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第27話 初めての友人
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新入生代表挨拶という嵐のような出来事が過ぎ去り、私の学園生活は本格的に始まった。
最初の授業は「魔法史」。
大講堂とは違う少し小さな教室には、私を含め五十名ほどの新入生が集められていた。クラス分けは身分に関係なく成績順に行われたらしく、私の周りにはいかにも聡明そうな顔つきの生徒たちが座っている。
それでも、私の周りだけはぽっかりと空間が空いていた。
主席合格という栄誉と代表挨拶で見せた毅然とした態度は、他の生徒たちにとって近寄りがたい壁となっているようだった。誰もが遠巻きに私を眺めるだけで、話しかけてくる者は一人もいない。
まあ、いい。
私は元々一人でいることには慣れている。それに、私にはルークがいる。
そう自分に言い聞かせ、私は背筋を伸ばして教壇に立つ教授の話に耳を傾けた。
授業は古代魔法文明の成り立ちについてだった。
教授が壁にかけられた古い地図を指し示しながら説明を進めていく。その内容は、ルークが私に語ってくれたものとほとんど同じだった。
「――さて、では新入生諸君。この古代魔法語で書かれた石碑の碑文、誰か読める者はいるかな?」
教授が魔法で映し出した一枚の石板の画像を指して言った。
そこには現代の文字とは全く違う、ミミズが這ったような複雑な文様が刻まれている。
教室がしんと静まり返った。古代魔法語は貴族教育の中でも特に専門的な分野だ。ほとんどの生徒が初めて見る文字に戸惑っている。
「……ふむ。やはり新入生には難しかったかな」
教授が諦めかけたように溜息をついた、その時だった。
私は静かに手を挙げた。
その瞬間、教室中の視線が再び私に集中した。
驚き、疑い、そして嘲り。様々な感情が入り混じった視線が突き刺さる。
「おお、エルシュタット嬢。君か。……よろしい、読んでみたまえ」
教授は期待と半信半疑が入り混じったような顔で私を促した。
私は立ち上がり、淀みなく石碑の文字を読み上げていく。
「『光、闇より生まれ、闇、光を飲み込まん。されど、世界を巡る大いなる意志は、二つを分かち、二つを紡ぎ、永遠の調和をもたらすべし』……と、記されております」
「なっ……!?」
教授が絶句した。
私の発音は完璧で、その解釈にも一切の誤りがなかったからだ。
「そ、その通りだ……。素晴らしい! エルシュタット嬢、君はどこでこれほどの古代語を?」
「古い書物を読むのが好きでしたので」
私はルークに教わった通りの模範解答を口にして、静かに席に着いた。
教室は先ほど以上の沈黙に包まれていた。もはや私を嘲る者はいなかった。ただ、得体の知れないものを見るような畏怖の念だけがその場を支配していた。
最初の授業が終わり、昼休みを告げる鐘が鳴った。
私は教科書を鞄にしまい、一人で席を立つ。
誰かと昼食を共にする約束などもちろんない。広大な学食の片隅で、一人静かに食事を済ませるつもりだった。
私が教室を出ようとした、その時だった。
「あ、あのっ!」
背後から少し上ずった快活な声が私を呼び止めた。
振り返ると、そこに一人の少女が立っていた。
そばかすの散った快活そうな顔に、栗色の髪を二つのおさげにしている。制服は少し着古しているようで、彼女が平民出身であることが窺えた。
彼女は緊張で頬を赤らめながらも、その大きな瞳をきらきらと輝かせて私を見ていた。
「エルシュタットさん! ですよね! わ、私、アンナって言います!」
「……ええ。リリアーナ・フォン・エルシュタットですわ」
初めて同年代の生徒から話しかけられ、私は少し戸惑いながらも名乗った。
「さっきの、すごかったです! 古代魔法語! 完璧でした! 特に最後の『大いなる意志』の部分の解釈! 普通は『神』って訳す人が多いのに、もっと中立的な概念として捉えるなんて……! どんな文献を参考にされたんですか!?」
