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2章 銀杏黄葉
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――どうしてこんなことに。
今、私は蓮華楼の駐車場にいる。
ご覧の通り、まんまと母に騙されてお見合い場所へ連れてこられた。
でも、私が悪い。
あの父が簡単に黙って引くわけがないのだから、警戒すべきだったのだ。
美味しい物が食べられると思い込んで、嬉々として実家へ行くと、母に会うなり、笑顔で手渡された着物。
着物は楓の枝が伸びた柄の小紋で、秋らしい淡黄色の落ち着いたもの。
今日、着ていく服は、実家に置いてあったセミフォーマルな服を着る予定にしていたのに、まさかの着物である。
『これはおかしい』
日曜日の朝にゴルフへ行く父が自宅にいて、着物姿の母がいる。
嫌な予感しかないシチュエーションにピンときた。
これは私にお見合いさせるつもりだと気づき、慌てて着物を突き返した。
でも、母は着物を受けとらず、さめざめと泣き出した。
『最近の立栞ちゃんは、お父さんと仲が悪いでしょう? お母さんは悲しいわ。一度くらいお見合いしてもいいじゃない』
母は自分の父親を『お父様』と呼び、夫を『お父さん』と呼んで使い分けている。
娘の私より娘らしい母に困ってしまう。
演技だとわかっていても、親に泣かれると気まずく、こちらの罪悪感を刺激してくる。
『わかった! わかったから、泣かないで!』
そう言って、なんとか母を宥め、泣き止ませた。
結果、大喜びしたのは父だった。
――私だって、お見合いじゃなかったら大喜びしていたわ。
蓮華楼は武家屋敷が並ぶ古い通りにある老舗料亭で、江戸の頃は武士たちが使った歴史ある特別な店である。
そして、蓮華楼は世間の評判に驕ることなく、優秀な料理人を出し続けている名店だ。
「さすが、母さんだ! 母さんに立栞を任せて正解だったな。まったく、誰に似たのか頑固で融通がきかない娘で困る」
「まあ、あなた。立栞ちゃんは優しくていい子ですよ」
二人の会話を聞いて、ゲンナリした。
母は私をいい子だと口では言ってるけど、我が手柄という顔をしているし、父のほうは自分の考えが通って満足そうである。
さしずめ、敵の首をとった武将と手柄を褒める将軍というところ……
「お見合い相手に失礼のないようにな」
「立栞ちゃん、大丈夫。にこにこしていればいいだけよ」
私が失礼で無愛想だと言っているのと同じ。
でも、私はそれを甘んじて受けるしかなかった。
私には弟が一人いるけど、実家に住んでおらず、会社近くのマンションに暮らしている。
しっかり者の弟は、父の跡を継ぐべく、大学卒業と同時に父の会社へ入社し、仕事を手伝い、両親の信頼も厚い。
母はお嬢様育ちだけど、学生時代の友人や実家の関係者など、普通では作れないようなコネクションを持つ。
父はそれで何度も母に助けられている。
つまり、料理人になりたいなどと言い出した娘は、家族にとってなんの役にも立たない娘なのである。
せめて親の顔を立てて、お見合いしろというわけだ。
――しかも、料理人になるどころか、今は無職。なおさら、親からの風当たりが強いのも仕方がないわよね。
銀杏の葉と紅葉が落ちた道をとぼとぼと歩く。
昨晩の雨で、地面にはりついた黄色と赤の模様。
駐車場から蓮華楼までの道には、雨で散った色とりどりの葉が、季節の移ろいを教えていた。
門をくぐれば、手入れされた立派な日本庭園が続く。
正面には歴史を感じる『蓮華楼』と書かれた大きな木の看板が存在感を放ち、重厚な雰囲気を漂わせて客を圧倒する。
「蓮華楼さんは間違いないわね。またお願いするわ」
「料理長にも美味しかったとお伝えください」
「まあ、ありがとうございます。ぜひ、またいらしてくださいませ」
入り口では着物を着た大勢の女性が食事を終えた後なのか、女将とおしゃべりを楽しんでいた。
