私はお世話係じゃありません!【時任シリーズ②】

椿蛍

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22 番人

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窓の外は暗い。
とっぷりと闇の中に沈むビルの灯りが見えた。
あの灯りの下、まだ働いている人がいるのだと思うと複雑な気持ちになる。
夏向かなたが出て行ってから、連絡がない―――いったい、どうなったの?
きっと夏向は飲まず食わずでパソコンの画面の前に座り、頑張っているんだろう。
そう思うと、落ち着かない。
落ち着かないのはそれだけじゃない―――『結婚』の二文字が頭に残っていた。
こんな時に夏向は私になんてことを言ってくれたんだろう。
そう思う反面、窓ガラスに映った自分の頬が緩んでいる気がした。
正直、嬉しかった。
でも―――倉永くらながの家は許しはしないだろう。
記憶の中にある夏向の叔父夫婦が私に向けた目を今も鮮明に思い出せる。
思い出したくはないのに。
振り払うように窓の外を見るのを止めた。
暗くなっている場合じゃない。
「夏向達になにか持って行こう!」
邪魔かもしれないけど、と思いながら、お茶を沸かしてポットにいれた。
「おにぎりでいいよね」
おにぎりの具はウィンナーを炒めたのと、鮭フレーク、昆布、梅干しなど。
他の人も集まっているかもしれないから、数は多めに作って後はコンビニで甘いものとインスタントの味噌汁を買おう。
部屋を出て、一階に行くと警備員さんが驚いていた。
「こんな遅くに電車を使うのは危ないですから、時任ときとうの運転手を使ってください。なにかあったんでしょう?先ほどから重役の方々が慌ててマンションから出て行くので、もしかしたら、まだ誰か出るかもしれないと思って運転手を待たせてありますから」
さすが時任が所有するマンションだけあって、異変には敏感だった。
「ありがとうございます」
警備員さんにお礼を言って、車を使わせてもらった。
やっぱり夏向だけが会社に向かったわけじゃなかった。
大変なことが起きている。
そんな気がした。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


