無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第三十八話:リリアの覚醒

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決戦を前にしたヴァイスラントは、張り詰めた静寂と、熱を帯びた喧騒が同居する奇妙な空間と化していた。ガイウスの指導の下、義勇兵たちの訓練は最終段階に入り、その動きはもはや素人のそれではなくなっていた。だが、アッシュは一つの懸念を抱いていた。

それは、リリアの存在だった。
彼女は、アッシュのメイド兼護衛として、常に彼の傍らに付き従っていた。その忠誠心は揺るぎなく、アッシュに危険が迫れば、あの夜のように超人的な反射神経で彼を守るだろう。
だが、それはあくまでも護衛としての動きだ。彼女はまだ、自らの内に眠る獣の力を、敵を殲滅するための「武器」として使う術を知らなかった。

「リリア。お前も訓練に参加しろ」
ある日の午後、アッシュは練兵場へ向かうリリアに、静かに命じた。
「え……?」
リリアは、大きな瞳を戸惑いで揺らした。
「わ、私は、アッシュ様のお側を離れるわけには……」
彼女の感情は、「困惑:80」「不安:70」。アッシュの護衛という唯一の役割を、手放すことへの恐怖があった。

「これは命令だ」
アッシュの言葉は、有無を言わさなかった。
「これからの戦いでは、俺の傍にいるだけがお前の仕事ではない。お前には、俺の手足となり、俺の剣となって、敵を斬り伏せてもらう必要がある。そのためには、戦い方を学ばねばならん」

アッシュは、リリアをガイウスの元へと連れて行った。
「ガイウス殿。彼女を預ける。今日一日で、戦場で生き残るための最低限の術を叩き込んでほしい」

ガイウスは、華奢な獣人族の少女を一瞥し、訝しげに眉をひそめた。
「アッシュよ。正気か?この嬢ちゃんは、戦士ではない。無理強いは……」

「彼女は、お前が思っているようなか弱い少女ではない」
アッシュはガイウスの言葉を遮った。
「試してみれば、分かる」

ガイウスは、半信半疑ながらも頷いた。彼は、訓練兵の中から最も体格の良いボルグを呼び寄せた。
「ボルグ。その嬢ちゃんを相手に、一本取ってみろ。ただし、訓練用の木剣だ。怪我はさせるなよ」

「はっ!しかし、団長……」
ボルグは、目の前の小さな少女を見て戸惑った。こんな少女に、本気で打ち込めというのか。
「手加減は無用だ」というアッシュの冷たい声に、ボルグは覚悟を決めた。

「嬢ちゃん、悪いな!」
ボルグは叫ぶと、最小限の力で木剣を振り下ろした。誰もが、リリアがその一撃で泣き出すか、倒れるかするだろうと思っていた。

だが、次の瞬間、その場にいた全員が目を疑った。
リリアは、迫り来る木剣を、まるで緩慢な動きでも見るかのように、ひらりとかわしたのだ。それは、訓練された動きではない。野生動物が、危険を本能で察知して避けるような、自然で、流れるような動きだった。

「なっ……!?」
ボルグは驚き、さらに数度、角度を変えて打ち込む。だが、その全てがリリアの体に触れることさえできない。彼女は、最小限の動きで、全ての攻撃を紙一重で見切っていた。

「すごい……」
訓練を見ていた義勇兵たちから、感嘆の声が漏れる。

ガイウスの表情から、侮りの色が消えた。彼の目が、将軍としてのそれに変わる。
(この反射神経と動体視力……常軌を逸している!これが、獣人族の力か!)

「嬢ちゃん、名は?」
「……リリア、です」
「リリア。お前は、ただ避けているだけだ。それでは、戦いには勝てん。反撃しろ。相手の攻撃の隙を見つけ、そこに自分の攻撃を叩き込むんだ」

ガイウスの的確な指示が飛ぶ。
だが、リリアは戸惑ったように首を横に振った。
「で、でも……人を傷つけるなんて……できません……」
彼女の心には、まだ奴隷として虐げられてきた頃の恐怖が、深く根付いていた。他者を傷つければ、自分がもっと酷い目に遭う。その恐怖が、彼女の攻撃本能に枷をかけていた。

「甘ったれるな!」
ガイウスの怒声が響く。
「戦場では、お前がやらねば、仲間がやられる!お前の主であるアッシュが、その命を危険に晒すことになるんだぞ!」

アッシュが危険に。
その言葉が、リリアの心に突き刺さった。彼女の脳裏に、袖が燃えかけたアッシュの姿と、彼を守らなければという強い衝動が蘇る。

(アッシュ様を……守る……)

その時、彼女の瞳の色が変わった。純粋な少女のそれから、獲物を狙う肉食獣の、鋭い光を宿した瞳へと。

ボルグが、再び木剣を振り下ろす。
今度のリリアは、避けなかった。
彼女は、攻撃の軌道を完全に見切ると、その懐に雷光の速さで潜り込んだ。そして、その小さな体からは想像もつかないほどの力で、ボルグの鳩尾に掌底を叩き込んだ。

「ぐふっ……!」
ボルグの巨体が、「く」の字に折れ曲がり、数メートル後方まで吹き飛ばされた。彼は地面を転がり、咳き込みながら立ち上がることができない。一撃。たった一撃で、義勇兵最強の男が沈黙させられたのだ。

練兵場が、再び静寂に包まれた。誰もが、その信じられない光景に言葉を失っている。

リリア自身も、自分のしたことに驚き、その小さな手を見つめていた。
(私が……やったの……?)

「……見事だ」
ガイウスが、感嘆と畏怖が混じった声で呟いた。
「これが、お前の力だ、リリア。お前は、誰よりも強い。その力は、お前の大切な者を守るためにある」

ガイウスの言葉が、リリアの心に深く染み渡った。
大切な者。アッシュ様。
彼女の心の中で、最後の枷が外れた。恐怖は、守るべき者のための、強大な力へと昇華された。

アッシュは、その一部始終を、離れた場所から静かに見ていた。
彼のスキルが、リリアの感情の変化を捉える。
「恐怖」が完全に消え去り、代わりに「自信:80」「覚悟:90」、そしてアッシュに対する「守護欲:100」という、燃えるように熱い感情が彼女の心を支配していた。

アッシュは、リリアに二本の短い剣――ギムリが彼女の体格に合わせて特別に打った、軽量で鋭いショートソードを渡した。
「リリア。お前の剣は、俺のために振るえ。俺の敵は、お前の敵だ」

「はい、アッシュ様」
リリアは、その二本の剣を手に取り、深く頷いた。その姿はもはや、怯えた奴隷の少女ではなかった。銀色の髪を風になびかせ、二本の牙を携えた、美しくも恐ろしい「銀閃の獣」。

ヴァイスラント防衛軍に、最強の戦士が誕生した瞬間だった。彼女の覚醒は、絶望的な戦力差を覆すための、重要な切り札の一つとなった。
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