3 / 19
Chain_2
供物理論 ― Prove or Die
しおりを挟む
Scene1:再検証——記録の矛盾と、映像の嘘
2025年12月17日(水) 午前09時30分。
南秋大学女子寮・神谷千咲自室
コーヒーの匂いが、電子ケトルの熱気とともにキッチンの隅へ流れた。
神谷千咲は、蒸気に濡れるガラスのコップを見つめていた。
さっき注いだ水はもう冷えていて、触れてもぬるいだけ。
その感触が、なぜか現実味を持っていた。
机の上。ノートパソコン。
USBメモリ。イヤホン。
そして、スマホと再生中の動画。
【Message_REVERB】
《matrimurder_final_send.mp4》
被害者:芦原茉莉。
首を絞められ、片目が潰れ、口元が裂けて笑っていたあの“演出された死”。
けれど、映像の中の一瞬に、奇妙な違和感がある。
個室のドアが揺れる直前。
床に落ちた髪の毛が、風に揺れていた。
トイレの中に、風が吹く要素はない。
窓もない。換気扇の音もなかった。
なのに、長い髪がふわりと浮いている。
まるで、誰かが“すぐ隣で息を吐いた”ように。
千咲は一時停止し、スクリーンショットを撮った。
映像をフレーム単位で戻す。
その髪が動き始めた直前、画面の右端に、一瞬だけ何かの影が映っていた。
人の腕のような、袖のような、輪郭。
それが撮影者の影だとして——
カメラは明らかに“被害者に正対している”。
つまり、撮っている人間がそこにいたとすれば、
誰かと芦原の間に立っていたことになる。
それは、“殺す者”と“撮る者”が別だったことを意味していた。
けれどそれを、誰が信じる?
あの映像を観た人間の大半は、
それが「記録」ではなく、「演出」だったとしか思わない。
千咲は手元のノートを開いた。
昨晩、自分で走り書きしたメモがある。
「動画は二人称視点」
「被害者がカメラを見る=知っていた可能性」
「息の音→誰かいた」
「笑顔=演技? 生前の表情か?」
「視点が人間→殺しながら撮影できる?」
そのメモの横に、赤ペンでこう書き加えた。
“犯人は一人ではない”
しかし、それを書いたときの気持ちは思い出せない。
【Message from Unknown】
添付ファイル:《deadflag_update.mov》
ファイルサイズ:17MB。
動画は実際には5秒しかなかった。
動画を再生。
真っ黒な画面に、ただ白文字だけ。
「証明ができたら、生き残れる」
それは、ただの一文だった。
けれど千咲は、この状況に既視感を覚えた。
まるで、以前にも似たような文言を、
誰かに“送った”ことがあるかのような記憶。
……いや、それはきっと錯覚だ。
けれど——その感覚は、離れなかった。
その言葉を最後に、映像は唐突に終わった。
「証明」——何を? 誰が? どのように?
千咲は立ち上がり、窓際へ移動した。
レース越しに見える外の景色。
アパート前の道路。
自転車。電柱。缶の潰れた自販機。
歩いているのは、知らない男子学生。冬のコート。
それだけなのに、なぜか風景が“舞台”に見えた。
演出された静けさ。
“何も起きないこと”の裏にある、仕組まれた不安。
ノートに、新しいページを開いた。
千咲はボールペンを走らせる。
【仮説】
● Messageが届いた者(対象者)は、
【24時間以内に“誰かに犯行をさせる”か、“他人が犯人である証拠を提示”すれば免れる】
● 証明には「映像/証言/物証」が必要。
● 虚偽の証明だった場合は、即“次”の対象になる。
そのルールは、根拠がない。
でも、“それらしく”見せることはできる。
これを、サークル仲間に提示する。
不安の中にいる者は、“仮説”でも真実のようにすがる。
スマホの通知が重なった。
【都市伝説研究会】
宇田川梓:
「ちさき、真央と連絡ついた?もう二日既読なしってやばくない?」
伊藤歩夢:
「警察ってどうなったの?なんか“自殺”で確定とか流れてるけど……」
堀川菜月:
「てか、“次の人”ってやっぱちさきじゃん?w 生きてる時点で、証明できたってこと?」
証明。
千咲は、ノートにさらに文字を加えた。
“私は、真央がやったと証明する”
その瞬間、もうひとつの通知。
【Message_REVERB】
本文:「仮説:受理」
赤文字だった。
受理——誰が?
この仮説が、誰かのルールに加わったということか?
千咲は、ふと、自分の背中がゾワリと冷たくなるのを感じた。
誰が、何のためにこの“受理”を?
