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第十一話:絶望のヴァイスラント
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アルトハイムの門を抜けた先には、文明を嘲笑うかのような荒野が広がっていた。道らしい道はなく、ただ吹き荒れる風が雪と砂を巻き上げ、世界の輪郭を曖昧にしている。三人を乗せた貧相な馬車は、まるで巨大な墓石の間を進む蟻のように、ちっぽけで頼りなかった。
「くそっ、また吹雪か……!」
御者台に座るサイモンが、顔に叩きつける氷の粒から目を守るように腕を掲げた。彼の吐く息は瞬時に白く凍りつき、風に攫われて消える。騎士としての訓練を受けてきた彼でさえ、この容赦のない自然の暴力には音を上げそうになっていた。
彼の感情は、「後悔:60」「忍耐:70」「義務感:80」といった数値で揺れ動いている。なぜ自分はこんな場所に来てしまったのか。あの時、上官たちと共に帝都へ帰るべきだったのではないか。そんな後悔が、騎士としての義務感とせめぎ合っている。
馬車の荷台では、アッシュとジョセフが毛布にくるまり、静かに座っていた。ジョセフは時折、水筒の水を温め、アッシュに差し出す。その献身的な姿は、この極寒の地にあって唯一の温かみを感じさせた。
アッシュ自身は、ただ静かに窓の外を流れる灰色の景色を眺めていた。彼の表情は凪いでいる。まるで、快適な書斎で窓の外の雨を眺めているかのようだ。サイモンは、その後ろ姿に得体の知れないものを感じていた。普通、全てを失いこんな場所に送られた少年ならば、泣き叫ぶか、絶望にうちひしがれるか、あるいは心を病んで虚ろになるかのはずだ。しかし、この少年は違う。静かすぎる。その静けさが、不気味ですらあった。
旅は、死と隣り合わせだった。夜は身を寄せ合って仮眠を取るが、遠くで聞こえる飢えた獣の咆哮が安眠を許さない。食料は日に日に減っていき、干し肉は石のように硬くなり、パンは凍てついて歯が立たなくなった。
そんな過酷な状況が、皮肉にも三人の間に奇妙な連帯感を生んでいた。ある夜、野盗と思しき人影が遠くの岩陰に見えた時、サイモンは即座に剣を抜いた。だが、アッシュは慌てることなく彼を制し、風向きと地形を冷静に観察した。
「あちらは風上だ。我々の火の匂いは届いていない。そして、あの崖を迂回してくるには時間がかかりすぎる。今夜は襲ってこない。警戒は怠らず、体力を温存すべきだ」
その的確な分析は、歴戦の傭兵のようだった。サイモンは半信半疑だったが、アッシュの言葉通り、夜明けまで襲撃はなかった。この一件で、サイモンのアッシュに対する感情に「信頼:10」という新たな数値が加わった。
さらに一週間後。彼らはついに、朽ちかけた木の看板が立つ場所にたどり着いた。そこにはかすれた文字で、『ヴァイスラント』と記されている。
馬車はゆっくりと、その見えない境界線を越えた。最初に目に飛び込んできたのは、打ち捨てられたように点在する、今にも崩れ落ちそうな家々だった。屋根には穴が空き、壁は風雪に抉られて骨組みが剥き出しになっている。人の営みの痕跡はあるが、そこには活気というものが一切感じられなかった。
村の中心らしき広場に、数人の人影があった。彼らは馬車の音に気づき、ゆっくりとこちらを振り返る。アッシュは、その瞬間、息を詰めた。
彼らの目は、まるで濁ったガラス玉のようだった。光がなく、感情が死んでいる。頬はこけ、肌は汚れ、纏う衣服はボロ布と呼ぶのがふさわしい。彼らは生きているのではなく、ただ死んでいないだけのように見えた。
アッシュはスキルを発動させた。視界の端に、彼らの魂の状態が数値となって表示される。
老人。
「諦観:90」「絶望:85」「無気力:80」
子供を抱いた母親。
「絶望:95」「無力感:90」「飢餓:75」
腕を組む若者。
「不信:80」「敵意:70」「諦観:75」
