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第58話 「アウレリアの聖者」
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運命の夜会から数日が過ぎた。
あの一夜の出来事は瞬く間に王都中を駆け巡り、俺の人生を根底からひっくり返してしまった。
朝、俺が目を覚ますのはもうあのアパートの質素なベッドの上ではない。
シルフィード公爵家が俺のために用意した、王都の一等地にある豪華なタウンハウスの一室だった。
「子爵閣下たるもの、みすぼらしい住まいは許されません!」というアルフォンス公爵の(またしても)涙ながらの説得に、俺は根負けしたのだ。
毎朝、専属の執事によって身支度を整えられ、学園へはシルフィード家の紋章ではなく、国王陛下から下賜された「双翼のグリフォン」をあしらった俺専用のアスカワ子爵家の馬車で向かう。
その道中も以前とは全く違っていた。
道行く人々は俺の馬車を見つけると皆足を止め、恭しく頭を下げるのだ。
その表情には畏敬と、そして熱烈な崇拝の色が浮かんでいる。
新聞の一面には連日、俺の記事がデカデカと掲載されていた。
『彗星の如く現れた若き英雄、アスカワ子爵誕生!』
『国王陛下の御前で奇跡を! 財務大臣を死の淵から救う!』
『吟遊詩人が詠う、聖者と姫君の恋物語は真実だった!』
大衆は分かりやすい英雄譚を求めている。
どこの馬の骨とも知れぬ平民の青年が、その奇跡の力で公爵令嬢を救い国王に認められ、一夜にして貴族へと成り上がる。
それは彼らにとって最高に胸のすく、おとぎ話そのものだった。
俺の意思などお構いなしに物語はどんどん大きくなり、尾ひれがついてもはや俺自身でさえ「それ、誰の話だ?」と言いたくなるような壮大な英雄譚へと昇華されていた。
そして、いつしか人々は俺のことをこう呼ぶようになっていた。
「アウレリアの聖者」
と。
そのあまりにも重すぎる称号に、俺は毎日頭を抱えていた。
俺は聖者などではない。
ただ、愛する少女の笑顔が見たくて少しだけ持っている力を使っただけの、しがない青年に過ぎないのだ。
学園での扱いも激変した。
もはや俺に気安く話しかけてくる生徒は一人もいない。
誰もが俺を遠巻きに、そして畏敬の念のこもった眼差しで見るだけだ。
それは以前の「腫れ物」扱いとはまた違う、神聖なものに触れることを恐れるかのような絶対的な距離感だった。
「ごきげんよう、ユウキ様」
唯一、以前と変わらない態度で接してくれるのはルナとクラリスだけだった。
いや、彼女たちもどこか以前より俺に対する態度が恭しくなっている気がしないでもない。
「ユウキ、すごい人気ですわね。まるで歴史上の偉人のようです」
昼休み、中庭のベンチで二人きりで昼食をとりながらルナが楽しそうに言った。
俺たちの周りには遠巻きに、しかし熱心にこちらを窺うファンクラブのような女子生徒たちの集団ができている。
もはや二人きりの時間さえ、完全にプライベートなものではなくなっていた。
「やめてくれよ。心臓に悪い」
俺は深いため息をついた。
「俺はただ、君と静かに過ごせればそれでいいんだけどな」
俺の偽らざる本心に、ルナは愛おしそうに、そして少しだけ申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんなさい、ユウキ。わたくしと出会ったばかりに、貴方の望む平穏を奪ってしまって…」
「…謝るなよ」
俺は彼女の小さな手をそっと握りしめた。
「君と出会えたことが、俺にとって何よりの幸せなんだから。これくらい、どうってことないさ」
強がりだった。
本当は胃がキリキリと痛みっぱなしだ。
だが、彼女を不安にさせるわけにはいかなかった。
俺の言葉に彼女の顔がぱあっと輝く。
「ユウキ…!」
彼女は俺の手をぎゅっと力いっぱい握り返してきた。
その温もりだけが、この狂騒曲のような毎日の中で俺の唯一の癒やしだった。
その日の放課後。
俺が馬車に乗ってタウンハウスへ帰宅すると、家の前が大変なことになっていた。
数十人、いや百人を超えるかもしれない人だかりが俺の家の門の前にできていたのだ。
その誰もが病に苦しむ者や怪我を負った者、そしてその家族たちだった。
彼らは俺の馬車を見つけると、わっと堰を切ったように駆け寄ってきた。
「聖者様!」「どうか、我々をお救いください!」
「娘が不治の病なのです!」「夫の足を治してください!」
その悲痛な叫び。
藁にもすがるような必死の眼差し。
その全てが俺に突き刺さる。
「下がりなさい! 子爵閣下にご迷惑だ!」
タウンハウスの護衛たちが必死に彼らを制止しようとする。
だが、人々の勢いは止まらない。
俺は馬車の中で、その光景をただ黙って見ていた。
どうする。
見過ごすか?
