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第2章
19 平穏の終わり③
「もしもし?」
どこにいるのか、電話の向こうが騒がしい。
『あ、夕愛さん。困ったことになりまして』
困ったことになったと言いながら、五十住さんの口調は軽い。
けれど、いつもより丁寧な話し方だった。
叔父夫婦は五十住さんからの電話に、愛娘の行方がわかるのではないかと、真剣な顔で成り行きを見守っている。
「もしかして、光華と一緒にいますか?」
『ええ、その通りです。スーツケースを持って俺のマンションまで来ましてね』
――五十住さんのマンションへ? 光華、なにしてるの!?
どうやら、本格的な家出を決行した光華は、五十住さんのマンションへ押しかけたらしい。
「夕愛ちゃん。五十住君はなんだって?」
「五十住さんのマンションへ押し掛けたみたいで……」
「なっ!? 押し掛け女房みたいな真似をして、なにを考えてるんだ!?」
「光華ったら、なんてことをするの!」
電話向うの五十住さんが怒らずに、笑っているのが救いだった。
『今、小椋さんの声が聞こえたな。本店に来てます?』
「え、ええ……」
国際線のアナウンスが聞こえ、五十住さんと光華が空港にいるのだとわかる。
家出すると宣言していた光華。
どうやら、五十住さんがフランスに出発する日までおとなしくしていただけだったらしい。
『光華お嬢さんから自分と駆け落ちしてくれって頼まれたと、小椋さんに伝えてもらえますか』
「駆け落ち? 五十住さんは光華と付き合っていたんですか?」
『いや、全然』
なんだか話が噛み合わない。
「駆落ち? 光華はいったい……すまん。夕愛ちゃん、電話をもらうよ」
業を煮やした叔父さんが、私の手から受話器を奪った。
「五十住君。本当に申し訳ない。それで光華はどこにいるんだ。引き取りに行く!」
『すみません。出発時間が迫っていて、もう空港です。フランスまで連れていかないと死ぬとか言うんですよ。ああもう……せめて自分で説明してくれよ』
五十住さんは光華に自分から話すよう促す。
『パパ、私よ。光華』
「なにをしてるんだ。早く帰ってきなさい」
『嫌よ。五十住さんを誘惑して連れて帰ってくるわ。そして、私が店を継ぐのよ!』
「ばっ、馬鹿者! お前には無理だ!」
『パパに相談したら、絶対そう言うと思ったの。だから家出したのよ」
叔父さんが光華のわがままに翻弄され、うろたえる姿を見るのは何度目だろう。
『あとね、夕愛に伝えて。ごめんねって。夕愛が気にすると思ったから、仲直りしてから家出したかったんだけど……。ほら、五十住さんがフランスにいっちゃうでしょ?』
光華の声が大きいから、叔父さんが言わなくてもこちらに全部聞こえていた。
仲直りしてから家出したかったということは、光華はオグラの跡継ぎになるため、五十住さんを追いかけてフランスへ行く――それを伝えたかったらしい。
「夕愛ちゃんと仲直りするなら、帰ってきてちゃんと自分の口から伝えるんだ!」
叔父さんは必死だった。
でも、猪突猛進な光華の性格を考えたら、簡単に帰ると言わないだろうなと私は思っていた。
『パパ。遠慮してたら、恋は実らないの』
「恋!? お前、五十住君と結婚するつもりか? フラれただろう?」
『パパは私に言ったわよね。今できる自分の仕事をきっちりやれって。だから、私は今できることをやるつもり』
叔父さんはポカンと口を開けたまま、返す言葉を失った。
『私がフランスから戻る時は、五十住さんも一緒に連れて帰るわ。じゃあね、パパ』
そう言い終わると、光華は五十住さんにスマホを押し付け、一度も電話に出ようとしなかった。
『おい、勝手に決めるな』
『駄目って言われてもついていくわ』
五十住さんが光華に抗議する声が聞こえてくる。
でも、光華は耳を貸さない。
『パパに言って。私を一緒に連れていくって!』
『言えるかっ!』
叔父さんは額に手をあて、弱り切っていた。
「五十住君。光華は空港の警備員にでも預けてくれ」
『警備員ですか……』
「それが無理なら、フランスまで迎えに行こう」
「そうね、あなた。五十住さんに申し訳ないわ……。私がすぐに追いかけて、光華をフランスまで迎えにいきます」
おばさんが言うと、叔父さんも『それがいいだろう』とうなずいた。
けれど、五十住さんはそれを断った。
『いや、俺が抜けて店も忙しいですし、迎えに来なくても大丈夫です。とにかく、なんとか説得して日本行きの飛行機に乗せるんで』
「五十住君……。君には申し訳ないとしか言いようがない。ホテル代やかかった費用は心置きなく請求してくれ」
