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第一章:没落と契約
第2話 エリートたちの嘲笑と、校長室の密談
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翌朝。
名門・平安院(へいあんいん)学舎の正門前は、いつものように残酷なほど華やかな喧騒に包まれていた。
威風堂々とした赤煉瓦の校門に、1台の黒塗りの馬車が滑り込む。
馬の蹄が砂利を蹴る乾いた音と共に、御者が恭(うやうや)しく扉を開けた。
そこから、鹿鳴館アリスが優雅に降り立つ。
「ごきげんよう、アリス様!」
「今日のドレスも素敵です!」
取り巻きの男子生徒たちが、甘い声を上げて駆け寄る。
だが、アリスは扇子で彼らを制した。
「あら、メルシー。でも、少し埃(ほこり)っぽいから寄らないでくださる?」
アリスは露骨に顔をしかめ、バッスル・ドレスの裾を払った。
彼女からは、フランス製の香水と、高級な石鹸の香りが漂っている。
それは、汗と埃にまみれたこの国には不釣り合いな「文明」の匂いだった。
「このドレスはパリ直輸入のオートクチュールよ。『タッチ』は厳禁だわ」
彼女が歩き出すと、生徒たちはモーゼの十戒のように左右へ道を開ける。
続いて、1台の人力車が砂利を噛んで止まった。降り立ったのは、西園寺響一郎だ。
「西園寺様……かっこいい……!」
「今日もクールでいらっしゃるわ……」
女子生徒たちの黄色い声援が飛ぶ。
しかし、西園寺は彼女たちに目もくれず、懐中時計を取り出した。
「……チッ」
舌打ち一つ。
「車夫の交代に15秒の遅れ。……君たちの黄色い声援を聞く時間は、今日のスケジュールにはない」
西園寺は冷徹に吐き捨て、カツカツと靴音を鳴らして校舎へと消えていく。
彼にとって他人は、時間を浪費させる「ノイズ」でしかない。
そんな「選ばれし者」たちのパレードの脇を、影のように通り過ぎる二人がいた。
京極朔夜と、久我山六花だ。
朔夜は使い古して革が剥げた学生鞄を抱え、六花は継ぎ接ぎを隠すように袖を合わせている。 すぐ横を生徒たちが通り過ぎるが、誰一人として二人に気づかない。
ぶつかりそうになっても、謝りもしない。
まるで、道端の石ころか、透明人間であるかのような扱いだった。
「……今日も平常運転だな」
朔夜が自嘲気味に呟く。
自分たちからは、カビ臭い古畳と、安っぽい防虫香の匂いがする気がして、朔夜は思わず身を縮めた。
「……うん。行こ、朔夜くん」
六花が小さな声で促す。
二人は誰とも目を合わせず、ひっそりと校門をくぐった。
†
放課後。終業の鐘が鳴り響く。
「えー、では今日はここまで。……あー、それと」
担任教師が、黒板を消しながら言った。
「西園寺、鹿鳴館!」
名前を呼ばれた二人が顔を上げる。
「お前たち二名は、このあと校長室へ行くように。校長がお呼びだ」
クラス中がどよめいた。
「すげえ、選抜メンバーか?」
「何かの表彰だろ」
「さすがエリートは違うな」
称賛と羨望の声。教室の空気が華やぐ。
しかし、教師は続けて言った。
「それと……京極」
朔夜は、荷物をまとめて帰ろうとしていた手を止めた。
心臓が嫌な音を立てる。
「……はい?」
「お前もだ」
一瞬の静寂。
次の瞬間、クラス全員が一斉に朔夜を振り返った。
「は?」「なんで京極?」
「聞き間違いじゃね?」「怒られるんじゃね?」
嘲笑と困惑の視線が、針のように朔夜に突き刺さる。
居心地の悪さに、胃液が逆流しそうだ。
(……嫌な予感しかしないな)
朔夜は胃を押さえながら、渋々立ち上がった。
†
校長室。
重厚な扉の奥には、マホガニーの家具で統一された重苦しい空間が広がっていた。
革張りのソファ、磨き上げられた床、そして微かに漂う高級な珈琲の香り。
執務机に座っているのは、校長の花山院雅房(かざんいん まさふさ)。
62歳になる元公家の子爵だ。柔和な垂れ目と、立派な白いカイゼル髭が特徴的な人格者である。
