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ウサギ 1
しおりを挟む「あ……」
「あ……」
ふと気配を感じ振り向くと、そこには先客がいた。
泣き顔を見られて恥ずかしい……そう思ったけど、オレは目を逸らせなかった。頬に涙の跡を残しながら、世界中の何もかもを憎んでそうなその顔が……今の自分に似ている気がして。
……
俺は今にも溢れそうになる涙を堪え、学校の中で一人になれる場所を探していた。
その時たまたま目についたのが、図書館だ。しかし、図書館それ自体ではない。図書館が入る建物の脇の、木に隠れた細い通路だ。
ここだったら誰も来ないはず……そう思い、オレはその細い通路へと進んだ。
落ち葉を踏みしめ進んでみると、通路は意外に長い。一体どこまで続いてるんだと思いながらも、奥へ進めば進むほど人通りから離れられると思い進んだ。
あ……!
開けた場所に出ると、そこにはベンチがあった。ここは恐らく使わなくなった物を置くための場所だろう。雨風に晒され所々はげているベンチの他に、壊れたバケツが転がっている。
ここなら……
オレはぽつんと置かれたベンチに座った。
「う……」
その途端、涙が溢れ出す。拭う気にもなれず、オレは涙が膝に水玉模様を作っているのをただただ見ていた。
枯れ果てるまで涙を流して全て忘れてしまおう、そう思った。
その時、足にコツンと何かが当たった。それは、ペットボトルのカフェオレだ。
拾い上げ、転がってきた方向を見ると……一人だと思っていたこの場所には、先客がいた。
「あ……」
「あ……」
先客……奥の棚の影からペットボトルに手を伸ばした格好で固まる男子生徒と、目が合う。
他に人がいたのか……!!!!
実際にはコンマ数秒だろうけど、体感的には10秒くらい経った頃。
驚いて固まっていたオレは、自分が泣き顔であることを思い出し恥ずかしくなる。
けれどオレは、その生徒から目が離せなかった。目に泣いた跡を残しながら、世の中の何もかもを拒絶するようなその表情が、自分に似ている気がして。
オレも、こんな顔して泣いてたんだろうな……
「ご、ごめん!オレ、一人だと思ってたので……」
ふと我に返り、オレは顔を反らした。この状況は気まずい、それと自分の泣き顔を見られ続けるのは恥ずかしい。
「俺こそ……隠れてるつもりだったのに」
どうやらベンチの奥にある棚の影にも椅子があり、この生徒はそこに座っていたらしい。
「いや、こっちこそ、邪魔しちゃって……」
「俺、もう行くんで」
生徒が立ち上がる気配を感じ、オレも急いで立ち上がった。
「待って!出ていくなら、オレが」
後から邪魔したのはオレだから、オレが去るのが礼儀だろう。
「あとこれ!!」
オレは持ったままだったカフェオレを差し出した。
「それ、別にいらないんで。まだ開けてないから、代わりに飲んで」
しかし、そのカフェオレはぐいっと押し返される。思ったよりも強い力だったため、俺はバランスを崩し咄嗟に近くにあったものに手をついた。
「え………うわぁ!!」
いきなり突き飛ばされ驚いたのも束の間……バキバキという音と共に、オレの身体が傾いだ。
オレは盛大に尻もちをつく。
「いたたた……」
尻を擦りながら周囲を見回すと、片足が折れ傾いたベンチがある。どうやら手を着いたのはベンチの背もたれだったらしい。
これのせいか……と考えていると、視界に手が映った。
「大丈夫か?」
そのまま行っちゃったかと思ってたけど……
悪意は無かったのかもしれないけど、突き飛ばされたのには驚いた。けれどわざわざ戻ってきて差し出されたその手に、案外悪いヤツではないんだなと、オレはその手をつかんだ。
「あ、ありがとう」
「……悪かった」
オレはよっこらせと立ち上がる。すると、目の前の顔に見覚えがあった。
「思い出した!えーと、確か……クマ……ガヤ?」
「……」
急に名前を呼ばれ、その生徒は不審な顔をする。オレは慌てて弁明した。
「ほら、あの、体育の授業で!オレ、隣のクラスだから!」
