無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第七十話:公爵家当主

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アルフォンスの断罪劇は、帝都の貴族社会に大きな爪痕を残した。ヴェルヘイム公爵家は次期当主を失い、その権威は地に堕ちた。誰もがこの名門の行く末を案じ、あるいはその没落を密かに喜んでいた。

そんな中、アッシュは次なる一手として、父グレイグが署名した公爵位の譲渡書を正式に皇帝へと提出した。
皇帝はその書類を黙って受け取った。彼にとって、これは想定内の動きだった。アルフォンスを失い、老いたグレイグにはもはや家をまとめる力はない。英雄として民衆の支持を集めるアッシュが家督を継ぐのは、むしろ自然な流れだった。
皇帝はアッシュをヴェルヘイム家の当主として公式に認める勅許状を発行した。

こうして、アッシュ・フォン・ヴェルヘイムは、二十歳にも満たない若さで帝国でも五指に入る大貴族、ヴェルヘイム公爵家の当主となった。
かつて「出来損ない」と蔑まれ、この家から追放された少年が、今やその頂点に立ったのだ。

その報せが屋敷に届いた日、アッシュは隠居した父グレイグが住む離れの館を訪れた。
グレイグは庭の花を眺めながら、静かに茶をすすっていた。その姿はもはや権力者のものではなく、ただの穏やかな老人にしか見えなかった。

「……来たか」
グレイグはアッシュの気配に気づき、振り返ることなく言った。
「聞いたぞ。お前がこの家の新しい当主になったと」

「ええ」
アッシュは静かに答えた。
「父上が望んだ通り、ヴェルヘイム家は最も力ある者の手に渡りました」

その言葉には皮肉が込められていた。グレイグは力なき者を切り捨て、力ある者だけを評価してきた。その結果、最も力を持ったアッシュが全てを手に入れることになったのだ。

グレイグはゆっくりと振り返った。その顔には怒りも憎しみもなかった。ただ、深い疲労と諦観があるだけだった。
「……一つ、聞かせてくれ」
「何でしょう」

「お前はいつからこうなることを計画していたのだ? お前があの夜会で追放された時からか? いや、もっと前からか……?」
それは彼がずっと抱いていた疑問だった。自分が見ていた、あの無気力で病弱な三男は一体どこからが演技で、どこからが本物だったのか。

アッシュは少しの間黙考した。そして、静かに答えた。
「計画などありませんでしたよ、父上」

「……何?」

「俺はただ生き残りたかっただけです。誰にも利用されず、誰にも脅かされない安楽な生活がしたかった。ただ、それだけのために目の前の障害を一つずつ、最も効率的な方法で排除してきたに過ぎません」
アッシュの言葉に嘘はなかった。それは彼の偽らざる本心だった。

「あなたが俺を出来損ないと見下したから、俺はあなたの知らないところで力をつけた。兄上たちが俺を陥れようとしたから、俺は彼らの上を行く策を練った。皇帝陛下が俺を利用しようとしたから、俺は逆に陛下を利用した。ただ、それだけのことです」
彼は誰かに反応して動いてきただけだ。だが、その反応が誰の予測も超えるほど的確で、冷徹で、そして致命的だったのだ。

グレイグはその言葉の意味をようやく理解した。
目の前にいるこの息子は怪物だ。だが、その怪物を生み出したのは紛れもなく自分自身だったのだ。
「……そうか」
グレイグは力なく笑った。
「全てはわしが蒔いた種だったというわけか……」

彼はもうアッシュを問い詰める気力を失っていた。彼は立ち上がると、屋敷の奥へとゆっくりと歩き始めた。
「もう好きにするがいい。この家も、帝国の未来も、お前の好きに……」
その背中はあまりにも小さく、そして寂しかった。

アッシュはその背中を何の感情もなく見送った。
父との対峙は彼に何の感慨ももたらさなかった。復讐の対象であったはずの父は、今やただの無力な老人でしかなかったからだ。

彼が当主の座を奪い取ったという事実は、彼にとって一つの事業計画が完了した以上の意味を持たなかった。

その夜。
アッシュはかつて父が使っていた広大な当主の執務室に一人立っていた。壁には歴代当主の肖像画が並び、彼らを無言で見下ろしている。

彼は窓際に立つと、帝都の夜景を眺めた。
兄たちを破り、父を隠居させ、公爵家の頂点に立った。
彼の復讐は終わった。
だが、彼の心は奇妙なほど静まり返っていた。達成感も喜びも、そして安らぎさえもそこにはなかった。

(これが、俺の望んだものだったのか……?)

自問自答する。答えはすぐには出なかった。
安楽な生活。それが彼の唯一の願いだったはずだ。だが、今の彼が手に入れたのは帝国で最も重い責任と、数え切れないほどの敵意だけだった。安楽とは程遠い場所。

その時、執務室の扉が静かにノックされた。
「……入れ」

入ってきたのはメイド服姿のリリアだった。彼女は温かいミルクティーが乗った盆を手にしていた。
「アッシュ様、お疲れかと思いまして……」
彼女はアッシュの表情に、これまで見たことのない僅かな翳りがあるのを感じ取っていた。

彼女は何も聞かなかった。ただ、静かにアッシュの隣に立つと、彼と同じように窓の外の夜景を眺めた。
その小さな温かい存在が、アッシュの心に巣食っていた空虚な静けさを少しだけ和らげてくれるのを彼は感じていた。

復讐を終えた。だが、何も得られなかった。
むしろ、何か大切なものを失ってしまったような気さえする。
彼はリリアの頭にそっと手を置いた。銀色の髪の柔らかな感触。
その温かさだけが、今の彼にとって唯一の真実のように思えた。

彼は自分が本当に求めていたものが、権力や復讐の先にあるのではない、もっとささやかで温かい何かだったのかもしれないと、この時初めて気づき始めていた。
だが、彼はもう引き返すことのできない場所まで来てしまっていた。
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