その前には、西園寺とアリスに加え、上級生の烏丸玄五郎(17歳)と白川紗代子(17歳)が並んでいる。
朔夜は、その煌びやかなラインナップから一人だけ浮くように、一番端に居心地悪そうに立っていた。自分の着ている学ランの袖口が擦り切れているのが、この部屋ではやけに目立つ。
「校長。……これは何かの冗談ですか?」
口火を切ったのは烏丸だった。
「そうですわ。私たちと……その、彼(京極)が同席だなんて」
白川も扇子で口元を隠し、露骨に嫌悪感を示す。
西園寺は、冷ややかな目で花山院を見据えると、懐中時計をパチンと閉じた。
「不愉快です。この無駄な問答で、すでに30秒を浪費しました」
西園寺の視線が、氷の矢のように朔夜を射抜く。
「なぜ、そこにいる薄汚れた男まで呼んだのですか?我々と同列に扱われる謂(い)われはない」 「私も同感ですわ。彼の服、何日洗っていないのかしら?部屋の空気が『ダーティー』になります」
アリスがハンカチで鼻を押さえる。
その仕草一つ一つが、朔夜の自尊心を削り取っていく。
(……ほんと、帰りたい。こいつらと一緒とか地獄だろ)
朔夜は心の中で悪態をつきながら、表面上は「すんませんねえ、臭くて」と卑屈に縮こまってみせた。
「おや、西園寺くん。京都という街は、公家や財閥だけで出来ているわけではありませんよ」
花山院は穏やかに微笑むと、ステッキを突いて生徒たちの前に歩み出た。
「ここに集まってもらったのは、『天』『地』『人』……この街の全ての要素を背負う若者たちです」
花山院の視線が、西園寺と烏丸(天・権威)、アリスと白川(地・富)を順に巡り、最後に朔夜で止まった。
「そして……」
花山院は、真っ直ぐに朔夜を見た。
「京極くん。君はかつて、初等部の頃、誰よりもこの学舎で輝いていた。……そして今は、誰よりも『痛み』を知っている。違いますか?」
「……あ……は、はい。多分」
朔夜は自嘲気味に笑い、頭をかいた。
「……買い被りすぎですよ、校長。俺はただの血筋だけの貧乏人です」
「ふふ。その『地を這う目線』こそが、今の京都には必要なのですよ」
花山院は表情を引き締め、本題に入った。
「さて。今から話すことは、他言無用です」
「君たちも聞いたことがあるでしょう。『六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)』の伝説を」
「ええ。地獄への入り口があるとかいう、迷信でしょう?ノン・サイエンスだわ」
アリスが肩をすくめる。
「実はあれ、迷信ではありません。……真実です」
「!?」
生徒たちの顔色が変わる。 西園寺が眉をひそめた。
「……は? いつも権威のある校長先生が、何を言い出すんですか?」
「校長。ふざけたことを言わないでいただきたい」
烏丸も抗議するが、花山院は真剣な眼差しを崩さない。
「まあ聞きなさい。この国には平安時代から代々、現世と冥界の均衡を保つ役職が存在します。名を『冥府特務官(めいふとくむかん)』」
「その第三十九代目が、先日引退を宣言されました。…そこで次代の冥府特務官を選ぶことになったのです」
室内が静まり返る。あまりに荒唐無稽な話に、誰も言葉が出ない。
「はあ?何を馬鹿な……」
「おとぎ話はお嫌いですわ」
「この明治京都の超名門校、平安院学舎の選抜された生徒、つまり君たちに次世代の冥府特務官登用試験を受けてもらう」
花山院の言葉に、朔夜はため息をついた。
「本当だったとしても、そんな面倒なことやりたくないですよ」
「京極、初めて意見が合ったな。試験なんて非生産的だ。そんな時間はない」
西園寺が冷たく言い放ち、帰ろうとする。
花山院は、慌てず騒がず、最後の一手を投じた。
「この話が真実だと、君たちにも、すぐにわかります」
「私たちに何かメリットがあるのですか?」
白川が尋ねる。
「見事、第四十代目に選ばれた者には、閻魔大王より特別な『報酬』が与えられます」
「……報酬?」
朔夜の目の色が変わった。
「内容は私も知りませんが……過去、その報酬を手に入れた一族は、代々末永く繁栄しています」 「……!」
(繁栄……?)
