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第十二話:新領主の第一声
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ヴァイスラントでの最初の一週間は、静かな消耗戦だった。アッシュたちは廃墟同然の領主の館に拠点を構え、まずは最低限の生活空間を確保することから始めた。割れた窓は板で塞ぎ、崩れた壁の隙間は石と泥で埋める。暖炉にくべる薪を集め、乏しい食料を分け合い、ただひたすらに厳しい環境を耐え忍んだ。
その間、領民たちとの接触はほとんどなかった。彼らは丘の下の村から出てこず、アッシュたちを遠巻きに監視するだけだった。その瞳に宿る感情は変わらない。「不信」と「諦観」。そして、日に日に強くなる「敵意」。よそ者に分け与える食料などない、という無言の圧力がひしひしと伝わってきた。
「アッシュ殿。このままでは……」
三人が囲む貧しい焚き火の前で、サイモンが口を開いた。彼の顔には疲労と焦りが色濃く浮かんでいる。
「我々の食料も、あと数日で底を尽きます。彼らは我々を受け入れる気はない。いずれ、食料を奪いにここへ襲ってきてもおかしくありません」
彼の感情は「焦燥:80」「無力感:70」。正義感の強い彼にとって、このどうしようもない状況は耐えがたい苦痛だった。騎士の剣は、飢えと絶望の前ではあまりにも無力だ。
ジョセフもまた、心配げな表情でアッシュを見ていた。彼の「心配」の数値は常に高いままだ。
「アッシュ様。何か、お考えが?」
アッシュは、燃え盛る炎を見つめながら静かに頷いた。
「ああ。潮時だ。これ以上待っても状況は悪化するだけだ」
彼は立ち上がると、サイモンとジョセフにきっぱりと告げた。
「これから、広場に領民を集める」
「無茶です!」
サイモンが即座に反論した。
「彼らが我々の言葉に耳を貸すはずがない!石を投げつけられるのが関の山ですよ!」
「それでも、やるんだ」
アッシュの赤い瞳が、サイモンをまっすぐに見据えた。その瞳には、焦りも恐怖もなかった。ただ、全てを見通しているかのような、底知れない静けさがあるだけだった。
「力で従わせることはできない。金で釣ることもできない。ならば、彼らの心を直接動かすしかない。俺の武器は、それだけだ」
アッシュの揺るぎない態度に、サイモンは言葉を詰まらせた。この少年は一体何なのだ。絶望的な状況を前にして、なぜこれほどまでに落ち着いていられるのか。
「ジョセフ」
「はっ」
「村へ行き、こう伝えろ。『新しい領主が、食料の配給を行う』と。必ず、全員を集めるんだ」
「……畏まりました」
ジョセフは一瞬ためらったが、すぐに深く頷き、外套を羽織って館を出て行った。残されたサイモンは、納得できないという表情でアッシュを見つめていた。
一時間後。館の窓から見下ろすと、丘の下の広場に、ぽつりぽつりと人影が集まり始めていた。その数は次第に増え、やがて百人を超えた。老人、女、子供、そして数少ない若者たち。ヴァイスラントの全住民と言っていいだろう。
彼らの感情は、アッシュの予想通りだった。
「不信:90」「懐疑:85」「敵意:60」
食料という言葉に釣られて出てきたものの、その瞳はアッシュたちを疑いの目で見ている。罠ではないか、何か裏があるのではないか。誰もがそう警戒していた。
「行くぞ」
アッシュは、残された食料のほとんどが入った麻袋をサイモンに担がせると、自ら先頭に立って丘を下り始めた。
広場に集まった領民たちの間を抜け、アッシュはその中央で足を止めた。彼は周囲をゆっくりと見回す。誰もが、汚れた衣服に身を包み、寒さに震え、生気を失った目をしていた。
沈黙が広場を支配する。誰も口を開かない。ただ、冷たい風の音だけが響いていた。
やがて、アッシュは静かに口を開いた。彼の声は、この荒涼とした土地には不似合いなほど、落ち着いて澄み渡っていた。
「寒いだろう。腹が減っているだろう。明日への希望など、とうの昔に失くしただろう」
その言葉に、領民たちの間にどよめきが走った。感情ウィンドウに「驚き:40」「動揺:50」という数値が浮かび上がる。甘い言葉でも、威圧的な言葉でもない。自分たちの現実を、あまりにも正確に言い当てられたことへの戸惑いだった。
アッシュは続けた。
「俺の名はアッシュ。お前たちと同じ、帝国に見捨てられた罪人だ。爵位も財産も全て奪われ、この死の土地へ送られてきた」
罪人。その言葉は、領民たちの警戒心を少しだけ解いた。「敵意」の数値が軒並み下がり、代わりに「興味:20」という感情が生まれた。自分たちと同じ境遇の人間。少なくとも、帝都から来た傲慢な貴族とは違うらしい。