けれど、少なくともそれは——
自分が生き延びるための“鍵”になるかもしれなかった。
そして、その仮説が、
これまでの死に潜んでいた“隠された法則”に触れた可能性があるなら——
千咲には、それを試す価値があった。
誰もが怯え、疑い、何も見えなくなっている今。
“言葉”だけが、真実を導くかもしれない。
あるいは、救いとなるかもしれない。
Scene2:拡散されるルール
2025年12月17日(水) 午前11時30分。
南秋大学学食
学食は混雑の始まりを予感させるだけの静けさだった。
トレーを持った学生たちが迷うように列を作り、
チキンステーキ定食か味噌ラーメンかの二択に人生を預けていた。
ざわめきの中に笑い声。誰かの咳払い。
トレーが滑って落ちる金属音に一瞬全員が注目して、すぐまた日常へ戻る。
千咲は、その空気の端にいた。
中庭と仕切る大窓のそば。昼は陽が差し込むが、今日は曇天。
手元には温め直したコーンスープ。
そのスプーンを持ったまま、
千咲はサークルのLINEグループに文章を打ち込んでいた。
『ねぇ、私……仮説があるの。
このメッセージ、“次の人”って完全なランダムじゃない。
たぶん——前の犠牲者と「いちばん近い関係者」に届いてる。
私も、茉莉の次にメッセージが来た。
でもね、あの時、私が交番に行った時に“真央と一緒だった”って思われたかもしれないの。
誰かが二人を見間違えたとか、記録が曖昧だったとか——
とにかく、私に“アリバイっぽい何か”があったのかもしれない。
だから私は“犯人じゃない”って判断された……そう思う。
つまり——
【誰かに犯行をさせる】
or
【他人が犯人である“証拠”を示す】
このどっちかができれば、“次の対象”から外れる。
逆に、何もできなかったり、嘘だったりしたら——
次は、その人が殺される。
だから……何か来たら、すぐに行動して。
信じるかどうかは任せるけど、私は……本気でそう思ってる。』
送信。
既読が、すぐについた。
堀川、宇田川、伊藤——三人の反応が連続して表示される。
返信が来る前に、千咲はカップを持って口元に運んだ。
冷めかけたコーンスープは、なぜか塩気が強く感じられた。
—
宇田川:
「え、それヤバい……つまり“推理ゲー”ってこと?」
堀川:
「つかさ、それだと次の人がやばくない?証明できなきゃ即死?」
伊藤:
「てか、誰が“次”なの?もう一人、動画届いてんのかな……」
—
千咲はそれにすぐ返さなかった。
代わりに、スプーンを机に置き、立ち上がった。
学食の奥のゴミ箱へカップを捨てるついでに、窓際のガラスに映る自分の姿を横目で見た。
やけに疲れた顔。肌の色。目の下の影。
その横を、黒髪の男子学生が通り過ぎる。知らない顔。
だが一瞬、視線が交錯した。
千咲が目を逸らすよりも早く、彼はそのまま通り過ぎた。
—
席に戻る前に、トイレに寄った。
個室のドアは一つ空いていた。
千咲はそこに入らず、手洗い場の鏡に向かって立った。
顔を覗き込む。
どこか、他人の顔に見える。
それは“昨日殺人の映像を見た人間の顔”ではなく、
“昨日誰かに自分が殺されかけたかもしれない人間”の顔だった。
—
再びLINE通知。
堀川:
「でも、それさ……誰かに罪を擦りつけるとかもできちゃうんじゃね?」
伊藤:
「ね。めっちゃ危ないルールだと思う」
宇田川:
「でも今のところ、千咲だけ助かってるんでしょ?」
その一文に、重さがあった。
彼女たちは千咲を責めていない。
でも、どこかで「千咲だけは情報を持ってる」という意識がある。
部室は静かだった。
午後の講義をサボって集まった3人の姿。
堀川はレッドブルを飲みながらマンガを読んでいた。
宇田川はスマホをいじっていたが、LINEではなくSNSを覗いているようだった。
伊藤はホワイトボードに“連鎖死の構造”を模写していた。
カラーペンで四角と矢印を描いていた。
千咲はノートを開いた。
【推定ルール(仮)】
● Messageが届いた者(対象者)は、
【24時間以内に“誰かに犯行をさせる”か、“他人が犯人である証拠を提示”すれば免れる】
● 証明には「映像/証言/物証」が必要。
● 虚偽の証明だった場合は、即“次”の対象になる。
この最後の一行を、千咲は赤ペンで囲んだ。
「ちさき」
宇田川梓がスマホを掲げたまま、不意に声を上げた。
「ちょっと、これ見て。……真央のSNS垢、知ってるやつなんだけどさ」
千咲はそちらに目をやる。
表示されていたのは、24時間前に投稿されたストーリー。
場所タグには、「南秋大学・3号館・屋上」と記されていた。
動画は短い。
曇った空の下、建物の縁に立つ人物の背中。
マフラーを巻いた細身の体格で、風に髪を揺らしていた。
「これ……真央のマフラーじゃない?」
「ってことは、真央——まだ生きてたってこと?」
「じゃあ、犯人じゃなかったってことか……」
「……いや」
千咲が、低く呟いた。
その目は、画面を越えて何か遠くを見るような焦点の定まらなさを湛えている。
「むしろ逆かもしれない。
——“誰かに証明された”。だから、殺された可能性」
「は? なんでだよ」
宇田川が眉をしかめる。
千咲は息を吸い、少し間を置いてから続けた。
「真央、自分がこの連鎖に関係ないって証明できなかった。
……それで、姿を消した。
でももし、この動画が——“彼女の最後の目撃”だったとしたら」
室内の空気がわずかに冷える。
誰かが喉を鳴らす音がした。
「場所は3号館屋上。
誰でも入れる場所だけど……
ねぇ、どうして昨日この場所で、誰にも見つからず、
真央“だけ”が立ってたんだろう」
「まさか、あの動画——」
「“送られた直後”だった可能性もある」
千咲の声は淡々としていた。
だがその語尾には、確信ではなく、混ぜ物のある不安と興奮が滲んでいた。
その違和感を誰も気づけず、
ただ“次の死”への震えだけが、サークル全体を包んでいった。
部室内が静かになった。
その静寂の中、誰かが口を開いた。
「……じゃあ、次は誰なの?」
その問いに、誰も答えなかった。
けれど、その質問が放たれた瞬間。
千咲のスマホに、通知が届いた。
【Message_REVERB】
《対象:Takano.H》
差出人:Unknown
次の対象:鷹野 柊真(たかの・ひゅうま)
その名前に、千咲は微かに眉をひそめた。
Scene3:「選ばれし者」
2025年12月17日(水) 午後03時30分。
南秋大学・3号館の裏手
放課後のキャンパスは、沈んだ夕陽の色をまだ少しだけ保っていた。
けれど、風の中に漂う空気はすっかり夜の匂いだった。
