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19 突然の訪問
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ルヴェロナの王宮から見える湖は灰青色の冬の湖らしい寒ざむしい色をしていた。
その湖に白鳥がやってきて、湖の上に雪のような白さを落とす。刈り取られた小麦畑の上に薄く積もった雪原を作っている。
そして、農閑期の時期、農村から出てきた家族連れが町でしか手に入らない布や雑貨を買い求めたり、遠くの村からやってきた旅行客。いつもより賑やかな町の光景が眼下に広がっていた。
「ルヴェロナの町の灯りは暖かい色をしているから好きだよ」
「そう? バルレリアのほうがたくさんランプが灯っているでしょう」
「バルレリアの冬は寂しい。冬の間、王族や貴族は南の領地へ行くから、雪で町が埋もれて白いだけの景色だ」
そう言うと、アルドは窓際に座り、バルレリアから持ってきた本のページをめくる。本を読みながら、お気に入りの蜂蜜入り紅茶を飲む。
ホットミルクから、いつの頃か紅茶に変わり、アルドが読む本は年々難しくなって、私にはわからない政治や法律の本を読んでいた。
「レティツィア? 俺、なにかおかしいこと言った?」
「ううん。違うの。アルドの成長が嬉しいだけ」
「母親かな」
「そんな心境に近いかも」
そう答えると、アルドは不満そうな顔をしていた。
その態度で、アルドが私にしたプロポーズの有効期限はまだ切れてなくて、継続中なのだとわかった。
「アルドは前と全然違うわ」
「そこまで成長してる?」
「……ええ」
褒められたと思ったらしいアルドはにっこり微笑んでいた。
『前』と私が言ったのは前回の人生のこと。これが二度目の人生だとアルドは知らない。
前回、亡霊のように生きていたアルドは剣にも学問にも興味をもたず、『いつか自分は殺されて死ぬ』と、死期を悟ったような動物のような目をしていた。
ルヴェロナ王宮へやってきて、今、アルドが座っている場所に同じように前回のアルドもいた。
魂が抜けてしまったかのように、ぼんやり窓の外を眺めるだけのアルドはもういない。
でも、お気に入りの場所や好きなものは前も今も変わらないらしい。
二杯目の紅茶にもアルドが好きな金色の蜂蜜を加えた。
「レティツィア。俺が難しい本を読んだり、剣の稽古を頑張る理由が知りたい?」
「理由があるの?」
「あるよ。昔、ヴィルジニアが俺に言ったからだ。自分より弱い奴にレティツィアは渡さないって」
「そんなこと言ってた?」
「言った。俺を剣で負かしたヴィルジニアが宣言した。あの時、俺は決めたんだ。誰よりも強くなろうって。レティツィアを手に入れるために」
朝露に濡れたブルーベリーの実のような青紫の瞳がまっすぐ私を見ていた。
逃げることなく、自分の運命に挑む――アルドはなにも知らないはずなのに、その目は私たちと同じ目をしていた。
「クラウディオ兄さんはレティツィアじゃなくて、ヴィルジニアを選んだ」
「それは当たり前だと思うわ。ヴィルジニアとのほうが親しかったし」
「俺はレティツィアが選ばれると思ってた」
なにげなくアルドは言ったかもしれないけど、それは私にとって不吉な言葉だった。
私がクラウディオ様の婚約者にならなかったことで、大きく運命が変わったはずなのに不安になってしまう。
生と死。どちらに天秤が傾いたのだろう。
クラウディオ様と争う未来ではないと信じたい。信じたいけど――
「クラウディオ様が私を選ぶなんてあり得ないわ」
「そんなことない。兄さんはレティツィアを気に入ってた。もし、クラウディオ兄さんがヴィルジニアじゃなくて、レティツィアを選んでいたら、俺はきっと兄さんを……」
「アルド! その先を言わないで!」
声を荒げた私にアルドは驚き、読んでいた本を閉じた。
「レティツィア……?」
アルドが心配そうな顔をして、私に手を伸ばす――その瞬間、バンッとドアが開いた。
「大変っ! 大変ですっ!」
のんびりなルヴェロナで、侍女がこんな大慌てで走ってくるなんて滅多にない。
私もアルドも驚き、ドアのほうを振り返った。
「どうしたの?」
「突然、クラウディオ様がっ……護衛もつけずにお一人で来られて……」