「理想を語るつもりはない。美しい未来を約束する気もない。そんなものは、この凍てつく大地では何の役にも立たないからだ。だが、今ここで、お前たちに約束できることが二つある」
アッシュは人差し指を一本立てた。
「一つは、食料だ。今夜、腹一杯食うための食料。サイモン、配ってやれ」
アッシュの合図で、サイモンが戸惑いながらも麻袋の口を開けた。中から現れたのは、硬い黒パンと、干し肉の塊。帝都の基準では貧しい食事だが、この地の者たちにとっては命を繋ぐご馳走だった。
領民たちの感情が、大きく揺れ動いた。「懐疑」と「驚愕」が渦を巻き、その中に、今まで決して見られなかった感情が生まれた。
「期待:3」
まだ、ほんの小さな光だ。それでも、確かにそれは灯った。
アッシュは、もう一本の指を立てた。
「もう一つは、仕事だ。明日から、この地を立て直す。凍えた土地を耕す方法を探し、壊れた家を直し、獣や盗賊から身を守るための壁を築く。働いた者には、今日の物よりも多くの食料と、そして夜安心して眠れる安全を保証する」
仕事。食料。安全。それは、この地の人々が失って久しいものだった。アッシュは、彼らが最も渇望しているものを、的確に提示した。
「俺は領主としてここに来た。だが、お前たちの上に立つ王になるつもりはない。俺は、お前たちの先頭に立って働くリーダーだ。俺の知識と、お前たちの力で、このクソみたいな土地を生きられる場所に変える」
アッシュは、そこにいる全員の目を見て、最後の言葉を告げた。
「俺と共に来るか。それとも、このまま何もせず、ここで静かに朽ち果てるか。選ぶのは、お前たち自身だ」
演説が終わっても、広場は静まり返っていた。誰もが、アッシュの言葉の意味を測りかねているようだった。
その沈黙を破ったのは、一人の老婆だった。彼女は、おずおずと前に進み出ると、サイモンが差し出すパンを震える手で受け取った。それを皮切りに、人々は一人、また一人と列を作り始めた。
アッシュは、その光景を静かに見つめていた。彼のスキルが、人々の心の変化を捉える。
「絶望」「不信」「諦観」。それらの数値は、まだ依然として彼らの心を支配している。だが、その分厚い氷の層の下で、小さな、しかし確かな変化が起きていた。
広場にいるほとんど全ての領民の感情ウィンドウの片隅に、「期待:5」という数値が、まるで凍土から芽吹いた若葉のように、力強く灯っていた。
それは、アッシュがこの絶望の土地に蒔いた、最初の種だった。彼の本当の戦いは、この僅か5%の期待から始まろうとしていた。
その間、領民たちとの接触はほとんどなかった。彼らは丘の下の村から出てこず、アッシュたちを遠巻きに監視するだけだった。その瞳に宿る感情は変わらない。「不信」と「諦観」。そして、日に日に強くなる「敵意」。よそ者に分け与える食料などない、という無言の圧力がひしひしと伝わってきた。
「アッシュ殿。このままでは……」
三人が囲む貧しい焚き火の前で、サイモンが口を開いた。彼の顔には疲労と焦りが色濃く浮かんでいる。
「我々の食料も、あと数日で底を尽きます。彼らは我々を受け入れる気はない。いずれ、食料を奪いにここへ襲ってきてもおかしくありません」
彼の感情は「焦燥:80」「無力感:70」。正義感の強い彼にとって、このどうしようもない状況は耐えがたい苦痛だった。騎士の剣は、飢えと絶望の前ではあまりにも無力だ。
ジョセフもまた、心配げな表情でアッシュを見ていた。彼の「心配」の数値は常に高いままだ。
「アッシュ様。何か、お考えが?」
アッシュは、燃え盛る炎を見つめながら静かに頷いた。
「ああ。潮時だ。これ以上待っても状況は悪化するだけだ」
彼は立ち上がると、サイモンとジョセフにきっぱりと告げた。
「これから、広場に領民を集める」
「無茶です!」
サイモンが即座に反論した。
「彼らが我々の言葉に耳を貸すはずがない!石を投げつけられるのが関の山ですよ!」
「それでも、やるんだ」
アッシュの赤い瞳が、サイモンをまっすぐに見据えた。その瞳には、焦りも恐怖もなかった。ただ、全てを見通しているかのような、底知れない静けさがあるだけだった。
「力で従わせることはできない。金で釣ることもできない。ならば、彼らの心を直接動かすしかない。俺の武器は、それだけだ」
アッシュの揺るぎない態度に、サイモンは言葉を詰まらせた。この少年は一体何なのだ。絶望的な状況を前にして、なぜこれほどまでに落ち着いていられるのか。
「ジョセフ」
「はっ」
「村へ行き、こう伝えろ。『新しい領主が、食料の配給を行う』と。必ず、全員を集めるんだ」