乾いた葉が舗道を転がり、吹き溜まりに滞るたびに、どこかで誰かの足音のように響く。
南秋大学・3号館の裏手。
人の気配のない裏階段に、鷹野 柊真(たかの・ひゅうま)は立っていた。
スマホの画面を見つめている。
その表情には焦燥があり、困惑があり、そして——かすかな期待もあった。
階段の上から、足音。
白いパーカーにマフラーを巻いた千咲が現れた。
彼女は数段をゆっくりと降りてきて、柊真の隣に並んだ。
「……呼び出してごめん」
「いや、こっちこそ……急に、LINEで変なこと言って」
「動画が、届いたんだよね?」
柊真は小さくうなずいた。
「うん。“お前の番だ”って、あの文字。……あれが、俺に来た」
千咲は少し俯いて、唇を噛んだ。
「鷹野くん……怖いよね」
「怖いよ。殺されるかもしんないこと。
でも、それ以上に——意味が分かんなくて怖い」
彼はスマホを差し出した。
【Message from Unknown】
画面には例の動画。《Message_2.mov》
再生ボタンの真ん中に、赤く点滅する円。
千咲は押さなかった。代わりに、そっと彼の手を包んだ。
「鷹野くん。……私、ね」
「うん」
「“これ”って、誰かが順番に殺されてるだけじゃない気がするの」
「どういうこと?」
千咲は、遠くを見た。
裏庭の鉄柵、その向こうにある駐輪場。
そこに立ち並ぶ、誰も乗っていない自転車たち。
「私、最初は“ただの連鎖”だと思ってた。
でもね、メッセージの届く順番に、“繋がりの濃さ”みたいな法則がある気がしてきたの」
「繋がり……?」
「たとえば、芦原さんが最初に死んで、真央が“次の犯人”として疑われた。
でも真央の関与を示す明確な証拠は出なかった。
その次にメッセージが届いたのが私だった。
私と真央は、あの夜交番に行った件で関わってた。誰よりも近かった。
でも、私は“真央の行動”について証言できた。だから助かったんだと思う」
「……なるほど」
「そして今度は、あなたに届いた。
ここ最近、あなたと私が一緒にいた時間が多かったから……
もしかして、“私の番”が、あなたに流れたのかもしれない」
「俺が……?」
「うん。“関係性”が近い順に、選ばれていってる。
だから、もし自分の前の対象者との繋がりを“切る”ことができたら、
順番を変えられるんじゃないかなって……思ったの」
「じゃあ、“切る”ってどうすれば?」
「誰か別の人間を“より濃く関わってる”ように見せる証拠を出すこと。
“自分よりもっと関係が深い存在”を差し出す……
もしくは、“自分が関係していない”と証明する、証言か記録」
千咲は一息置いた。
風がふわりと、マフラーをなびかせる。
「怖いけど、これはもしかしたら……
“誰が死ぬべきか”を誰かが選んでるんじゃなくて、
“関係の輪が自動で広がってる”だけなのかも」
「“感染”みたいなものか」
「そう。だから、どこかで断ち切れば、止められるはずなの。
たぶん——誰かがそれを試して、失敗して、今がある。
でも、私たちなら……」
「……できるかもしれないって?」
千咲は頷いた。
「私は、あなたを助けたい」
その言葉は、まっすぐだった。
揺るがぬ響きで、柊真の胸に届いた。
彼は彼女を見つめ、そしてそっと口を開いた。
「分かった。……俺、やってみる。
誰かを犠牲にするつもりじゃない。
けど、関係性を示すデータや記録……
そういうのを調べて、何か手がかりを見つけてみるよ」
「ありがとう」
その声に、柊真は微笑んだ。
そのまま階段を上がりながら、最後にこう言った。
「俺さ。もしこれで生き延びられたら、
千咲に……ちゃんと話したいことがある」
千咲は、それに小さく首を傾けただけだった。
「……うん。聞かせて」
—
彼が去った後、彼女は一人、階段に残った。
鉄の手すりに手を添え、深く息を吐く。
そしてスマホを取り出した。
【Message_REVERB】
新しいメッセージがあった。
「仮説:受理」
「関係性モデル:追跡中」
「選定対象:継続中」
その文字に、千咲は表情を動かさなかった。
ただ、画面の奥に映る自分の瞳が、
何かを“見据えて”いた。
それが、鷹野なのか、自分自身なのか——
誰にも分からない。
Scene4:「カウントゼロ」
2025年12月17日(水) 午後07時30分。
南秋大学図書館前
「“関係性の濃さ”だって言うなら、俺が疑われる理由はある」
「でも、その“関係”が“濃くなかった”と証明できれば、
対象から外れるってことだろ?」
夕暮れの図書館前。
人影まばらなキャンパスで、鷹野 柊真(たかの ひゅうま)はスマホを握りしめていた。
彼は、部室や教室、カフェのレシート、ログイン履歴、過去のLINE履歴をたどっていた。
「……いた。こいつ、あの日も学内にいたんだよな」
「千咲と関係があるように“見える”のは、俺よりこいつの方が……」
指先でスクロールした画像を拡大する。
サークルの集合写真、飲み会の様子。
千咲の隣に映る別の男子学生。
肩に軽く手を置かれ、視線を逸らしながらも、微かに笑っている千咲の姿。
——“彼”の方が、千咲との“関係が深い”ように見える。
「これだ。これで、ターゲットは……ズレる」
一縷の希望にすがるように、柊真はそのスクリーンショットをUnknown宛に送った。
“証明”という形で。
間もなく、返答が届く。
【証拠提出:受理】
【検証中……】
柊真は息を呑んで、通知を待った。
風の音が強くなる。
周囲には誰もいないはずなのに、背後に何かの気配がした。
振り返る。
でも、誰もいない。
街灯の下で葉が舞っているだけ。
それが、まるで“黒い髪”のように見えたのは——ただの錯覚だったか。
スマホが再び震える。
【Message from Unknown】
【選定対象:維持】
【証明:不十分】
【タイムスタンプ:終了】
「……あ……?」
画面に浮かぶ、“23:59:59”のカウントダウンが、
——**“00:00:00”**になった。
柊真は逃げるように大学裏の薄暗い側道を歩いていた。
遠くから微かに、自転車のチェーンが軋む音が響く。
近づいてくるような感覚。
だが、それはむしろ遠ざかっていった。
その場には誰もいない。
彼の“目には”そう映っていた。
耳に、風でも木の葉でもない、
わずかに“誰かの足音”のような音が届く。
近づいてくる。
振り向く。
誰もいない。
街灯が途切れる一角で、彼が再び正面に顔を向けた瞬間、
不意に首筋を押さえた。
「っ……ぐっ……」
空気が吸えない。
肺が痙攣する。
首に絡みつく、冷たい何か。
ロープ? 糸?
