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第三章:攻略と快進撃
第10話 伝説の「桜守」、嵐山にて覚醒す
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平安院学舎の放課後。 校長室。
重厚なマホガニーの扉の前に、二人の生徒が立っていた。
朔夜と六花だ。二人は互いに顔を見合わせ、一度深く深呼吸をしてから、覚悟を決めてノックをした。
「し、失礼します……。お時間いただき、ありがとうございます」
「し、失礼します……」
入室した二人は直立不動だった。緊張で体がガチガチに固まっている。
室内には、午後の日差しと共に、ほのかな紅茶の香りが漂っていた。
執務机で書類に目を通していた花山院雅房は、眼鏡を外してクスクスと笑った。
「京極くん、久我山さん。…そんなに縮こまらなくていいんですよ」
花山院は立ち上がり、ソファへ二人を促した。
「まるで『呼び出しを食らった生徒』みたいですね。面会を申し入れたのは君たちの方でしょう?」
花山院は自らティーポットを手に取り、カップに紅茶を注いで二人の前に置いた。
湯気と共に立ち上る香りは、高貴で落ち着いたものだった。
「ここは取調室ではありません。さあ、座りなさい。今日はどのような相談かな?」
温かい紅茶に少しだけ緊張が解け、朔夜は口を開いた。
「あ、はい。閻魔大王様の課題……俺たちは京都中を桜で埋め尽くすことにしました」
「……実は、資金の目処は立ったんですが、技術的な壁にぶつかってまして」
六花が言葉を継ぐ。
「桜の正しい植え方が分からないんです。私たちはズブの素人で……」
「せっかく植えても、枯らしてしまっては申し訳なくて…やるからにはちゃんとやりたくて」
朔夜は悔しそうに膝の上で拳を握った。
金を集めた。場所も目星をつけた。
だが、「命」を扱う技術だけは、ハッタリではどうにもならない。
「西園寺くんたちは、一流の技師や職人を金で雇っています」
「でも私たちには、そんなコネも、職人を動かす『家柄』もありません」
「……やっぱり、俺たちみたいな没落組には、限界があるんでしょうか」
弱音がこぼれた。
金と権威の壁。それは、何度乗り越えようとしても立ちはだかる巨大な壁だ。
花山院は静かに紅茶を啜り、カップをソーサーに置いた。
カチャリ、という澄んだ音が室内に響く。
「家柄? お金? ……ふふ」
花山院は穏やかに、しかし力強く言った。
「閻魔大王様がお求めなのは、そんなちっぽけな物ではありませんよ」
「え?」
「もっとこう……『魂の輝き』とでも言うのでしょうか」
花山院の瞳が、眼鏡の奥で慈愛に満ちた光を放つ。
「泥にまみれ、傷つきながらも、他者のために奔走する君たちの姿…それこそが、今の京都に必要な『貴族の精神(ノブレス・オブリージュ)』です」
「ノブレス・オブリージュ……」
「自信を持ちなさい。君たちの『心の気高さ』は、西園寺くんたちにも負けていませんよ」
その言葉は、朔夜の乾いた心に染み渡るようだった。
没落してからというもの、誰もが自分たちを蔑んできた。
けれど、この人だけは、ボロボロの衣服の下にある「誇り」を見てくれている。
「校長先生……」
「……ありがとうございます。なんか、目が覚めました」
朔夜は顔を上げた。瞳に力が戻っている。
「私たちは諦めません。…誰か、心当たりのある庭師さんはいませんか?」
「ふむ。やや問題はあるが……1人、いますよ」
花山院は窓の外、遠く霞む西の山々を見つめた。
「かつて『御所の桜守(さくらもり)』と呼ばれた男……源蔵という職人が」
「御所!? 元・皇室おかかえってことですか!?」
朔夜が身を乗り出す。超一流だ。
「ええ。ですが……帝が東京へ行かれてからは、職を辞し、酒に溺れていると聞きます。今は嵐山のあたりで、世捨て人のように暮らしているとか」
「仙人みたいですね」
「仙人? そんないいものではないかもしれません」
花山院は少し寂しげに目を細めた。