蓮華楼は茶室を備え、昔から茶懐石料理もやっている。
女将自身も茶道や華道、書道から日本舞踊と多くの習い事をしていて、女将と懇意にしている先生は多い。
なお、私も蓮華楼の娘と一緒に、習い事を一通りやった経験がある。
――でも、身についたのは、おじいちゃんから教わった料理だけ。
それはそれで、悲しい現実……
結局、興味の持てること以外、形にならなかった。
その料理も今は作れない。
そんな私はボロボロのズタボロになって、再起不能で落ち込んでいた。
でも、今の私は狛犬の現比と出会い、『また作れるようになるのでは』と思い始めている。
――結婚は絶対に断ろう。今の私は瀬戸際の崖っぷち。もう一度、料理を作れるようになるかどうかの分かれ目なんだから。
ギュッと手を握り締めた時、女将が私たちに気づき、軽く頭を下げて目礼した。
話していたお客様に挨拶をして見送ると、次は私たちを笑顔で迎える。
「山路様、いらっしゃいませ」
「忙しい日に申し訳ない」
「いいえ。立栞さんの大事な日ですし、うまくいくとよろしいですね」
――知らぬは本人ばかり。
大事な日イコールお見合い――女将は私も納得の上のお見合いだと思っている。
父がうまいこと言ったに違いない。
私が渋い顔をしている間も、食材がどうの、料理人の腕がああだのと――吉浪を辞めた私にとって、居心地の悪い話が続く。
頭痛がして、そっと額に手をあてた。
――私の体調が万全じゃないって、両親もわかってるはずなのに。
体裁を整えるための着物も辛く、人と接するのも息苦しい。
それでも私は両親と蓮華楼の女将の前で、嫌な顔をするわけにはいかず、作り笑いを浮かべていた。
この場に堪えるよう握った手には汗がにじみ、頭痛と動悸がひどくなる。
両親は気づかずに、楽しそうに談笑していて、苦しいのは私だけ――まるで自分が世界の端っこに取り残されたような気分だった。
前なら耐えられたのに、今はそれができない。
もどかしくて、しんどくて、笑ってやりすごすこともできないなんて――
「立栞! こっち!」
名前を呼ばれて振り返ると、庭の隅に生えている松の木の陰から、長く艶やかな黒髪が見えた。
細い幹と針のような葉の松の木に、成人した女性の体が隠れるわけがないのに、本人はちゃんと隠れているつもりのようだ。
子供の頃は隠れていたかもしれないけど、残念ながら女将から鋭くにらまれ、『ひっ!』と声を上げて、サッと顔をひっこめた。
私は両親と女将に会釈し、呼ばれたほうへ歩いていく。
――はぁ……。子供の頃から変わらないわね。
店の奥には大きなツツジの木があって、いつも彼女はそこに隠れていた。
習い事をサボっている時や両親に叱られた時、ツツジの木が彼女の拠り所だった。
白のシャツに黒のロングカーディガンを羽織り、ジーンズをはいた蓮華楼には相応しくないラフな服装だけど、顔も体もモデル並みの美女が、ツツジの木の前で仁王立ちしていた。
彼女は私の幼馴染み、蓮華早耶音である。
店と苗字の読み方が違い、店は蓮華で、苗字は蓮華。
少しややこしい。
「沙耶音。なにしてるの? 多慶子おばさんに叱られるわよ?」
「わかってる。だから、そっと立栞を呼んだのよ」
かなり大きな声だったし、私の両親も女将も気づいていた。
しっかり見つかっておいて、『そっと』はないと思う。
「沙耶音はお休み? 仕事はいいの?」
「平気。お座敷に呼ばれてるのは夜だから、まだ余裕があるわ」
早耶音の職業は芸妓である。
料亭などに呼ばれて舞いを披露したり、三味線を弾いたりしているらしい。
『蓮華楼の娘が、芸妓を?』と思われるかもしれないが、蓮華楼の女将は元芸妓で、母がやっていた仕事に興味を持った早耶音は芸妓になった。
蓮華楼はすでに早耶音の兄が嫁をもらって、跡を継ぐ予定だ。
だから、店としては安泰なのだが、早耶音は私と同じ独身で、このところ『お見合い』『結婚』のワードには敏感になっている。
「それより立栞、お見合いだって本当!? まさか結婚するの?」
――あ、そっち?