朔夜の心臓が早鐘を打つ。 没落した家を、元に戻せるのか?莫大な借金を返し、かつてのような生活を……そして、六花を守れるだけのアドバンテージを手に入れられるのか? それは、喉から手が出るほど欲しい「蜘蛛の糸」だった。
その時、校長室の扉がガラリと乱暴に開いた。
「おいおい、花山院の旦那。話が長えよ」
入ってきたのは、着流し姿の中年男だった。
室内に入った瞬間、むせ返るような安酒の臭いが充満した。無精髭に、だらしない帯。
教育の場に最もふさわしくない男だ。
「……貴様は誰だ。部外者は出て行け」
西園寺が鋭く睨む。
男は悪びれもせず、校長の革張りの椅子に勝手に座り込んだ。
「俺か? 名乗ってやる。六角紫門(ろっかく しもん)。俺がその『引退したい第39代目』だよ。……あー、肩凝った」
六角紫門(55歳)は懐からキセルを取り出し、弄びながら言った。
「要するにだ。閻魔の旦那の使いっ走りをして、京都を救ってみせろってことだ」
「やる気のある奴は、地獄へ連れて行ってやる。閻魔大王に会わせてやるよ」
「地獄(ヘル)……閻魔……。クレージーにも程がありますわ」
アリスが呆れ果てたように首を振る。
「時間の無駄だ。失礼する」
西園寺が背を向け、部屋を出て行こうとする。
紫門が、低い声で言った。
「明日の夜22時。六道珍皇寺」
その声には、有無を言わせない凄みがあった。
酔っ払いの戯言ではない、修羅場をくぐった者の気配。
「来なければ不合格。……一生、その『退屈な日常』で満足してな」
西園寺がピクリと眉を動かす。 彼は何も言わず、部屋を出て行った。
「登用試験の詳しい内容は、地獄で話す。絶対来いよ~」
紫門がひらひらと手を振る中、アリスたち他の生徒も不満げに出て行く。
最後に、朔夜が一礼して部屋を出ようとした時だ。
「……おや」
花山院が、開いたドアの向こう――廊下に目を向けた。
そこには、心配そうに待っていた六花の姿があった。
廊下の陰にひっそりと佇む彼女は、どこかこの世の者ではないような静謐な空気を纏っていた。
「あ、すみません。こいつは俺の連れで……すぐ帰らせます」
「……いいえ」
花山院は、六花をじっと見た。
怯えているようでいて、その瞳の奥にある「強さ」を感じ取るように。
あるいは、彼女の背後に視える「何か」を見定めるように。
「名簿にはなかったが……ふむ。君もいいだろう」
「え……?」
「六角さんなら、君のような『静かな客』を歓迎するでしょう」
「どういうことですか?」
六花は戸惑い、朔夜を見る。朔夜は小さく頷いた。
「詳しくは京極くんから聞いてください。六角さん。いいですよね」
「ああ。お嬢さんの参加、大歓迎だ」
紫門がニヤリと笑った。
その笑顔は、どこか獲物を見つけた獣のようだった。
†
帰り道。夕暮れの鴨川沿いを、二人は並んで歩いていた。
夕焼けが、二人の影を長く伸ばしている。
川のせせらぎが、日中の喧騒を洗い流していくようだ。
「……どう思う? 今の話」
朔夜が切り出した。
「嘘には……聞こえなかった。校長先生も、あの着物の人も」