「彼もまた、時代の変化に絶望し、心を閉ざしてしまった一人です。頑固で、気難しい男ですが……今の君たちなら、あるいは」
花山院は二人の顔を交互に見つめ、力強く頷いた。
「頑固なじいさんか」
朔夜がニヤリと笑った。
「いいですね。頑固なじいさんは朔夜くんの最も得意とするところです」
「え! そうなの?」
「行ってきなさい。君たちならきっと、あの気難しい職人の心も開くでしょう」
「はい! 行ってきます!」
「ありがとうございました」
二人は深く一礼し、希望を胸に部屋を出て行った。
扉が閉まった後、花山院はつぶやく。
「……六角さん。彼らは、何か、やりとげそうな人材ですよ」
†
翌日。嵐山。
観光客もまばらな茶屋で、朔夜は団子を注文しながら、店番の老婆に話しかけた。
「お婆ちゃん。この辺で『源蔵』って爺さん、見かけないかい?」
「ああ、源さんかい? よく知ってるよ。多分、あの河原だよ」
「河原?」
「渡月橋の下流にな、お気に入りの岩場があるんじゃよ。毎日毎日、真っ昼間から其処に座り込んで、死んだような目で川を見ておるわ」
老婆はため息交じりに言った。
「腕はいいのに、勿体ないねえ……今じゃただの酒呑みじゃわ」
朔夜と六花は顔を見合わせた。
「いきなり源蔵さん情報。私たち、運がいいね」
「俺は日頃の行いが良すぎるからな」
「いや絶対に私のほうが善人だよ」
軽口を叩き合いながらも、二人の目は真剣だ。
「ともかく場所は割れたな」
「どうするの? すぐに挨拶に行く?」
「いや」
朔夜は懐から手ぬぐいを取り出し、職人のように頭に巻いた。
「頑固じじいらしいから、正面から頼んでも、どうせ『帰れ』と言われて終わりだ」
「あ。わかったわ!その先は私から……向こうから『頼む』と言わせるように仕向ける」
「ご名答」
二人はニッと笑い合った。
これから始まるのは、頑固な職人との心理戦だ。
†
翌日の昼。嵐山の河川敷。
川のせせらぎだけが響く、誰もいない岩場。ここが源蔵の定位置らしい。
「俺たちはここで、どんどん苗木を植えよう」
「ええ」
そこから少し離れた、視界に入る絶妙な位置で、二人は作業を開始した。
ザッ、ザッ。黙々と鍬(くわ)を振るう。
「朔夜くん。源蔵さん、いないね」
「ああ。だが、お婆ちゃんの話じゃ、ほぼ毎日来るらしいからな。ここが特等席だ。まずは俺たちが『本気』だってことを見せつけるぞ」
†
2日後の昼下がり。
「昨日は、源蔵さん登場せず」
六花がため息をつく。
すでに数本の苗木が植えられているが、肝心のターゲットが現れない。
「そのうち来るさ。信じて待とう」
汗だくになって作業を続けていると、ふらふらとした人影が現れた。
ボロボロの着物を着た老人。源蔵、68歳。
手には一升瓶をぶら下げている。昼間から酒の臭いが漂ってくる。
源蔵はいつもの岩場に座ろうとして、朔夜たちに気づいた。
「……ああん?」
濁った目が、二人を捉える。
(なんだあのガキども。……邪魔くせえ)
心の声が聞こえてきそうなほど、露骨に嫌な顔をした。
「(小声)……あ、朔夜くん。ひょっとしてあれが源蔵さんじゃない?」
「(小声)……シッ。見るな。気づかないフリをしろ。たぶんあれだろう」
源蔵は面倒くさそうに2人を一瞥すると、声をかけることもなく酒を飲み始めた。
朔夜は横目でチラリと確認し、そのまま作業を続ける。
(まずは爺さんの視界に入った。……だが、まだだ。まだ食いつかねえ)
†
さらに二日後。
曇り空の下、風が少し強く吹いている。
源蔵はいつもの岩場で飲んでいた。
だが、その視線はチラチラと朔夜たちの方に向いている。明らかに気になっている。
(……あいつら、まだやってんのか。物好きなガキどもじゃ)
朔夜はその視線を背中で感じ取った。
(……よし。そろそろ熟したな)
朔夜は急に手つきを変えた。
苗木を掴み、わざとらしくグラグラと揺らす。
「あー、もう!全然入らねえな!えーい、こうしちゃえ!」
朔夜は浅く掘った穴に苗木を強引にねじ込み、根が丸見えのまま土を被せた。
さらに、上から足でバンバンと踏みつける。
「……っ!」
源蔵が思わず腰を浮かせた。
(おい馬鹿!根が曲がっとる!窒息するわ!)