結局、叔父さんは光華のことを五十住さんに任せるしかなかった。
おばさんは青い顔をして、イートインスペースの椅子に座り込んでしまった。
「なんて困った子なの……」
「光華は気が済むまでフランスに滞在するつもりだろう。五十住君がついているから、大丈夫だとは思うが、心苦しい限りだ」
「ええ……」
騒動をお客様に見せるわけにいかず、叔父夫婦は疲れきった様子で事務所へ引っ込んでいった。
昼前の忙しい時間前であったのと、叔父さんが一時的に『closed』の札をかけていたようで、客足は完全に止まっていた。
叔父夫婦にとって、光華がどれだけ大切な存在であるかわかる。
「光華ったら心配かけて……」
店の前の札を『open』の文字に戻し、店内に戻ると、スタッフが裏でお喋りしている声が聞こえてきた。
光華の行動を咎めるかと思えば、そうではなかった。
「突拍子もないことをしたけどさ。正直、五十住さんを引き止めてくれたのはありがたいよな」
「光華さんに期待するのもあれだが、ここは強引に五十住さんを連れ戻してもらおうぜ!」
なんて声が聞こえてくる。
「すごいですよね」
笑茉ちゃんが無料のコーヒーを補充し、カウンターへ戻ってくる。
「好きな人を海外まで追いかけていくなんて、なかなかできません。それもフラれたばかりで片想いですよ」
たしかに笑茉ちゃんの言うとおりだ。
きっと私ならできない。
――ううん。私はできなかった。
私に足りないものを光華は持っている。
自分に正直で、行動力があって、思いを貫き通す強さ――もし、それが四年前の私にあれば。
成り行きを見守っていた玲我さんと目が合う。
さっきは表情に感情を見せていた玲我さんだけど、冷たい表情に戻っていた。
それは、私の知らない玲我さんだった。
「夕愛。連絡先を教えておく。次は消すなよ」
名刺をエプロンのポケットに滑らせた。
「連絡する」
四年前、消した連絡先――あの時は二度と連絡できないと思っていた。
それが、次に会う約束をして別れるなんて不思議な気がする。
「いらっしゃいませ!」
笑茉ちゃんの明るい声が響く。
店の忙しい時間帯になって、お客様がどんどんやってきた。
玲我さんと話す時間がなくなった。
店はいつもどおりの店内のはずが、どこか落ち着かず、平穏だった日々が遠い過去のように感じていた。
どこにいるのか、電話の向こうが騒がしい。
『あ、夕愛さん。困ったことになりまして』
困ったことになったと言いながら、五十住さんの口調は軽い。
けれど、いつもより丁寧な話し方だった。
叔父夫婦は五十住さんからの電話に、愛娘の行方がわかるのではないかと、真剣な顔で成り行きを見守っている。
「もしかして、光華と一緒にいますか?」
『ええ、その通りです。スーツケースを持って俺のマンションまで来ましてね』
――五十住さんのマンションへ? 光華、なにしてるの!?
どうやら、本格的な家出を決行した光華は、五十住さんのマンションへ押しかけたらしい。
「夕愛ちゃん。五十住君はなんだって?」
「五十住さんのマンションへ押し掛けたみたいで……」
「なっ!? 押し掛け女房みたいな真似をして、なにを考えてるんだ!?」
「光華ったら、なんてことをするの!」
電話向うの五十住さんが怒らずに、笑っているのが救いだった。
『今、小椋さんの声が聞こえたな。本店に来てます?』
「え、ええ……」
国際線のアナウンスが聞こえ、五十住さんと光華が空港にいるのだとわかる。
家出すると宣言していた光華。
どうやら、五十住さんがフランスに出発する日までおとなしくしていただけだったらしい。
『光華お嬢さんから自分と駆け落ちしてくれって頼まれたと、小椋さんに伝えてもらえますか』
「駆け落ち? 五十住さんは光華と付き合っていたんですか?」
『いや、全然』
なんだか話が噛み合わない。
「駆落ち? 光華はいったい……すまん。夕愛ちゃん、電話をもらうよ」
業を煮やした叔父さんが、私の手から受話器を奪った。
「五十住君。本当に申し訳ない。それで光華はどこにいるんだ。引き取りに行く!」
『すみません。出発時間が迫っていて、もう空港です。フランスまで連れていかないと死ぬとか言うんですよ。ああもう……せめて自分で説明してくれよ』
五十住さんは光華に自分から話すよう促す。
『パパ、私よ。光華』
「なにをしてるんだ。早く帰ってきなさい」
『嫌よ。五十住さんを誘惑して連れて帰ってくるわ。そして、私が店を継ぐのよ!』
「ばっ、馬鹿者! お前には無理だ!」
『パパに相談したら、絶対そう言うと思ったの。だから家出したのよ」