私を救出してくれたんだと思ったら、早耶音が気になっているのは、私の結婚らしい。
「お母さんに泣き落とされて、ここに連行されたのよ」
「うちの店を刑務所みたいに言わないで。ふーん。そう。てっきり、結婚前提のお見合いだと思ったわ」
「さすがにそれは急展開すぎるでしょ」
早耶音に笑って言うと、向こうは真顔で否定した。
「なに言ってるの。私たちは二十六歳。結婚してもおかしくないのよ」
早耶音が長い黒髪をかきあげると、薄く化粧をした顔がはっきり見えた。
美人な沙耶音はモテる。
中学校時代には沙耶音が週一で告白されたという伝説まであるくらいだ。
でも、成長した沙耶音は違った。
いわゆる『高嶺の花』となり、周囲を圧倒する美人に成長した。
だから、気軽に声をかけれる男性は少ない。
――美人な上に歴史ある蓮華楼の娘。お座敷に引っ張りだこの人気芸妓。気軽に結婚してくださいなんて言えないわよね。
「安心して、沙耶音。まだ結婚するつもりはないわ。最近、調子がいいし、吉浪では駄目だったけど、まだ諦めてないの」
「え、待って。立栞は吉浪でうまくいかなかったって立栞は思ってるの?」
「……厨房にいられなくなったしね」
辞めた後、沙耶音に事情を話したはずだけど忘れてしまったのだろうか。
もう一度、私は説明すると、沙耶音は『うーん』と首を傾げた。
「吉浪はね、店は多いけど、うちに比べたら人を育てる余裕がないわ。だから、私は最初から、吉浪じゃなくて蓮華楼にしたらって言ったでしょ」
「それだと、実力を試せないから……」
蓮華楼は知り合いが多すぎた。
幼馴染みの早耶音がいるし、料理長は早耶音の父親で、祖父と仲がよかった。
娘の友人、山路の孫としてしか扱ってもらえない気がしたのだ。
蓮華楼の料理長は祖父を尊敬してるから、祖父と比べられてがっかりされるのが怖かったからかもしれない。
吉浪からスカウトされたというのもあるけど、知り合いが少ないというのもあって、吉浪に決めたのだ。
「でも、立栞。私も後から知ったんだけど、実は吉浪には思惑があって……」
早耶音がなにか言いかけたところで、両親と女将のおしゃべりが終わったらしく、私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「おい、立栞。どこにいる?」
「立栞ちゃん、お庭にいるみたい」
早耶音は見つかるとやばいと思ったのか、慌てて出した。
「お母さんに見つかったら叱られるから、私は逃げるけど……立栞! 料理の腕が悪くて、厨房から外されたんじゃないってことだけは確かだから! じゃあね!」
「え……?」
私が聞き返す前に、沙耶音はすばやく身を隠して逃げていった。
――二十六歳にもなって、お母さんに叱られるって、沙耶音はなにをしてるの。
蓮華楼の娘、人気芸妓で高嶺の花。
そんな彼女が泥棒みたいに逃げていく姿を誰が想像するだろう。
「立栞ちゃーん!」
私のお母さんが私を呼ぶ声がして、私は正面へ戻った。
「遅いわよ~!」
「ごめんなさい。庭を見ていたの」
沙耶音と会っていたと、みんな知っている。
けれど、沙耶音が恐れる母親の女将は、店で働いていない娘が、店の中を歩き回ることをよしとしていない。
長年の付き合いでわかっていた母は、うまく話を合わせた。
「そうね。蓮華楼さんはお庭も素晴らしいものねぇ~」
母は蓮華楼の庭を褒めたけど、父のほうは庭にまったく興味がなく、ふーんと言っただけだった。
「ご案内しますわ。どうぞ、こちらへ」
女将が私たちを先導する。
店の中へ入ると、入り口から廊下に続くところにはお香の香りが漂い、眠気を誘う。
さすが高級料亭だけあって、食事だけでなく、雰囲気も大事にしている。
食事はすべて個室で予約が必須。
私たちが食事をするのは『桔梗の間』で、木札には桔梗という文字と桔梗の絵が描かれていた。
女将が廊下に膝をつき、襖に向かって声をかける。
「失礼します」
すでにお見合い相手が到着していたようで、少し待たせてしまっていたようだ。
こちらも早かったけど、向こうもずいぶん早い。
女将が襖戸を開けた。
「いやぁ、山路さん。よく来てくださいましたね」
最後尾にいる私は、まだ中に入る人の顔は見えない。
でも、父はしっかり見えている。
「いえいえ。今日は蓮華楼で食事ができるとあって、娘も喜んでいましたよ」
「ちょっと……! お父さん!」
それは嘘じゃないけど、聞きようによっては、私がお見合いに賛成しているふうに聞こえてしまう。
「蓮華楼なのは吉浪本家の誠意ですよ。すみませんねぇ。本家は忙しくしていまして、親戚が仲人役で申し訳ない」
「ははは。今日の主役は本人同士。我々は脇役でしょう」
「それはそうですな」
――今、吉浪と言わなかった?