いや、金属ワイヤーのように硬いひも状のものが、
首筋に徐々に食い込み、気道を潰しに掛かっている。
手を伸ばす。
もがく。
空を漕ぐばかりで何も掴めない。
だが、柊真が手を後ろに回した瞬間に捉えたその感触は
——確かに“人の腕”の形状をしていた。
「だ……れ、だ……ッ……!」
喉が鳴る。
だが、声にはならない。
足元が揺れる。
後ろから、腕に抱かれるようにして引き倒される。
視界の端で、何かの髪が揺れるのが見えた。
——黒髪。
長く、濡れたような質感の髪だった。
背後には、確かに“誰かがいた”。
喉が締っていく感覚が極限に達するその瞬間、
柊真の目の焦点が上にずれた。
——そして、
その“黒髪の人物”が、最後に彼の耳に口を近づけ、何かを囁いた。
「次の供物、ありがとう」
その一言のあと、鋭い鈍痛が腹に走った。
「っが、ぁ……!」
苦悶が一気に体を支配した。
喉のロープとは別に、下腹部に何かが差し込まれている感覚。
腹の肉が裂け、そこから何かがぐじゅりと掻き回される。
「——ぅぅ、ぐ、がっ……」
彼の足が痙攣する。
血が喉から逆流し、唇から洩れ出た。
その瞬間、彼のスマホが地面に落ちる。
画面は点灯したまま。
【Message from Unknown】
【供物認定:Takano.Hyuma】
【記録中……】
鷹野の体が痙攣し、そして静止した。
——その瞬間。
千咲のスマホが、何の通知もないのに“ブルッ”と一度だけ震えた。
画面は真っ暗だった。
けれど、なぜかそれが——“終わった”ことを告げているように思えた。
翌朝、南秋大学・構内通路 第二中庭。
首にはくっきりと残る絞殺痕。
口元から流れ出た血が、頬を伝って乾いている。
だが、それだけではなかった。
彼の腹部——シャツのボタンが破られ、
下腹部から肝臓の一部が露出していた。
あたかも、“見せしめ”のように——
何かを取り出しかけて、途中で放り出したかのように。
その胸に押し付けられていたのは、スマートフォン。
画面には、動画が再生中。
【Message_REVERB】
《Takano.H:供物完了》
動画は、彼の断末魔の直前から始まり、こと切れたところで終わる。
その映像の最後の1秒、
誰かの髪が画面を横切る。
長く、濡れて揺れる髪——
だが顔は、映っていない。
画面には再生中のファイル名。
《evidence_fail_final.mp4》
音声はなく、ただ彼が苦しみながら倒れ、痙攣し、
動かなくなるまでの“無音映像”。
背景には、構内の小道。
場所は特定されないよう、映像は切り取られていた。
映像の終盤——画面が真っ黒になり、白文字が浮かび上がる。
「証明できなかった者は、死に至る」
「次の者が、選ばれる」
「記録は続く」
その文字とともに、映像は切れた。
—
警察による現場規制が張られ、学生たちは騒然としていた。
その中にいた千咲は、口元に手を当て、動揺したふりを見せた。
「……そんな……柊真くんが……」
堀川が、横で震えながら呟いた。
「本当に……メッセージ、届いてたんだ……」
宇田川は、唇を噛みしめていた。
「でも、証明すれば助かるって……言ってたじゃん……」
「証明が、“足りなかった”のかもしれない」
千咲のその一言に、全員が黙った。
「……わたしたち、どうすれば……」
誰かが、ぽつりと呟いた。
千咲は、俯いたまま答えなかった。
だが、その視線の先には、風に煽られる一枚の紙切れがあった。
落ち葉に紛れて、誰かのレポート用紙。
角が千切れていて、まるで地図の一部のように見えた。
誰も、それが何かの暗号だとは思わない。
ただ風が通り過ぎるだけ。
——けれど、千咲は目を細めた。
その一瞬の仕草が、誰の視界にも入ったはずなのに
何事もなくそのまま風のように通り過ぎていった。
2025年12月17日(水) 午前09時30分。
南秋大学女子寮・神谷千咲自室
コーヒーの匂いが、電子ケトルの熱気とともにキッチンの隅へ流れた。
神谷千咲は、蒸気に濡れるガラスのコップを見つめていた。
さっき注いだ水はもう冷えていて、触れてもぬるいだけ。
その感触が、なぜか現実味を持っていた。
机の上。ノートパソコン。
USBメモリ。イヤホン。
そして、スマホと再生中の動画。
【Message_REVERB】
《matrimurder_final_send.mp4》
被害者:芦原茉莉。
首を絞められ、片目が潰れ、口元が裂けて笑っていたあの“演出された死”。
けれど、映像の中の一瞬に、奇妙な違和感がある。
個室のドアが揺れる直前。
床に落ちた髪の毛が、風に揺れていた。
トイレの中に、風が吹く要素はない。
窓もない。換気扇の音もなかった。
なのに、長い髪がふわりと浮いている。
まるで、誰かが“すぐ隣で息を吐いた”ように。
千咲は一時停止し、スクリーンショットを撮った。
映像をフレーム単位で戻す。
その髪が動き始めた直前、画面の右端に、一瞬だけ何かの影が映っていた。
人の腕のような、袖のような、輪郭。
それが撮影者の影だとして——
カメラは明らかに“被害者に正対している”。
つまり、撮っている人間がそこにいたとすれば、
誰かと芦原の間に立っていたことになる。
それは、“殺す者”と“撮る者”が別だったことを意味していた。
けれどそれを、誰が信じる?
