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第92話:滅びた国の願い
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リリアーナの体力が回復し、離宮の庭を散策できるようになった数日後。
帝国の皇城に、予期せぬ、しかしある意味では予想通りだった訪問者が現れた。
バークレイ王国からの非公式な使節団。
しかしその構成は以前とは全く違っていた。先頭に立っていたのは王族でも高位貴族でもない。痩せて身なりの貧しい、しかしその目に必死の色を宿した数名の民間人の代表者たちだった。
彼らは帝国の国境検問所で、皇帝陛下に一目お会いしたいと、ただひたすらに懇願し続けたという。そのあまりの切実さに国境警備隊も無視することができず、アシュレイの元へとおうかがいを立てた。
アシュレイは報告を聞くと少しだけ思案した後、「会おう」と短く答えた。
謁見の間は以前の使節団を迎えた時とは違い、物々しい雰囲気はなかった。
皇帝とアシュレイが玉座に並んで座っている。その前に民間人の代表者たちが恐縮しきった様子でひざまずいていた。その中の一人、年老いた村長らしき男が震える声で口を開いた。
「……慈悲深き皇帝陛下、並びに皇子殿下。我らのような卑しき者に謁見の機会をお与えくださり、心より感謝申し上げます」
彼は深く、深く頭を垂れた。
「我らが故国、バークレイ王国は……もはや国の体をなしておりません」
男は途切れ途切れに故国の惨状を語り始めた。
王は病に倒れ、王子たちは権力争いに明け暮れ民を顧みない。疫病と魔物が国土を蹂躙し、畑は枯れ人々は飢えに苦しんでいる。騎士団は崩壊し、貴族たちは我先に国外へ逃げ出している、と。
「我らは見捨てられたのです。王家にも、貴族にも、そして……神にも」
男の目から涙がこぼれ落ちた。
「しかし、我らの間では一つの噂が希望の光として語り継がれております。かつてこの国におられた聖女リリアーナ様がこの帝国で、その尊き力によって人々を救っておられる、と」
その名が出た瞬間、アシュレイの青い瞳が鋭く光った。
リリアーナの名を軽々しく口にするな。その視線が男を射抜く。
男はその威圧感に怯えながらも、必死に続けた。
「我々はもはや、聖女様に帰ってきてほしいなどと虫の良いことを言うつもりはございません。我らが王家がどれほど愚かな過ちを犯したか、身に染みて理解しております。聖女様は、この帝国で皇子殿下と共にお幸せになるべきお方です」
その言葉は意外なものだった。
老人は意を決したように顔を上げた。
そして皇帝とアシュレイに向かって、驚くべき願いを口にした。
「我らの願いはただ一つ。どうか、この腐りきったバークレイ王家をお見限りください。そして残された我ら民を、帝国の公正なる法の下でお救いください! 我らはもはやバークレイの民ではなく、帝国の民として陛下に忠誠を誓うことを望みます!」
彼はそう言うと、再び床に額をこすりつけて懇願した。
「どうか、我らをお見捨てにならず……! 帝国による公正なる統治を!」
他の代表者たちも一斉に同じように土下座し、声を上げて泣き始めた。
謁見の間は静まり返っていた。
自国の王家を見限り、敵国であったはずの帝国に統治を願い出る。
それは一国の民が下す究極の選択だった。
皇帝アルフォンスは静かに玉座から立ち上がった。
その表情は厳格だったが、瞳の奥には民を想う為政者としての深い共感の色が浮かんでいた。
彼はアシュレイに視線を向けた。その視線は問いかけていた。「どうする」と。
アシュレイもまた静かに立ち上がった。
彼はひざまずく代表者たちを見下ろした。その瞳にもはや侮蔑の色はない。自らの未来を命を懸けて切り拓こうとする者たちへの、敬意にも似た光が宿っていた。
これはただの領土拡大ではない。民からの願いに応える救済の統治だ。
アシュレイは父である皇帝に向き直り、はっきりとした声で言った。
「父上。彼らの願い、受け入れるべきと存じます」
その声には次期皇帝としての揺るぎない覚悟が込められていた。
「バークレイ王国はもはや国家として機能しておりません。放置すれば、さらなる混乱が大陸全土に広がる恐れも。我らが帝国がその混乱を収拾し民を救済する。それこそが大陸の覇者たる帝国の果たすべき責務です」
皇帝は、その息子の成長した姿に満足げに頷いた。
そしてひざまずく代表者たちに向かって、威厳に満たた声で宣言した。
「……よかろう。その願い、聞き届けた」
「!」
代表者たちが信じられないというように顔を上げる。
「これよりバークレイ王国は、エルミート帝国の保護下に置く。我が息子アシュレイを総督として派遣し、彼の指揮の下、公正なる統治と国土の復興を約束しよう」
その言葉は絶望の淵にいた彼らにとって、まさしく神の福音だった。
彼らは歓喜のあまり、ただただ涙を流し、何度も何度も頭を下げ続けることしかできなかった。
その頃、リリアーナはそんなことが起きているとは知らずに、離宮の庭でアシュレイと穏やかな散策を楽しんでいた。
彼女が捨てた故国が今、巡り巡って彼女が愛する男の手に委ねられることになった。
