

夏見ナイ

文字の大きさ
76 / 100

第76話:皇帝の裁き

しおりを挟む
「そこまでにせよ、ギルバート」

皇帝の声は決して大きくはなかった。しかし、その声に含まれた絶対的な威厳は、ホール全体の空気を一瞬で支配した。
あれほどまでに高まっていたギルバートの殺気さえも、その声の前ではわずかに揺らいだように見えた。

皇帝レオポルトは、ゆっくりとした、しかし王者の風格に満ちた足取りで三人の元へと歩み寄ってきた。その鷲のように鋭い瞳は、まず恐怖に震えるドーソン子爵に向けられた。

「エルミールの使者よ。おぬしの言い分は聞き届けた」
皇帝は静かに告げた。その声には何の感情も含まれていない。それが逆にドーソン子爵を恐怖させた。

「貴国の主張によれば、その娘は国を傾けた大罪人である、と。そして、我が帝国の賓客として彼女を遇する我々は、正気を疑うべき愚か者である、と。…相違ないか?」
皇帝は、一つ一つの言葉を区切るように確認した。

ドーソン子爵は、皇帝の圧倒的な威圧感の前に、もはや虚勢を張ることもできなかった。ただ蒼白な顔で、こくこくと頷くことしかできない。

「よろしい」
皇帝は頷くと、今度は集まった帝国貴族たちを見渡した。そして、ホール全体に響き渡るような明瞭な声で言った。
「皆も聞いたであろう。これがエルミール王国の、我がガルヴァニア帝国に対する公式な見解である」

その言葉の持つ意味を、貴族たちは即座に理解した。
これはもはやギルバート個人とドーソン子爵個人の間の問題ではない。
ガルヴァニア帝国とエルミール王国の、国家間の問題へと発展したのだ。

皇帝は再びドーソン子爵に向き直った。その瞳には、先ほどまでの静けさとは打って変わって氷のような冷たい光が宿っていた。

「ならば問おう、使者殿」
その声は、冬の北風のように冷え切っていた。
「帝国の賓客を公衆の面前で罪人と罵り、我が帝国の判断を愚かと断じる。それは、貴国がこのガルヴァニア帝国に喧嘩を売っていると、そう理解してよろしいのだな?」

喧嘩を売っている。
その直接的であまりにも重い言葉に、ドーソン子爵の全身からだらだらと冷たい汗が噴き出した。
しまった。完全に一線を越えてしまった。
自分の軽率な発言が、国家間の戦争の引き金になりかねない、取り返しのつかない事態を招いてしまったのだ。

「い、いえ、滅相もございません!そのようなつもりは断じて…!」
彼は必死に首を横に振った。しかし、もはや手遅れだった。

「ほう? では今の発言は、貴殿個人の戯言であったと申すか。それならば話は早い」
皇帝は、ドーソン子爵の腕を掴んだままのギルバートに冷たく言い放った。
「ギルバートよ。その男の舌を抜け。外交使節としての立場を忘れた、ただの痴れ者の戯言だ。何の遠慮もいらん」

そのあまりにも冷酷な裁きに、ドーソン子爵は「ひっ」と悲鳴を上げた。
ギルバートの金の瞳が、ぎらりと危険な光を放つ。彼は本気で皇帝の命令を実行しようとしていた。

「お、お待ちください! お待ちくださいませ、皇帝陛下!」
ドーソン子爵は、その場に崩れ落ちるようにひざまずいた。プライドも見栄も全てをかなぐり捨てて、必死に命乞いをする。
「わ、私の失言でございました! どうか、どうかご容赦を! エルミール王国に、帝国へ弓を引く意思など微塵もございません!」

その惨めな姿を、皇帝は冷たい目で見下ろしていた。
しばらくの沈黙の後、彼はつまらなそうにふっと息をついた。
「…つまらぬ男よ。まあよかろう。今宵は朕の主催する祝いの席だ。血で汚すのも興醒めというもの」

彼は、ギルバートに顎でしゃくった。
「放してやれ、ギルバート。その犬はもう吠えん」

ギルバートは皇帝の言葉に従い、忌々しげにドーソン子爵の腕を解放した。
解放されたドーソン子爵は、その場にへたり込んだまま荒い息を繰り返している。

「エルミールの使者よ」
皇帝は、最後の通告を下すように低い声で言った。
「今宵の無礼、この場では不問としてやろう。だが二度はない。次に我が帝国の賓客、あるいは帝国そのものを侮辱するようなことがあれば、その時はおぬしの首一つでは済まんぞ。エルミール王国そのものが地図の上から消えると思え」

