無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第九話:ただ一人の見送り

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囚人用の馬車は、乗り心地など考慮されているはずもなかった。舗装された帝都の石畳の上でさえ、車輪が石を拾うたびに荷台が激しく揺れる。アッシュは壁に背を預け、その無遠慮な振動を体で受け止めていた。

馬車の窓から、見慣れた帝都の街並みが流れていく。華やかな大通り、活気のある市場、貴族たちの壮麗な屋敷。昨日まで彼が属していた世界が、まるで他人事のように遠ざかっていく。

彼の護衛兼監視役として、四人の騎士が馬車の周囲を固めていた。彼らはヴェルヘイム家の私兵だ。父グレイグが、アッシュが道中で逃げ出すことや、あるいは誰かに口封じのために暗殺されることを警戒して付けたのだろう。もっとも、その忠誠心は疑わしいものだった。

アッシュはスキルを使い、彼らの感情を読み取る。

騎士隊長ラルフ。
「義務感:80」「不満:60」「軽蔑:50」
家の命令だから従っているだけ。内心では、罪人の護送などという面倒な任務を押し付けられたことに舌打ちしている。

騎士サイモン。
「憐憫:40」「無関心:70」
哀れな三男坊、という程度の認識。彼がどうなろうと、自分の知ったことではない。

騎士ゴードンと騎士マードック。
二人とも似たり寄ったりの感情だ。「退屈:80」「義務感:50」。早く任務を終えて帝都に帰りたい、という思考が透けて見える。

(誰一人として、ヴァイスラントまでついてくる気はないな)

アッシュは確信した。彼らは国境近くの最後の街で、適当な理由をつけて役目を放棄するだろう。罪人一人にいつまでも付き合っていられるか、と。それもまた、アッシュの計画通りだった。彼のような人間が、一人で極寒の地へ向かう。これほど哀れで、無力に見える筋書きはない。兄たちの耳に入れば、きっと満足して笑うだろう。

馬車は帝都の市街地を抜け、やがて巨大な城壁が見えてきた。帝都を外界と隔てる、最後の門。罪人や汚物を運び出すために使われる北門、通称「嘆きの門」だ。

門が近づくにつれ、馬車の速度が落ちる。その時、アッシュは門の手前に立つ一人の老人の姿を捉えた。

地味な旅装に身を包み、傍らには一つの大きな荷物を置いている。背筋を伸ばし、ただ静かに馬車が来るのを待っている。老執事のジョセフだった。

彼の感情が、どんな宝石よりも鮮やかな光を放ってアッシュの目に飛び込んできた。
「忠誠心:100」「決意:95」「心配:80」
一点の曇りもない、純粋な忠誠。アッシュは、喉の奥が熱くなるのを微かに感じた。

「停めてくれ」

アッシュは、馬車の御者台にいる騎士に声をかけた。騎士は怪訝な顔で振り返る。
「何だ、罪人が。感傷に浸るつもりか?」

「長年仕えてくれた老僕が、見送りに来てくれたようだ。最後の別れの言葉くらい、許してはもらえないだろうか」

アッシュは、か細く、懇願するような声で言った。哀れな罪人の最後の願い。騎士隊長ラルフは、アッシュの姿を一瞥すると、面倒くさそうに顎をしゃくった。「手早く済ませろよ」。彼の「軽蔑」の数値が少しだけ上がった。

馬車が停まり、アッシュは荷台から降りた。鉄の足枷が、ジャラリと重い音を立てる。彼はゆっくりとジョセフの前に歩み寄った。

「ジョセフ……なぜ、ここに」

アッシュは、あくまで周囲の騎士たちに聞かせるための演技を続ける。
ジョセフは深く頭を下げた。
「アッシュ様が旅立たれると聞き、居ても立ってもいられず馳せ参じました。せめてもの餞別に、温かいスープとパンを」
彼はそう言って、荷物の中から包みを取り出そうとする。

アッシュはそれを手で制した。そして、騎士たちには聞こえないほど小さな声で囁いた。
「金は?」

「ご指定の場所に。複数に分け、全て運び出しました」
ジョセフもまた、小さな声で淀みなく答える。

「ヴァイスラントで待っている。ほとぼりが冷めた頃、密かにここまで来い」

「いいえ、アッシュ様」
ジョセフは、そこで初めて顔を上げた。その老いた瞳には、涙ではなく、鋼のような強い意志が宿っていた。
「私もお供いたします。この先、アッシュ様のお側には、身の回りのお世話をする者が必要でございましょう。このジョセフ、どこまでもついて参る覚悟でございます」

彼の旅装と大きな荷物は、見送りのためではなかった。アッシュと共に、死の土地へ向かうためのものだった。

アッシュは一瞬、言葉を失った。この忠誠は、計算を超えている。スキルで数値を把握していながら、その重みに胸を打たれた。だが、すぐに彼は冷静さを取り戻した。

(最高の駒だ。いや、もはや駒ではない。唯一の味方だ)

アッシュは、騎士たちの方を振り返った。
「隊長殿。この老いぼれが、どうしても道中だけでも世話をしたいと言って聞かない。見ての通り、もう先も長くないだろう。最後の奉公くらい、許してはやれないだろうか。足手まといになるようなら、その時はすぐに追い出してくれて構わない」

ラルフは、旅装のジョセフを見て、鼻で笑った。
「好きにしろ。どうせ、最初の街に着く前に凍え死ぬのが関の山だろうがな」

許可は下りた。彼らにとって、老人が一人増えようが減ろうが、どうでもいいことだった。むしろ、哀れな元貴族の最後の道行きを彩る、格好の舞台装置くらいにしか思っていない。

ジョセフは騎士たちに深く頭を下げると、手際よく自分の荷物を馬車に積み込み、アッシュが乗り込むのを手伝った。狭い荷台に、主と従者が並んで腰を下ろす。

馬車が再び、ゆっくりと動き出した。巨大な「嘆きの門」のアーチをくぐる。門を抜けた瞬間、帝都の喧騒が嘘のように遠ざかり、吹き付ける風が冷たくなった。振り返ると、壮麗な帝都の摩天楼が、夕陽を浴びて赤く燃えている。

アッシュは、その光景を目に焼き付けた。

「ジョセフ」
「はっ」

「ここからが、我々の始まりだ」

アッシュの言葉は、静かだった。しかし、その声には、全てを奪われた男の絶望ではなく、これから全てを奪い返す男の決意が込められていた。

ジョセフは何も答えなかった。ただ、深く、力強く頷いた。彼の「忠誠心」の数値が、限界を超えたかのように眩しく輝いている。

馬車は、荒涼とした北への街道をひた走る。二人の男を乗せた小さな方舟は、帝都という名の過去を後にして、まだ誰も知らない未来へと、その車輪を進めていった。
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