あの映像を観た人間の大半は、
それが「記録」ではなく、「演出」だったとしか思わない。
千咲は手元のノートを開いた。
昨晩、自分で走り書きしたメモがある。
「動画は二人称視点」
「被害者がカメラを見る=知っていた可能性」
「息の音→誰かいた」
「笑顔=演技? 生前の表情か?」
「視点が人間→殺しながら撮影できる?」
そのメモの横に、赤ペンでこう書き加えた。
“犯人は一人ではない”
しかし、それを書いたときの気持ちは思い出せない。
【Message from Unknown】
添付ファイル:《deadflag_update.mov》
ファイルサイズ:17MB。
動画は実際には5秒しかなかった。
動画を再生。
真っ黒な画面に、ただ白文字だけ。
「証明ができたら、生き残れる」
それは、ただの一文だった。
けれど千咲は、この状況に既視感を覚えた。
まるで、以前にも似たような文言を、
誰かに“送った”ことがあるかのような記憶。
……いや、それはきっと錯覚だ。
けれど——その感覚は、離れなかった。
その言葉を最後に、映像は唐突に終わった。
「証明」——何を? 誰が? どのように?
千咲は立ち上がり、窓際へ移動した。
レース越しに見える外の景色。
アパート前の道路。
自転車。電柱。缶の潰れた自販機。
歩いているのは、知らない男子学生。冬のコート。
それだけなのに、なぜか風景が“舞台”に見えた。
演出された静けさ。
“何も起きないこと”の裏にある、仕組まれた不安。
ノートに、新しいページを開いた。
千咲はボールペンを走らせる。
【仮説】
● Messageが届いた者(対象者)は、
【24時間以内に“誰かに犯行をさせる”か、“他人が犯人である証拠を提示”すれば免れる】
● 証明には「映像/証言/物証」が必要。
● 虚偽の証明だった場合は、即“次”の対象になる。
そのルールは、根拠がない。
でも、“それらしく”見せることはできる。
これを、サークル仲間に提示する。
不安の中にいる者は、“仮説”でも真実のようにすがる。
スマホの通知が重なった。
【都市伝説研究会】
宇田川梓:
「ちさき、真央と連絡ついた?もう二日既読なしってやばくない?」
伊藤歩夢:
「警察ってどうなったの?なんか“自殺”で確定とか流れてるけど……」
堀川菜月:
「てか、“次の人”ってやっぱちさきじゃん?w 生きてる時点で、証明できたってこと?」
証明。
千咲は、ノートにさらに文字を加えた。
“私は、真央がやったと証明する”
その瞬間、もうひとつの通知。
【Message_REVERB】
本文:「仮説:受理」
赤文字だった。
受理——誰が?
この仮説が、誰かのルールに加わったということか?
千咲は、ふと、自分の背中がゾワリと冷たくなるのを感じた。
誰が、何のためにこの“受理”を?
