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27話 静かな引き金
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昼休みの社員食堂は、いつもより少し騒がしかった。
週の半ば、疲れと気の緩みが混ざる時間帯。
悠人はトレーを持ったまま、窓際の席に腰を下ろす。
向かいには、ゆきが座った。
「……」
会話が始まらないまま、数分が過ぎる。
体は疲れているはずだった。
慣れない生活、家に誰かがいる日常。
それだけでも十分、消耗する。
けれど――
ゆきの目に映る悠人は、それとは少し違っていた。
体の疲労というより、
落ち着かない。
どこかで足踏みしているような顔。
進めないものを、無意識に避けている人の表情だった。
(……やっぱり)
ゆきは小さく息を吐き、箸を置く。
しばらくして、ぽつりと口を開いた。
「先輩」
「ん?」
「ホルさんの前だと……線、引いてるつもりですよね」
唐突な一言だった。
悠人の動きが、一瞬止まる。
「……何の話だ」
「生活の話です」
「距離感の」
ゆきは、淡々とした口調を保ったまま続けた。
「ちゃんと考えてるの、分かります」
「守ろうとしてるのも」
そこまで言ってから、ほんの少しだけ声を落とす。
「でも」
「守り方が、恋人寄りです」
悠人は視線を落としたまま、何も言わない。
否定の言葉は、すぐには出てこなかった。
「答え、いりません」
ゆきはすぐに付け足す。
「踏み込むつもりもないです」
「ただ……」
一拍、置いて。
「進まない恋ほど、見てて落ち着かないものはないので」
それは忠告でも、非難でもなかった。
ただの事実を、静かに置いただけの言葉。
「すみません、変なこと言って」
ゆきは軽く笑って、トレーを持ち上げる。
「先輩が悪い、って意味じゃないですからね」
「気にしないでください」
悠人は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……余計なこと考えるな」
それ以上、何も言わなかった。
ゆきはそれ以上踏み込まず、
「はーい」と軽く返事をして席を立った。
残された悠人は、冷めかけた昼食を前に、動けずにいた。
(……恋人、ね)
頭の奥で、言葉が反響する。
否定しようとすれば、できたはずだ。
でも――
できなかった。
昼休みが終わり、仕事に戻る。
キーボードを打つ指は、普段と変わらない速度。
会議も、資料も、問題なくこなす。
それでも、ゆきの言葉は、消えなかった。
帰り道、電車の窓に映る自分の顔を見る。
(守ってる、だけだ)
そう言い聞かせる。
家に着き、鍵を開ける。
「ただいま」
「おかえり」
ホルの声が、いつも通り返ってくる。
リビングに入ると、ホルはソファに座り、タブレットを膝に置いていた。
「今日、どうだった?」
「……普通」
それだけで、ホルは納得したように微笑む。
「そっか」
距離は、変わらない。
近づきすぎず、離れすぎず。
それが正しいと、信じている距離。
「ね、悠人」
「ん?」
「今日も、一緒にご飯食べよう」
当たり前みたいに言う声。
胸の奥が、少しだけ痛む。
(……好きかもしれない)
不意に、思い出す。
夢の中で、確かに口にした言葉。
――ホルのこと、好きかもしれない。
悠人は、ぎゅっと奥歯を噛みしめる。
(あれは……)
「どうしたの?」
「……なんでもない」
悠人は視線を逸らした。
「あれは夢だ」
自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返す。
夢で言った言葉だ。
現実じゃない。
だから――考えなくていい。
ホルはそれ以上聞かず、
「じゃあ、準備するね」とキッチンへ向かう。
その背中を見送りながら、悠人は深く息を吐いた。
逃げている自覚は、あった。
それでも今は、
この距離を壊す勇気も、
進める覚悟も、
どちらも持てなかった。
(……あれは夢だから)
そう繰り返すことでしか、
自分を保てない夜が、また一つ増えた。