走ってきた侍女は息を切らせながら、懸命に話す。
「兄さんがこの雪の中を一人で?」
窓の外は灰色の空が広がり、大きな雪片がひらひらと舞っていた。
ルヴェロナの冬はバルレリアのように馬車の車輪の跡をすぐに隠してしまうほど、たくさん降る雪の量ではないとはいえ、道の状態は悪い。
「はい。それも馬車ではなく、馬で……」
侍女は怯えたように話す。
なにかよくないことが起きたのではと思ったらしい。
「とりあえず、クラウディオ様を出迎えないと……」
「俺も行く」
侍女の口からだけでは、なにが起きたのか少しもわからなかった。
私とアルドは急いだつもりだったけど、王宮の入り口に私たちが到着した頃には、すでにヴィルジニアの格好をしたお兄様がクラウディオ様を出迎えていた。
正しくは対峙していた。ピリピリした空気を感じ、緊張感が漂う。
侍女が異変を感じるのもおかしくない。
普段のクラウディオ様とヴィルジニアは親友みたいで、仲のいい二人がここまで険悪なムードになるなんて、信じられなかった。
「クラウディオ様、どうかなさいましたか? 冬は南のほうで過ごすとおっしゃっていたような気がするのですけど?」
お兄様は状況を把握するつもりなのか、いくつか質問を投げかける。お兄様の顔から、いつもの笑みは消えていた。
そして、クラウディオ様からも。
「アルド。クラウディオ様にいったいなにがあったの……?」
「わからない」
アルドの護衛はバルレリアや南の領地で過ごす王妃たちの様子を定期的にアルドに報告している。
だから、アルドがわからないのであれば、私たちはなおさら知りようがない。
クラウディオ様のマントや髪、ブーツについた雪を目で追う。
服装はいつもより簡素なもので、お忍びで遊びに来たと言われれば、そうなのかと納得できるような服装だった。
でも、クラウディオ様は軽率に動き、お忍びで遊びに来るような性格ではない。
馬はすでに厩舎へ預けられたけれど、護衛の姿はどこにもおらず、クラウディオ様のみ。クラウディオ様の周りに護衛がいないなんてあり得ないことだ。
「婚約者に会いに来てなにか問題でも?」
クラウディオ様は淡々とした口調だけど、いつもの冷静な空気はなく、声がわずかに震えている。
それは怒りからなのか、それとも寒さからなのか、察することはできないけれど、様子がおかしいことだけは確かだった。
その湖に白鳥がやってきて、湖の上に雪のような白さを落とす。刈り取られた小麦畑の上に薄く積もった雪原を作っている。
そして、農閑期の時期、農村から出てきた家族連れが町でしか手に入らない布や雑貨を買い求めたり、遠くの村からやってきた旅行客。いつもより賑やかな町の光景が眼下に広がっていた。
「ルヴェロナの町の灯りは暖かい色をしているから好きだよ」
「そう? バルレリアのほうがたくさんランプが灯っているでしょう」
「バルレリアの冬は寂しい。冬の間、王族や貴族は南の領地へ行くから、雪で町が埋もれて白いだけの景色だ」
そう言うと、アルドは窓際に座り、バルレリアから持ってきた本のページをめくる。本を読みながら、お気に入りの蜂蜜入り紅茶を飲む。
ホットミルクから、いつの頃か紅茶に変わり、アルドが読む本は年々難しくなって、私にはわからない政治や法律の本を読んでいた。
「レティツィア? 俺、なにかおかしいこと言った?」
「ううん。違うの。アルドの成長が嬉しいだけ」
「母親かな」
「そんな心境に近いかも」
そう答えると、アルドは不満そうな顔をしていた。
その態度で、アルドが私にしたプロポーズの有効期限はまだ切れてなくて、継続中なのだとわかった。
「アルドは前と全然違うわ」
「そこまで成長してる?」
「……ええ」
褒められたと思ったらしいアルドはにっこり微笑んでいた。
『前』と私が言ったのは前回の人生のこと。これが二度目の人生だとアルドは知らない。
前回、亡霊のように生きていたアルドは剣にも学問にも興味をもたず、『いつか自分は殺されて死ぬ』と、死期を悟ったような動物のような目をしていた。
ルヴェロナ王宮へやってきて、今、アルドが座っている場所に同じように前回のアルドもいた。
魂が抜けてしまったかのように、ぼんやり窓の外を眺めるだけのアルドはもういない。
でも、お気に入りの場所や好きなものは前も今も変わらないらしい。
二杯目の紅茶にもアルドが好きな金色の蜂蜜を加えた。