けれど、少なくともそれは——
自分が生き延びるための“鍵”になるかもしれなかった。
そして、その仮説が、
これまでの死に潜んでいた“隠された法則”に触れた可能性があるなら——
千咲には、それを試す価値があった。
誰もが怯え、疑い、何も見えなくなっている今。
“言葉”だけが、真実を導くかもしれない。
あるいは、救いとなるかもしれない。
Scene2:拡散されるルール
2025年12月17日(水) 午前11時30分。
南秋大学学食
学食は混雑の始まりを予感させるだけの静けさだった。
トレーを持った学生たちが迷うように列を作り、
チキンステーキ定食か味噌ラーメンかの二択に人生を預けていた。
ざわめきの中に笑い声。誰かの咳払い。
トレーが滑って落ちる金属音に一瞬全員が注目して、すぐまた日常へ戻る。
千咲は、その空気の端にいた。
中庭と仕切る大窓のそば。昼は陽が差し込むが、今日は曇天。
手元には温め直したコーンスープ。
そのスプーンを持ったまま、
千咲はサークルのLINEグループに文章を打ち込んでいた。
『ねぇ、私……仮説があるの。
このメッセージ、“次の人”って完全なランダムじゃない。
たぶん——前の犠牲者と「いちばん近い関係者」に届いてる。
私も、茉莉の次にメッセージが来た。
でもね、あの時、私が交番に行った時に“真央と一緒だった”って思われたかもしれないの。
誰かが二人を見間違えたとか、記録が曖昧だったとか——
とにかく、私に“アリバイっぽい何か”があったのかもしれない。
だから私は“犯人じゃない”って判断された……そう思う。
つまり——
【誰かに犯行をさせる】
or
【他人が犯人である“証拠”を示す】
このどっちかができれば、“次の対象”から外れる。
逆に、何もできなかったり、嘘だったりしたら——
次は、その人が殺される。
だから……何か来たら、すぐに行動して。
信じるかどうかは任せるけど、私は……本気でそう思ってる。』
送信。
既読が、すぐについた。
堀川、宇田川、伊藤——三人の反応が連続して表示される。
返信が来る前に、千咲はカップを持って口元に運んだ。
冷めかけたコーンスープは、なぜか塩気が強く感じられた。
—
宇田川:
「え、それヤバい……つまり“推理ゲー”ってこと?」
堀川:
「つかさ、それだと次の人がやばくない?証明できなきゃ即死?」
伊藤:
「てか、誰が“次”なの?もう一人、動画届いてんのかな……」
—
千咲はそれにすぐ返さなかった。
代わりに、スプーンを机に置き、立ち上がった。
学食の奥のゴミ箱へカップを捨てるついでに、窓際のガラスに映る自分の姿を横目で見た。
やけに疲れた顔。肌の色。目の下の影。
その横を、黒髪の男子学生が通り過ぎる。知らない顔。
だが一瞬、視線が交錯した。
千咲が目を逸らすよりも早く、彼はそのまま通り過ぎた。
—
席に戻る前に、トイレに寄った。
個室のドアは一つ空いていた。
千咲はそこに入らず、手洗い場の鏡に向かって立った。
顔を覗き込む。
どこか、他人の顔に見える。
それは“昨日殺人の映像を見た人間の顔”ではなく、
“昨日誰かに自分が殺されかけたかもしれない人間”の顔だった。
—
再びLINE通知。
堀川:
「でも、それさ……誰かに罪を擦りつけるとかもできちゃうんじゃね?」
伊藤:
「ね。めっちゃ危ないルールだと思う」
宇田川:
「でも今のところ、千咲だけ助かってるんでしょ?」
その一文に、重さがあった。
彼女たちは千咲を責めていない。
でも、どこかで「千咲だけは情報を持ってる」という意識がある。
部室は静かだった。
午後の講義をサボって集まった3人の姿。
堀川はレッドブルを飲みながらマンガを読んでいた。
宇田川はスマホをいじっていたが、LINEではなくSNSを覗いているようだった。
伊藤はホワイトボードに“連鎖死の構造”を模写していた。
カラーペンで四角と矢印を描いていた。
千咲はノートを開いた。
【推定ルール(仮)】
● Messageが届いた者(対象者)は、
【24時間以内に“誰かに犯行をさせる”か、“他人が犯人である証拠を提示”すれば免れる】
● 証明には「映像/証言/物証」が必要。
● 虚偽の証明だった場合は、即“次”の対象になる。
この最後の一行を、千咲は赤ペンで囲んだ。
「ちさき」
宇田川梓がスマホを掲げたまま、不意に声を上げた。
「ちょっと、これ見て。……真央のSNS垢、知ってるやつなんだけどさ」
千咲はそちらに目をやる。
表示されていたのは、24時間前に投稿されたストーリー。
場所タグには、「南秋大学・3号館・屋上」と記されていた。
動画は短い。
曇った空の下、建物の縁に立つ人物の背中。
マフラーを巻いた細身の体格で、風に髪を揺らしていた。
「これ……真央のマフラーじゃない?」
「ってことは、真央——まだ生きてたってこと?」
「じゃあ、犯人じゃなかったってことか……」
「……いや」
千咲が、低く呟いた。
その目は、画面を越えて何か遠くを見るような焦点の定まらなさを湛えている。
「むしろ逆かもしれない。
——“誰かに証明された”。だから、殺された可能性」
「は? なんでだよ」
宇田川が眉をしかめる。
千咲は息を吸い、少し間を置いてから続けた。
「真央、自分がこの連鎖に関係ないって証明できなかった。
……それで、姿を消した。
でももし、この動画が——“彼女の最後の目撃”だったとしたら」
室内の空気がわずかに冷える。
誰かが喉を鳴らす音がした。
「場所は3号館屋上。
誰でも入れる場所だけど……
ねぇ、どうして昨日この場所で、誰にも見つからず、
真央“だけ”が立ってたんだろう」
「まさか、あの動画——」
「“送られた直後”だった可能性もある」
千咲の声は淡々としていた。
だがその語尾には、確信ではなく、混ぜ物のある不安と興奮が滲んでいた。
その違和感を誰も気づけず、
ただ“次の死”への震えだけが、サークル全体を包んでいった。
部室内が静かになった。
その静寂の中、誰かが口を開いた。
「……じゃあ、次は誰なの?」
その問いに、誰も答えなかった。
けれど、その質問が放たれた瞬間。
千咲のスマホに、通知が届いた。
【Message_REVERB】
《対象:Takano.H》
差出人:Unknown
次の対象:鷹野 柊真(たかの・ひゅうま)
その名前に、千咲は微かに眉をひそめた。
Scene3:「選ばれし者」
2025年12月17日(水) 午後03時30分。
南秋大学・3号館の裏手
放課後のキャンパスは、沈んだ夕陽の色をまだ少しだけ保っていた。
けれど、風の中に漂う空気はすっかり夜の匂いだった。
