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26 必要な狡さ
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パラパラと雨が葉を叩く音がして、目を覚ますと斗翔の眠る顔が隣にあった。
夏の雨は空気を生温くさせる。
「斗翔」
名前を呼ぶとうっすらと目を開けて、また目を閉じた。
「雨が降っているから、起きれない」
「人間なら起きなさい。雨でも人間なら起きれるんだから!」
「にゃあ」
腕を引っ張り、起き上がらせようとしたのに猫の真似をすると、ぼふっと枕に顔を押しあてて頑固に布団から離れようとしない。
な、な、なにが『にゃあ』!?
「猫だよ」
額に手をあてた。
これはもう絶対に起きない。
天気予報では午後から晴れ―――
「わかったわ。晴れたら、起きて帰るのよ?朝ごはんができたら呼ぶから食べてね」
「ごはんはいいから、そばにいてよ、夏永」
「駄目よ。斗翔、少し痩せたでしょ?ちゃんと食べないと倒れたら、みんなが困るわよ」
「……夏永がいないせい」
私のせいっ!?
なに言ってくれるのよっ!
ギロッとにらみつけると、斗翔は知らん顔して許されたとばかりにタオルケットにぐるぐる巻きになり、眠った。
「はあ……」
なんなの。
もう―――別れたのにどうなってるの?
台所に行くと米をとぎ、ご飯を炊いた。
もらった卵で卵焼きを作り、鮭を網の上にのせて焼く。
鮭の脂が落ちるのを見て、やっと考えがまとまってきた。
婚約者がいるなら、結婚は確実にするだろう。
でも、私のことはまだ好きで―――会いに来る。
これって!
「ま、まさか。このまま、なしくずし的にあ、愛人ポジション!?」
可能性はゼロじゃない。
元々、斗翔はお金は持っていたし、愛人一人くらいなら楽勝で養える。
「私が愛人なんて!そ、そんな。斗翔はとんでもないことを考えるわね……」
「とんでもないのは夏永だよ。なに、愛人って」
きちんと服を着た斗翔が呆れた顔で台所の入り口に立っていた。
気づくと雨はやみ、台所の窓からは明るい日差しが入り、葉から水滴が落ちるのが見えた。
き、聞かれたああああ!!
気まずい。
斗翔は苦笑して出来上がった卵焼きと鮭の皿をお盆にのせた。
「茶の間に運ぶよ」
「う、うん」
タイミングが悪すぎる。
でも、それなら私をどうするつもりなの?とは聞けずに黙ってしまった。
二度目の別れの言葉を聞きたくなかったから。
雨戸を開けて、山の涼しい風を感じながら、朝ごはんを食べた。
庭からは雨上がりの土の匂いがした。
朝ごはんの茶碗を片付けても斗翔は帰る様子がなく、頭を雨戸のへりにこつんとぶつけたまま、縁側に座り身じろぎ一つしなかった。
「斗翔、そろそろ戻らないと」
振り返った斗翔は険しい顔をしていた。
「戻りたくない」
「晴れたら、帰るって約束したでしょ?」
「ここにずっと―――」
「帰った方がいい」
いたいと言いかけた斗翔の言葉を遮ったのは私ではなかった。
庭先から声がして顔を向けるとそこには伶弥さんがいた。
「坂の下に見慣れない車があったから様子を見に来たけれど、なるほどね」
伶弥さんは私と斗翔を見てすぐに理解したようだった。
森崎建設の新社長がどうしてここにいるかとは聞かなかった。
納多さんから聞いているのかもしれない。
「誰?」
「高吉伶弥。下に民宿があっただろう?そこの主人だ」
「……お世話になってて」
斗翔は伶弥さんとにらみ合った。
伶弥さんは星名ちゃんといた時とは別人のように見えた。
「森崎建設は今が一番の正念場だ。君は建築デザイナーの森崎斗翔だろう?」
「俺のこと知ってるのか」
野良猫が警戒するように斗翔は身構え、表情がこわばらせた。
「森崎の顔にされた新しい社長だろう?戦略は悪くない。立て直すためなら、それが最善と言ってもいい」
「伶弥さん。詳しいですね」
納多さんが朝日奈建設の社員のようだったから、業界の話を知っているのも納得だけど。
伶弥さんが斗翔を知ってるということは納多さんも知っているのだろう。
「ここにいたことを隠して欲しいなら、隠してあげてもいい。ただし、今回だけ」
「隠せるんですか!?」
「今、島では二本目の橋を架ける話が出ている。その橋の建設をどこの建設会社にするか話し合い中だ。その話し合いにきていたということにしてあげてもいい」
「よかった。お願いします」
「よくない」