「信じられないな。迷信だと昨日も馬鹿にしていた話だ」
「でも、騙されてみるのもいいんじゃない?」
六花が、静かに言った。
朔夜は自分の掌を見つめる。豆だらけで、ささくれだった手。
「ああ。『家が繁栄する』って話……もし本当なら、これは千載一遇のチャンスだ」
「京極家を再興できる。借金も返せる。……もう一度、一族が這い上がれる」
だが、すぐにその手から力が抜けた。
「でも……勝てるわけないよな」
「相手は、西園寺家に鹿鳴館家だぞ?金も人脈も桁違いだ。俺には本当に何もない」
弱音を吐く朔夜。 すると、六花が立ち止まった。
「……あるよ」
「え?」
「朔夜くんには、私にはない『話術』がある。人を動かす魅力がある」
六花は朔夜の背中を、トン、と押した。
その手は華奢だが、温かく、力強かった。
「それに……1人じゃないもん」
「……六花」
「行こう、朔夜くん。私も一緒よ」
朔夜は驚いた顔をした後、ニッと笑った。
かつての自信が、少しだけ戻ったような顔。
「……ああ。やってやるか」
†
翌日の夜。 時計の針は22時を指している。
闇に包まれた六道珍皇寺の山門前。
朔夜と六花が並んで立っている。
門の奥からは、この世のものとは思えない冷たい風が吹き出していた。
「……行くぞ」
「うん」
二人は意を決して、常世と幽世の境目へと足を踏み入れた。
それが、戻れない道だとは知らずに。
名門・平安院(へいあんいん)学舎の正門前は、いつものように残酷なほど華やかな喧騒に包まれていた。
威風堂々とした赤煉瓦の校門に、1台の黒塗りの馬車が滑り込む。
馬の蹄が砂利を蹴る乾いた音と共に、御者が恭(うやうや)しく扉を開けた。
そこから、鹿鳴館アリスが優雅に降り立つ。
「ごきげんよう、アリス様!」
「今日のドレスも素敵です!」
取り巻きの男子生徒たちが、甘い声を上げて駆け寄る。
だが、アリスは扇子で彼らを制した。
「あら、メルシー。でも、少し埃(ほこり)っぽいから寄らないでくださる?」
アリスは露骨に顔をしかめ、バッスル・ドレスの裾を払った。
彼女からは、フランス製の香水と、高級な石鹸の香りが漂っている。
それは、汗と埃にまみれたこの国には不釣り合いな「文明」の匂いだった。
「このドレスはパリ直輸入のオートクチュールよ。『タッチ』は厳禁だわ」
彼女が歩き出すと、生徒たちはモーゼの十戒のように左右へ道を開ける。
続いて、1台の人力車が砂利を噛んで止まった。降り立ったのは、西園寺響一郎だ。
「西園寺様……かっこいい……!」
「今日もクールでいらっしゃるわ……」
女子生徒たちの黄色い声援が飛ぶ。
しかし、西園寺は彼女たちに目もくれず、懐中時計を取り出した。
「……チッ」
舌打ち一つ。
「車夫の交代に15秒の遅れ。……君たちの黄色い声援を聞く時間は、今日のスケジュールにはない」
西園寺は冷徹に吐き捨て、カツカツと靴音を鳴らして校舎へと消えていく。
彼にとって他人は、時間を浪費させる「ノイズ」でしかない。
そんな「選ばれし者」たちのパレードの脇を、影のように通り過ぎる二人がいた。