六花も、朔夜の意図を察して阿吽の呼吸で動く。
おぼつかない手つきを演じ、苗木に近づく。
「あ、あれ? 倒れちゃう……。えっと、紐で縛ればいいのかな?」
六花は苗木の幹を荒縄でギュウギュウに締め上げた。
「これくらいキツく縛れば……」
「ぐぬぬ……」
源蔵の手が、酒瓶を握り潰しそうになるほど震えている。
(首を絞める気か!導管が潰れて水が吸えなくなるじゃろうが!)
朔夜はトドメとばかりに、川から汲んだ冷水を、バケツから勢いよくぶっかけた。
「ほらよ!水攻めだ!」
バシャア! その瞬間だった。
ガシャーン!!
源蔵が持っていた酒瓶を地面に叩きつけた。
破片が飛び散り、酒の匂いが広がる。
「――待たんかァァァッ!!!」
雷のような怒号が響き渡った。 朔夜はビクリとした振りをして、内心でニヤリと笑った。 (……釣れた)
二人は驚いた顔を作って振り返る。
「うわっ!?な、なんだ爺さん。いきなり大声出して」
源蔵が、鬼の形相でツカツカと歩み寄ってくる。
「貴様ら……数日前から見ておれば、好き勝手しおって!苗木を殺す気か!!」
源蔵は六花の手から荒縄を奪い取り、素早くほどいた。
その手つきは、さっきまでの乱暴さとは打って変わり、赤子を扱うように繊細で優しい。
「……苦しかったろう。すまんな、無知な人間のせいで」
苗木に語りかけるその姿は、完全に「職人」のそれだった。
「はあ? 何だよあんた。俺たちがどう植えようが勝手だろ」
「黙れド素人!」
源蔵が吠える。
「こんな植え方があるか!根が窒息しておる!それに締め付けすぎじゃ!桜はな、貴様らのような適当な手で触っていい木じゃないんじゃ!」
源蔵の目には涙が浮かんでいた。ただの酔っ払いではない。
本気で木を憐れみ、その痛みに共鳴する職人の目だ。
「……へえ。詳しいんだな、爺さん」
朔夜の声色が、挑発的なものから真剣なものへと変わる。
「そんなに文句があるなら、あんたがやってくれよ」
「あ?」
「俺たちは素人だ。でも、どうしても桜を植えたいんだ。あんた、庭師だろ?」
「……!」
源蔵はハッとして口ごもった。過去の亡霊に取り憑かれたような顔になる。
「……昔の話じゃ。今のわしは、ただの酔っ払いじゃ。帰れ。二度と桜に近づくな」
源蔵は背を向け、立ち去ろうとする。 朔夜が目配せをした。六花が一歩前に出る。
「……おじいさん」
凛とした声が、源蔵の足を止めた。
「その腰の鋏(はさみ)……泣いてますよ」
源蔵の腰元には、ボロボロの帯に一丁の剪定鋏が差してあった。
柄は使い込まれて黒光りし、刃は油で手入れされ、鈍く光っている。
「毎日、磨いてるんですね。一点の錆もない。…いつでも枝を切れるように。未練がない人の道具じゃありません」
「…………」
源蔵は震える手で鋏に触れた。指先が、金属の冷たさと記憶をなぞる。
「なあ、爺さん」
朔夜が畳み掛ける。
「あんた……本当は切りたくてウズウズしてるんだろ?」
「……なに?」
「あんたほどの腕利きが、振るう場所をなくして腐ってる。帝(みかど)が東京へ行っちまって、御所の庭も荒れ放題だもんなあ」
源蔵の顔色が変わった。図星を突かれた動揺が走る。
「き、貴様に何が分かる!わしには、もう庭師への未練なんかない」
「その名刀(ハサミ)。未練がないのに、何でそんなもん持ち歩いている?」
「未練があろうとなかろうと関係ない!」
源蔵は叫んだ。
「確かにわしは、かつては御所の桜を任されとった!だが、御所は荒れ果てた。もう手入れする庭もねえ!見る主(あるじ)もいねえ!時代は変わったんじゃ……庭なんて、もう誰も見向きもしねえ!」
源蔵は涙目で叫び、懐から新しい酒瓶を出そうとする。
震える手が、逃避を求めていた。
朔夜はその手をパシッと止めた。
「なら、見てくれる奴を、たくさん全国から呼ぼうぜ」
「あ?」
「俺たちに協力してくれ。俺たちが、あんたの腕にふさわしい『日本一の庭』を用意してやる」
