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第83話:帰るべき場所へ
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王立図書館での衝撃的な発見から数日後、私たちは帝都を発つ準備を整えていた。
皇帝陛下への謁見、夜会へのお披露目、そして聖女の伝説の発見。帝都での目的は良くも悪くも全て果たされた。これ以上、この華やかで腹の探り合いに満ちた都に長居する必要はなかった。
ギルバート様は、皇帝陛下に「辺境の守りが手薄になる」という至極もっともな理由を述べ、早々の帰還の許可を取り付けた。皇帝は意味深な笑みを浮かべてそれを許可したという。あの老獪な皇帝が、私たちをこのまま簡単に見逃してくれるとは思えなかったが、今は一刻も早く、あの穏やかな日常が待つ場所へ帰りたかった。
出発の日の朝、宿屋には帝国の貴族たちから山のような餞別の品が届けられた。美しいドレス、高価な宝飾品、珍しい菓子。それは帝国の賓客であり、黒騎士に愛される聖女となった私への、彼らなりの投資であり友好の証なのだろう。
私はそれらを丁重に受け取りながらも、心はすでに遠い北の地へと飛んでいた。
早く帰りたい。
あの砦の温かい暖炉の前で、彼と静かにお茶を飲む、あの何気ない時間へ。
帰り支度を終え、馬車に乗り込もうとした時、一台の豪奢な紋章入りの馬車が私たちの宿屋の前に滑り込んできた。
中から現れたのは、皇帝の側近である宰相だった。
「辺境伯閣下、リリアンナ様。ご出発の前に、陛下からのささやかな餞別でございます」
彼はそう言うと、従者に一つの小さな木箱を差し出させた。
ギルバート様が警戒しながらその箱を受け取り、蓋を開ける。
中に入っていたのは一枚の羊皮紙だった。しかしそれはただの紙ではない。皇帝の印璽が押された、絶対的な効力を持つ勅命書。
「それは…?」
私が尋ねると、ギルバート様はそれに目を通した後、複雑な表情で私に告げた。
「…リリアンナ・フォン・アルクライドをガルヴァニア帝国の正式な庇護下に置き、その身柄の安全を国家として保障する、という内容の勅書だ」
それは先日エルミール王国に突きつけた返書の内容を、さらに強固なものにする公式な文書だった。これがあればエルミール王国はもちろん、他のどの国も私に手出しをすることはできなくなる。
表向きは、これ以上ないほどの温情ある措置だった。
しかしその裏にある皇帝の真意を、ギルバート様は見抜いていた。
これは私を保護するためのものではない。
私という『至宝』を帝国という檻の中に囲い込み、決して他国へは渡さないという独占の意思表示だ。
「有り難く拝領いたします、と陛下にお伝えください」
ギルバート様は、感情を押し殺した声で宰相にそう告げた。
宰相は全てを見透かしたような笑みを浮かべると、深く一礼し馬車に乗り込んで去っていった。
私たちは皇帝という巨大な存在の掌の上で、踊らされているに過ぎないのかもしれない。
「…行こう」
ギルバート様は苦々しげにそう呟くと、私を馬車へと促した。
帝都ヴァルハラを後にする。
壮麗な城門をくぐり抜けた時、私は一度だけ振り返った。きらびやかで巨大な都。そこは私に新たな出会いと、過酷な運命の両方を与えてくれた場所だった。
「もう振り返るな」
隣に座るギルバート様が静かに言った。
「俺たちの帰る場所は、あそこにはない」
彼の言葉に私は頷いた。
そうだ。私たちの帰るべき場所はただ一つ。
来た時と同じように、馬車は二週間の時間をかけて北へと向かった。
しかしその旅路は、来た時とは全く違うものに感じられた。
