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第3話 私だけの騎士様
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私の言葉に、彼は金の瞳を瞬かせた。
その表情には純粋な驚きと、そしてかすかな戸惑いの色が浮かんでいた。
「君が……俺の名前を?」
「はい。あなたが思い出せないのなら、私がつけます。あなたは、もう『誰か』ではない。名前のある、ちゃんとした一人の人です」
まっすぐ彼の目を見て言い切ると、彼は何かを堪ええるようにそっと目を伏せた。
その仕草が、彼の長い孤独の時間を物語っているようで、私の胸がちくりと痛んだ。
「名前……」
彼は小さく呟いた。
まるで、初めて聞く言葉のように。あるいは、ずっと昔に忘れてしまった宝物のように。
私は彼の返事を待たずに、必死に頭を働かせた。
どんな名前がいいだろう。
彼にふさわしい、素敵な名前。
視線は自然と、彼の金の瞳に吸い寄せられた。
暗い部屋の中で、そこだけが確かな光を放っているように見える。まるで、夜空に輝く星のようだ。そうだ、光。この人は、私の絶望という名の暗闇に差し込んだ、一筋の光だ。
「ルーク」
ぽつりと、その名前が口をついて出た。
「ルーク……?」
「はい。ルークです。古い言葉で『光をもたらす者』という意味があると、昔、母の蔵書で読んだことがあります。あなたの瞳は、夜を照らす月光のようですから」
それに、と私は言葉を続ける。
「あなたは、私の光になってくれるような気がしたんです」
それは、ほとんど祈りに近い願いだった。
我ながら恥ずかしいことを言ったかもしれない。けれど、それが私の偽らざる気持ちだった。
言い終えると、彼は伏せていた顔をゆっくりと上げた。
その金の瞳が、先ほどよりも強く、熱を帯びた光で揺らめいている。彼は、私のつけた名前を、自分の舌で確かめるようにゆっくりと繰り返した。
「ルーク……。俺の名前は、ルーク……」
そして、ふっと息を吐くように、彼は微笑んだ。
それは、今まで見せたどんな表情よりも穏やかで、心の底からの喜びに満ちた笑みだった。
「いい名前だ。気に入った。ありがとう、リリアーナ」
名前で呼ばれた。
父にも、義母にも、妹にも、一度だって優しく呼ばれたことのない私の名前。
彼が口にすると、まるで美しい魔法の呪文のように聞こえた。
「今日から、俺はルークだ。君がくれた、君だけのルークだ」
その瞬間、ルークは自分の魂を縛り付けていた見えない鎖が、ほんの少しだけ緩んだような不思議な感覚を覚えた。まるで、今まで動かせなかった手足の可動域が、ほんのわずかに広がったかのように。彼はその変化に戸惑いながらも、その原因が目の前の少女の存在そのものであることを、魂の奥底で理解していた。
君だけの。
その言葉が、私の心に甘く響く。
この人は、私のもの。私だけの、秘密の騎士様。
ルークは、私の前にそっと跪いた。
まるで本物の騎士が、主君に忠誠を誓うように。彼の姿は少し透けているけれど、その仕草には確かな重みと誠意がこもっていた。
「リリアーナ。君が今まで、どれほど孤独で、辛い日々を送ってきたか、僕は全て見ていた」
彼の声は、ひどく優しい。
「君がたった一人で涙を流す夜も、心を殺して痛みに耐えていた昼も、僕はそばにいた。けれど、何もできなかった。声をかけることも、その涙を拭ってやることもできなかった」
その声には、深い悔しさが滲んでいた。
彼は、自分を責めているのだ。無力だった自分を。
「違うんです」
私は慌てて首を横に振った。
「あなたは、そこにいてくれた。それだけで、私は……」
「いいや」
ルークは、私の言葉を遮るように静かに言った。
「これからは、もう違う。僕はもう、ただ見ているだけの存在じゃない。君が僕を見つけてくれた。名前をくれた。君のおかげで、僕は確かな意思を持ってここにいる」
彼は顔を上げ、私の瞳をまっすぐに見据えた。
その金の瞳に宿る光は、何よりも強く、何よりも真摯だった。
「だから、誓おう。リリアー-ナ」
彼の声が、静まり返った部屋に厳かに響く。
「これからは、僕が君のそばにいる。君が笑えるように、君がもう二度と傷つかないように、僕が君を守る。この魂に懸けて」
「僕だけは、何があっても君の絶対的な味方だ。君を疑わない。君を否定しない。君が君らしくいられる場所を、僕が作ってやる」
「だから、もう一人で泣かないでくれ」
それは、私が生まれて初めて受け取った、無条件の肯定の言葉だった。
呪われていると言われ、汚点だと蔑まれ、存在しないものとして扱われてきた私。
そんな私の全てを、彼は受け入れ、守ると言ってくれている。
味方、という言葉の響きが、どれほど温かいものか、私は初めて知った。
堰を切ったように、涙が溢れ出した。
でも、それはもう悲しみの涙ではなかった。冷たい絶望の雫ではなかった。
胸の奥からじんわりと湧き上がってくる、温かい喜びの涙だった。
「う……っ、あ……」
声にならない嗚咽が漏れる。
みっともない姿だと思った。けれど、涙は止まってくれない。十六年分の孤独が、彼の優しさに触れて溶け出していくようだった。
そんな私の姿を、ルークはただ静かに、慈しむような目で見守っていた。
彼が伸ばした手が、私の頬にそっと触れる。
霊体である彼の指は、私の肌をすり抜けてしまうはずなのに。なぜか、ほんのりと温かい感触がしたような気がした。
「ありがとう……、ルーク……」
私は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、それでも何とか微笑んでみせた。
「ありがとう……、私の、騎士様」
その言葉に、ルークは満足そうに目を細めた。そして、今までで一番優しい声で、こう言ったのだ。
「ああ。僕は、君だけの騎士だ」
この日、この瞬間。
私の孤独な世界は、終わりを告げた。
名もなき縛霊は私の光となり、私の騎士となった。そして、幽霊令嬢と呼ばれた私の、新しい物語が静かに幕を開けたのだった。
その表情には純粋な驚きと、そしてかすかな戸惑いの色が浮かんでいた。
「君が……俺の名前を?」
「はい。あなたが思い出せないのなら、私がつけます。あなたは、もう『誰か』ではない。名前のある、ちゃんとした一人の人です」
まっすぐ彼の目を見て言い切ると、彼は何かを堪ええるようにそっと目を伏せた。
その仕草が、彼の長い孤独の時間を物語っているようで、私の胸がちくりと痛んだ。
「名前……」
彼は小さく呟いた。
まるで、初めて聞く言葉のように。あるいは、ずっと昔に忘れてしまった宝物のように。
私は彼の返事を待たずに、必死に頭を働かせた。
どんな名前がいいだろう。
彼にふさわしい、素敵な名前。
視線は自然と、彼の金の瞳に吸い寄せられた。
暗い部屋の中で、そこだけが確かな光を放っているように見える。まるで、夜空に輝く星のようだ。そうだ、光。この人は、私の絶望という名の暗闇に差し込んだ、一筋の光だ。
「ルーク」
ぽつりと、その名前が口をついて出た。
「ルーク……?」
「はい。ルークです。古い言葉で『光をもたらす者』という意味があると、昔、母の蔵書で読んだことがあります。あなたの瞳は、夜を照らす月光のようですから」
それに、と私は言葉を続ける。
「あなたは、私の光になってくれるような気がしたんです」
それは、ほとんど祈りに近い願いだった。
我ながら恥ずかしいことを言ったかもしれない。けれど、それが私の偽らざる気持ちだった。
言い終えると、彼は伏せていた顔をゆっくりと上げた。
その金の瞳が、先ほどよりも強く、熱を帯びた光で揺らめいている。彼は、私のつけた名前を、自分の舌で確かめるようにゆっくりと繰り返した。
「ルーク……。俺の名前は、ルーク……」
そして、ふっと息を吐くように、彼は微笑んだ。
それは、今まで見せたどんな表情よりも穏やかで、心の底からの喜びに満ちた笑みだった。