京極朔夜と、久我山六花だ。
朔夜は使い古して革が剥げた学生鞄を抱え、六花は継ぎ接ぎを隠すように袖を合わせている。 すぐ横を生徒たちが通り過ぎるが、誰一人として二人に気づかない。
ぶつかりそうになっても、謝りもしない。
まるで、道端の石ころか、透明人間であるかのような扱いだった。
「……今日も平常運転だな」
朔夜が自嘲気味に呟く。
自分たちからは、カビ臭い古畳と、安っぽい防虫香の匂いがする気がして、朔夜は思わず身を縮めた。
「……うん。行こ、朔夜くん」
六花が小さな声で促す。
二人は誰とも目を合わせず、ひっそりと校門をくぐった。
†
放課後。終業の鐘が鳴り響く。
「えー、では今日はここまで。……あー、それと」
担任教師が、黒板を消しながら言った。
「西園寺、鹿鳴館!」
名前を呼ばれた二人が顔を上げる。
「お前たち二名は、このあと校長室へ行くように。校長がお呼びだ」
クラス中がどよめいた。
「すげえ、選抜メンバーか?」
「何かの表彰だろ」
「さすがエリートは違うな」
称賛と羨望の声。教室の空気が華やぐ。
しかし、教師は続けて言った。
「それと……京極」
朔夜は、荷物をまとめて帰ろうとしていた手を止めた。
心臓が嫌な音を立てる。
「……はい?」
「お前もだ」
一瞬の静寂。
次の瞬間、クラス全員が一斉に朔夜を振り返った。
「は?」「なんで京極?」
「聞き間違いじゃね?」「怒られるんじゃね?」
嘲笑と困惑の視線が、針のように朔夜に突き刺さる。
居心地の悪さに、胃液が逆流しそうだ。
(……嫌な予感しかしないな)
朔夜は胃を押さえながら、渋々立ち上がった。
†
校長室。
重厚な扉の奥には、マホガニーの家具で統一された重苦しい空間が広がっていた。
革張りのソファ、磨き上げられた床、そして微かに漂う高級な珈琲の香り。
執務机に座っているのは、校長の花山院雅房(かざんいん まさふさ)。
62歳になる元公家の子爵だ。柔和な垂れ目と、立派な白いカイゼル髭が特徴的な人格者である。
その前には、西園寺とアリスに加え、上級生の烏丸玄五郎(17歳)と白川紗代子(17歳)が並んでいる。
朔夜は、その煌びやかなラインナップから一人だけ浮くように、一番端に居心地悪そうに立っていた。自分の着ている学ランの袖口が擦り切れているのが、この部屋ではやけに目立つ。
「校長。……これは何かの冗談ですか?」
口火を切ったのは烏丸だった。
「そうですわ。私たちと……その、彼(京極)が同席だなんて」
白川も扇子で口元を隠し、露骨に嫌悪感を示す。
西園寺は、冷ややかな目で花山院を見据えると、懐中時計をパチンと閉じた。
「不愉快です。この無駄な問答で、すでに30秒を浪費しました」
西園寺の視線が、氷の矢のように朔夜を射抜く。
「なぜ、そこにいる薄汚れた男まで呼んだのですか?我々と同列に扱われる謂(い)われはない」 「私も同感ですわ。彼の服、何日洗っていないのかしら?部屋の空気が『ダーティー』になります」
アリスがハンカチで鼻を押さえる。
その仕草一つ一つが、朔夜の自尊心を削り取っていく。