時任の本社に着くと上の階の灯りがついているのが見えた。
エレベーターに乗り、重役のフロアに行くと、全員が揃っていた。
桜帆さほちゃん!」
真辺まなべさんが私を見つけて、驚いていたけど、差し入れを見てにっこりほほ笑んだ。
「うわぁ、ありがとう!」
「甘いものも買ってきましたよ。あと、飲み物とインスタントのお味噌汁」
「温かいものが嬉しいよー。夕飯食べる時間なくてさ。倉永くらなが先輩は手が離せないけどね」
先輩呼びになっている時の真辺さんは余裕がない。
夏向は怖い顔をして画面を睨んでいた。
「なにがあったんですか?」
「ウィルスに感染してね」
「どこから!?」
真辺さんは笑っていたけど、怒っているのか、目は笑っていない。
「秘書室のパソコンだね」
そんなところから?
不審なメールでも開いてしまったのだろうか。
「部下が囮ファイルをつかませて倉永先輩が到着するまでの時間稼ぎができたから、本当によかったよ。最悪、サーバを落とすつもりだったけど、間に合った。今は誰がウィルスを仕掛けたか、調べているみたいだよ」
「そうですか。よかった」
「うん。危うく顧客情報が流出するところだったよ」
「そ、それって!」
「そう。社長会見モノの重大案件だった。社長が出張で不在なことも知っていたのかもしれない」
「わざわざ狙って…?」
真辺さんは頷いた。
夏向を見ると私がいることも気づいていない。
あの様子では水すら飲んでいないだろう。
「あの……夏向に近づいても大丈夫ですか?」
「もちろん!むしろ、何か食べさせないと倒れるかもなって思ってたところだったんだ」
「そうですか。皆さんもお腹空いたでしょう?おにぎり作ってきたので、よかったら食べてくださいね」
「ありがたいです!」
真辺さんは嬉しそうにおにぎりの前で手を合わせた。
邪魔にはならないようで、ホッとした。
食べ物を広げていると疲れた顔をした倉本くらもとさんがやってきた。
「副社長はコードを読んで犯人を特定する気だ」
「コード?」
「同じ人間が書くプログラムはどうしても癖がでる。それを見つけるんだ」
「あんな作業をよくやるよ……」
げんなりと倉本さんは言った。
夏向は険しい顔をしたまま、画面から目を離さない。
そっと後ろに行き、驚かせないように気づくのを待っていると、気配がしたのか夏向は振り返った。
「桜帆、いつのまに」
さっきまでの表情が嘘みたいに優しく微笑んだ。
「夏向が倒れると困ると思って、おにぎり食べる?」
「食べる」
「じゃあ、テーブルのところまでいかないとね。パソコンに味噌汁こぼしたら、それこそおしまいよ」
「うん」
夏向が机の下で食べたりするのは安心だからというのもあるけれど、自分にとって武器でもある大切なパソコンを壊さないためという理由が一番大きいのかもしれない。
机の下ではなく、テーブルに座った夏向をにやにやしながら、他の人達が見ていると、夏向はちょっと怒ったように言った。
「なに?」
「べつにぃー」
メカニックで参与の宮北みやきたさんは夏向にほら、ウィンナー入りのおにぎりを渡した。
「桜帆ちゃんがいると夏向はちょっと大人なとこ見せようとするんだなと思ってさ」
「ムカつく。桜帆のおにぎり食べるな」
「なんでだよ!?俺はお前のありのままの姿を言っただけだろ?」
高校の同級生でもある宮北さんは夏向にとって言いたいことを言える存在でもあるけれど、一言多いせいか、夏向の信頼を得にくいようだった……。
お湯を入れ、ワカメと豆腐の味噌汁を渡すと、夏向はおにぎりをすでに口の中に入れていた。
お腹が空いていたのか、無言で食べていた。
「犯人の目星はついたか?」
倉本さんに聞かれ、夏向は食べながら、頷いた。
諏訪部すわべだよ」
「だろうな」
「諏訪部ってあの佐藤君がいた会社の?」
「そうだよ。ミツバ電機の時とおなじクセがある」
「えっ!?ミツバ電機を攻撃したのは諏訪部さんの会社なの?」
「そうだよ。その時のログを持っている」
「ログ?」
「証拠を持っているってことだよ」
「うん……。佐藤君はミツバ電機にわざと痛い目にあわせて契約しようとしていたってこと?」
「そう」
「教えてよ!そういうことは!」
「いざという時に使おうと思ってたから」
「いざ、なんて時ある?」
「それをネタに桜帆に近づくなって言うつもりだった」
夏向は味噌汁を飲み、そういうことです、と言うように首を縦に振った。
どういうことよ。
「諏訪部からの挑戦状かな」
夏向は楽しそうだった。
「いやいや、若いっていいねー。俺らに挑もうなんてさ。可愛いなー」
本部長の備中びちゅうさんがやってきた。
「備中さんも十分若いですよ……」
「おー。桜帆ちゃん。来てたのかー!いつも差し入れありがとう」
備中さんは秘書室でメールの履歴を確認していたらしい。
「いやー、秘書室の女の子に諏訪部が近づいたみたいだね。会社のメールアドレスを聞き出したっぽいね。ただ会社のメールアドレスでのやり取りは一回だけだったよ。受信してから削除したみたいだけど。普通の女の子は復元できることを知らないんだからさ、そこもちゃんと教えてあげないとね」
「詰めが甘いね」
もぐ、と夏向はウィンナーが入ったおにぎりを早いスピードで食べ終わると、二個目の鮭のおにぎりに手を伸ばした。
その横で備中さんが昆布のおにぎりを手にして笑った。
「諏訪部達、俺らのことを大好き過ぎるだろ?困っちゃうなー、ファンが多くて。秘書室から話が抜けてるなら、社長出張も向こうにバレちゃってるね」
真辺さんはわしゃわしゃと頭をかきむしった。
「危うく明日からずっとお詫び行脚あんぎゃになるとこだったよ!」
「もう大丈夫だよ。皆は帰っても。あとは俺が後処理をしておくから。二度と入れないようにね」
「ああ。任せる」
「倉永先輩、こういう時は頼りになりますね」
おにぎりを食べると、二人はお礼を言って、帰って行った。
「そんじゃ、俺も帰るわ。おにぎりもらってくわ。明日から、秘書室は閉鎖な」
「ムサイ空間にやっと女性が入ってきたと思ったら、コレだよ。頼んだからな、副社長!」
備中さんと宮北さんがおにぎりをいくつか手にして、夏向に手を振った。
「夏向にはいい友達がいるね」
「悪友だよ」
はあ、とため息を吐いた。
夏向にため息を吐かれる友人ってどうなのよ……。
本当に個性的な人達だなと思っていると、夏向はご飯を終えて立ち上がった。
「桜帆も帰っていいよ」
「もう少しだけいてもいい?」
「うん?もちろん」
夏向は嬉しそうな顔をして、いそいそと自分の席の後ろに椅子を持ってくると、どうぞと座らせた。
今は夏向を眺めていたかった。
背中が見えて、ホッとした。
ぼんやり、その背中を眺め、カチカチという規則正しくキーを叩く音が眠気を誘って、私はいつの間にか眠ってしまっていた。

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