朔夜は立ち上がり、両手を広げて、眼下に広がる京都の街を指した。
「あんたに任せる庭は…御所なんかよりずっと広い…この『京都の街全部』だ」
「な……」
源蔵が息を呑む。
「俺たちは、この街中を桜で埋め尽くす。あんたは、その何万本もの桜の総責任者だ」
「どうだ? 狭い御所でちまちま庭いじりするより、よっぽど腕が鳴るだろ?」
朔夜の瞳には、揺るぎない確信と野心が宿っていた。
それは、死にかけていた職人の魂に火をつけるのに十分な熱量だった。
「街……全部じゃと……?」
「お願いします、源蔵さん」
六花も深々と頭を下げた。
「私たちには知識も技術もありません。……あなたの技術が必要なんです。あなたの経験で……もう一度、京都に命を吹き込んでくれませんか」
源蔵は、朔夜の不敵な笑みと、六花の真摯な眼差しを交互に見た。
錆びついた心に、ひびが入る。
そこから溢れ出したのは、ずっと押し殺していた情熱だった。
源蔵はボロボロと涙をこぼした。
「……報酬は、高いぞ」
「へっ。出世払いで頼むわ」
源蔵は鼻をすすりながら、投げ捨てられた苗木を丁寧に拾い上げた。
「馬鹿もんが。……土が固すぎるんじゃ。まずは耕すところからじゃ!」
源蔵の顔から、酔っ払いの色は消えていた。そこには、歴戦の職人の顔があった。
†
夕焼けが嵐山を赤く染めていた。
三人が並んで土を耕している。
朔夜と六花の顔には、泥と共に達成感の汗が光っていた。
「1万本の桜か。わしも気合が入るわ」
源蔵の頼もしい背中を見ながら、二人はこっそりと視線を交わし、笑い合った。
また一つ、壁を越えた。
「行くぞ、六花。……次の課題は植樹場所だ」
朔夜が遠くを見つめる。
資金、技術。必要なピースが揃いつつある。
あとは、この桜を植えるための大地を手に入れるだけだ。
『第2の壁・技術。――嵐山にて、突破』
重厚なマホガニーの扉の前に、二人の生徒が立っていた。
朔夜と六花だ。二人は互いに顔を見合わせ、一度深く深呼吸をしてから、覚悟を決めてノックをした。
「し、失礼します……。お時間いただき、ありがとうございます」
「し、失礼します……」
入室した二人は直立不動だった。緊張で体がガチガチに固まっている。
室内には、午後の日差しと共に、ほのかな紅茶の香りが漂っていた。
執務机で書類に目を通していた花山院雅房は、眼鏡を外してクスクスと笑った。
「京極くん、久我山さん。…そんなに縮こまらなくていいんですよ」
花山院は立ち上がり、ソファへ二人を促した。
「まるで『呼び出しを食らった生徒』みたいですね。面会を申し入れたのは君たちの方でしょう?」
花山院は自らティーポットを手に取り、カップに紅茶を注いで二人の前に置いた。
湯気と共に立ち上る香りは、高貴で落ち着いたものだった。
「ここは取調室ではありません。さあ、座りなさい。今日はどのような相談かな?」
温かい紅茶に少しだけ緊張が解け、朔夜は口を開いた。
「あ、はい。閻魔大王様の課題……俺たちは京都中を桜で埋め尽くすことにしました」
「……実は、資金の目処は立ったんですが、技術的な壁にぶつかってまして」
六花が言葉を継ぐ。
「桜の正しい植え方が分からないんです。私たちはズブの素人で……」
「せっかく植えても、枯らしてしまっては申し訳なくて…やるからにはちゃんとやりたくて」
朔夜は悔しそうに膝の上で拳を握った。
金を集めた。場所も目星をつけた。
だが、「命」を扱う技術だけは、ハッタリではどうにもならない。
「西園寺くんたちは、一流の技師や職人を金で雇っています」
「でも私たちには、そんなコネも、職人を動かす『家柄』もありません」
「……やっぱり、俺たちみたいな没落組には、限界があるんでしょうか」
弱音がこぼれた。
金と権威の壁。それは、何度乗り越えようとしても立ちはだかる巨大な壁だ。
花山院は静かに紅茶を啜り、カップをソーサーに置いた。