「……畏まりました」
ジョセフは一瞬ためらったが、すぐに深く頷き、外套を羽織って館を出て行った。残されたサイモンは、納得できないという表情でアッシュを見つめていた。
一時間後。館の窓から見下ろすと、丘の下の広場に、ぽつりぽつりと人影が集まり始めていた。その数は次第に増え、やがて百人を超えた。老人、女、子供、そして数少ない若者たち。ヴァイスラントの全住民と言っていいだろう。
彼らの感情は、アッシュの予想通りだった。
「不信:90」「懐疑:85」「敵意:60」
食料という言葉に釣られて出てきたものの、その瞳はアッシュたちを疑いの目で見ている。罠ではないか、何か裏があるのではないか。誰もがそう警戒していた。
「行くぞ」
アッシュは、残された食料のほとんどが入った麻袋をサイモンに担がせると、自ら先頭に立って丘を下り始めた。
広場に集まった領民たちの間を抜け、アッシュはその中央で足を止めた。彼は周囲をゆっくりと見回す。誰もが、汚れた衣服に身を包み、寒さに震え、生気を失った目をしていた。
沈黙が広場を支配する。誰も口を開かない。ただ、冷たい風の音だけが響いていた。
やがて、アッシュは静かに口を開いた。彼の声は、この荒涼とした土地には不似合いなほど、落ち着いて澄み渡っていた。
「寒いだろう。腹が減っているだろう。明日への希望など、とうの昔に失くしただろう」
その言葉に、領民たちの間にどよめきが走った。感情ウィンドウに「驚き:40」「動揺:50」という数値が浮かび上がる。甘い言葉でも、威圧的な言葉でもない。自分たちの現実を、あまりにも正確に言い当てられたことへの戸惑いだった。
アッシュは続けた。
「俺の名はアッシュ。お前たちと同じ、帝国に見捨てられた罪人だ。爵位も財産も全て奪われ、この死の土地へ送られてきた」
罪人。その言葉は、領民たちの警戒心を少しだけ解いた。「敵意」の数値が軒並み下がり、代わりに「興味:20」という感情が生まれた。自分たちと同じ境遇の人間。少なくとも、帝都から来た傲慢な貴族とは違うらしい。
「理想を語るつもりはない。美しい未来を約束する気もない。そんなものは、この凍てつく大地では何の役にも立たないからだ。だが、今ここで、お前たちに約束できることが二つある」
アッシュは人差し指を一本立てた。
「一つは、食料だ。今夜、腹一杯食うための食料。サイモン、配ってやれ」
アッシュの合図で、サイモンが戸惑いながらも麻袋の口を開けた。中から現れたのは、硬い黒パンと、干し肉の塊。帝都の基準では貧しい食事だが、この地の者たちにとっては命を繋ぐご馳走だった。
領民たちの感情が、大きく揺れ動いた。「懐疑」と「驚愕」が渦を巻き、その中に、今まで決して見られなかった感情が生まれた。
「期待:3」
まだ、ほんの小さな光だ。それでも、確かにそれは灯った。
アッシュは、もう一本の指を立てた。
「もう一つは、仕事だ。明日から、この地を立て直す。凍えた土地を耕す方法を探し、壊れた家を直し、獣や盗賊から身を守るための壁を築く。働いた者には、今日の物よりも多くの食料と、そして夜安心して眠れる安全を保証する」
仕事。食料。安全。それは、この地の人々が失って久しいものだった。アッシュは、彼らが最も渇望しているものを、的確に提示した。
「俺は領主としてここに来た。だが、お前たちの上に立つ王になるつもりはない。俺は、お前たちの先頭に立って働くリーダーだ。俺の知識と、お前たちの力で、このクソみたいな土地を生きられる場所に変える」
アッシュは、そこにいる全員の目を見て、最後の言葉を告げた。
「俺と共に来るか。それとも、このまま何もせず、ここで静かに朽ち果てるか。選ぶのは、お前たち自身だ」
演説が終わっても、広場は静まり返っていた。誰もが、アッシュの言葉の意味を測りかねているようだった。
その沈黙を破ったのは、一人の老婆だった。彼女は、おずおずと前に進み出ると、サイモンが差し出すパンを震える手で受け取った。それを皮切りに、人々は一人、また一人と列を作り始めた。
アッシュは、その光景を静かに見つめていた。彼のスキルが、人々の心の変化を捉える。
「絶望」「不信」「諦観」。それらの数値は、まだ依然として彼らの心を支配している。だが、その分厚い氷の層の下で、小さな、しかし確かな変化が起きていた。
広場にいるほとんど全ての領民の感情ウィンドウの片隅に、「期待:5」という数値が、まるで凍土から芽吹いた若葉のように、力強く灯っていた。
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