父たちの会話が続いていたけど、頭痛と耳鳴りがして手に汗が滲んだ。
私の前にいた両親が笑いながら座敷へ入っていく。
お見合い相手の男性の姿が見える。
その姿を見て、私は呆然とした。
「どうして……?」
見覚えのある人が座っていた。
春まで一緒に働いていた――
「お久しぶりです。立栞さんが吉浪を辞めて以来ですね」
料亭『吉浪』三代目の息子で、長男の永祥さん。
私を料理人としてスカウトし、最後は接客係になれと言った人だった――
今、私は蓮華楼の駐車場にいる。
ご覧の通り、まんまと母に騙されてお見合い場所へ連れてこられた。
でも、私が悪い。
あの父が簡単に黙って引くわけがないのだから、警戒すべきだったのだ。
美味しい物が食べられると思い込んで、嬉々として実家へ行くと、母に会うなり、笑顔で手渡された着物。
着物は楓の枝が伸びた柄の小紋で、秋らしい淡黄色の落ち着いたもの。
今日、着ていく服は、実家に置いてあったセミフォーマルな服を着る予定にしていたのに、まさかの着物である。
『これはおかしい』
日曜日の朝にゴルフへ行く父が自宅にいて、着物姿の母がいる。
嫌な予感しかないシチュエーションにピンときた。
これは私にお見合いさせるつもりだと気づき、慌てて着物を突き返した。
でも、母は着物を受けとらず、さめざめと泣き出した。
『最近の立栞ちゃんは、お父さんと仲が悪いでしょう? お母さんは悲しいわ。一度くらいお見合いしてもいいじゃない』
母は自分の父親を『お父様』と呼び、夫を『お父さん』と呼んで使い分けている。
娘の私より娘らしい母に困ってしまう。
演技だとわかっていても、親に泣かれると気まずく、こちらの罪悪感を刺激してくる。
『わかった! わかったから、泣かないで!』
そう言って、なんとか母を宥め、泣き止ませた。
結果、大喜びしたのは父だった。
――私だって、お見合いじゃなかったら大喜びしていたわ。
蓮華楼は武家屋敷が並ぶ古い通りにある老舗料亭で、江戸の頃は武士たちが使った歴史ある特別な店である。
そして、蓮華楼は世間の評判に驕ることなく、優秀な料理人を出し続けている名店だ。
「さすが、母さんだ! 母さんに立栞を任せて正解だったな。まったく、誰に似たのか頑固で融通がきかない娘で困る」
「まあ、あなた。立栞ちゃんは優しくていい子ですよ」
二人の会話を聞いて、ゲンナリした。
母は私をいい子だと口では言ってるけど、我が手柄という顔をしているし、父のほうは自分の考えが通って満足そうである。
さしずめ、敵の首をとった武将と手柄を褒める将軍というところ……
「お見合い相手に失礼のないようにな」
「立栞ちゃん、大丈夫。にこにこしていればいいだけよ」
私が失礼で無愛想だと言っているのと同じ。
でも、私はそれを甘んじて受けるしかなかった。
私には弟が一人いるけど、実家に住んでおらず、会社近くのマンションに暮らしている。
しっかり者の弟は、父の跡を継ぐべく、大学卒業と同時に父の会社へ入社し、仕事を手伝い、両親の信頼も厚い。
母はお嬢様育ちだけど、学生時代の友人や実家の関係者など、普通では作れないようなコネクションを持つ。
父はそれで何度も母に助けられている。
つまり、料理人になりたいなどと言い出した娘は、家族にとってなんの役にも立たない娘なのである。
せめて親の顔を立てて、お見合いしろというわけだ。
――しかも、料理人になるどころか、今は無職。なおさら、親からの風当たりが強いのも仕方がないわよね。
銀杏の葉と紅葉が落ちた道をとぼとぼと歩く。
昨晩の雨で、地面にはりついた黄色と赤の模様。
駐車場から蓮華楼までの道には、雨で散った色とりどりの葉が、季節の移ろいを教えていた。
門をくぐれば、手入れされた立派な日本庭園が続く。
正面には歴史を感じる『蓮華楼』と書かれた大きな木の看板が存在感を放ち、重厚な雰囲気を漂わせて客を圧倒する。
「蓮華楼さんは間違いないわね。またお願いするわ」