叔父さんが光華のわがままに翻弄され、うろたえる姿を見るのは何度目だろう。
『あとね、夕愛に伝えて。ごめんねって。夕愛が気にすると思ったから、仲直りしてから家出したかったんだけど……。ほら、五十住さんがフランスにいっちゃうでしょ?』
光華の声が大きいから、叔父さんが言わなくてもこちらに全部聞こえていた。
仲直りしてから家出したかったということは、光華はオグラの跡継ぎになるため、五十住さんを追いかけてフランスへ行く――それを伝えたかったらしい。
「夕愛ちゃんと仲直りするなら、帰ってきてちゃんと自分の口から伝えるんだ!」
叔父さんは必死だった。
でも、猪突猛進な光華の性格を考えたら、簡単に帰ると言わないだろうなと私は思っていた。
『パパ。遠慮してたら、恋は実らないの』
「恋!? お前、五十住君と結婚するつもりか? フラれただろう?」
『パパは私に言ったわよね。今できる自分の仕事をきっちりやれって。だから、私は今できることをやるつもり』
叔父さんはポカンと口を開けたまま、返す言葉を失った。
『私がフランスから戻る時は、五十住さんも一緒に連れて帰るわ。じゃあね、パパ』
そう言い終わると、光華は五十住さんにスマホを押し付け、一度も電話に出ようとしなかった。
『おい、勝手に決めるな』
『駄目って言われてもついていくわ』
五十住さんが光華に抗議する声が聞こえてくる。
でも、光華は耳を貸さない。
『パパに言って。私を一緒に連れていくって!』
『言えるかっ!』
叔父さんは額に手をあて、弱り切っていた。
「五十住君。光華は空港の警備員にでも預けてくれ」
『警備員ですか……』
「それが無理なら、フランスまで迎えに行こう」
「そうね、あなた。五十住さんに申し訳ないわ……。私がすぐに追いかけて、光華をフランスまで迎えにいきます」
おばさんが言うと、叔父さんも『それがいいだろう』とうなずいた。
けれど、五十住さんはそれを断った。
『いや、俺が抜けて店も忙しいですし、迎えに来なくても大丈夫です。とにかく、なんとか説得して日本行きの飛行機に乗せるんで』
「五十住君……。君には申し訳ないとしか言いようがない。ホテル代やかかった費用は心置きなく請求してくれ」
結局、叔父さんは光華のことを五十住さんに任せるしかなかった。
おばさんは青い顔をして、イートインスペースの椅子に座り込んでしまった。
「なんて困った子なの……」
「光華は気が済むまでフランスに滞在するつもりだろう。五十住君がついているから、大丈夫だとは思うが、心苦しい限りだ」
「ええ……」
騒動をお客様に見せるわけにいかず、叔父夫婦は疲れきった様子で事務所へ引っ込んでいった。
昼前の忙しい時間前であったのと、叔父さんが一時的に『closed』の札をかけていたようで、客足は完全に止まっていた。
叔父夫婦にとって、光華がどれだけ大切な存在であるかわかる。
「光華ったら心配かけて……」
店の前の札を『open』の文字に戻し、店内に戻ると、スタッフが裏でお喋りしている声が聞こえてきた。
光華の行動を咎めるかと思えば、そうではなかった。
「突拍子もないことをしたけどさ。正直、五十住さんを引き止めてくれたのはありがたいよな」
「光華さんに期待するのもあれだが、ここは強引に五十住さんを連れ戻してもらおうぜ!」
なんて声が聞こえてくる。
「すごいですよね」
笑茉ちゃんが無料のコーヒーを補充し、カウンターへ戻ってくる。
「好きな人を海外まで追いかけていくなんて、なかなかできません。それもフラれたばかりで片想いですよ」
たしかに笑茉ちゃんの言うとおりだ。
きっと私ならできない。
――ううん。私はできなかった。
私に足りないものを光華は持っている。
自分に正直で、行動力があって、思いを貫き通す強さ――もし、それが四年前の私にあれば。
成り行きを見守っていた玲我さんと目が合う。
さっきは表情に感情を見せていた玲我さんだけど、冷たい表情に戻っていた。
それは、私の知らない玲我さんだった。
「夕愛。連絡先を教えておく。次は消すなよ」
名刺をエプロンのポケットに滑らせた。
「連絡する」
四年前、消した連絡先――あの時は二度と連絡できないと思っていた。
それが、次に会う約束をして別れるなんて不思議な気がする。
「いらっしゃいませ!」
笑茉ちゃんの明るい声が響く。
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*こちらは元の小説の途中に、エピソードを追加したものです。
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