「レティツィア。俺が難しい本を読んだり、剣の稽古を頑張る理由が知りたい?」
「理由があるの?」
「あるよ。昔、ヴィルジニアが俺に言ったからだ。自分より弱い奴にレティツィアは渡さないって」
「そんなこと言ってた?」
「言った。俺を剣で負かしたヴィルジニアが宣言した。あの時、俺は決めたんだ。誰よりも強くなろうって。レティツィアを手に入れるために」
朝露に濡れたブルーベリーの実のような青紫の瞳がまっすぐ私を見ていた。
逃げることなく、自分の運命に挑む――アルドはなにも知らないはずなのに、その目は私たちと同じ目をしていた。
「クラウディオ兄さんはレティツィアじゃなくて、ヴィルジニアを選んだ」
「それは当たり前だと思うわ。ヴィルジニアとのほうが親しかったし」
「俺はレティツィアが選ばれると思ってた」
なにげなくアルドは言ったかもしれないけど、それは私にとって不吉な言葉だった。
私がクラウディオ様の婚約者にならなかったことで、大きく運命が変わったはずなのに不安になってしまう。
生と死。どちらに天秤が傾いたのだろう。
クラウディオ様と争う未来ではないと信じたい。信じたいけど――
「クラウディオ様が私を選ぶなんてあり得ないわ」
「そんなことない。兄さんはレティツィアを気に入ってた。もし、クラウディオ兄さんがヴィルジニアじゃなくて、レティツィアを選んでいたら、俺はきっと兄さんを……」
「アルド! その先を言わないで!」
声を荒げた私にアルドは驚き、読んでいた本を閉じた。
「レティツィア……?」
アルドが心配そうな顔をして、私に手を伸ばす――その瞬間、バンッとドアが開いた。
「大変っ! 大変ですっ!」
のんびりなルヴェロナで、侍女がこんな大慌てで走ってくるなんて滅多にない。
私もアルドも驚き、ドアのほうを振り返った。
「どうしたの?」
「突然、クラウディオ様がっ……護衛もつけずにお一人で来られて……」
走ってきた侍女は息を切らせながら、懸命に話す。
「兄さんがこの雪の中を一人で?」
窓の外は灰色の空が広がり、大きな雪片がひらひらと舞っていた。
ルヴェロナの冬はバルレリアのように馬車の車輪の跡をすぐに隠してしまうほど、たくさん降る雪の量ではないとはいえ、道の状態は悪い。
「はい。それも馬車ではなく、馬で……」
侍女は怯えたように話す。
なにかよくないことが起きたのではと思ったらしい。
「とりあえず、クラウディオ様を出迎えないと……」
「俺も行く」
侍女の口からだけでは、なにが起きたのか少しもわからなかった。
私とアルドは急いだつもりだったけど、王宮の入り口に私たちが到着した頃には、すでにヴィルジニアの格好をしたお兄様がクラウディオ様を出迎えていた。
正しくは対峙していた。ピリピリした空気を感じ、緊張感が漂う。
侍女が異変を感じるのもおかしくない。
普段のクラウディオ様とヴィルジニアは親友みたいで、仲のいい二人がここまで険悪なムードになるなんて、信じられなかった。
「クラウディオ様、どうかなさいましたか? 冬は南のほうで過ごすとおっしゃっていたような気がするのですけど?」
お兄様は状況を把握するつもりなのか、いくつか質問を投げかける。お兄様の顔から、いつもの笑みは消えていた。
そして、クラウディオ様からも。
「アルド。クラウディオ様にいったいなにがあったの……?」
「わからない」
アルドの護衛はバルレリアや南の領地で過ごす王妃たちの様子を定期的にアルドに報告している。
だから、アルドがわからないのであれば、私たちはなおさら知りようがない。
クラウディオ様のマントや髪、ブーツについた雪を目で追う。
服装はいつもより簡素なもので、お忍びで遊びに来たと言われれば、そうなのかと納得できるような服装だった。
でも、クラウディオ様は軽率に動き、お忍びで遊びに来るような性格ではない。
馬はすでに厩舎へ預けられたけれど、護衛の姿はどこにもおらず、クラウディオ様のみ。クラウディオ様の周りに護衛がいないなんてあり得ないことだ。
「婚約者に会いに来てなにか問題でも?」
クラウディオ様は淡々とした口調だけど、いつもの冷静な空気はなく、声がわずかに震えている。
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