体育の授業はふたクラス合同で行われる。話したことはないけれど、なんとなく顔と名前は知っていた。
「……」
数秒後、理由に納得したようにその生徒は不審な顔を緩めた。そして、ボソリと言う。
「………違う。クマガイ、だ」
「あ、ごめん……」
どうやら読み方が間違っていたらしい。オレは改めて覚えることにした。
「で……そっちは?」
しまったオレが先に名乗れば良かった……不審な顔をさせてしまったことを申し訳なく思い、オレはすぐに名乗った。
「宇佐木」
「ウサミか、わかった」
しかし、こちらも間違いだ。オレもすぐに訂正した。
「ううん。最後は『キ』だよ。俺もよく聞き間違えられるんだ」
「……悪かった」
しょっちゅうあることだから、特に気にせずオレは答える。
「いいよいいよ気にしないで……あ、そだ。熊谷もウサギでいいよ。みんなもそう呼ぶし」
「わかった。じゃ」
そう言うと、熊谷はそそくさと去ろうとする。しかしオレは、再び呼び止めた。
「待って!」
どうしても熊谷にここにいてほしかったオレは、即座に言い訳を探した。
「………えと……このベンチ、端に寄せるの手伝ってくれない?」
さすがに何か悪いし……と言いながら、オレは斜めになったベンチを指差した。
でも本当は、ベンチの移動なんてどうでもよかった。
まだ泣いた跡が、熊谷の顔に残ってるから……
目が赤いことを言えたらよかったけれど、泣いていたことを話題にするのはなんだか憚られる。
そんな顔、オレだったら、誰かに見られたくないし……
しばらく何か考えた様子の熊谷だったけど、その後静かに頷いた。
棚の辺りの片付けをする熊谷と、壊れたベンチの破片をあつめるオレ。背中合わせになり、しばらく無言で作業をしていた。
……
しかしオレは、その無言に気まずくなる。普段から誰かと一緒にいる時に無言が続くことは殆どないからだ。しかも自分から引き留めた手前、余計にだ。
よしっ!
オレは軽く息を吸うと、努めて明るく振る舞うことにした。それがクセになっていることも知らずに。
……アイツなら、きっとそうする。
「今日は、本当にごめんっ!」
「いや、別に」
素っ気ない返事に少し驚いた。けれど、俺は気にせず続ける。どんな時でも周りを明るくしてしまうアイツみたいになりたくて。
「あと、変なとこ見せちゃって、ごめんっ!」
「別に。特に言いふらしたりする気は無いんで。あと、俺もだし」
あ……
オレは言われて初めて気づいた。世の中には何でもかんでも面白可笑しく話題にする人がいる。
わざわざ言ってくれるなんて……やっぱり良いヤツだな。
よく考えたら熊谷のことはほとんど知らない。けれど熊谷のその素っ気ない態度が、逆に信頼できると思った。
「ありがとう!」
オレは作業をする背中に振り返って言った。
オレは作業を再開した。
本当は、一人で泣いて、あそこで見たこともオレの気持ちもこの苦しさも全部全部忘れてしまおうと思っていた。
けれど……少し泣いたから多少は気持ちが軽くなるかと思っていたのに、そんなことはなかった。むしろ、もっともっと重くなった。
記憶ごと消せたらいいのに……
足元の落ち葉がカサカサと音を立て転がっていく。オレは手を止め、しばらくそれを見ていた。
あれからもうすぐ一年か……
アイツみたいになりたい、アイツとずっと一緒にいたい……約一年前のあの日、オレはそう思った。それからずっとアイツの側にいた。
でも今日、ここに来る前に見てしまったものは、オレのしてきたことの本当の意味を教えようとしてくる。……心の底にある何かを教えようとするみたいに、涙を押し上げてくる。
こんなに苦しくなるなら、あの日のことも、ずっとアイツの側にいたことも、今日見たことも、全部全部、無かったことになればいいのに……
たぶんオレは、胸に重くのしかかる気持ちを、自分だけじゃ抱えきれないこの苦しさを、ほんの少しだけでいいから誰かに支えてほしかったんだ。
いつの間にかオレは、胸の内を言葉にしていた。それでもオレは、ついクセで明るく言ってしまう。
