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15 帰国
しおりを挟む仕事を続けたいとお母様に伝えると、いい顔はしなかったけれど、お父様が反対しなかったおかげで辞めずに済んだ。
惟月さんと一緒にいられるというのもあるけど、せっかく仕事も色々なことを任せてもらえるようになってきたところだったので、続けられるのは嬉しかった。
海外事業部に承認印の入った書類を持って行くと、何かあったのか、フロア内がどことなく、ざわざわして落ち着かない様子だった。
「間水さん。書類をおいていきますね」
「ありがとう」
気のせいでなければ、間水さんに冷たい視線が向けられている気がした。
理由もわからず、戸惑っていると後ろから声をかけられ、振り向くと、そこには思いもよらない人が立っていた。
「高辻さん。お久しぶり」
「中井さん!?」
相変わらず、美人だったけれど、半年ぶりに会った中井さんはやつれた様子でにらみつけるような目が怖かった。
「あら、帰ってきたの知らなかった?」
「ええ」
「惟月から聞いてないの?」
くす、と中井さんは笑った。
連絡はとっていないと言っていたのに、まるで中井さんは惟月さんと話をして、ここにいるような口振りだった。
惟月さんは私に連絡をとっていないと、言っていたのに。
どういうことか、わからず、呆然としていると―――
「高辻さん。ちょっといいですか?」
遠くから、見ていた閑井さんが駆け寄り、その場から引き離し、海外事業部のフロアから連れ出した。
「こっちに!」
自販機の置いてある場所までくると、閑井さんが言った。
「中井さんの言うことは気にしない方がいいですよ。僕達も中井さんがこっちに戻るとは聞いてなかったんです!海外支店にいられなくなって、帰国することになったとは知っていましたが、まさか海外事業部に戻るとは誰も知らなかったんです」
「いられなくなったって、どうしてですか?」
「顧客からの大量キャンセル事件があったじゃないですか。あれ、中井さんは全然関わっていなかったのに顧客が集まるイベントで前に立って説明しはじめて、商品と違うことを言って、話を聞いた顧客からキャンセルされたんです」
そういえば、そんなことを言っていたかもしれない。
「信用は失うし、謝りに回るのと再契約を結ぶのに大変だったらしく、中井さんは海外支店で皆とうまくいかなくなり、急きょ戻されたんですよ。海外事業部でも謝罪の電話やつながりのある社員は海外出張して、現地までお詫びに行ったんですから」
「そんな大事になっていたなんて」
「間水部長が中井さんを無理やり海外事業部に戻したせいで、間水部長にも批判が集まっているんです」
「知らなかったです」
「だから、きっと専務もご存知じゃないと――」
「誰がなにをご存知じゃないって?」
「うわっ!」
閑井さんの背後から、惟月さんが現れた。
「戻ってくるのが、遅いから見にきたら。閑井。婚約者を物陰に連れ込むのはやめてもらいたいね」
「閑井さんは親切で言ってくださったのに、そんな言い方しなくても」
閑井さんをかばうと惟月さんはムッとした顔をした。
「親切って?」
「中井さんが海外事業部に戻られたんです」
「なんだって?」
惟月さんは初めて聞いたらしく、驚き、目を見開いた。
「まさか。間水が?」
「たぶんそうじゃないかと。人事部からは子会社に出向になったと僕達は聞いていたんです」
「俺も人事部から、そう報告を受けている」
「高辻さんにあからさまな敵意を向けていて……。専務から帰ったことを聞いてないか、と言っていたので連れ出しました……」
惟月さんは表情を曇らせた。
「そうか。悪かったな」
「いえ。それじゃあ……」
閑井さんは会釈し、戻って行った。
「とりあえず、俺達も戻ろう」
時計を見ると、もうすぐ昼休みだった。
ここで話して、他の社員の耳に入るのも困る。
私と惟月さんは部屋に戻った。
「以前も言ったが、もう連絡のやりとりはしていない。どういうことなのか、間水に後から話を聞いてみる」
「はい」
もちろん、惟月さんの言葉を信じている。
「お昼休みになりますから、お弁当の用意をしますね」
「ああ」
お湯を沸かして、お茶をいれ、お弁当を並べた。
いつものように食べていると、部屋のドアが開いた。
間水さんと中井さんがいた。
「ちょっと話がある」
間水さんが惟月さんを呼んだ。
「俺も間水に話があるぞ」
冷ややかな目で間水さんを見て、立ち上がった。
二人が廊下に出て行くと、私と中井さんだけになった。
「高辻さんがお弁当を作っているの?」
「はい、そうです」
「お手伝いさんが作っているんでしょ?それを自分が作ったって言っているんじゃないの?」
「お料理教室に通っていましたので、プロの腕前には程遠いですけれども、人並みには作れると思います」
「ふうん。お弁当なんて作っていじらしいわね。そうやって、惟月にとりいったの?」
「そういうわけでは……」
中井さんは笑っていた。
「惟月と正式に婚約をして、もうじき、結納なんですってね」
「は、はい」
間水さんから聞いたのか、そこまで知っていることに驚いていると、中井さんは目を細めて私を見下ろした。
「それで、惟月と恋人らしいこともしないで、結婚?惟月も可哀想だわ」
「そんなことないです!ちゃんと動物園とか、遊園地にも一緒に行きましたし……」
中井さんが声をたてて、笑いだした。
「なにそれ、小学生?あなた、大人の女性として惟月から見られてないじゃない」
顔が赤くなるのが、わかった。
「その程度なの?惟月はやっぱりあなたのこと、なんとも思っていないのね」
何も言い返せず、視線を床に落とした。
ドアが開き、不機嫌そうな惟月さんと顔色の悪い間水さんが入ってきた。
「悪かったな。惟月」
謝っていたけれど、惟月さんは間水さんに一言も口を聞かず、中井さんを見て言った。
「出て行け」
「私も話がしたいの。今日の夜、空いてるでしょ?」
「話すことは何もない」
「ね?今日だけでいいから」
中井さんが上目遣いで惟月さんに言った。
「断る」
「惟月……」
悲し気な顔で中井さんが目を伏せた。
「一度だけでいいの。そしたら、ちゃんと惟月から距離を置くから」
はぁと惟月さんは溜息をついた。
「わかった。ただし、間水。お前も同席しろ」
「ああ」
私は三人のやり取りをただ眺めていることしかできなかった。
中井さんに言われた言葉と不安な気持ちでいっぱいで、口を挟めるような余裕は一切なかった―――
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