来た時は未知の場所へ向かう不安と緊張があった。
しかし今は違う。愛しい我が家へ帰る、安らぎと期待感に満ちていた。
私たちの心は完全に通じ合っていた。
馬車の中で言葉を交わさずとも、ただ手を繋いでいるだけでお互いの温もりと想いが伝わってくる。
時折、彼が私の髪に、あるいは私が彼の肩にそっと寄りかかる。そのささやかな触れ合いが、どんな甘い言葉よりも私たちの心を幸福で満たした。
長い旅路の果てに、雪を頂いた竜哭山脈の険しい稜線が見えてきた時、私の胸は高鳴った。
あの山の向こうに、私たちの場所がある。
そしてついに、丘の上に聳え立つあの黒い砦のシルエットが見えてきた。
「…見えてきました」
私の声は喜びに震えていた。
「ああ。帰ってきたな」
ギルバート様の声にも、深い安堵の色が滲んでいた。
馬車が砦の城門に到着すると、門はすでに大きく開かれ大勢の人々が私たちの帰りを待ち構えていた。
ハンス殿を先頭に、屈強な騎士たち。
マーサをはじめとする、使用人たち。
そして噂を聞きつけて麓町から駆けつけた、ヨハン長老や農民たちの姿もあった。
馬車から降り立った私たちを、彼らは万雷の拍手と割れんばかりの歓声で迎えてくれた。
「おかえりなさ-いませ、閣下! リリアンナ様!」
「聖女様! ご無事のお帰りを、お待ちしておりましたぞ!」
その温かい歓迎に、長旅の疲れも帝都での緊張も全てが吹き飛んでいくようだった。
私は胸に込み上げてくる熱いものをこらえながら、集まってくれた人々に心からの笑顔を向けた。
そして涙ぐみながら、小さな声で、しかしはっきりと告げた。
「ただいま戻りました」
その一言に、人々は再びわっと歓声を上げた。
もうここが私の故郷なのだ。
私が愛し、愛され、そして守りたいと願う、唯一無二の帰るべき場所。
その確かな実感が、私の心をこれ以上ないほどの幸福感で満たしていく。
帝都の光も影も、今はもう遠い過去の出来事。
私の物語は再び、この温かい場所で紡がれていくのだ。
皇帝陛下への謁見、夜会へのお披露目、そして聖女の伝説の発見。帝都での目的は良くも悪くも全て果たされた。これ以上、この華やかで腹の探り合いに満ちた都に長居する必要はなかった。
ギルバート様は、皇帝陛下に「辺境の守りが手薄になる」という至極もっともな理由を述べ、早々の帰還の許可を取り付けた。皇帝は意味深な笑みを浮かべてそれを許可したという。あの老獪な皇帝が、私たちをこのまま簡単に見逃してくれるとは思えなかったが、今は一刻も早く、あの穏やかな日常が待つ場所へ帰りたかった。
出発の日の朝、宿屋には帝国の貴族たちから山のような餞別の品が届けられた。美しいドレス、高価な宝飾品、珍しい菓子。それは帝国の賓客であり、黒騎士に愛される聖女となった私への、彼らなりの投資であり友好の証なのだろう。
私はそれらを丁重に受け取りながらも、心はすでに遠い北の地へと飛んでいた。
早く帰りたい。
あの砦の温かい暖炉の前で、彼と静かにお茶を飲む、あの何気ない時間へ。
帰り支度を終え、馬車に乗り込もうとした時、一台の豪奢な紋章入りの馬車が私たちの宿屋の前に滑り込んできた。
中から現れたのは、皇帝の側近である宰相だった。
「辺境伯閣下、リリアンナ様。ご出発の前に、陛下からのささやかな餞別でございます」
彼はそう言うと、従者に一つの小さな木箱を差し出させた。
ギルバート様が警戒しながらその箱を受け取り、蓋を開ける。
中に入っていたのは一枚の羊皮紙だった。しかしそれはただの紙ではない。皇帝の印璽が押された、絶対的な効力を持つ勅命書。
「それは…?」
私が尋ねると、ギルバート様はそれに目を通した後、複雑な表情で私に告げた。