(……ほんと、帰りたい。こいつらと一緒とか地獄だろ)
朔夜は心の中で悪態をつきながら、表面上は「すんませんねえ、臭くて」と卑屈に縮こまってみせた。
「おや、西園寺くん。京都という街は、公家や財閥だけで出来ているわけではありませんよ」
花山院は穏やかに微笑むと、ステッキを突いて生徒たちの前に歩み出た。
「ここに集まってもらったのは、『天』『地』『人』……この街の全ての要素を背負う若者たちです」
花山院の視線が、西園寺と烏丸(天・権威)、アリスと白川(地・富)を順に巡り、最後に朔夜で止まった。
「そして……」
花山院は、真っ直ぐに朔夜を見た。
「京極くん。君はかつて、初等部の頃、誰よりもこの学舎で輝いていた。……そして今は、誰よりも『痛み』を知っている。違いますか?」
「……あ……は、はい。多分」
朔夜は自嘲気味に笑い、頭をかいた。
「……買い被りすぎですよ、校長。俺はただの血筋だけの貧乏人です」
「ふふ。その『地を這う目線』こそが、今の京都には必要なのですよ」
花山院は表情を引き締め、本題に入った。
「さて。今から話すことは、他言無用です」
「君たちも聞いたことがあるでしょう。『六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)』の伝説を」
「ええ。地獄への入り口があるとかいう、迷信でしょう?ノン・サイエンスだわ」
アリスが肩をすくめる。
「実はあれ、迷信ではありません。……真実です」
「!?」
生徒たちの顔色が変わる。 西園寺が眉をひそめた。
「……は? いつも権威のある校長先生が、何を言い出すんですか?」
「校長。ふざけたことを言わないでいただきたい」
烏丸も抗議するが、花山院は真剣な眼差しを崩さない。
「まあ聞きなさい。この国には平安時代から代々、現世と冥界の均衡を保つ役職が存在します。名を『冥府特務官(めいふとくむかん)』」
「その第三十九代目が、先日引退を宣言されました。…そこで次代の冥府特務官を選ぶことになったのです」
室内が静まり返る。あまりに荒唐無稽な話に、誰も言葉が出ない。
「はあ?何を馬鹿な……」
「おとぎ話はお嫌いですわ」
「この明治京都の超名門校、平安院学舎の選抜された生徒、つまり君たちに次世代の冥府特務官登用試験を受けてもらう」
花山院の言葉に、朔夜はため息をついた。
「本当だったとしても、そんな面倒なことやりたくないですよ」
「京極、初めて意見が合ったな。試験なんて非生産的だ。そんな時間はない」
西園寺が冷たく言い放ち、帰ろうとする。
花山院は、慌てず騒がず、最後の一手を投じた。
「この話が真実だと、君たちにも、すぐにわかります」
「私たちに何かメリットがあるのですか?」
白川が尋ねる。
「見事、第四十代目に選ばれた者には、閻魔大王より特別な『報酬』が与えられます」
「……報酬?」
朔夜の目の色が変わった。
「内容は私も知りませんが……過去、その報酬を手に入れた一族は、代々末永く繁栄しています」 「……!」
(繁栄……?)