広場にいる十数人、その全員が絶望的なまでに低い数値に支配されていた。希望や期待といった正の感情は、どこにも見当たらない。これが、ヴァイスラントの現実。見捨てられた者たちが、ただ緩やかに死を待つだけの場所。
「……これが、ヴァイスラントか」
サイモンの声は、かすかに震えていた。彼が想像していた以上に、この土地の現実は過酷だった。領民たちは、新たな訪問者であるアッシュたちを値踏みするように見ている。その視線には、好奇心すらない。ただ、自分たちから何かを奪いに来た新たな脅威か、あるいはすぐに死ぬだけの愚か者を見るような、冷え切った光があった。
馬車は、領民たちの間を抜けて、小高い丘の上にある一軒の大きな建物へと向かった。それが、このヴァイスラントの領主の館らしい。しかし、その姿は館というよりは廃墟に近かった。石造りの壁は所々崩れ落ち、窓ガラスはほとんどが割れている。庭だったであろう場所は、腰の高さまで伸びた枯れ草に覆われていた。
馬車が止まっても、中から誰かが出てくる気配はない。サイモンが警戒しながら扉を開けると、ギィ、と錆び付いた蝶番が悲鳴を上げた。中には、埃を被った家具が乱雑に置かれているだけで、人の気配はなかった。どうやら、前任の領主など存在しなかったか、あるいはとうの昔に逃げ出したか死んだかしたのだろう。
外では、冷たい風がひときわ強く吹き、乾いた枯れ草の音を立てている。丘の下では、生気のない領民たちが、まだこちらを無感動に眺めていた。
この圧倒的な絶望を前にして、ジョセフは唇を固く結び、サイモンは言葉を失っていた。騎士としての義務感も、この場所ではあまりに無力に思えた。
だが、アッシュだけは違った。
彼は廃墟同然の館を見渡し、そして丘の下の領民たちを見下ろした。その赤い瞳は、絶望に染まるどころか、まるで巨大な鉱脈を発見した探鉱者のように、静かで、しかし熱を帯びた光を放っていた。
「なるほど。素晴らしい場所じゃないか」
アッシュは、誰に言うでもなく呟いた。
「全てがゼロだ。いや、マイナスからのスタートか。やりがいがある」
その言葉の意味を、ジョセフもサイモンも、まだ理解することはできなかった。
「くそっ、また吹雪か……!」
御者台に座るサイモンが、顔に叩きつける氷の粒から目を守るように腕を掲げた。彼の吐く息は瞬時に白く凍りつき、風に攫われて消える。騎士としての訓練を受けてきた彼でさえ、この容赦のない自然の暴力には音を上げそうになっていた。
彼の感情は、「後悔:60」「忍耐:70」「義務感:80」といった数値で揺れ動いている。なぜ自分はこんな場所に来てしまったのか。あの時、上官たちと共に帝都へ帰るべきだったのではないか。そんな後悔が、騎士としての義務感とせめぎ合っている。
馬車の荷台では、アッシュとジョセフが毛布にくるまり、静かに座っていた。ジョセフは時折、水筒の水を温め、アッシュに差し出す。その献身的な姿は、この極寒の地にあって唯一の温かみを感じさせた。
アッシュ自身は、ただ静かに窓の外を流れる灰色の景色を眺めていた。彼の表情は凪いでいる。まるで、快適な書斎で窓の外の雨を眺めているかのようだ。サイモンは、その後ろ姿に得体の知れないものを感じていた。普通、全てを失いこんな場所に送られた少年ならば、泣き叫ぶか、絶望にうちひしがれるか、あるいは心を病んで虚ろになるかのはずだ。しかし、この少年は違う。静かすぎる。その静けさが、不気味ですらあった。
旅は、死と隣り合わせだった。夜は身を寄せ合って仮眠を取るが、遠くで聞こえる飢えた獣の咆哮が安眠を許さない。食料は日に日に減っていき、干し肉は石のように硬くなり、パンは凍てついて歯が立たなくなった。
そんな過酷な状況が、皮肉にも三人の間に奇妙な連帯感を生んでいた。ある夜、野盗と思しき人影が遠くの岩陰に見えた時、サイモンは即座に剣を抜いた。だが、アッシュは慌てることなく彼を制し、風向きと地形を冷静に観察した。
「あちらは風上だ。我々の火の匂いは届いていない。そして、あの崖を迂回してくるには時間がかかりすぎる。今夜は襲ってこない。警戒は怠らず、体力を温存すべきだ」
その的確な分析は、歴戦の傭兵のようだった。サイモンは半信半疑だったが、アッシュの言葉通り、夜明けまで襲撃はなかった。この一件で、サイモンのアッシュに対する感情に「信頼:10」という新たな数値が加わった。
さらに一週間後。彼らはついに、朽ちかけた木の看板が立つ場所にたどり着いた。そこにはかすれた文字で、『ヴァイスラント』と記されている。
馬車はゆっくりと、その見えない境界線を越えた。最初に目に飛び込んできたのは、打ち捨てられたように点在する、今にも崩れ落ちそうな家々だった。屋根には穴が空き、壁は風雪に抉られて骨組みが剥き出しになっている。人の営みの痕跡はあるが、そこには活気というものが一切感じられなかった。
村の中心らしき広場に、数人の人影があった。彼らは馬車の音に気づき、ゆっくりとこちらを振り返る。アッシュは、その瞬間、息を詰めた。
彼らの目は、まるで濁ったガラス玉のようだった。光がなく、感情が死んでいる。頬はこけ、肌は汚れ、纏う衣服はボロ布と呼ぶのがふさわしい。彼らは生きているのではなく、ただ死んでいないだけのように見えた。
アッシュはスキルを発動させた。視界の端に、彼らの魂の状態が数値となって表示される。
老人。
「諦観:90」「絶望:85」「無気力:80」
子供を抱いた母親。
「絶望:95」「無力感:90」「飢餓:75」
腕を組む若者。
「不信:80」「敵意:70」「諦観:75」
広場にいる十数人、その全員が絶望的なまでに低い数値に支配されていた。希望や期待といった正の感情は、どこにも見当たらない。これが、ヴァイスラントの現実。見捨てられた者たちが、ただ緩やかに死を待つだけの場所。
「……これが、ヴァイスラントか」
サイモンの声は、かすかに震えていた。彼が想像していた以上に、この土地の現実は過酷だった。領民たちは、新たな訪問者であるアッシュたちを値踏みするように見ている。その視線には、好奇心すらない。ただ、自分たちから何かを奪いに来た新たな脅威か、あるいはすぐに死ぬだけの愚か者を見るような、冷え切った光があった。
馬車は、領民たちの間を抜けて、小高い丘の上にある一軒の大きな建物へと向かった。それが、このヴァイスラントの領主の館らしい。しかし、その姿は館というよりは廃墟に近かった。石造りの壁は所々崩れ落ち、窓ガラスはほとんどが割れている。庭だったであろう場所は、腰の高さまで伸びた枯れ草に覆われていた。
馬車が止まっても、中から誰かが出てくる気配はない。サイモンが警戒しながら扉を開けると、ギィ、と錆び付いた蝶番が悲鳴を上げた。中には、埃を被った家具が乱雑に置かれているだけで、人の気配はなかった。どうやら、前任の領主など存在しなかったか、あるいはとうの昔に逃げ出したか死んだかしたのだろう。
外では、冷たい風がひときわ強く吹き、乾いた枯れ草の音を立てている。丘の下では、生気のない領民たちが、まだこちらを無感動に眺めていた。
この圧倒的な絶望を前にして、ジョセフは唇を固く結び、サイモンは言葉を失っていた。騎士としての義務感も、この場所ではあまりに無力に思えた。
だが、アッシュだけは違った。
彼は廃墟同然の館を見渡し、そして丘の下の領民たちを見下ろした。その赤い瞳は、絶望に染まるどころか、まるで巨大な鉱脈を発見した探鉱者のように、静かで、しかし熱を帯びた光を放っていた。
「なるほど。素晴らしい場所じゃないか」
アッシュは、誰に言うでもなく呟いた。
「全てがゼロだ。いや、マイナスからのスタートか。やりがいがある」
その言葉の意味を、ジョセフもサイモンも、まだ理解することはできなかった。
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