婚約者を奪われ無職になった私は田舎で暮らすことにします

椿蛍

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30 投げつけられたもの

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私の家に連れて行くべきだと思ったけれど、莉叶りかちゃんは私の手をとると民宿『海風』までぐいぐいと手を引っ張って連れて行った。

「ここでお話したらいいと思うの」

いつもとは違う緊張感を子供ながら感じ取ったらしく、さとい莉叶ちゃんはちらちらと優奈子ゆなこさんと黒いスーツを着たSPの男の人達を見ていた。
莉叶ちゃんは食堂に私達を案内するとそこには伶弥りょうやさんと納多のださんがいた。
その一角だけオフィスビルの部屋のように見えたけど、目の錯覚よね。
なんだか二人とも雰囲気があるっていうか、緊張感があるっていうか……

「こぎたないところね」

優奈子さんは椅子に座り、連れてきたSPの人達に言った。

「私が夏永さんから殴られないように守ってよ?」

「殴ったりなんてしません」

「それならいいけど。嫉妬した夏永さんに何をされるかわからなくて怖いと思っていたの」

嫉妬って……。
勝手に優奈子さんが言ってるだけだし、その思い込みの方が怖いわよっと心の中で呟いた。

「なんの用ですか?」

「わかってるでしょ?斗翔とわさんがこちらに来たのは知っているのよ」

「私が呼んだわけじゃありません」

ここに来ることすら知らなかったのに止めることなんてことは不可能だ。
携帯番号まで変えられて、家まで壊されて、どうやって私から会えるというのだろうか。

「今日来たのはね、私達、正式に婚約することになったから、そのご報告とこれに好きな額を書いていただこうと思って」

「婚約……」

「おめでとうはないの?」

ぎゅっと膝の上で拳をにぎりしめた。
言えるわけない。
斗翔はそんなこと一言も言わなかった。
婚約なんて知らない。
聞きたくない―――

「失礼」

納多さんがスッと隣の椅子に座った。

「ちょっと部外者は遠慮してくださらない?」

「従兄です」

誰がよ!?
こんなゴツイ従兄はいないわよ。
伶弥さんが笑って、納多さんの隣の椅子に座る。

「じゃあ、俺は遠縁のお兄さんってことにしておこうか」

優奈子さんだけでなく、SPの人達まで引き気味で二人を交互に見ていた。

「君が斗翔君の婚約者?」

伶弥さんは余裕たっぷりな表情で笑い優奈子さんを眺めていた。
挑発するような目に優奈子さんはどもりながら返事をした。

「そ、そ、そうよっ」

イケメンには弱いらしく、優奈子さんにさっきまでの勢いはない。

「それで、小切手ですか、ありがちですね」

金額の書かれていない小切手を見て、納多さんが鼻先で笑い飛ばした。

「芸がないですね」

「なんなのこの無礼な人間はっ!」

「朝日奈建設の社長秘書ですが。なにか?」

「嘘をつかないでちょうだい!朝日奈建設の社長秘書がどうしてここにいるのよ!」

「仕事です」

社長秘書!?
ちゃんと名刺を見てなかった私は納多さんを二度見した。
莉叶ちゃんの話だとスポーツ競技場や合宿所を建てていると言っていたけど、そこの現場監督じゃなかったの?
確かにイメージとしては現場監督より秘書ってかんじだけど……

「お茶どうぞ」

莉叶ちゃんが麦茶の入ったコップを優奈子さんの前に置き、星名せなちゃんがミニトマトのコンポートにフォークを添えて差し出した。

「いらないわよ」

「けっこうおいしいですよ。爽やかで夏らしい味がして。トマトが苦手なら、麦茶をどうぞ」

星名ちゃんがにこにこと微笑みながら言うと、優奈子さんはイライラした目でにらみつけ、ガラスの器を手にするとそれを莉叶ちゃんの生成色のワンピースに投げつけた。

「莉叶さん!」

納多さんがさっと手を出してガラスの器だけは受け止めることができたけれど、トマトだけは先に飛んでいき、べちょっと音をたてた。

「あっ!」

ワンピースにべったりと赤い色がつき、床にぽたりとトマトが落ちた。
莉叶ちゃんは目を見開き、声も出せずにそれを呆然と見つめていた。
優奈子さんが馬鹿にするような目で見て笑いながら言った。

「手が滑ったわ」

「ま、ママに作ってもらったワンピース……」

いつもは冷静な莉叶ちゃんの目から涙がこぼれて、星名ちゃんは慌てだした。

「莉叶、泣かないでも大丈夫よ。洗えば綺麗になるから!」

「ごめんなさい……」

責任を感じて頭を下げようとするとスッと伶弥さんが手でそれを制した。

「随分とお行儀が悪いな。共和銀行の頭取はそんなに悪い方ではないけれど、子供の教育には失敗したようだ」

泣く莉叶ちゃんを見て、胸が痛んだ。
星名ちゃんは頭を撫でてなだめているけど、トマトを器ごと投げつけられたこともショックだったのだろう。
私はカッとなって、小切手をつかんだ。

「これは必要ありません」

ビリッと小切手の紙を破り捨てた。

「斗翔はあなたのような人を好きになりませんから」

「生意気ね」

「帰ってください」

星名ちゃん達にこれ以上、迷惑はかけれない。

「誓約書にサインしていただけないかしら」

どこまでずうずうしいのだろうか。
誓約書を手にするとそれも目の前でビリッと破り捨てた。

「お断りします」

にらみ合っていると、優奈子さんのSPが動きかけ、伶弥さんと納多さんがプロのSP相手に二人は軽々と腕を捻り、体を押さえ込む。

「怪我をする前に帰ったほうがいい」

伶弥さんは冷たい目で優奈子さんを見、そして追い打ちをかけた。

「度が過ぎるふるまいだ。目に余る。行儀よくできるように教育する必要があるな」

そう言った伶弥さんは夏だというのにぞくりとした空気を持ち、プロのSPですら圧倒して黙らせたのだった。
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