斗翔は私に会いに来たことを隠す気はないようだった。
目を逸らし、斗翔は辛そうな顔をしていたけれど、それを見た伶弥さんが笑った。
「斗翔君。君はもっと狡猾にならないとね。そんな馬鹿正直に自分の感情を見せてるようじゃ経営者には向かない」
「自分を騙る?嘘をつけって?」
「敵に足元をすくわれたくないならね」
敵って……
どんな生活を送ったら、そんな発言が出るのか。
「欲しいものがあるなら、相手を出し抜かないと。少なくとも君が持っている清らかさや良識は捨てることだ」
それは悪魔の囁きに似ていた。
伶弥さんの言葉は今の斗翔には甘い毒のようだった。
その毒に手をだしたら、斗翔は変わってしまう。
そんな気がして怖かった。
「な、なんてこと言うんですか?斗翔はこのままでいいんです!」
「本当にいいのかな?斗翔君?」
清浄な空気の中で伶弥さんの周りだけ暗い。
まるでそこだけ影が落ちたかのように。
「―――そうかもしれない」
「斗翔!」
「帰る」
斗翔は立ち上がった。
伶弥さんが笑った。
「それがいい。もっと狡賢くならないとね」
「伶弥さん!」
「夏永ちゃん。欲しいものがある人間は強い。ただ与えられるだけの人間よりもね」
「言っていることはわかります。けど、斗翔は……」
汚れる必要なんかないと言いかけて口をつぐんだ。
今まで斗翔は森崎社長の言われたとおりに生きてきた。
それはすべて与えられてきたもので、進むべき道も環境も働く場所も用意されたものだった。
「夏永のこと、よろしくお願いします」
そう言って斗翔は私に背を向けた。
低い声と冷めた目、私が知っていた穏やかな斗翔の顔はもうなかった。
「夏永ちゃんも斗翔君を失いたくないなら信じてあげないと」
伶弥さんは斗翔を見送ると、私にそう言った。
「これは簡単そうで難しい」
心を見透かされてような気がしてうつむいた。
斗翔を信じたいのに突き付けられる現実にいつも心が折れそうになる。
「星名が俺を信じてくれたから、今、ここにいることができる」
雲に隠れた太陽が顔をのぞかせ、庭を照らした。
明るい日差しを伶弥さんは見上げた。
「君達も一緒にいれるといいね」
そう言って、手を振ると伶弥さんは帰って行った。
「斗翔を信じる……」
優奈子さんが私になにをしようとも斗翔を信じるだけ。
ぶるりと体が震えた。
裏切られることを考えたら、信じるのは怖い。
けれど、斗翔―――胸元に残る赤い痕を指でなぞった。
信じていてもいい?
私を諦めてないってことを。
斗翔が私を求めてくれるのなら、優奈子さんにだって負けない。
私は―――!
夏の雨は空気を生温くさせる。
「斗翔」
名前を呼ぶとうっすらと目を開けて、また目を閉じた。
「雨が降っているから、起きれない」
「人間なら起きなさい。雨でも人間なら起きれるんだから!」
「にゃあ」
腕を引っ張り、起き上がらせようとしたのに猫の真似をすると、ぼふっと枕に顔を押しあてて頑固に布団から離れようとしない。
な、な、なにが『にゃあ』!?
「猫だよ」
額に手をあてた。
これはもう絶対に起きない。
天気予報では午後から晴れ―――
「わかったわ。晴れたら、起きて帰るのよ?朝ごはんができたら呼ぶから食べてね」
「ごはんはいいから、そばにいてよ、夏永」
「駄目よ。斗翔、少し痩せたでしょ?ちゃんと食べないと倒れたら、みんなが困るわよ」
「……夏永がいないせい」
私のせいっ!?
なに言ってくれるのよっ!
ギロッとにらみつけると、斗翔は知らん顔して許されたとばかりにタオルケットにぐるぐる巻きになり、眠った。
「はあ……」
なんなの。
もう―――別れたのにどうなってるの?
台所に行くと米をとぎ、ご飯を炊いた。
もらった卵で卵焼きを作り、鮭を網の上にのせて焼く。
鮭の脂が落ちるのを見て、やっと考えがまとまってきた。
婚約者がいるなら、結婚は確実にするだろう。
でも、私のことはまだ好きで―――会いに来る。
これって!
「ま、まさか。このまま、なしくずし的にあ、愛人ポジション!?」
可能性はゼロじゃない。
元々、斗翔はお金は持っていたし、愛人一人くらいなら楽勝で養える。
「私が愛人なんて!そ、そんな。斗翔はとんでもないことを考えるわね……」
「とんでもないのは夏永だよ。なに、愛人って」
きちんと服を着た斗翔が呆れた顔で台所の入り口に立っていた。
気づくと雨はやみ、台所の窓からは明るい日差しが入り、葉から水滴が落ちるのが見えた。
き、聞かれたああああ!!