アンナと名乗った少女は、矢継ぎ早に興奮した様子で私に尋ねてきた。
その瞳には嫉妬や好奇ではなく、純粋な知識欲と尊敬の色だけが浮かんでいた。こんな目を向けられたのは生まれて初めてのことだった。
「え、ええと……それは……」
『古代ゼーレ王朝初期の哲学者、アグニスの論文だよ。図書館の禁書庫にしかないはずだが』
ルークの助け舟に、私は心の中で感謝した。
「古い哲学者の論文を少し……。図書館で偶然見つけまして」
「やっぱり! そうなんだ! 私もその説が一番しっくりくると思ってたんです! ああ、なんだか嬉しいな!」
アンナは自分のことのように喜んで、にぱっと笑った。
その屈託のない笑顔に、私の心の壁がほんの少しだけ溶けていくのを感じた。
「あの、エルシュタットさん! もしよかったら……その、一緒にお昼食べませんか?」
おずおずと、しかし期待に満ちた瞳で彼女は私を誘ってくれた。
誰かと食事を共にする。
そんな当たり前のことが、私にとっては未知の世界だった。
どう返事をすればいいのか分からずにいると、不意に私たちの会話に横柄な声が割り込んできた。
「おいおい、なんだ? 平民が、あの『聖女様』に馴れ馴れしく話しかけてるぜ」
見ると、三人の男子生徒が私たちを嘲るように取り囲んでいた。
代表挨拶の時に私の後ろの席から敵意を向けてきていたグループだった。彼らの制服には上級貴族であることを示す金糸の刺繍が施されている。
「エルシュタット嬢。あんたも、あんな見世物の後だ。さぞお疲れだろう。俺たちのようなまともな貴族と食事でもどうだ? 平民の相手なんぞ、時間の無駄だろう」
リーダー格の金髪の生徒が、嫌らしい笑みを浮かべて私の腕に手を伸ばしてきた。
私はさっと身を引いてその手を避ける。
「お断りいたしますわ。わたくしはどなたと食事をするか、自分で決める権利がございますので」
「なんだと、この……!」
私の毅然とした態度に男たちの顔色が変わった。
彼らがさらに何かを言おうと一歩踏み出した、その時だった。
「――そこまでにしておけ。見苦しいぞ」
低く、しかしよく通る声が男たちの動きを制した。
声のした方を見ると、教室の入り口に一人の少年が腕を組んで立っていた。
燃えるような赤毛を短く刈り込み、がっしりとした体格をしている。その瞳は騎士のように真っ直гуで、強い意志の光を宿していた。
「な、カイン……! テメェ、何のつもりだ!」
「見ての通りだ。多勢に無勢で女子生徒を脅すのが、お前たちの言う『まともな貴族』のやることか?」
カインと呼ばれた少年は一歩も引かずに金髪の生徒を睨みつけた。
その堂々とした態度に、男たちはたじろいでいる。
「カイン・フォン・ヴァルガス……! 覚えてやがれ!」
金髪の生徒は捨て台詞を吐くと、仲間たちと共にバツが悪そうに教室を出て行った。
後に残されたのは私とアンナ、そしてカインと名乗った少年だけだった。
カインは私たちの方へ無骨な足取りで歩み寄ってくると、ぶっきらぼうに言った。
「大丈夫か? エルシュタット嬢」
「……はい。助けていただき、ありがとうございます。ヴァルガス様」
彼の家名は代々王国に仕える騎士を輩出してきた、実直さで知られる伯爵家だ。
「カインでいい。様付けはむず痒い」
彼はそう言うと、私の前の空いている席にどかりと腰を下ろした。
「ここ、空いてるだろ。俺も一緒に食っていいか?」
「え……?」
「わ、私もいいですか!?」
私の返事を待たずに、アンナも目を輝かせて隣の席に座った。
こうして、思いがけない形で私の初めての学食での昼食は、三人でテーブルを囲むことになった。
最初はぎこちない沈黙が流れた。
だが、それを破ったのはアンナのマシンガントークだった。
「カインさんは騎士科なんですよね!? すごいなあ! やっぱり訓練とか厳しいんですか!? そういえば、騎士が使う魔力剣ってどういう仕組みで魔力を増幅させてるんでしょう!? 私、ずっと気になってて!」