乾いた葉が舗道を転がり、吹き溜まりに滞るたびに、どこかで誰かの足音のように響く。
南秋大学・3号館の裏手。
人の気配のない裏階段に、鷹野 柊真(たかの・ひゅうま)は立っていた。
スマホの画面を見つめている。
その表情には焦燥があり、困惑があり、そして——かすかな期待もあった。
階段の上から、足音。
白いパーカーにマフラーを巻いた千咲が現れた。
彼女は数段をゆっくりと降りてきて、柊真の隣に並んだ。
「……呼び出してごめん」
「いや、こっちこそ……急に、LINEで変なこと言って」
「動画が、届いたんだよね?」
柊真は小さくうなずいた。
「うん。“お前の番だ”って、あの文字。……あれが、俺に来た」
千咲は少し俯いて、唇を噛んだ。
「鷹野くん……怖いよね」
「怖いよ。殺されるかもしんないこと。
でも、それ以上に——意味が分かんなくて怖い」
彼はスマホを差し出した。
【Message from Unknown】
画面には例の動画。《Message_2.mov》
再生ボタンの真ん中に、赤く点滅する円。
千咲は押さなかった。代わりに、そっと彼の手を包んだ。
「鷹野くん。……私、ね」
「うん」
「“これ”って、誰かが順番に殺されてるだけじゃない気がするの」
「どういうこと?」
千咲は、遠くを見た。
裏庭の鉄柵、その向こうにある駐輪場。
そこに立ち並ぶ、誰も乗っていない自転車たち。
「私、最初は“ただの連鎖”だと思ってた。
でもね、メッセージの届く順番に、“繋がりの濃さ”みたいな法則がある気がしてきたの」
「繋がり……?」
「たとえば、芦原さんが最初に死んで、真央が“次の犯人”として疑われた。
でも真央の関与を示す明確な証拠は出なかった。
その次にメッセージが届いたのが私だった。
私と真央は、あの夜交番に行った件で関わってた。誰よりも近かった。
でも、私は“真央の行動”について証言できた。だから助かったんだと思う」
「……なるほど」
「そして今度は、あなたに届いた。
ここ最近、あなたと私が一緒にいた時間が多かったから……
もしかして、“私の番”が、あなたに流れたのかもしれない」
「俺が……?」
「うん。“関係性”が近い順に、選ばれていってる。
だから、もし自分の前の対象者との繋がりを“切る”ことができたら、
順番を変えられるんじゃないかなって……思ったの」
「じゃあ、“切る”ってどうすれば?」
「誰か別の人間を“より濃く関わってる”ように見せる証拠を出すこと。
“自分よりもっと関係が深い存在”を差し出す……
もしくは、“自分が関係していない”と証明する、証言か記録」
千咲は一息置いた。
風がふわりと、マフラーをなびかせる。
「怖いけど、これはもしかしたら……
“誰が死ぬべきか”を誰かが選んでるんじゃなくて、
“関係の輪が自動で広がってる”だけなのかも」
「“感染”みたいなものか」
「そう。だから、どこかで断ち切れば、止められるはずなの。
たぶん——誰かがそれを試して、失敗して、今がある。
でも、私たちなら……」
「……できるかもしれないって?」
千咲は頷いた。
「私は、あなたを助けたい」
その言葉は、まっすぐだった。
揺るがぬ響きで、柊真の胸に届いた。
彼は彼女を見つめ、そしてそっと口を開いた。
「分かった。……俺、やってみる。
誰かを犠牲にするつもりじゃない。
けど、関係性を示すデータや記録……
そういうのを調べて、何か手がかりを見つけてみるよ」
「ありがとう」
その声に、柊真は微笑んだ。
そのまま階段を上がりながら、最後にこう言った。
「俺さ。もしこれで生き延びられたら、
千咲に……ちゃんと話したいことがある」
千咲は、それに小さく首を傾けただけだった。
「……うん。聞かせて」
—
彼が去った後、彼女は一人、階段に残った。
鉄の手すりに手を添え、深く息を吐く。
そしてスマホを取り出した。
【Message_REVERB】
新しいメッセージがあった。
「仮説:受理」
「関係性モデル:追跡中」
「選定対象:継続中」
その文字に、千咲は表情を動かさなかった。
ただ、画面の奥に映る自分の瞳が、
何かを“見据えて”いた。
それが、鷹野なのか、自分自身なのか——
誰にも分からない。
Scene4:「カウントゼロ」
2025年12月17日(水) 午後07時30分。
南秋大学図書館前
「“関係性の濃さ”だって言うなら、俺が疑われる理由はある」
「でも、その“関係”が“濃くなかった”と証明できれば、
対象から外れるってことだろ?」
夕暮れの図書館前。
人影まばらなキャンパスで、鷹野 柊真(たかの ひゅうま)はスマホを握りしめていた。
彼は、部室や教室、カフェのレシート、ログイン履歴、過去のLINE履歴をたどっていた。
「……いた。こいつ、あの日も学内にいたんだよな」
「千咲と関係があるように“見える”のは、俺よりこいつの方が……」
指先でスクロールした画像を拡大する。
サークルの集合写真、飲み会の様子。
千咲の隣に映る別の男子学生。
肩に軽く手を置かれ、視線を逸らしながらも、微かに笑っている千咲の姿。
——“彼”の方が、千咲との“関係が深い”ように見える。
「これだ。これで、ターゲットは……ズレる」
一縷の希望にすがるように、柊真はそのスクリーンショットをUnknown宛に送った。
“証明”という形で。
間もなく、返答が届く。
【証拠提出:受理】
【検証中……】
柊真は息を呑んで、通知を待った。
風の音が強くなる。
周囲には誰もいないはずなのに、背後に何かの気配がした。
振り返る。
でも、誰もいない。
街灯の下で葉が舞っているだけ。
それが、まるで“黒い髪”のように見えたのは——ただの錯覚だったか。
スマホが再び震える。
【Message from Unknown】
【選定対象:維持】
【証明:不十分】
【タイムスタンプ:終了】
「……あ……?」
画面に浮かぶ、“23:59:59”のカウントダウンが、
——**“00:00:00”**になった。
柊真は逃げるように大学裏の薄暗い側道を歩いていた。
遠くから微かに、自転車のチェーンが軋む音が響く。
近づいてくるような感覚。
だが、それはむしろ遠ざかっていった。
その場には誰もいない。
彼の“目には”そう映っていた。
耳に、風でも木の葉でもない、
わずかに“誰かの足音”のような音が届く。
近づいてくる。
振り向く。
誰もいない。
街灯が途切れる一角で、彼が再び正面に顔を向けた瞬間、
不意に首筋を押さえた。
「っ……ぐっ……」
空気が吸えない。
肺が痙攣する。
首に絡みつく、冷たい何か。
ロープ? 糸?