その言葉は、絶対君主による紛れもない最後通牒だった。
ドーソン子爵は顔面蒼白で、ただひたすらに頭を床にこすりつけることしかできなかった。

皇帝はそんな彼にもう興味を失くしたように背を向けると、何事もなかったかのように楽団に音楽の再開を命じた。
ホールには、再び優雅なワルツの調べが流れ始める。

ギルバートはまだ怒りの収まらない険しい表情で、リリアンナの肩を抱き寄せた。
「…大丈夫か」
「はい…。私は大丈夫です」
リリアンナはこくりと頷いた。

怖かった。
しかしそれ以上に彼女の心を満たしていたのは、ギルバートと、そして皇帝陛下という二人の偉大な男に守られたという大きな安堵感だった。
私はもう、一人で戦う必要はないのだ。

皇帝の裁きにより、ドーソン子爵は這うようにしてホールから退散していった。
帝国貴族たちは何事もなかったかのように再び談笑を始めている。しかし彼らがリリアンナに向ける視線は、明らかに変わっていた。
彼女はただ美しいだけの聖女ではない。黒騎士がその身を懸けて守り、皇帝陛下自らがその存在を認めた、この帝国にとって極めて重要な人物なのだと。

その夜、リリアンナ・フォン・アルクライドという名は、帝都の社交界に決して揺らぐことのない確固たる地位を築いた。
それは彼女自身の力ではなく、彼女を愛し守ろうとする二人の男の、静かなる怒りによってもたらされた皮肉な結果だった。
しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

元社畜悪役令嬢、辺境のボロ城を全自動ボタニカル美容スパに大改造して引きこもる ~前世コスメで冷徹公爵を完治させたら溺愛されました~

季未
恋愛
「貴様のような悪逆非道な女は、極寒の辺境へ追放だ!」 建国記念の夜会で王太子から婚約破棄を突きつけられた公爵令嬢シャルロッテ。 しかし、彼女の中身は前世でブラック企業に殺された過労で過労死したマーケターだった! (激務の王妃ルート回避!? しかも辺境は誰にも邪魔されないブルーオーシャン! 最高のフリーランス生活の始まりじゃない!) 理不尽な追放を究極のホワイト・スローライフへのパスポートだと歓喜した彼女は、あてがわれた辺境のボロ城を、前世の「DIY・スマートホーム知識」と「土・水魔法」を駆使して爆速で大改造! 隙間風の吹く部屋は、一瞬で「床暖房完備の全自動温水スパ」へ。 辺境に自生する雑草からは「極上ボタニカルコスメ」を開発し、自らも絶世の美女へと変貌していく。 さらに「お前には干渉しない」と白い結婚を突きつけてきたはずの、呪いで顔に火傷を負った氷の公爵に特製マッサージと美肌治療を施したところ……。 「お前が作ったこの空間と、お前自身が……俺のすべてだ」 冷徹だったはずの公爵様が、極上の癒やし空間と彼女の手技で完全に骨抜きにされ、異常なまでの過保護・溺愛モードに突入!? 現代マーケティングと美容チートで辺境を超高級スマート・リゾートへと再生させ、かつて自分を追放した王太子たちを大後悔させる! 爽快&極甘な、異世界リゾート経営×溺愛ファンタジー、堂々開幕!

わがままな婚約者はお嫌いらしいので婚約解消を提案してあげたのに、反応が思っていたのと違うんですが

水谷繭
恋愛
公爵令嬢のリリアーヌは、婚約者のジェラール王子を追いかけてはいつも冷たくあしらわれていた。 王子の態度に落ち込んだリリアーヌが公園を散策していると、転んで頭を打ってしまう。 数日間寝込むはめになったリリアーヌ。眠っている間に前世の記憶が流れ込み、リリアーヌは今自分がいるのは前世で読んでいたWeb漫画の世界だったことに気づく。 記憶を思い出してみると冷静になり、あれだけ執着していた王子をどうしてそこまで好きだったのかわからなくなる。 リリアーヌは王子と婚約解消して、新しい人生を歩むことを決意するが…… ◆表紙はGirly Drop様からお借りしました ◇小説家になろうにも掲載しています

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」 豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。 しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。

婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~

tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!! 壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは??? 一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

田舎娘をバカにした令嬢の末路

冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。 それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。 ――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。 田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。

婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。

パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢カルルは、ある夜会で王太子ジェラールから婚約破棄を言い渡される。しかし、カルルは泣くどころか、これまで立て替えていた経費や労働対価の「莫大な請求書」をその場で叩きつけた。

処理中です...