両親と妹はできそこないの私を捨てました

椿蛍

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「今までありがとうございました」

自分がピアノのために会社を辞めることになるとは思わなかった。
大学を卒業し、働いてきた会社だったけど、今日で最後。

『コンクールに出場するなら一緒に頑張ろう』

唯冬ゆいとはそう言ってくれた。
その言葉だけでも十分すぎるくらい。
何度もコンクールに出場してきたけれど、両親は一度も一緒にとは言わなかった。
しっかりやりなさいだけ。
そんなものなのだろうけど、やっぱり心細いときもあった。
今は違う。
指輪を見た。
誰かがいることが、こんなに心強いものなのだと知った。

「音大の受験か」

退職理由をきいた人事部長はなるほどとうなずいた。
今日もわざわざ最後の日と聞いて顔を見にきてくれた。

菱水ひしみず音大の受験か。応援しているよ」

「はい。ありがとうございます」

受験を決めた私は会社に退職届を出した。
すぐに辞めれないだろうなと思っていると、そんなことはなかった。
退職届を提出すると人事部長は訳知り顔でうんうんとうなずき、受け取ってくれた。
こんなあっさり?
そう疑問に思っていたことが、わかることになろうとは。

「それでだね。これを頼めないか」

人事部長からスッと色紙を渡された。
しかも四枚。
なんですか?
この白い紙は。

「あ、あの、これはっ!?」

こほんと人事部長は咳ばらいをした。

「しっ!声が大きい!実は娘がピアノを習っていてね。君のサインとあの三人のサインをもらってきてくれないか」

「は、はあ……」

「共演したんだろう?」

「どうしてそれを!?」

ススッと雑誌を見せた。
ま、また!!
まさか焼きもちやきの続き?
慌てて雑誌を広げるとそこにはこの間のコンサートの批評が書いてあった。
『天才少女と呼ばれた雪元千愛は彼女の得意曲ラ・カンパネラを弾いたコンクールを最後に我々の前から姿を消した。それも唐突に―――』
『再び現れた彼女は以前の力強さはなかった。しかし、我々に感情のこもった素晴らしい演奏を聴かせてくれた。今後の演奏活動に期待したい』

「……よ、よかった」

普通の記事で!
次のページをめくると唯冬と私の写真がドーンッと載っていた。
ひっと思わず、息をのんでしまった。
『二人で演奏したタランテラは見事だった。渋木唯冬が得意とする今までのしっとりと穏やかな曲ではなく、激しく軽快な曲は彼のイメージを覆したのでないだろうか。あの冷たく見える顔の裏側には激情を秘めているのだ』
『雪元千愛との結婚を控えているとのことだが、多くの女性ファンは涙することになるだろう。しかし、彼の音を多彩にしたことを考えると結婚という選択肢は演奏家としてプラスとなったのではないだろうか』

「け、結婚!?」

褒められてるのはいいわよ?
いいけど、どうして結婚することが大々的に広められていてるの?

「おめでとう。雪元さん。まさか君がピアノをやっているとは思ってなかったが」

「い、いえ……その……」

「ロマンチックだね。君の復活を待っていたらしいじゃないか」

そんなことまで書いてあるの?
もう先の記事を読むのが怖い。

「サインを頼むよ!」

人事部長に笑顔で言われてしまった。
断り切れず、サインの色紙を手にして課に戻ると後輩の桜田さくらださんが昼食のパンを食べていた。

雪元ゆきもとさん、会社を辞めるって本当ですか!?」

「ええ。ごめんなさい。急に辞めることになってしまって」

「やっぱりピアニストになるんですか?」

「なれるかどうかはわからないけど、目指そうと思ってるの」

桜田さんはうんうんとコロッケパンをほおばりながら、うなずいた。

「それがいいと思いますよ。ピアノを弾いてる雪元さんは堂々としていて素敵でしたよ。別人みたいで」

「会場にいたの!?」

最後の一言が余計だと思ったけど、桜田さんはコンサートにきていたようだった。

「もちろんです!イケメンのいるところ、私あり!最初から出演するならするって言ってくださいよー。びっくりしたじゃないですか」

「桜田さんはクラシック音楽に興味があったの?」

「イケメンに興味があります」

あ……あっそう。
本当にはっきり言わね。
桜田さんはスッと私にCDを渡した。

「これに三人のサインをお願いします!」

すがすがしいまでに桜田さんは本音をぼろぼろ言うと私にもサインをもらう。
ちゃっかりしているというかなんというか。

「他の人には内緒にしておいてね?」

「わかりました」

いいですよーと言いながら、桜田さんはスッと私に焼きそばパンを渡してくれた。

「これでも食べて頑張ってください」

「ありがとう。桜田さん」

昔懐かしい焼きそばパンはパン生地はしっとりふんわりで中の焼きそばもソースが絶妙でおいしかった。
ただなんとなく働いていた会社なのに今は去るのが惜しい気がしたのはみんなの優しさのせいだったかもしれない。
皮肉にも私の両親や妹より、他人である人達のほうが私の将来を応援してくれていたのだった。
コンクールを目指すと告げた私に両親から送られてきたメールにあったのはただ一言だけ。
『お前には無理だ。恥をかかせるな』
それだけだった―――
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