気まずい。
斗翔は苦笑して出来上がった卵焼きと鮭の皿をお盆にのせた。
「茶の間に運ぶよ」
「う、うん」
タイミングが悪すぎる。
でも、それなら私をどうするつもりなの?とは聞けずに黙ってしまった。
二度目の別れの言葉を聞きたくなかったから。
雨戸を開けて、山の涼しい風を感じながら、朝ごはんを食べた。
庭からは雨上がりの土の匂いがした。
朝ごはんの茶碗を片付けても斗翔は帰る様子がなく、頭を雨戸のへりにこつんとぶつけたまま、縁側に座り身じろぎ一つしなかった。
「斗翔、そろそろ戻らないと」
振り返った斗翔は険しい顔をしていた。
「戻りたくない」
「晴れたら、帰るって約束したでしょ?」
「ここにずっと―――」
「帰った方がいい」
いたいと言いかけた斗翔の言葉を遮ったのは私ではなかった。
庭先から声がして顔を向けるとそこには伶弥さんがいた。
「坂の下に見慣れない車があったから様子を見に来たけれど、なるほどね」
伶弥さんは私と斗翔を見てすぐに理解したようだった。
森崎建設の新社長がどうしてここにいるかとは聞かなかった。
納多さんから聞いているのかもしれない。
「誰?」
「高吉伶弥。下に民宿があっただろう?そこの主人だ」
「……お世話になってて」
斗翔は伶弥さんとにらみ合った。
伶弥さんは星名ちゃんといた時とは別人のように見えた。
「森崎建設は今が一番の正念場だ。君は建築デザイナーの森崎斗翔だろう?」
「俺のこと知ってるのか」
野良猫が警戒するように斗翔は身構え、表情がこわばらせた。
「森崎の顔にされた新しい社長だろう?戦略は悪くない。立て直すためなら、それが最善と言ってもいい」
「伶弥さん。詳しいですね」
納多さんが朝日奈建設の社員のようだったから、業界の話を知っているのも納得だけど。
伶弥さんが斗翔を知ってるということは納多さんも知っているのだろう。
「ここにいたことを隠して欲しいなら、隠してあげてもいい。ただし、今回だけ」
「隠せるんですか!?」
「今、島では二本目の橋を架ける話が出ている。その橋の建設をどこの建設会社にするか話し合い中だ。その話し合いにきていたということにしてあげてもいい」
「よかった。お願いします」
「よくない」
斗翔は私に会いに来たことを隠す気はないようだった。
目を逸らし、斗翔は辛そうな顔をしていたけれど、それを見た伶弥さんが笑った。
「斗翔君。君はもっと狡猾にならないとね。そんな馬鹿正直に自分の感情を見せてるようじゃ経営者には向かない」
「自分を騙る?嘘をつけって?」
「敵に足元をすくわれたくないならね」
敵って……
どんな生活を送ったら、そんな発言が出るのか。
「欲しいものがあるなら、相手を出し抜かないと。少なくとも君が持っている清らかさや良識は捨てることだ」
それは悪魔の囁きに似ていた。
伶弥さんの言葉は今の斗翔には甘い毒のようだった。
その毒に手をだしたら、斗翔は変わってしまう。
そんな気がして怖かった。
「な、なんてこと言うんですか?斗翔はこのままでいいんです!」
「本当にいいのかな?斗翔君?」
清浄な空気の中で伶弥さんの周りだけ暗い。
まるでそこだけ影が落ちたかのように。
「―――そうかもしれない」
「斗翔!」
「帰る」
斗翔は立ち上がった。
伶弥さんが笑った。
「それがいい。もっと狡賢くならないとね」
「伶弥さん!」
「夏永ちゃん。欲しいものがある人間は強い。ただ与えられるだけの人間よりもね」
「言っていることはわかります。けど、斗翔は……」
汚れる必要なんかないと言いかけて口をつぐんだ。
今まで斗翔は森崎社長の言われたとおりに生きてきた。
それはすべて与えられてきたもので、進むべき道も環境も働く場所も用意されたものだった。
「夏永のこと、よろしくお願いします」
そう言って斗翔は私に背を向けた。
低い声と冷めた目、私が知っていた穏やかな斗翔の顔はもうなかった。
「夏永ちゃんも斗翔君を失いたくないなら信じてあげないと」
伶弥さんは斗翔を見送ると、私にそう言った。
「これは簡単そうで難しい」
心を見透かされてような気がしてうつむいた。
斗翔を信じたいのに突き付けられる現実にいつも心が折れそうになる。
「星名が俺を信じてくれたから、今、ここにいることができる」
雲に隠れた太陽が顔をのぞかせ、庭を照らした。
明るい日差しを伶弥さんは見上げた。
「君達も一緒にいれるといいね」
そう言って、手を振ると伶弥さんは帰って行った。
「斗翔を信じる……」
優奈子さんが私になにをしようとも斗翔を信じるだけ。
ぶるりと体が震えた。
裏切られることを考えたら、信じるのは怖い。
けれど、斗翔―――胸元に残る赤い痕を指でなぞった。
信じていてもいい?
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斗翔が私を求めてくれるのなら、優奈子さんにだって負けない。
私は―――!
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