婚約者を奪われ無職になった私は田舎で暮らすことにします

椿蛍

文字の大きさ
26 / 44

26 必要な狡さ

しおりを挟む
パラパラと雨が葉を叩く音がして、目を覚ますと斗翔とわの眠る顔が隣にあった。
夏の雨は空気を生温くさせる。

「斗翔」

名前を呼ぶとうっすらと目を開けて、また目を閉じた。

「雨が降っているから、起きれない」

「人間なら起きなさい。雨でも人間なら起きれるんだから!」

「にゃあ」

腕を引っ張り、起き上がらせようとしたのに猫の真似をすると、ぼふっと枕に顔を押しあてて頑固に布団から離れようとしない。
な、な、なにが『にゃあ』!?

「猫だよ」

額に手をあてた。
これはもう絶対に起きない。
天気予報では午後から晴れ―――

「わかったわ。晴れたら、起きて帰るのよ?朝ごはんができたら呼ぶから食べてね」

「ごはんはいいから、そばにいてよ、夏永」

「駄目よ。斗翔、少し痩せたでしょ?ちゃんと食べないと倒れたら、みんなが困るわよ」

「……夏永がいないせい」

私のせいっ!?
なに言ってくれるのよっ!
ギロッとにらみつけると、斗翔は知らん顔して許されたとばかりにタオルケットにぐるぐる巻きになり、眠った。

「はあ……」

なんなの。
もう―――別れたのにどうなってるの?
台所に行くと米をとぎ、ご飯を炊いた。
もらった卵で卵焼きを作り、鮭を網の上にのせて焼く。
鮭の脂が落ちるのを見て、やっと考えがまとまってきた。
婚約者がいるなら、結婚は確実にするだろう。
でも、私のことはまだ好きで―――会いに来る。
これって!

「ま、まさか。このまま、なしくずし的にあ、愛人ポジション!?」

可能性はゼロじゃない。
元々、斗翔はお金は持っていたし、愛人一人くらいなら楽勝で養える。

「私が愛人なんて!そ、そんな。斗翔はとんでもないことを考えるわね……」

「とんでもないのは夏永だよ。なに、愛人って」

きちんと服を着た斗翔が呆れた顔で台所の入り口に立っていた。
気づくと雨はやみ、台所の窓からは明るい日差しが入り、葉から水滴が落ちるのが見えた。
き、聞かれたああああ!!
気まずい。
斗翔は苦笑して出来上がった卵焼きと鮭の皿をお盆にのせた。

「茶の間に運ぶよ」

「う、うん」

タイミングが悪すぎる。
でも、それなら私をどうするつもりなの?とは聞けずに黙ってしまった。
二度目の別れの言葉を聞きたくなかったから。
雨戸を開けて、山の涼しい風を感じながら、朝ごはんを食べた。
庭からは雨上がりの土の匂いがした。
朝ごはんの茶碗を片付けても斗翔は帰る様子がなく、頭を雨戸のへりにこつんとぶつけたまま、縁側に座り身じろぎ一つしなかった。

「斗翔、そろそろ戻らないと」

振り返った斗翔は険しい顔をしていた。

「戻りたくない」

「晴れたら、帰るって約束したでしょ?」

「ここにずっと―――」

「帰った方がいい」

いたいと言いかけた斗翔の言葉を遮ったのは私ではなかった。
庭先から声がして顔を向けるとそこには伶弥りょうやさんがいた。

「坂の下に見慣れない車があったから様子を見に来たけれど、なるほどね」

伶弥さんは私と斗翔を見てすぐに理解したようだった。
森崎建設の新社長がどうしてここにいるかとは聞かなかった。
納多のださんから聞いているのかもしれない。

「誰?」

「高吉伶弥。下に民宿があっただろう?そこの主人だ」

「……お世話になってて」

斗翔は伶弥さんとにらみ合った。
伶弥さんは星名せなちゃんといた時とは別人のように見えた。

「森崎建設は今が一番の正念場だ。君は建築デザイナーの森崎斗翔だろう?」

「俺のこと知ってるのか」

野良猫が警戒するように斗翔は身構え、表情がこわばらせた。

「森崎の顔にされた新しい社長だろう?戦略は悪くない。立て直すためなら、それが最善と言ってもいい」

「伶弥さん。詳しいですね」

納多さんが朝日奈建設の社員のようだったから、業界の話を知っているのも納得だけど。
伶弥さんが斗翔を知ってるということは納多さんも知っているのだろう。

「ここにいたことを隠して欲しいなら、隠してあげてもいい。ただし、今回だけ」

「隠せるんですか!?」

「今、島では二本目の橋を架ける話が出ている。その橋の建設をどこの建設会社にするか話し合い中だ。その話し合いにきていたということにしてあげてもいい」

「よかった。お願いします」

「よくない」

斗翔は私に会いに来たことを隠す気はないようだった。
目を逸らし、斗翔は辛そうな顔をしていたけれど、それを見た伶弥さんが笑った。

「斗翔君。君はもっと狡猾にならないとね。そんな馬鹿正直に自分の感情を見せてるようじゃ経営者トップには向かない」

「自分を騙る?嘘をつけって?」

「敵に足元をすくわれたくないならね」

敵って……
どんな生活を送ったら、そんな発言が出るのか。

「欲しいものがあるなら、相手を出し抜かないと。少なくとも君が持っている清らかさや良識は捨てることだ」

それは悪魔の囁きに似ていた。
伶弥さんの言葉は今の斗翔には甘い毒のようだった。
その毒に手をだしたら、斗翔は変わってしまう。
そんな気がして怖かった。

「な、なんてこと言うんですか?斗翔はこのままでいいんです!」

「本当にいいのかな?斗翔君?」

清浄な空気の中で伶弥さんの周りだけ暗い。
まるでそこだけ影が落ちたかのように。

「―――そうかもしれない」

「斗翔!」

「帰る」

斗翔は立ち上がった。
伶弥さんが笑った。

「それがいい。もっと狡賢くならないとね」

「伶弥さん!」

「夏永ちゃん。欲しいものがある人間は強い。ただ与えられるだけの人間よりもね」

「言っていることはわかります。けど、斗翔は……」

汚れる必要なんかないと言いかけて口をつぐんだ。
今まで斗翔は森崎社長の言われたとおりに生きてきた。
それはすべて与えられてきたもので、進むべき道も環境も働く場所も用意されたものだった。

「夏永のこと、よろしくお願いします」

そう言って斗翔は私に背を向けた。
低い声と冷めた目、私が知っていた穏やかな斗翔の顔はもうなかった。

「夏永ちゃんも斗翔君を失いたくないなら信じてあげないと」

伶弥さんは斗翔を見送ると、私にそう言った。

「これは簡単そうで難しい」

心を見透かされてような気がしてうつむいた。
斗翔を信じたいのに突き付けられる現実にいつも心が折れそうになる。

「星名が俺を信じてくれたから、今、ここにいることができる」

雲に隠れた太陽が顔をのぞかせ、庭を照らした。
明るい日差しを伶弥さんは見上げた。

「君達も一緒にいれるといいね」

そう言って、手を振ると伶弥さんは帰って行った。

「斗翔を信じる……」

優奈子さんが私になにをしようとも斗翔を信じるだけ。
ぶるりと体が震えた。
裏切られることを考えたら、信じるのは怖い。
けれど、斗翔―――胸元に残る赤い痕を指でなぞった。
信じていてもいい?
私を諦めてないってことを。
斗翔が私を求めてくれるのなら、優奈子さんにだって負けない。
私は―――!

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く

紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜

紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。 連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

今さらやり直しは出来ません

mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。 落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。 そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

処理中です...