幼馴染は私を囲いたい!

椿蛍

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33 ささやき【逢生】

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梶井との二重奏の曲はリベルタンゴ。
正直言って激しい曲は疲れるから嫌いだ。
地球に優しく生きることをモットーとしている。

「子犬。俺に負けるなよ」

「言ってろ」

「奏花ちゃんの前だと、おりこうなくせにいなくなると口が悪いな」

無視だ、無視。
この仕事が終わったら、梶井とは完全に縁を切る。
曲のスタートから俺と梶井は攻撃しあう。
梶井は『俺が一番』という自信たっぷりな態度で弾く。
なら、俺はその鼻っ柱を殴るだけ。
梶井が『抑えろよ』という視線を送ってきたが、無視した。
ついてこれないなら、合わせてやるけど?と俺はちらりと梶井を見た時だった。

「奏花ちゃんの寝顔は可愛いよな」

弓を持つ手がブレて音程をはずしかけたところをぐっとこらえてすぐに梶井に合わせる。
ぎろっと睨むと梶井は鼻先で笑う、
それはほんの一瞬だったけど、わかるやつにはわかる。
俺がミスをした―――そう思っただろう。
曲が終わり、舞台そでに戻ると唯冬と知久がぽんっと肩を叩いて笑う。
『気にするな』ということだとわかった。
俺が動揺していることに二人とも気づいている。
二人は演奏するために舞台へと出て行った。

「深月、どうしたの?音が乱れてなかった?」

桑地が駆けつける。
けれど、俺は答えられなかった。
理由が奏花なんて絶対に言えない。

「挑発されたくらいで動揺してどうするんだ?奏花ちゃんがいなくなったら、お前のチェロは終わりだな」

奏花がいなくなる?
暗い舞台そでが昔を思い出させた。
明るい舞台では唯冬と知久が弾いている

「勝負は俺の勝ち。勝ったら奏花ちゃんが俺とデートしてくれるって約束してくれたんだけど、いいよな?この約束、知っていたか?ってその顔じゃ聞いてないか」

スタッフからタオルを渡されたのにそれを落としてしまった。

「どうしたの?深月!?」

桑地の声が遠い。
彼女になっても奏花は俺のものにはならない。
もし、梶井の方がいいって言われたら?
失敗した俺のチェロより梶井のほうがかっこいいってやっぱり言う?

「深月さん!どこに行くつもりですかっ!」

「深月っ!コンサート中よっ!」

気づくと宰田と桑地が俺の腕をつかみ、他のスタッフまで駆けつけてきた。
俺の様子をおかしそうに梶井が見下ろす。

「深月にはいい仲間がいるなあ。だからお前に彼女はいらないだろ?俺に奏花ちゃんをくれよ」

「断る」

「彼女が俺のほうがいいって言っても?」

「それでも断る」

宰田も桑地もポカンとしていた。

「奏花がいないと弾けない」

はぁっと梶井がため息をついた。

「いい加減にしろ。お前、俺みたいに弾けなくなるぞ。誰か一人のために弾くなよ」

梶井はタオルをスタッフに渡して、顔をふいっと背けた。
あきれた顔で。
次は梶井のソロだ。
俺はタオルを頭からかぶり、椅子に座って動揺した心を落ち着けようと頭の中を整理していた。
出番までには気持ちをもとに戻さないと音に出る。
そう思っていると、俺の隣に桑地が座った。

「あのね、深月」

「悪いけど、今は」

一人にして欲しいと言いかけた俺を桑地が手で制した。
話を聞いてほしいというように。

「深月は人に興味がないから、知らないだろうけど。梶井さんは高校生の時、お母様を亡くされてチェロをやめたいと言って弾かなくなった時期があるのよ」

菱水音大付属高校では有名な話でねと桑地は梶井の秘密を話しているわけではないと言いたかったらしい。

「あの頃の梶井さんはお母様だけのために弾いていたってインタビューでも答えていて、チェロをやめるつもりだったとも。けど、公園で会った小学生から弾く姿がかっこいいって言われてから、自分の音楽を聴いてくれる人のために弾けるようになったって」

「それは奏花だ」

「え?奏花さん?」

「かっこいいって奏花が言ったから、あいつはまたチェロを弾き始めたんだ」

覚えている。
俺もその場にいたから。
音程をはずした音、手入れされてないチェロ。
変な音だって俺は思ったから、梶井に言ったら怒っていたけど、奏花は違った。
あいつのこと『かっこいい』と言って目をキラキラさせていた。

「だから、俺もチェロを弾いた。奏花がいなかったら、ここに俺も梶井もいなかった」

奏花は音楽のことは一切わからない。
わからないからこそ、純粋な言葉を持っている。
その純粋な言葉が時に心を動かすこともある。
あの一瞬の出会いがすべてここに繋がっているとするならば、この舞台は誰のために用意されていたんだろう。
俺?それとも梶井?
少なくとも音楽の神様は梶井に微笑んだのかもしれない。
明るい舞台から響いてくる拍手は梶井だけのものだった。

「さっきの演奏を聴いて桑地もわかったはずだ。梶井のほうが上だって」

「そ、それは」

「桑地さん、出番です」

「え、ええ。でも、私は深月と組んで演奏したいって思ってるのよ?」

「梶井が一緒にやろうって言ったら梶井を選ぶだろう?」

「私から断れないわ」

「それが答えだよ」

世界的に有名な梶井とまだ駆け出しの俺達。
桑地は黙って舞台のほうへと向かった。
次は梶井と桑地。
桑地は梶井の伴奏をする。
他の誰が梶井を選んでも構わない。
けれど、奏花だけは―――奏花は今の演奏を聴いてどう思った?
魅力的な梶井の演奏を聴いて、俺じゃなくて梶井がいいっていうかもしれない。
もしそうなったら?
俺は奏花を手放せる?

「深月さん。そんな自信をなくした顔しないでくださいよ。プロになるのを途中で挫折した俺からしたら、深月さん達はみんな天才ですよ」

いつの間にか宰田が俺の前に立っていた。
そして、演奏を終えた唯冬と知久が俺の両隣に座っていた。

「逢生。気にするな。演奏は悪くなかった」

「そうそう。むしろいつもよりよかったと俺は思うぞ?激情まみれの逢生の演奏なんてそうそう聴けるものじゃないからな。あー。いいもの聴かせてもらった」

「……うん」

二人の存在はいつも俺を助けてくれる。
奏花と同じくらいに大事だ。
やっと顔をあげることができた。
視線の先には明るい光に照らされた舞台が見える。
俺はもう暗い部屋で奏花を待っている子供じゃないし、一人でもない。
深呼吸をした。

「その若さで三人ともあの梶井さんに見劣りしないくらいなんですから天才ですよ。最後までその調子でお願いしますね」

宰田は俺が大丈夫だと判断すると離れていった。
天才か。
俺達三人はそ菱水音大附属高校時代からそう呼ばれたけど、ただ手に入れたいもののために必死だっただけ。
―――残り数曲。
これ以上、梶井にこの程度かなんて思われてたまるか。
タオルを頭からばさっと取り去ると、二人が笑う。

「さて。次は俺達三人の演奏だ。梶井にもってかれてたまるか」

「そうそう。俺達は王子様らしく姫達を魅了してこようぜ」

唯冬と知久はタイを直して王子らしく片目を閉じてみせた。
梶井はわかってない。
俺には二人がいて一緒に演奏してくれるってことを。 
だから、俺はまだ弾ける。
どんなに傷つけられたとしても。
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