「料理長にも美味しかったとお伝えください」
「まあ、ありがとうございます。ぜひ、またいらしてくださいませ」
入り口では着物を着た大勢の女性が食事を終えた後なのか、女将とおしゃべりを楽しんでいた。
蓮華楼は茶室を備え、昔から茶懐石料理もやっている。
女将自身も茶道や華道、書道から日本舞踊と多くの習い事をしていて、女将と懇意にしている先生は多い。
なお、私も蓮華楼の娘と一緒に、習い事を一通りやった経験がある。
――でも、身についたのは、おじいちゃんから教わった料理だけ。
それはそれで、悲しい現実……
結局、興味の持てること以外、形にならなかった。
その料理も今は作れない。
そんな私はボロボロのズタボロになって、再起不能で落ち込んでいた。
でも、今の私は狛犬の現比と出会い、『また作れるようになるのでは』と思い始めている。
――結婚は絶対に断ろう。今の私は瀬戸際の崖っぷち。もう一度、料理を作れるようになるかどうかの分かれ目なんだから。
ギュッと手を握り締めた時、女将が私たちに気づき、軽く頭を下げて目礼した。
話していたお客様に挨拶をして見送ると、次は私たちを笑顔で迎える。
「山路様、いらっしゃいませ」
「忙しい日に申し訳ない」
「いいえ。立栞さんの大事な日ですし、うまくいくとよろしいですね」
――知らぬは本人ばかり。
大事な日イコールお見合い――女将は私も納得の上のお見合いだと思っている。
父がうまいこと言ったに違いない。
私が渋い顔をしている間も、食材がどうの、料理人の腕がああだのと――吉浪を辞めた私にとって、居心地の悪い話が続く。
頭痛がして、そっと額に手をあてた。
――私の体調が万全じゃないって、両親もわかってるはずなのに。
体裁を整えるための着物も辛く、人と接するのも息苦しい。
それでも私は両親と蓮華楼の女将の前で、嫌な顔をするわけにはいかず、作り笑いを浮かべていた。
この場に堪えるよう握った手には汗がにじみ、頭痛と動悸がひどくなる。
両親は気づかずに、楽しそうに談笑していて、苦しいのは私だけ――まるで自分が世界の端っこに取り残されたような気分だった。
前なら耐えられたのに、今はそれができない。
もどかしくて、しんどくて、笑ってやりすごすこともできないなんて――
「立栞! こっち!」
名前を呼ばれて振り返ると、庭の隅に生えている松の木の陰から、長く艶やかな黒髪が見えた。
細い幹と針のような葉の松の木に、成人した女性の体が隠れるわけがないのに、本人はちゃんと隠れているつもりのようだ。
子供の頃は隠れていたかもしれないけど、残念ながら女将から鋭くにらまれ、『ひっ!』と声を上げて、サッと顔をひっこめた。
私は両親と女将に会釈し、呼ばれたほうへ歩いていく。
――はぁ……。子供の頃から変わらないわね。
店の奥には大きなツツジの木があって、いつも彼女はそこに隠れていた。
習い事をサボっている時や両親に叱られた時、ツツジの木が彼女の拠り所だった。
白のシャツに黒のロングカーディガンを羽織り、ジーンズをはいた蓮華楼には相応しくないラフな服装だけど、顔も体もモデル並みの美女が、ツツジの木の前で仁王立ちしていた。
彼女は私の幼馴染み、蓮華早耶音である。
店と苗字の読み方が違い、店は蓮華で、苗字は蓮華。
少しややこしい。
「沙耶音。なにしてるの? 多慶子おばさんに叱られるわよ?」
「わかってる。だから、そっと立栞を呼んだのよ」
かなり大きな声だったし、私の両親も女将も気づいていた。
しっかり見つかっておいて、『そっと』はないと思う。
「沙耶音はお休み? 仕事はいいの?」
「平気。お座敷に呼ばれてるのは夜だから、まだ余裕があるわ」
早耶音の職業は芸妓である。
料亭などに呼ばれて舞いを披露したり、三味線を弾いたりしているらしい。
『蓮華楼の娘が、芸妓を?』と思われるかもしれないが、蓮華楼の女将は元芸妓で、母がやっていた仕事に興味を持った早耶音は芸妓になった。