カチャリ、という澄んだ音が室内に響く。
「家柄? お金? ……ふふ」
花山院は穏やかに、しかし力強く言った。
「閻魔大王様がお求めなのは、そんなちっぽけな物ではありませんよ」
「え?」
「もっとこう……『魂の輝き』とでも言うのでしょうか」
花山院の瞳が、眼鏡の奥で慈愛に満ちた光を放つ。
「泥にまみれ、傷つきながらも、他者のために奔走する君たちの姿…それこそが、今の京都に必要な『貴族の精神(ノブレス・オブリージュ)』です」
「ノブレス・オブリージュ……」
「自信を持ちなさい。君たちの『心の気高さ』は、西園寺くんたちにも負けていませんよ」
その言葉は、朔夜の乾いた心に染み渡るようだった。
没落してからというもの、誰もが自分たちを蔑んできた。
けれど、この人だけは、ボロボロの衣服の下にある「誇り」を見てくれている。
「校長先生……」
「……ありがとうございます。なんか、目が覚めました」
朔夜は顔を上げた。瞳に力が戻っている。
「私たちは諦めません。…誰か、心当たりのある庭師さんはいませんか?」
「ふむ。やや問題はあるが……1人、いますよ」
花山院は窓の外、遠く霞む西の山々を見つめた。
「かつて『御所の桜守(さくらもり)』と呼ばれた男……源蔵という職人が」
「御所!? 元・皇室おかかえってことですか!?」
朔夜が身を乗り出す。超一流だ。
「ええ。ですが……帝が東京へ行かれてからは、職を辞し、酒に溺れていると聞きます。今は嵐山のあたりで、世捨て人のように暮らしているとか」
「仙人みたいですね」
「仙人? そんないいものではないかもしれません」
花山院は少し寂しげに目を細めた。
「彼もまた、時代の変化に絶望し、心を閉ざしてしまった一人です。頑固で、気難しい男ですが……今の君たちなら、あるいは」
花山院は二人の顔を交互に見つめ、力強く頷いた。
「頑固なじいさんか」
朔夜がニヤリと笑った。
「いいですね。頑固なじいさんは朔夜くんの最も得意とするところです」
「え! そうなの?」
「行ってきなさい。君たちならきっと、あの気難しい職人の心も開くでしょう」
「はい! 行ってきます!」
「ありがとうございました」
二人は深く一礼し、希望を胸に部屋を出て行った。
扉が閉まった後、花山院はつぶやく。
「……六角さん。彼らは、何か、やりとげそうな人材ですよ」
†
翌日。嵐山。
観光客もまばらな茶屋で、朔夜は団子を注文しながら、店番の老婆に話しかけた。
「お婆ちゃん。この辺で『源蔵』って爺さん、見かけないかい?」
「ああ、源さんかい? よく知ってるよ。多分、あの河原だよ」
「河原?」
「渡月橋の下流にな、お気に入りの岩場があるんじゃよ。毎日毎日、真っ昼間から其処に座り込んで、死んだような目で川を見ておるわ」
老婆はため息交じりに言った。
「腕はいいのに、勿体ないねえ……今じゃただの酒呑みじゃわ」
朔夜と六花は顔を見合わせた。
「いきなり源蔵さん情報。私たち、運がいいね」
「俺は日頃の行いが良すぎるからな」
「いや絶対に私のほうが善人だよ」
軽口を叩き合いながらも、二人の目は真剣だ。
「ともかく場所は割れたな」
「どうするの? すぐに挨拶に行く?」
「いや」
朔夜は懐から手ぬぐいを取り出し、職人のように頭に巻いた。
「頑固じじいらしいから、正面から頼んでも、どうせ『帰れ』と言われて終わりだ」
「あ。わかったわ!その先は私から……向こうから『頼む』と言わせるように仕向ける」
「ご名答」
二人はニッと笑い合った。
これから始まるのは、頑固な職人との心理戦だ。
†
翌日の昼。嵐山の河川敷。
川のせせらぎだけが響く、誰もいない岩場。ここが源蔵の定位置らしい。
「俺たちはここで、どんどん苗木を植えよう」
「ええ」
そこから少し離れた、視界に入る絶妙な位置で、二人は作業を開始した。
ザッ、ザッ。黙々と鍬(くわ)を振るう。
「朔夜くん。源蔵さん、いないね」
「ああ。だが、お婆ちゃんの話じゃ、ほぼ毎日来るらしいからな。ここが特等席だ。まずは俺たちが『本気』だってことを見せつけるぞ」
†
2日後の昼下がり。
「昨日は、源蔵さん登場せず」
六花がため息をつく。
すでに数本の苗木が植えられているが、肝心のターゲットが現れない。
「そのうち来るさ。信じて待とう」
汗だくになって作業を続けていると、ふらふらとした人影が現れた。
ボロボロの着物を着た老人。源蔵、68歳。
手には一升瓶をぶら下げている。昼間から酒の臭いが漂ってくる。
源蔵はいつもの岩場に座ろうとして、朔夜たちに気づいた。
「……ああん?」
濁った目が、二人を捉える。
(なんだあのガキども。……邪魔くせえ)
心の声が聞こえてきそうなほど、露骨に嫌な顔をした。
「(小声)……あ、朔夜くん。ひょっとしてあれが源蔵さんじゃない?」
「(小声)……シッ。見るな。気づかないフリをしろ。たぶんあれだろう」
源蔵は面倒くさそうに2人を一瞥すると、声をかけることもなく酒を飲み始めた。
朔夜は横目でチラリと確認し、そのまま作業を続ける。
(まずは爺さんの視界に入った。……だが、まだだ。まだ食いつかねえ)
†
さらに二日後。
曇り空の下、風が少し強く吹いている。
源蔵はいつもの岩場で飲んでいた。
だが、その視線はチラチラと朔夜たちの方に向いている。明らかに気になっている。
(……あいつら、まだやってんのか。物好きなガキどもじゃ)
朔夜はその視線を背中で感じ取った。
(……よし。そろそろ熟したな)
朔夜は急に手つきを変えた。
苗木を掴み、わざとらしくグラグラと揺らす。
「あー、もう!全然入らねえな!えーい、こうしちゃえ!」
朔夜は浅く掘った穴に苗木を強引にねじ込み、根が丸見えのまま土を被せた。
さらに、上から足でバンバンと踏みつける。
「……っ!」
源蔵が思わず腰を浮かせた。
(おい馬鹿!根が曲がっとる!窒息するわ!)
六花も、朔夜の意図を察して阿吽の呼吸で動く。
おぼつかない手つきを演じ、苗木に近づく。
「あ、あれ? 倒れちゃう……。えっと、紐で縛ればいいのかな?」
六花は苗木の幹を荒縄でギュウギュウに締め上げた。
「これくらいキツく縛れば……」
「ぐぬぬ……」
源蔵の手が、酒瓶を握り潰しそうになるほど震えている。
(首を絞める気か!導管が潰れて水が吸えなくなるじゃろうが!)
朔夜はトドメとばかりに、川から汲んだ冷水を、バケツから勢いよくぶっかけた。
「ほらよ!水攻めだ!」
バシャア! その瞬間だった。
ガシャーン!!
源蔵が持っていた酒瓶を地面に叩きつけた。
破片が飛び散り、酒の匂いが広がる。
「――待たんかァァァッ!!!」
雷のような怒号が響き渡った。 朔夜はビクリとした振りをして、内心でニヤリと笑った。 (……釣れた)
二人は驚いた顔を作って振り返る。
「うわっ!?な、なんだ爺さん。いきなり大声出して」
源蔵が、鬼の形相でツカツカと歩み寄ってくる。
「貴様ら……数日前から見ておれば、好き勝手しおって!苗木を殺す気か!!」
源蔵は六花の手から荒縄を奪い取り、素早くほどいた。
その手つきは、さっきまでの乱暴さとは打って変わり、赤子を扱うように繊細で優しい。
「……苦しかったろう。すまんな、無知な人間のせいで」
苗木に語りかけるその姿は、完全に「職人」のそれだった。
「はあ? 何だよあんた。俺たちがどう植えようが勝手だろ」
「黙れド素人!」
源蔵が吠える。
「こんな植え方があるか!根が窒息しておる!それに締め付けすぎじゃ!桜はな、貴様らのような適当な手で触っていい木じゃないんじゃ!」
源蔵の目には涙が浮かんでいた。ただの酔っ払いではない。
本気で木を憐れみ、その痛みに共鳴する職人の目だ。
「……へえ。詳しいんだな、爺さん」
朔夜の声色が、挑発的なものから真剣なものへと変わる。
「そんなに文句があるなら、あんたがやってくれよ」
「あ?」
「俺たちは素人だ。でも、どうしても桜を植えたいんだ。あんた、庭師だろ?」
「……!」
源蔵はハッとして口ごもった。過去の亡霊に取り憑かれたような顔になる。
「……昔の話じゃ。今のわしは、ただの酔っ払いじゃ。帰れ。二度と桜に近づくな」
源蔵は背を向け、立ち去ろうとする。 朔夜が目配せをした。六花が一歩前に出る。
「……おじいさん」
凛とした声が、源蔵の足を止めた。
「その腰の鋏(はさみ)……泣いてますよ」
源蔵の腰元には、ボロボロの帯に一丁の剪定鋏が差してあった。
柄は使い込まれて黒光りし、刃は油で手入れされ、鈍く光っている。
「毎日、磨いてるんですね。一点の錆もない。…いつでも枝を切れるように。未練がない人の道具じゃありません」
「…………」
源蔵は震える手で鋏に触れた。指先が、金属の冷たさと記憶をなぞる。
「なあ、爺さん」
朔夜が畳み掛ける。
「あんた……本当は切りたくてウズウズしてるんだろ?」
「……なに?」
「あんたほどの腕利きが、振るう場所をなくして腐ってる。帝(みかど)が東京へ行っちまって、御所の庭も荒れ放題だもんなあ」
源蔵の顔色が変わった。図星を突かれた動揺が走る。
「き、貴様に何が分かる!わしには、もう庭師への未練なんかない」
「その名刀(ハサミ)。未練がないのに、何でそんなもん持ち歩いている?」
「未練があろうとなかろうと関係ない!」
源蔵は叫んだ。
「確かにわしは、かつては御所の桜を任されとった!だが、御所は荒れ果てた。もう手入れする庭もねえ!見る主(あるじ)もいねえ!時代は変わったんじゃ……庭なんて、もう誰も見向きもしねえ!」
源蔵は涙目で叫び、懐から新しい酒瓶を出そうとする。
震える手が、逃避を求めていた。
朔夜はその手をパシッと止めた。
「なら、見てくれる奴を、たくさん全国から呼ぼうぜ」
「あ?」
「俺たちに協力してくれ。俺たちが、あんたの腕にふさわしい『日本一の庭』を用意してやる」
朔夜は立ち上がり、両手を広げて、眼下に広がる京都の街を指した。
「あんたに任せる庭は…御所なんかよりずっと広い…この『京都の街全部』だ」
「な……」
源蔵が息を呑む。
「俺たちは、この街中を桜で埋め尽くす。あんたは、その何万本もの桜の総責任者だ」
「どうだ? 狭い御所でちまちま庭いじりするより、よっぽど腕が鳴るだろ?」
朔夜の瞳には、揺るぎない確信と野心が宿っていた。
それは、死にかけていた職人の魂に火をつけるのに十分な熱量だった。
「街……全部じゃと……?」
「お願いします、源蔵さん」
六花も深々と頭を下げた。
「私たちには知識も技術もありません。……あなたの技術が必要なんです。あなたの経験で……もう一度、京都に命を吹き込んでくれませんか」
源蔵は、朔夜の不敵な笑みと、六花の真摯な眼差しを交互に見た。
錆びついた心に、ひびが入る。
そこから溢れ出したのは、ずっと押し殺していた情熱だった。
源蔵はボロボロと涙をこぼした。
「……報酬は、高いぞ」
「へっ。出世払いで頼むわ」
源蔵は鼻をすすりながら、投げ捨てられた苗木を丁寧に拾い上げた。
「馬鹿もんが。……土が固すぎるんじゃ。まずは耕すところからじゃ!」
源蔵の顔から、酔っ払いの色は消えていた。そこには、歴戦の職人の顔があった。
†
夕焼けが嵐山を赤く染めていた。
三人が並んで土を耕している。
朔夜と六花の顔には、泥と共に達成感の汗が光っていた。
「1万本の桜か。わしも気合が入るわ」
源蔵の頼もしい背中を見ながら、二人はこっそりと視線を交わし、笑い合った。
また一つ、壁を越えた。
「行くぞ、六花。……次の課題は植樹場所だ」
朔夜が遠くを見つめる。
資金、技術。必要なピースが揃いつつある。
あとは、この桜を植えるための大地を手に入れるだけだ。
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