「…リリアンナ・フォン・アルクライドをガルヴァニア帝国の正式な庇護下に置き、その身柄の安全を国家として保障する、という内容の勅書だ」
それは先日エルミール王国に突きつけた返書の内容を、さらに強固なものにする公式な文書だった。これがあればエルミール王国はもちろん、他のどの国も私に手出しをすることはできなくなる。
表向きは、これ以上ないほどの温情ある措置だった。
しかしその裏にある皇帝の真意を、ギルバート様は見抜いていた。
これは私を保護するためのものではない。
私という『至宝』を帝国という檻の中に囲い込み、決して他国へは渡さないという独占の意思表示だ。
「有り難く拝領いたします、と陛下にお伝えください」
ギルバート様は、感情を押し殺した声で宰相にそう告げた。
宰相は全てを見透かしたような笑みを浮かべると、深く一礼し馬車に乗り込んで去っていった。
私たちは皇帝という巨大な存在の掌の上で、踊らされているに過ぎないのかもしれない。
「…行こう」
ギルバート様は苦々しげにそう呟くと、私を馬車へと促した。
帝都ヴァルハラを後にする。
壮麗な城門をくぐり抜けた時、私は一度だけ振り返った。きらびやかで巨大な都。そこは私に新たな出会いと、過酷な運命の両方を与えてくれた場所だった。
「もう振り返るな」
隣に座るギルバート様が静かに言った。
「俺たちの帰る場所は、あそこにはない」
彼の言葉に私は頷いた。
そうだ。私たちの帰るべき場所はただ一つ。
来た時と同じように、馬車は二週間の時間をかけて北へと向かった。
しかしその旅路は、来た時とは全く違うものに感じられた。
来た時は未知の場所へ向かう不安と緊張があった。
しかし今は違う。愛しい我が家へ帰る、安らぎと期待感に満ちていた。
私たちの心は完全に通じ合っていた。
馬車の中で言葉を交わさずとも、ただ手を繋いでいるだけでお互いの温もりと想いが伝わってくる。
時折、彼が私の髪に、あるいは私が彼の肩にそっと寄りかかる。そのささやかな触れ合いが、どんな甘い言葉よりも私たちの心を幸福で満たした。
長い旅路の果てに、雪を頂いた竜哭山脈の険しい稜線が見えてきた時、私の胸は高鳴った。
あの山の向こうに、私たちの場所がある。
そしてついに、丘の上に聳え立つあの黒い砦のシルエットが見えてきた。
「…見えてきました」
私の声は喜びに震えていた。
「ああ。帰ってきたな」
ギルバート様の声にも、深い安堵の色が滲んでいた。
馬車が砦の城門に到着すると、門はすでに大きく開かれ大勢の人々が私たちの帰りを待ち構えていた。
ハンス殿を先頭に、屈強な騎士たち。
マーサをはじめとする、使用人たち。
そして噂を聞きつけて麓町から駆けつけた、ヨハン長老や農民たちの姿もあった。
馬車から降り立った私たちを、彼らは万雷の拍手と割れんばかりの歓声で迎えてくれた。
「おかえりなさ-いませ、閣下! リリアンナ様!」
「聖女様! ご無事のお帰りを、お待ちしておりましたぞ!」
その温かい歓迎に、長旅の疲れも帝都での緊張も全てが吹き飛んでいくようだった。
私は胸に込み上げてくる熱いものをこらえながら、集まってくれた人々に心からの笑顔を向けた。
そして涙ぐみながら、小さな声で、しかしはっきりと告げた。
「ただいま戻りました」
その一言に、人々は再びわっと歓声を上げた。
もうここが私の故郷なのだ。
私が愛し、愛され、そして守りたいと願う、唯一無二の帰るべき場所。
その確かな実感が、私の心をこれ以上ないほどの幸福感で満たしていく。
帝都の光も影も、今はもう遠い過去の出来事。
私の物語は再び、この温かい場所で紡がれていくのだ。
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