静かな部屋に、生活音だけが流れる。
何も起きていない。
それなのに――
確実に、何かが動き始めていた。
週の半ば、疲れと気の緩みが混ざる時間帯。
悠人はトレーを持ったまま、窓際の席に腰を下ろす。
向かいには、ゆきが座った。
「……」
会話が始まらないまま、数分が過ぎる。
体は疲れているはずだった。
慣れない生活、家に誰かがいる日常。
それだけでも十分、消耗する。
けれど――
ゆきの目に映る悠人は、それとは少し違っていた。
体の疲労というより、
落ち着かない。
どこかで足踏みしているような顔。
進めないものを、無意識に避けている人の表情だった。
(……やっぱり)
ゆきは小さく息を吐き、箸を置く。
しばらくして、ぽつりと口を開いた。
「先輩」
「ん?」
「ホルさんの前だと……線、引いてるつもりですよね」
唐突な一言だった。
悠人の動きが、一瞬止まる。
「……何の話だ」
「生活の話です」
「距離感の」
ゆきは、淡々とした口調を保ったまま続けた。
「ちゃんと考えてるの、分かります」
「守ろうとしてるのも」
そこまで言ってから、ほんの少しだけ声を落とす。
「でも」
「守り方が、恋人寄りです」
悠人は視線を落としたまま、何も言わない。
否定の言葉は、すぐには出てこなかった。
「答え、いりません」
ゆきはすぐに付け足す。
「踏み込むつもりもないです」
「ただ……」
一拍、置いて。
「進まない恋ほど、見てて落ち着かないものはないので」
それは忠告でも、非難でもなかった。
ただの事実を、静かに置いただけの言葉。
「すみません、変なこと言って」
ゆきは軽く笑って、トレーを持ち上げる。
「先輩が悪い、って意味じゃないですからね」
「気にしないでください」
悠人は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……余計なこと考えるな」
それ以上、何も言わなかった。
ゆきはそれ以上踏み込まず、
「はーい」と軽く返事をして席を立った。
残された悠人は、冷めかけた昼食を前に、動けずにいた。
(……恋人、ね)
頭の奥で、言葉が反響する。
否定しようとすれば、できたはずだ。
でも――
できなかった。
昼休みが終わり、仕事に戻る。
キーボードを打つ指は、普段と変わらない速度。
会議も、資料も、問題なくこなす。
それでも、ゆきの言葉は、消えなかった。
帰り道、電車の窓に映る自分の顔を見る。
(守ってる、だけだ)
そう言い聞かせる。
家に着き、鍵を開ける。
「ただいま」
「おかえり」
ホルの声が、いつも通り返ってくる。
リビングに入ると、ホルはソファに座り、タブレットを膝に置いていた。
「今日、どうだった?」
「……普通」
それだけで、ホルは納得したように微笑む。
「そっか」
距離は、変わらない。
近づきすぎず、離れすぎず。
それが正しいと、信じている距離。
「ね、悠人」
「ん?」
「今日も、一緒にご飯食べよう」
当たり前みたいに言う声。
胸の奥が、少しだけ痛む。
(……好きかもしれない)
不意に、思い出す。
夢の中で、確かに口にした言葉。
――ホルのこと、好きかもしれない。
悠人は、ぎゅっと奥歯を噛みしめる。
(あれは……)
「どうしたの?」
「……なんでもない」
悠人は視線を逸らした。
「あれは夢だ」
自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返す。
夢で言った言葉だ。
現実じゃない。
だから――考えなくていい。
ホルはそれ以上聞かず、
「じゃあ、準備するね」とキッチンへ向かう。
その背中を見送りながら、悠人は深く息を吐いた。
逃げている自覚は、あった。
それでも今は、
この距離を壊す勇気も、
進める覚悟も、
どちらも持てなかった。
(……あれは夢だから)
そう繰り返すことでしか、
自分を保てない夜が、また一つ増えた。
静かな部屋に、生活音だけが流れる。
何も起きていない。
それなのに――
確実に、何かが動き始めていた。
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