その皮肉な運命を彼女はまだ知らない。
しかしその決定こそが全ての過去を清算し、大陸に新たな秩序をもたらすための大きな一歩となるのだった。
帝国の皇城に、予期せぬ、しかしある意味では予想通りだった訪問者が現れた。
バークレイ王国からの非公式な使節団。
しかしその構成は以前とは全く違っていた。先頭に立っていたのは王族でも高位貴族でもない。痩せて身なりの貧しい、しかしその目に必死の色を宿した数名の民間人の代表者たちだった。
彼らは帝国の国境検問所で、皇帝陛下に一目お会いしたいと、ただひたすらに懇願し続けたという。そのあまりの切実さに国境警備隊も無視することができず、アシュレイの元へとおうかがいを立てた。
アシュレイは報告を聞くと少しだけ思案した後、「会おう」と短く答えた。
謁見の間は以前の使節団を迎えた時とは違い、物々しい雰囲気はなかった。
皇帝とアシュレイが玉座に並んで座っている。その前に民間人の代表者たちが恐縮しきった様子でひざまずいていた。その中の一人、年老いた村長らしき男が震える声で口を開いた。
「……慈悲深き皇帝陛下、並びに皇子殿下。我らのような卑しき者に謁見の機会をお与えくださり、心より感謝申し上げます」
彼は深く、深く頭を垂れた。
「我らが故国、バークレイ王国は……もはや国の体をなしておりません」
男は途切れ途切れに故国の惨状を語り始めた。
王は病に倒れ、王子たちは権力争いに明け暮れ民を顧みない。疫病と魔物が国土を蹂躙し、畑は枯れ人々は飢えに苦しんでいる。騎士団は崩壊し、貴族たちは我先に国外へ逃げ出している、と。
「我らは見捨てられたのです。王家にも、貴族にも、そして……神にも」
男の目から涙がこぼれ落ちた。
「しかし、我らの間では一つの噂が希望の光として語り継がれております。かつてこの国におられた聖女リリアーナ様がこの帝国で、その尊き力によって人々を救っておられる、と」
その名が出た瞬間、アシュレイの青い瞳が鋭く光った。
リリアーナの名を軽々しく口にするな。その視線が男を射抜く。
男はその威圧感に怯えながらも、必死に続けた。
「我々はもはや、聖女様に帰ってきてほしいなどと虫の良いことを言うつもりはございません。我らが王家がどれほど愚かな過ちを犯したか、身に染みて理解しております。聖女様は、この帝国で皇子殿下と共にお幸せになるべきお方です」
その言葉は意外なものだった。
老人は意を決したように顔を上げた。
そして皇帝とアシュレイに向かって、驚くべき願いを口にした。
「我らの願いはただ一つ。どうか、この腐りきったバークレイ王家をお見限りください。そして残された我ら民を、帝国の公正なる法の下でお救いください! 我らはもはやバークレイの民ではなく、帝国の民として陛下に忠誠を誓うことを望みます!」
彼はそう言うと、再び床に額をこすりつけて懇願した。
「どうか、我らをお見捨てにならず……! 帝国による公正なる統治を!」
他の代表者たちも一斉に同じように土下座し、声を上げて泣き始めた。
謁見の間は静まり返っていた。
自国の王家を見限り、敵国であったはずの帝国に統治を願い出る。
それは一国の民が下す究極の選択だった。
皇帝アルフォンスは静かに玉座から立ち上がった。
その表情は厳格だったが、瞳の奥には民を想う為政者としての深い共感の色が浮かんでいた。
彼はアシュレイに視線を向けた。その視線は問いかけていた。「どうする」と。
アシュレイもまた静かに立ち上がった。
彼はひざまずく代表者たちを見下ろした。その瞳にもはや侮蔑の色はない。自らの未来を命を懸けて切り拓こうとする者たちへの、敬意にも似た光が宿っていた。
これはただの領土拡大ではない。民からの願いに応える救済の統治だ。
アシュレイは父である皇帝に向き直り、はっきりとした声で言った。
「父上。彼らの願い、受け入れるべきと存じます」
その声には次期皇帝としての揺るぎない覚悟が込められていた。
「バークレイ王国はもはや国家として機能しておりません。放置すれば、さらなる混乱が大陸全土に広がる恐れも。我らが帝国がその混乱を収拾し民を救済する。それこそが大陸の覇者たる帝国の果たすべき責務です」
皇帝は、その息子の成長した姿に満足げに頷いた。
そしてひざまずく代表者たちに向かって、威厳に満たた声で宣言した。
「……よかろう。その願い、聞き届けた」
「!」
代表者たちが信じられないというように顔を上げる。
「これよりバークレイ王国は、エルミート帝国の保護下に置く。我が息子アシュレイを総督として派遣し、彼の指揮の下、公正なる統治と国土の復興を約束しよう」
その言葉は絶望の淵にいた彼らにとって、まさしく神の福音だった。
彼らは歓喜のあまり、ただただ涙を流し、何度も何度も頭を下げ続けることしかできなかった。
その頃、リリアーナはそんなことが起きているとは知らずに、離宮の庭でアシュレイと穏やかな散策を楽しんでいた。
彼女が捨てた故国が今、巡り巡って彼女が愛する男の手に委ねられることになった。
その皮肉な運命を彼女はまだ知らない。
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