朔夜の心臓が早鐘を打つ。 没落した家を、元に戻せるのか?莫大な借金を返し、かつてのような生活を……そして、六花を守れるだけのアドバンテージを手に入れられるのか? それは、喉から手が出るほど欲しい「蜘蛛の糸」だった。
その時、校長室の扉がガラリと乱暴に開いた。
「おいおい、花山院の旦那。話が長えよ」
入ってきたのは、着流し姿の中年男だった。
室内に入った瞬間、むせ返るような安酒の臭いが充満した。無精髭に、だらしない帯。
教育の場に最もふさわしくない男だ。
「……貴様は誰だ。部外者は出て行け」
西園寺が鋭く睨む。
男は悪びれもせず、校長の革張りの椅子に勝手に座り込んだ。
「俺か? 名乗ってやる。六角紫門(ろっかく しもん)。俺がその『引退したい第39代目』だよ。……あー、肩凝った」
六角紫門(55歳)は懐からキセルを取り出し、弄びながら言った。
「要するにだ。閻魔の旦那の使いっ走りをして、京都を救ってみせろってことだ」
「やる気のある奴は、地獄へ連れて行ってやる。閻魔大王に会わせてやるよ」
「地獄(ヘル)……閻魔……。クレージーにも程がありますわ」
アリスが呆れ果てたように首を振る。
「時間の無駄だ。失礼する」
西園寺が背を向け、部屋を出て行こうとする。
紫門が、低い声で言った。
「明日の夜22時。六道珍皇寺」
その声には、有無を言わせない凄みがあった。
酔っ払いの戯言ではない、修羅場をくぐった者の気配。
「来なければ不合格。……一生、その『退屈な日常』で満足してな」
西園寺がピクリと眉を動かす。 彼は何も言わず、部屋を出て行った。
「登用試験の詳しい内容は、地獄で話す。絶対来いよ~」
紫門がひらひらと手を振る中、アリスたち他の生徒も不満げに出て行く。
最後に、朔夜が一礼して部屋を出ようとした時だ。
「……おや」
花山院が、開いたドアの向こう――廊下に目を向けた。
そこには、心配そうに待っていた六花の姿があった。
廊下の陰にひっそりと佇む彼女は、どこかこの世の者ではないような静謐な空気を纏っていた。
「あ、すみません。こいつは俺の連れで……すぐ帰らせます」
「……いいえ」
花山院は、六花をじっと見た。
怯えているようでいて、その瞳の奥にある「強さ」を感じ取るように。
あるいは、彼女の背後に視える「何か」を見定めるように。
「名簿にはなかったが……ふむ。君もいいだろう」
「え……?」
「六角さんなら、君のような『静かな客』を歓迎するでしょう」
「どういうことですか?」
六花は戸惑い、朔夜を見る。朔夜は小さく頷いた。
「詳しくは京極くんから聞いてください。六角さん。いいですよね」
「ああ。お嬢さんの参加、大歓迎だ」
紫門がニヤリと笑った。
その笑顔は、どこか獲物を見つけた獣のようだった。
†
帰り道。夕暮れの鴨川沿いを、二人は並んで歩いていた。
夕焼けが、二人の影を長く伸ばしている。
川のせせらぎが、日中の喧騒を洗い流していくようだ。
「……どう思う? 今の話」
朔夜が切り出した。
「嘘には……聞こえなかった。校長先生も、あの着物の人も」
「信じられないな。迷信だと昨日も馬鹿にしていた話だ」
「でも、騙されてみるのもいいんじゃない?」
六花が、静かに言った。
朔夜は自分の掌を見つめる。豆だらけで、ささくれだった手。
「ああ。『家が繁栄する』って話……もし本当なら、これは千載一遇のチャンスだ」
「京極家を再興できる。借金も返せる。……もう一度、一族が這い上がれる」
だが、すぐにその手から力が抜けた。
「でも……勝てるわけないよな」
「相手は、西園寺家に鹿鳴館家だぞ?金も人脈も桁違いだ。俺には本当に何もない」
弱音を吐く朔夜。 すると、六花が立ち止まった。
「……あるよ」
「え?」
「朔夜くんには、私にはない『話術』がある。人を動かす魅力がある」
六花は朔夜の背中を、トン、と押した。
その手は華奢だが、温かく、力強かった。
「それに……1人じゃないもん」
「……六花」
「行こう、朔夜くん。私も一緒よ」
朔夜は驚いた顔をした後、ニッと笑った。
かつての自信が、少しだけ戻ったような顔。
「……ああ。やってやるか」
†
翌日の夜。 時計の針は22時を指している。
闇に包まれた六道珍皇寺の山門前。
朔夜と六花が並んで立っている。
門の奥からは、この世のものとは思えない冷たい風が吹き出していた。
「……行くぞ」
「うん」
二人は意を決して、常世と幽世の境目へと足を踏み入れた。
それが、戻れない道だとは知らずに。
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