いや、金属ワイヤーのように硬いひも状のものが、
首筋に徐々に食い込み、気道を潰しに掛かっている。
手を伸ばす。
もがく。
空を漕ぐばかりで何も掴めない。
だが、柊真が手を後ろに回した瞬間に捉えたその感触は
——確かに“人の腕”の形状をしていた。
「だ……れ、だ……ッ……!」
喉が鳴る。
だが、声にはならない。
足元が揺れる。
後ろから、腕に抱かれるようにして引き倒される。
視界の端で、何かの髪が揺れるのが見えた。
——黒髪。
長く、濡れたような質感の髪だった。
背後には、確かに“誰かがいた”。
喉が締っていく感覚が極限に達するその瞬間、
柊真の目の焦点が上にずれた。
——そして、
その“黒髪の人物”が、最後に彼の耳に口を近づけ、何かを囁いた。
「次の供物、ありがとう」
その一言のあと、鋭い鈍痛が腹に走った。
「っが、ぁ……!」
苦悶が一気に体を支配した。
喉のロープとは別に、下腹部に何かが差し込まれている感覚。
腹の肉が裂け、そこから何かがぐじゅりと掻き回される。
「——ぅぅ、ぐ、がっ……」
彼の足が痙攣する。
血が喉から逆流し、唇から洩れ出た。
その瞬間、彼のスマホが地面に落ちる。
画面は点灯したまま。
【Message from Unknown】
【供物認定:Takano.Hyuma】
【記録中……】
鷹野の体が痙攣し、そして静止した。
——その瞬間。
千咲のスマホが、何の通知もないのに“ブルッ”と一度だけ震えた。
画面は真っ暗だった。
けれど、なぜかそれが——“終わった”ことを告げているように思えた。
翌朝、南秋大学・構内通路 第二中庭。
首にはくっきりと残る絞殺痕。
口元から流れ出た血が、頬を伝って乾いている。
だが、それだけではなかった。
彼の腹部——シャツのボタンが破られ、
下腹部から肝臓の一部が露出していた。
あたかも、“見せしめ”のように——
何かを取り出しかけて、途中で放り出したかのように。
その胸に押し付けられていたのは、スマートフォン。
画面には、動画が再生中。
【Message_REVERB】
《Takano.H:供物完了》
動画は、彼の断末魔の直前から始まり、こと切れたところで終わる。
その映像の最後の1秒、
誰かの髪が画面を横切る。
長く、濡れて揺れる髪——
だが顔は、映っていない。
画面には再生中のファイル名。
《evidence_fail_final.mp4》
音声はなく、ただ彼が苦しみながら倒れ、痙攣し、
動かなくなるまでの“無音映像”。
背景には、構内の小道。
場所は特定されないよう、映像は切り取られていた。
映像の終盤——画面が真っ黒になり、白文字が浮かび上がる。
「証明できなかった者は、死に至る」
「次の者が、選ばれる」
「記録は続く」
その文字とともに、映像は切れた。
—
警察による現場規制が張られ、学生たちは騒然としていた。
その中にいた千咲は、口元に手を当て、動揺したふりを見せた。
「……そんな……柊真くんが……」
堀川が、横で震えながら呟いた。
「本当に……メッセージ、届いてたんだ……」
宇田川は、唇を噛みしめていた。
「でも、証明すれば助かるって……言ってたじゃん……」
「証明が、“足りなかった”のかもしれない」
千咲のその一言に、全員が黙った。
「……わたしたち、どうすれば……」
誰かが、ぽつりと呟いた。
千咲は、俯いたまま答えなかった。
だが、その視線の先には、風に煽られる一枚の紙切れがあった。
落ち葉に紛れて、誰かのレポート用紙。
角が千切れていて、まるで地図の一部のように見えた。
誰も、それが何かの暗号だとは思わない。
ただ風が通り過ぎるだけ。
——けれど、千咲は目を細めた。
その一瞬の仕草が、誰の視界にも入ったはずなのに
何事もなくそのまま風のように通り過ぎていった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―
MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」
「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」
失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。
46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる