無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第十三話:課題の可視化

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食料配給の翌朝。ヴァイスラントの空は、相変わらず鉛色に濁っていた。アッシュは領主の館の入口に立ち、丘の下の広場を見下ろしていた。昨日の演説が、この絶望に染まった人々の心をどれだけ動かせたか。その答えが、もうすぐ明らかになる。

約束の刻限が来ても、広場は閑散としていた。集まったのは、十数人程度。そのほとんどが、もはや失うものなど何もないといった風情の老人か、あるいは好奇心に満ちた目をした子供たちだけだった。働き盛りの若者たちの姿はまばらで、その表情にはまだ深い「懐疑」の色が浮かんでいる。

「……やはり、こんなものでしたか」

隣に立つサイモンの声には、落胆が滲んでいた。彼の感情も「失望:70」。期待が大きかった分、反動も大きいようだ。

「いや、十分すぎる成果だ」
アッシュは平然と答えた。
「ゼロから十数人。素晴らしい伸び率じゃないか」

その前向きすぎる言葉に、サイモンは呆気に取られた顔をする。
「彼らの感情を見てみろ」
アッシュは顎で広場を示した。
「昨日は『不信』と『敵意』だけだった。だが今は、『懐疑』の中に僅かな『期待』と『好奇心』が混じっている。希望の種は、確かに蒔かれたんだ」

スキルを持たないサイモンには、その変化は分からない。だが、アッシュの自信に満ちた態度に、彼は何も言い返せなかった。

アッシュは丘を下り、集まった十数人の領民たちの前に立った。彼らはアッシュの姿を見ると、不安げに身じろぎした。
「よく集まってくれた」
アッシュは静かに言った。
「今日から、このヴァイスラントを立て直す。だが、俺はこの土地について何も知らない。だから、まずは現状を把握する必要がある。お前たちの力を貸してほしい」

彼は集まった者たちを三つのグループに分けた。
「ジョセフ。お前は年長者たちを連れて、村の歴史や言い伝え、過去の災害について聞き取り調査をしろ。どんな些細な情報でも構わん」
「畏まりました」
老執事は、集まった老人たちに丁寧に頭を下げ、館の一室へと案内していった。

「サイモン殿。お前には若者たちを数人つける。周辺の地理を調べてほしい。水源はどこにあるのか。危険な獣の巣は。盗賊が潜んでいそうな場所は。君の騎士としての経験が頼りだ」
「……了解した」
サイモンはまだ半信半疑だったが、具体的な任務を与えられ、その表情を引き締めた。彼もまた、若者たちを引き連れて荒野へと出発した。

そして、アッシュは残った子供たちと、数人の女性に向き直った。
「お前たちには、俺と一緒に村を回ってもらう。案内役だ」

子供たちは、意外な役目に目を輝かせた。彼らの感情に「興奮:30」という、この土地では珍しい色が灯る。

こうして、ヴァイスラント初の本格的な実地調査が始まった。アッシュは子供たちを先導させ、一軒一軒、廃墟同然の家々を見て回った。彼はただ建物の損壊状況を確認するだけではない。スキル【感情経済】を使い、そこに住む人々の「生の声」を直接読み取っていた。

ある家では、病気の子供を抱いた母親がいた。彼女の感情は「絶望:90」に加えて、「飢え:80」「寒さ:75」「病苦:70」という具体的な苦痛の数値で満ちていた。食料不足による栄養失調が、子供の病状を悪化させているのは明らかだった。

別の家では、腕を怪我した男が一人で暮らしていた。彼の感情は「無力感:85」「痛み:60」。怪我で狩りに出られず、食料を得る手段を失っている。医療という概念が、この村には存在しないのだ。

アッシュは、頭の中にヴァイスラントの地図を描き、そこにスキルで読み取った情報をマッピングしていった。
『北地区:住居の損壊が激しい。「寒さ」の数値が特に高い』
『西地区:病人が集中している。「病苦」「飢え」の数値が深刻』
『東地区:若者が多いが、仕事がなく「無気力」「不満」の数値が高い』

まるで、前世で担当していたエリアの市場調査報告書を作成しているかのようだった。客観的なデータが、問題の核心を浮き彫りにしていく。どの問題も深刻で、早急な対策が必要だった。住居の修繕、医療体制の整備、雇用の創出。課題は山積みだ。

だが、全ての「不満」の根源を辿っていくと、必ず一つの問題に行き着いた。

「食料不足」

飢えているから、病気になる。飢えているから、働く気力も湧かない。飢えているから、わずかな食料を巡って争いが起き、治安が悪化する。全ての負の連鎖は、ここから始まっていた。

調査を終え、夕暮れ時に館に戻ると、ジョセフとサイモンもそれぞれの報告を持って帰還していた。

「アッシュ様。村の古老たちの話によりますと、この土地は五十年前までは、僅かながらも作物が育っていたそうです。しかし、大規模な地滑りで川の流れが変わり、それ以来、土地は痩せ細る一方だとか」
ジョセフの報告は、水源の問題を示唆していた。

「アッシュ殿。周辺の調査を終えた。川は確かに上流で岩に塞き止められている。だが、もっと深刻なのは盗賊の存在だ。村の北西に岩場の多い渓谷がある。そこを根城にしている連中がいるようだ。村人たちが時折襲われ、けちな食料を奪われているらしい」
サイモンの報告は、治安の問題を裏付けた。

三つの調査結果が、机の上に並んだ。水源、治安、そしてアッシュが掴んだ住民たちの生の苦しみ。全てが、絡み合った絶望的な状況を示していた。

サイモンは厳しい顔で言った。
「どこから手をつければいいのか……。治水工事をするにも人手が足りない。盗賊を討伐しようにも、我々だけでは無謀だ」

「その通りだ」
アッシュは静かに頷いた。
「だからこそ、我々が最初に取り組むべきは、治水でも盗賊討伐でもない」

アッシュは、マッピングした地図の中心を指差した。そこには、赤いインクで大きく一つの単語が書かれていた。

『食料』

「全ての元凶はこれだ。腹が減っていては、工事もできんし、戦もできん。領民たちの信頼を得るためには、まず彼らの腹を満たす必要がある。目に見える形で、『アッシュに従えば飢えることはない』と証明するんだ」

彼の言葉は、あまりにも単純で、しかし本質を突いていた。ジョセフは深く頷き、サイモンも反論の言葉を見つけられなかった。

「だが、どうやって?この凍てつく土地で、どうやって食料を確保するというのだ?」
サイモンの当然の疑問に、アッシュは不敵な笑みを浮かべた。

「方法は、ある。俺の故郷の知識を使えばな」

彼の言う故郷とは、もちろん前世の日本のことだ。サイモンやジョセフには知る由もない、異世界のテクノロジー。

アッシュは羊皮紙の上に、炭で一つの簡単な図を描き始めた。それは、木の骨組みを透明な何かで覆った、奇妙な家の絵だった。

「まずは、これを作る。名前は……そうだな、『温室』とでも呼んでおこうか」

その言葉と奇妙な図面を、ジョセフとサイモンは困惑した表情で見つめていた。彼らはまだ知らない。その小さな「温室」が、この絶望の土地に革命をもたらす第一歩となることを。

アッシュの頭の中では、すでに具体的な作業工程と人員配置の計算が始まっていた。課題が可視化された今、あとはそれを一つずつ、最も効率的な方法で解決していくだけだ。彼の本当の領地経営が、今、始まろうとしていた。
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