俺はもうただの平民ではない。子爵という民を守るべき立場にある。
そして何より俺には、彼らを救える力が確かにあるのだ。
俺の心の中で葛藤が渦巻く。
ここで彼らを救えば、俺が「聖者」であるという物語はさらに加速するだろう。
俺の平穏な日常は完全に、永遠に失われる。
だが、この助けを求める声を目の前で見殺しにすることができるのか?
答えはもう決まっていた。
俺がルナの闇を光で照らした、あの時から。
俺の力はもう俺一人のものではなくなっていたのだ。
俺は静かに馬車の扉を開けた。
そして助けを求める人々の前にゆっくりと降り立った。
ざわめきがぴたりと止む。
全ての視線が俺に注がれる。
俺はその視線を一身に受け止めながら、静かに、そしてはっきりと告げた。
「…分かりました。皆さんを癒やしましょう」
その一言が、俺の新たな人生の始まりを告げた。
「アウレリラの聖者」としての宿命。
俺は自分の望みとは裏腹に、この国の人々の希望をその両肩で背負うことになったのだ。
本人の戸惑いをよそに、物語はどんどん、どんどん大きくなっていく。
その先にどんな未来が待っているのか、俺にはもう想像することさえできなかった。
あの一夜の出来事は瞬く間に王都中を駆け巡り、俺の人生を根底からひっくり返してしまった。
朝、俺が目を覚ますのはもうあのアパートの質素なベッドの上ではない。
シルフィード公爵家が俺のために用意した、王都の一等地にある豪華なタウンハウスの一室だった。
「子爵閣下たるもの、みすぼらしい住まいは許されません!」というアルフォンス公爵の(またしても)涙ながらの説得に、俺は根負けしたのだ。
毎朝、専属の執事によって身支度を整えられ、学園へはシルフィード家の紋章ではなく、国王陛下から下賜された「双翼のグリフォン」をあしらった俺専用のアスカワ子爵家の馬車で向かう。
その道中も以前とは全く違っていた。
道行く人々は俺の馬車を見つけると皆足を止め、恭しく頭を下げるのだ。
その表情には畏敬と、そして熱烈な崇拝の色が浮かんでいる。
新聞の一面には連日、俺の記事がデカデカと掲載されていた。
『彗星の如く現れた若き英雄、アスカワ子爵誕生!』
『国王陛下の御前で奇跡を! 財務大臣を死の淵から救う!』
『吟遊詩人が詠う、聖者と姫君の恋物語は真実だった!』
大衆は分かりやすい英雄譚を求めている。
どこの馬の骨とも知れぬ平民の青年が、その奇跡の力で公爵令嬢を救い国王に認められ、一夜にして貴族へと成り上がる。
それは彼らにとって最高に胸のすく、おとぎ話そのものだった。
俺の意思などお構いなしに物語はどんどん大きくなり、尾ひれがついてもはや俺自身でさえ「それ、誰の話だ?」と言いたくなるような壮大な英雄譚へと昇華されていた。
そして、いつしか人々は俺のことをこう呼ぶようになっていた。
「アウレリアの聖者」
と。
そのあまりにも重すぎる称号に、俺は毎日頭を抱えていた。
俺は聖者などではない。
ただ、愛する少女の笑顔が見たくて少しだけ持っている力を使っただけの、しがない青年に過ぎないのだ。
学園での扱いも激変した。
もはや俺に気安く話しかけてくる生徒は一人もいない。
誰もが俺を遠巻きに、そして畏敬の念のこもった眼差しで見るだけだ。
それは以前の「腫れ物」扱いとはまた違う、神聖なものに触れることを恐れるかのような絶対的な距離感だった。
「ごきげんよう、ユウキ様」
唯一、以前と変わらない態度で接してくれるのはルナとクラリスだけだった。
いや、彼女たちもどこか以前より俺に対する態度が恭しくなっている気がしないでもない。
「ユウキ、すごい人気ですわね。まるで歴史上の偉人のようです」
昼休み、中庭のベンチで二人きりで昼食をとりながらルナが楽しそうに言った。
俺たちの周りには遠巻きに、しかし熱心にこちらを窺うファンクラブのような女子生徒たちの集団ができている。
もはや二人きりの時間さえ、完全にプライベートなものではなくなっていた。
「やめてくれよ。心臓に悪い」
俺は深いため息をついた。
「俺はただ、君と静かに過ごせればそれでいいんだけどな」
俺の偽らざる本心に、ルナは愛おしそうに、そして少しだけ申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんなさい、ユウキ。わたくしと出会ったばかりに、貴方の望む平穏を奪ってしまって…」
「…謝るなよ」
俺は彼女の小さな手をそっと握りしめた。
「君と出会えたことが、俺にとって何よりの幸せなんだから。これくらい、どうってことないさ」
強がりだった。
本当は胃がキリキリと痛みっぱなしだ。
だが、彼女を不安にさせるわけにはいかなかった。
俺の言葉に彼女の顔がぱあっと輝く。
「ユウキ…!」
彼女は俺の手をぎゅっと力いっぱい握り返してきた。
その温もりだけが、この狂騒曲のような毎日の中で俺の唯一の癒やしだった。
その日の放課後。
俺が馬車に乗ってタウンハウスへ帰宅すると、家の前が大変なことになっていた。
数十人、いや百人を超えるかもしれない人だかりが俺の家の門の前にできていたのだ。
その誰もが病に苦しむ者や怪我を負った者、そしてその家族たちだった。
彼らは俺の馬車を見つけると、わっと堰を切ったように駆け寄ってきた。
「聖者様!」「どうか、我々をお救いください!」
「娘が不治の病なのです!」「夫の足を治してください!」
その悲痛な叫び。
藁にもすがるような必死の眼差し。
その全てが俺に突き刺さる。
「下がりなさい! 子爵閣下にご迷惑だ!」
タウンハウスの護衛たちが必死に彼らを制止しようとする。
だが、人々の勢いは止まらない。
俺は馬車の中で、その光景をただ黙って見ていた。
どうする。
見過ごすか?
俺はもうただの平民ではない。子爵という民を守るべき立場にある。
そして何より俺には、彼らを救える力が確かにあるのだ。
俺の心の中で葛藤が渦巻く。
ここで彼らを救えば、俺が「聖者」であるという物語はさらに加速するだろう。
俺の平穏な日常は完全に、永遠に失われる。
だが、この助けを求める声を目の前で見殺しにすることができるのか?
答えはもう決まっていた。
俺がルナの闇を光で照らした、あの時から。
俺の力はもう俺一人のものではなくなっていたのだ。
俺は静かに馬車の扉を開けた。
そして助けを求める人々の前にゆっくりと降り立った。
ざわめきがぴたりと止む。
全ての視線が俺に注がれる。
俺はその視線を一身に受け止めながら、静かに、そしてはっきりと告げた。
「…分かりました。皆さんを癒やしましょう」
その一言が、俺の新たな人生の始まりを告げた。
「アウレリラの聖者」としての宿命。
俺は自分の望みとは裏腹に、この国の人々の希望をその両肩で背負うことになったのだ。
本人の戸惑いをよそに、物語はどんどん、どんどん大きくなっていく。
その先にどんな未来が待っているのか、俺にはもう想像することさえできなかった。
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