「オレ、ずっと側にいたい、ずっと一緒にいたいと思っていた人がいてさ。でもその人が、さっき……知らない人と手を繋いでるの、見ちゃってさ」
いつも一番近くにいたかったのに……
「オレはアイツの隣には必要ないんだなって」
いつも側にいるのはオレだと思ってたのに……
もう立っていることも嫌になり、オレはその場にしゃがみ込んだ。明るく振る舞うのも限界だった。次の言葉を探す気になれず、無言が続くのなんてもうどうでもよかった。
「これって……」
けれど、聞いているだけだと思っていた熊谷の言葉が、背中越しに聞こえてきた。
「これって、失恋っていうんじゃ……いや、悪い」
あ……
「これが、失恋、かぁ」
……これが、失恋かぁ。
好きだという気持ちが相手に届かなかったときの名前。胸を押し潰してくるこの気持ち。名前が付くと、一気に輪郭がハッキリとする。
オレは、アイツのことが、好きだったんだ……
「やっぱり、そう、だよね」
本当は、心の奥底ではわかっていた。でもそれを認めてしまうと今の関係が壊れてしまいそうで……だから憧れってことにして、アイツへの気持ちを曖昧にしていた。
溢れてくる涙は、オレがアイツに恋していたことを教えようとしていたんだ。
熊谷の言葉に胸につかえていたものがはっきりして、オレはなんだか清々しい気分になった。
「なんでだよ」
「熊谷?」
「なんでそんな顔してられんだよ!」
熊谷が声を上げた。いつの間にかこちらを向いていたらしい。オレは驚いて振り向いた。
「ど、どうした?」
さっきまで静かに作業をしていた熊谷の顔からは、涙が流れ始める。オレと同じその泣き顔が意味するのは……
「俺、も……ウサギと、同じ、でっ、先輩が、知らないやつと、手を繋いで帰ってるのを、見て……」
え…………?
オレはあまりのことに、次の言葉が出てこなかった。
こんな偶然……
「く、くま、がい」
なんとか絞り出すも、熊谷の言葉にかき消される。
こういう時、アイツならなんて言うんだろ……
きっと、すぐに気の利いた言葉をかけ、いつの間にか明るい雰囲気にしてしまうだろう。
でもオレは、何も思いつかない。それに……
好きが先か、憧れが先かもうわからない。けど、失恋とわかった今……アイツみたいに、ついそう考えてしまうのが辛かった。
「俺だって、先輩の隣にいたかった。けど、俺じゃダメなんだって、わかって」
オレじゃダメなんだ……オレじゃないヤツじゃないとダメなんだ……
その言葉がオレの胸に刺さる。名前がわからなくて胸につかえていたものが、今度は失恋という形になって返ってくる。
あの、知らない生徒じゃないと、ダメなんだ……
どこまでも深く突き刺さるその痛みは、
さっきまで清々しい気分だったオレを塗りつぶしていく。
「そう、だよね……」
「待って!」
オレは咄嗟に、走り出そうとする熊谷の腕をつかんでいた。
そんな泣いた顔、誰かに見られたら……さっきはそう思って引き留めた。でも、今回は違う。
今度は、熊谷の辛い気持ち、半分持つから……
同じ気持ちの熊谷と一緒に涙を流しきってしまえば、一人で泣くのより気持ちが軽くなる気がした。
あと……
同じ気持ちの熊谷に、隣にいてほしい、隣にいたいと思った。これは、アイツみたいになりたいからアイツの隣にいたのとは違う気持ちだ……たぶん。
「今日はもう、涙が空っぽになるくらい、泣いちゃおうよ」
オレたちは声を上げて泣き始めた。
辺りが暗くなり始めた頃、オレたちは落ち着きを取り戻した。
「またこの場所、借りてもいいかな……?」
オレは熊谷に聞いた。なんだかこの場所が気に入ったのだ。それに……
「勝手に使え。俺の場所じゃない」
「というか、また、熊谷に話を聞いてもらいたいんだけど」
熊谷の隣は、なんだか居心地が良かった。
「……俺も、クマでいい」
「クマ?」
「そうだ」
偶然が偶然を呼び、偶然出会ったクマ。ここで会ったのがクマで良かったと、思った。
少しだけ軽くなった足取りで、オレたちはそれぞれ家路に着いた。
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