「お、おい、落ち着け。一つずつ質問しろ」
アンナの勢いにカインがタジタジになっている。
そのやり取りがなんだかおかしくて、私の口元からくすりと小さな笑いが漏れた。
その瞬間、二人の視線が私に集中した。
私ははっとして慌てて口元を覆った。
人前で、笑うなんて。
「……なんだ。お前、そんな風に笑うんだな」
カインが少し驚いたように、でもどこか柔らかい表情で言った。
「す、すみません……」
「謝るなよ。そっちの方がずっといい」
彼のストレートな言葉に、私は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
その日、私たちは本当に他愛もない話をした。
アンナが熱く語る魔道具の魅力。カインが語る、厳しいけれど充実した騎士の訓練の日々。
私は相槌を打つのが精一杯だったけれど、二人の話を聞いているだけで心が温かくなっていくのが分かった。
昼休みが終わり、それぞれの教室へ戻る時だった。
「じゃあな、リリアーナ」
カインが当たり前のように私の名前を呼んだ。
「また明日お話ししましょうね、リリアーナさん!」
アンナも満面の笑みで手を振ってくれる。
リリアーナ。
そう呼ばれただけなのに、胸の奥がきゅうんと甘く締め付けられた。
一人、寮への帰り道を歩きながら私は今日という一日を反芻していた。
初めて同年代の生徒と話した。
初めて誰かと一緒に食事をした。
初めて名前を呼ばれた。
そして、初めて「友人」と呼べる存在ができた。
『良かったな、リリアーナ』
ルークの声が私の心に優しく響いた。
『君の世界がまた一つ、広がった』
私は誰にも見えない彼に向かって、静かに微笑み返した。
一人だと思っていた学園生活。
でも、もう違う。
私にはアンナとカインという、新しい光ができたのだ。
その光はまだ小さくて、ささやかかもしれない。
けれど、それは私の心を照らすには十分すぎるほど温かくて、力強い光だった。
明日が来るのがこんなにも楽しみだなんて。
私はそんな単純な幸福を、生まれて初めて噛み締めていた。
最初の授業は「魔法史」。
大講堂とは違う少し小さな教室には、私を含め五十名ほどの新入生が集められていた。クラス分けは身分に関係なく成績順に行われたらしく、私の周りにはいかにも聡明そうな顔つきの生徒たちが座っている。
それでも、私の周りだけはぽっかりと空間が空いていた。
主席合格という栄誉と代表挨拶で見せた毅然とした態度は、他の生徒たちにとって近寄りがたい壁となっているようだった。誰もが遠巻きに私を眺めるだけで、話しかけてくる者は一人もいない。
まあ、いい。
私は元々一人でいることには慣れている。それに、私にはルークがいる。
そう自分に言い聞かせ、私は背筋を伸ばして教壇に立つ教授の話に耳を傾けた。
授業は古代魔法文明の成り立ちについてだった。
教授が壁にかけられた古い地図を指し示しながら説明を進めていく。その内容は、ルークが私に語ってくれたものとほとんど同じだった。
「――さて、では新入生諸君。この古代魔法語で書かれた石碑の碑文、誰か読める者はいるかな?」
教授が魔法で映し出した一枚の石板の画像を指して言った。
そこには現代の文字とは全く違う、ミミズが這ったような複雑な文様が刻まれている。
教室がしんと静まり返った。古代魔法語は貴族教育の中でも特に専門的な分野だ。ほとんどの生徒が初めて見る文字に戸惑っている。
「……ふむ。やはり新入生には難しかったかな」
教授が諦めかけたように溜息をついた、その時だった。
私は静かに手を挙げた。
その瞬間、教室中の視線が再び私に集中した。
驚き、疑い、そして嘲り。様々な感情が入り混じった視線が突き刺さる。
「おお、エルシュタット嬢。君か。……よろしい、読んでみたまえ」
教授は期待と半信半疑が入り混じったような顔で私を促した。
私は立ち上がり、淀みなく石碑の文字を読み上げていく。
「『光、闇より生まれ、闇、光を飲み込まん。されど、世界を巡る大いなる意志は、二つを分かち、二つを紡ぎ、永遠の調和をもたらすべし』……と、記されております」
「なっ……!?」
教授が絶句した。
私の発音は完璧で、その解釈にも一切の誤りがなかったからだ。
「そ、その通りだ……。素晴らしい! エルシュタット嬢、君はどこでこれほどの古代語を?」
「古い書物を読むのが好きでしたので」
私はルークに教わった通りの模範解答を口にして、静かに席に着いた。
教室は先ほど以上の沈黙に包まれていた。もはや私を嘲る者はいなかった。ただ、得体の知れないものを見るような畏怖の念だけがその場を支配していた。
最初の授業が終わり、昼休みを告げる鐘が鳴った。
私は教科書を鞄にしまい、一人で席を立つ。
誰かと昼食を共にする約束などもちろんない。広大な学食の片隅で、一人静かに食事を済ませるつもりだった。
私が教室を出ようとした、その時だった。
「あ、あのっ!」
背後から少し上ずった快活な声が私を呼び止めた。
振り返ると、そこに一人の少女が立っていた。
そばかすの散った快活そうな顔に、栗色の髪を二つのおさげにしている。制服は少し着古しているようで、彼女が平民出身であることが窺えた。
彼女は緊張で頬を赤らめながらも、その大きな瞳をきらきらと輝かせて私を見ていた。
「エルシュタットさん! ですよね! わ、私、アンナって言います!」
「……ええ。リリアーナ・フォン・エルシュタットですわ」
初めて同年代の生徒から話しかけられ、私は少し戸惑いながらも名乗った。
「さっきの、すごかったです! 古代魔法語! 完璧でした! 特に最後の『大いなる意志』の部分の解釈! 普通は『神』って訳す人が多いのに、もっと中立的な概念として捉えるなんて……! どんな文献を参考にされたんですか!?」
アンナと名乗った少女は、矢継ぎ早に興奮した様子で私に尋ねてきた。
その瞳には嫉妬や好奇ではなく、純粋な知識欲と尊敬の色だけが浮かんでいた。こんな目を向けられたのは生まれて初めてのことだった。
「え、ええと……それは……」
『古代ゼーレ王朝初期の哲学者、アグニスの論文だよ。図書館の禁書庫にしかないはずだが』
ルークの助け舟に、私は心の中で感謝した。
「古い哲学者の論文を少し……。図書館で偶然見つけまして」
「やっぱり! そうなんだ! 私もその説が一番しっくりくると思ってたんです! ああ、なんだか嬉しいな!」
アンナは自分のことのように喜んで、にぱっと笑った。
その屈託のない笑顔に、私の心の壁がほんの少しだけ溶けていくのを感じた。
「あの、エルシュタットさん! もしよかったら……その、一緒にお昼食べませんか?」
おずおずと、しかし期待に満ちた瞳で彼女は私を誘ってくれた。
誰かと食事を共にする。
そんな当たり前のことが、私にとっては未知の世界だった。
どう返事をすればいいのか分からずにいると、不意に私たちの会話に横柄な声が割り込んできた。
「おいおい、なんだ? 平民が、あの『聖女様』に馴れ馴れしく話しかけてるぜ」
見ると、三人の男子生徒が私たちを嘲るように取り囲んでいた。
代表挨拶の時に私の後ろの席から敵意を向けてきていたグループだった。彼らの制服には上級貴族であることを示す金糸の刺繍が施されている。
「エルシュタット嬢。あんたも、あんな見世物の後だ。さぞお疲れだろう。俺たちのようなまともな貴族と食事でもどうだ? 平民の相手なんぞ、時間の無駄だろう」
リーダー格の金髪の生徒が、嫌らしい笑みを浮かべて私の腕に手を伸ばしてきた。
私はさっと身を引いてその手を避ける。
「お断りいたしますわ。わたくしはどなたと食事をするか、自分で決める権利がございますので」
「なんだと、この……!」
私の毅然とした態度に男たちの顔色が変わった。
彼らがさらに何かを言おうと一歩踏み出した、その時だった。
「――そこまでにしておけ。見苦しいぞ」