「いい名前だ。気に入った。ありがとう、リリアーナ」
名前で呼ばれた。
父にも、義母にも、妹にも、一度だって優しく呼ばれたことのない私の名前。
彼が口にすると、まるで美しい魔法の呪文のように聞こえた。
「今日から、俺はルークだ。君がくれた、君だけのルークだ」
その瞬間、ルークは自分の魂を縛り付けていた見えない鎖が、ほんの少しだけ緩んだような不思議な感覚を覚えた。まるで、今まで動かせなかった手足の可動域が、ほんのわずかに広がったかのように。彼はその変化に戸惑いながらも、その原因が目の前の少女の存在そのものであることを、魂の奥底で理解していた。
君だけの。
その言葉が、私の心に甘く響く。
この人は、私のもの。私だけの、秘密の騎士様。
ルークは、私の前にそっと跪いた。
まるで本物の騎士が、主君に忠誠を誓うように。彼の姿は少し透けているけれど、その仕草には確かな重みと誠意がこもっていた。
「リリアーナ。君が今まで、どれほど孤独で、辛い日々を送ってきたか、僕は全て見ていた」
彼の声は、ひどく優しい。
「君がたった一人で涙を流す夜も、心を殺して痛みに耐えていた昼も、僕はそばにいた。けれど、何もできなかった。声をかけることも、その涙を拭ってやることもできなかった」
その声には、深い悔しさが滲んでいた。
彼は、自分を責めているのだ。無力だった自分を。
「違うんです」
私は慌てて首を横に振った。
「あなたは、そこにいてくれた。それだけで、私は……」
「いいや」
ルークは、私の言葉を遮るように静かに言った。
「これからは、もう違う。僕はもう、ただ見ているだけの存在じゃない。君が僕を見つけてくれた。名前をくれた。君のおかげで、僕は確かな意思を持ってここにいる」
彼は顔を上げ、私の瞳をまっすぐに見据えた。
その金の瞳に宿る光は、何よりも強く、何よりも真摯だった。
「だから、誓おう。リリアー-ナ」
彼の声が、静まり返った部屋に厳かに響く。
「これからは、僕が君のそばにいる。君が笑えるように、君がもう二度と傷つかないように、僕が君を守る。この魂に懸けて」
「僕だけは、何があっても君の絶対的な味方だ。君を疑わない。君を否定しない。君が君らしくいられる場所を、僕が作ってやる」
「だから、もう一人で泣かないでくれ」
それは、私が生まれて初めて受け取った、無条件の肯定の言葉だった。
呪われていると言われ、汚点だと蔑まれ、存在しないものとして扱われてきた私。
そんな私の全てを、彼は受け入れ、守ると言ってくれている。
味方、という言葉の響きが、どれほど温かいものか、私は初めて知った。
堰を切ったように、涙が溢れ出した。
でも、それはもう悲しみの涙ではなかった。冷たい絶望の雫ではなかった。
胸の奥からじんわりと湧き上がってくる、温かい喜びの涙だった。
「う……っ、あ……」
声にならない嗚咽が漏れる。
みっともない姿だと思った。けれど、涙は止まってくれない。十六年分の孤独が、彼の優しさに触れて溶け出していくようだった。
そんな私の姿を、ルークはただ静かに、慈しむような目で見守っていた。
彼が伸ばした手が、私の頬にそっと触れる。
霊体である彼の指は、私の肌をすり抜けてしまうはずなのに。なぜか、ほんのりと温かい感触がしたような気がした。
「ありがとう……、ルーク……」
私は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、それでも何とか微笑んでみせた。
「ありがとう……、私の、騎士様」
その言葉に、ルークは満足そうに目を細めた。そして、今までで一番優しい声で、こう言ったのだ。
「ああ。僕は、君だけの騎士だ」
この日、この瞬間。
私の孤独な世界は、終わりを告げた。
名もなき縛霊は私の光となり、私の騎士となった。そして、幽霊令嬢と呼ばれた私の、新しい物語が静かに幕を開けたのだった。
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