蓮華楼はすでに早耶音の兄が嫁をもらって、跡を継ぐ予定だ。
だから、店としては安泰なのだが、早耶音は私と同じ独身で、このところ『お見合い』『結婚』のワードには敏感になっている。
「それより立栞、お見合いだって本当!? まさか結婚するの?」
――あ、そっち?
私を救出してくれたんだと思ったら、早耶音が気になっているのは、私の結婚らしい。
「お母さんに泣き落とされて、ここに連行されたのよ」
「うちの店を刑務所みたいに言わないで。ふーん。そう。てっきり、結婚前提のお見合いだと思ったわ」
「さすがにそれは急展開すぎるでしょ」
早耶音に笑って言うと、向こうは真顔で否定した。
「なに言ってるの。私たちは二十六歳。結婚してもおかしくないのよ」
早耶音が長い黒髪をかきあげると、薄く化粧をした顔がはっきり見えた。
美人な沙耶音はモテる。
中学校時代には沙耶音が週一で告白されたという伝説まであるくらいだ。
でも、成長した沙耶音は違った。
いわゆる『高嶺の花』となり、周囲を圧倒する美人に成長した。
だから、気軽に声をかけれる男性は少ない。
――美人な上に歴史ある蓮華楼の娘。お座敷に引っ張りだこの人気芸妓。気軽に結婚してくださいなんて言えないわよね。
「安心して、沙耶音。まだ結婚するつもりはないわ。最近、調子がいいし、吉浪では駄目だったけど、まだ諦めてないの」
「え、待って。立栞は吉浪でうまくいかなかったって立栞は思ってるの?」
「……厨房にいられなくなったしね」
辞めた後、沙耶音に事情を話したはずだけど忘れてしまったのだろうか。
もう一度、私は説明すると、沙耶音は『うーん』と首を傾げた。
「吉浪はね、店は多いけど、うちに比べたら人を育てる余裕がないわ。だから、私は最初から、吉浪じゃなくて蓮華楼にしたらって言ったでしょ」
「それだと、実力を試せないから……」
蓮華楼は知り合いが多すぎた。
幼馴染みの早耶音がいるし、料理長は早耶音の父親で、祖父と仲がよかった。
娘の友人、山路の孫としてしか扱ってもらえない気がしたのだ。
蓮華楼の料理長は祖父を尊敬してるから、祖父と比べられてがっかりされるのが怖かったからかもしれない。
吉浪からスカウトされたというのもあるけど、知り合いが少ないというのもあって、吉浪に決めたのだ。
「でも、立栞。私も後から知ったんだけど、実は吉浪には思惑があって……」
早耶音がなにか言いかけたところで、両親と女将のおしゃべりが終わったらしく、私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「おい、立栞。どこにいる?」
「立栞ちゃん、お庭にいるみたい」
早耶音は見つかるとやばいと思ったのか、慌てて出した。
「お母さんに見つかったら叱られるから、私は逃げるけど……立栞! 料理の腕が悪くて、厨房から外されたんじゃないってことだけは確かだから! じゃあね!」
「え……?」
私が聞き返す前に、沙耶音はすばやく身を隠して逃げていった。
――二十六歳にもなって、お母さんに叱られるって、沙耶音はなにをしてるの。
蓮華楼の娘、人気芸妓で高嶺の花。
そんな彼女が泥棒みたいに逃げていく姿を誰が想像するだろう。
「立栞ちゃーん!」
私のお母さんが私を呼ぶ声がして、私は正面へ戻った。
「遅いわよ~!」
「ごめんなさい。庭を見ていたの」
沙耶音と会っていたと、みんな知っている。
けれど、沙耶音が恐れる母親の女将は、店で働いていない娘が、店の中を歩き回ることをよしとしていない。
長年の付き合いでわかっていた母は、うまく話を合わせた。
「そうね。蓮華楼さんはお庭も素晴らしいものねぇ~」
母は蓮華楼の庭を褒めたけど、父のほうは庭にまったく興味がなく、ふーんと言っただけだった。
「ご案内しますわ。どうぞ、こちらへ」
女将が私たちを先導する。
店の中へ入ると、入り口から廊下に続くところにはお香の香りが漂い、眠気を誘う。
さすが高級料亭だけあって、食事だけでなく、雰囲気も大事にしている。
食事はすべて個室で予約が必須。
私たちが食事をするのは『桔梗の間』で、木札には桔梗という文字と桔梗の絵が描かれていた。
女将が廊下に膝をつき、襖に向かって声をかける。
「失礼します」
すでにお見合い相手が到着していたようで、少し待たせてしまっていたようだ。
こちらも早かったけど、向こうもずいぶん早い。
女将が襖戸を開けた。
「いやぁ、山路さん。よく来てくださいましたね」
最後尾にいる私は、まだ中に入る人の顔は見えない。
でも、父はしっかり見えている。
「いえいえ。今日は蓮華楼で食事ができるとあって、娘も喜んでいましたよ」
「ちょっと……! お父さん!」
それは嘘じゃないけど、聞きようによっては、私がお見合いに賛成しているふうに聞こえてしまう。
「蓮華楼なのは吉浪本家の誠意ですよ。すみませんねぇ。本家は忙しくしていまして、親戚が仲人役で申し訳ない」
「ははは。今日の主役は本人同士。我々は脇役でしょう」
「それはそうですな」
――今、吉浪と言わなかった?
父たちの会話が続いていたけど、頭痛と耳鳴りがして手に汗が滲んだ。
私の前にいた両親が笑いながら座敷へ入っていく。
お見合い相手の男性の姿が見える。
その姿を見て、私は呆然とした。
「どうして……?」
見覚えのある人が座っていた。
春まで一緒に働いていた――
「お久しぶりです。立栞さんが吉浪を辞めて以来ですね」
料亭『吉浪』三代目の息子で、長男の永祥さん。
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アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。
前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。
ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。
「この家は、もうすぐ潰れます」
家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。
手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。
幻獣保護センター廃棄処理係の私、ボロ雑巾のような「ゴミ幻獣」をこっそり洗ってモフっていたら、実は世界を喰らう「終焉の獣」だった件について
いぬがみとうま🐾
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「魔力なしの穀潰し」――そう蔑まれ、幻獣保護センターの地下で廃棄幻獣の掃除に明け暮れる少女・ミヤコ。
実のところ、その施設は「価値のない命」を無慈悲に殺処分する地獄だった。
ある日、ミヤコの前に運ばれてきたのは、泥と油にまみれた「ボロ雑巾」のような正体不明の幻獣。
誰の目にもゴミとしか映らないその塊を、ミヤコは放っておけなかった。
「こんなに汚れたままなんて、かわいそう」
彼女が生活魔法を込めたブラシで丹念に汚れを落とした瞬間、世界を縛る最凶の封印が汚れと一緒に「流されてしまう。
現れたのは、月光を纏ったような美しい銀狼。
それは世界を喰らうと恐れられる伝説の災厄級幻獣『フェンリル・ヴォイド』だった……。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
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アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
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