低く、しかしよく通る声が男たちの動きを制した。
声のした方を見ると、教室の入り口に一人の少年が腕を組んで立っていた。
燃えるような赤毛を短く刈り込み、がっしりとした体格をしている。その瞳は騎士のように真っ直гуで、強い意志の光を宿していた。
「な、カイン……! テメェ、何のつもりだ!」
「見ての通りだ。多勢に無勢で女子生徒を脅すのが、お前たちの言う『まともな貴族』のやることか?」
カインと呼ばれた少年は一歩も引かずに金髪の生徒を睨みつけた。
その堂々とした態度に、男たちはたじろいでいる。
「カイン・フォン・ヴァルガス……! 覚えてやがれ!」
金髪の生徒は捨て台詞を吐くと、仲間たちと共にバツが悪そうに教室を出て行った。
後に残されたのは私とアンナ、そしてカインと名乗った少年だけだった。
カインは私たちの方へ無骨な足取りで歩み寄ってくると、ぶっきらぼうに言った。
「大丈夫か? エルシュタット嬢」
「……はい。助けていただき、ありがとうございます。ヴァルガス様」
彼の家名は代々王国に仕える騎士を輩出してきた、実直さで知られる伯爵家だ。
「カインでいい。様付けはむず痒い」
彼はそう言うと、私の前の空いている席にどかりと腰を下ろした。
「ここ、空いてるだろ。俺も一緒に食っていいか?」
「え……?」
「わ、私もいいですか!?」
私の返事を待たずに、アンナも目を輝かせて隣の席に座った。
こうして、思いがけない形で私の初めての学食での昼食は、三人でテーブルを囲むことになった。
最初はぎこちない沈黙が流れた。
だが、それを破ったのはアンナのマシンガントークだった。
「カインさんは騎士科なんですよね!? すごいなあ! やっぱり訓練とか厳しいんですか!? そういえば、騎士が使う魔力剣ってどういう仕組みで魔力を増幅させてるんでしょう!? 私、ずっと気になってて!」
「お、おい、落ち着け。一つずつ質問しろ」
アンナの勢いにカインがタジタジになっている。
そのやり取りがなんだかおかしくて、私の口元からくすりと小さな笑いが漏れた。
その瞬間、二人の視線が私に集中した。
私ははっとして慌てて口元を覆った。
人前で、笑うなんて。
「……なんだ。お前、そんな風に笑うんだな」
カインが少し驚いたように、でもどこか柔らかい表情で言った。
「す、すみません……」
「謝るなよ。そっちの方がずっといい」
彼のストレートな言葉に、私は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
その日、私たちは本当に他愛もない話をした。
アンナが熱く語る魔道具の魅力。カインが語る、厳しいけれど充実した騎士の訓練の日々。
私は相槌を打つのが精一杯だったけれど、二人の話を聞いているだけで心が温かくなっていくのが分かった。
昼休みが終わり、それぞれの教室へ戻る時だった。
「じゃあな、リリアーナ」
カインが当たり前のように私の名前を呼んだ。
「また明日お話ししましょうね、リリアーナさん!」
アンナも満面の笑みで手を振ってくれる。
リリアーナ。
そう呼ばれただけなのに、胸の奥がきゅうんと甘く締め付けられた。
一人、寮への帰り道を歩きながら私は今日という一日を反芻していた。
初めて同年代の生徒と話した。
初めて誰かと一緒に食事をした。
初めて名前を呼ばれた。
そして、初めて「友人」と呼べる存在ができた。
『良かったな、リリアーナ』
ルークの声が私の心に優しく響いた。
『君の世界がまた一つ、広がった』
私は誰にも見えない彼に向かって、静かに微笑み返した。
一人だと思っていた学園生活。
でも、もう違う。
私にはアンナとカインという、新しい光ができたのだ。
その光はまだ小さくて、ささやかかもしれない。
けれど、それは私の心を照らすには十分すぎるほど温かくて、力強い光だった。
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