銀貨一枚と引き換えに

天霧 ロウ

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「やべ、次、基礎体力だ」
「そういえば、そうだね」
「そうだね、じゃねえだろ。ほら、早く着替えに行くぞ」

 のんびりしているエウェンの手をとって、教室に向かって歩き出す。
 教室にたどり着くと、室内はガランとしていた。体操着に着替えるためみんな出て行ったようだ。
 エウェンが口の端をつり上げて笑うなり「絶好のチャンスだね」と言ってきた。

「なにがだよ」
「さっきの途中」

 リヴンは思いっきり眉を寄せた。今度はリヴンが止めるよりも早くズボンを下着ごと下ろした。そこで、リヴンは「え?」と呟いた。

「僕昨日言ったよね。中だし付きセックスコースは一度につき金貨一枚。スキンシース付きセックスコースなら銀貨三十枚って」
「え、ああ。うん」
「それをする場所がここ」

 そういってエウェンはリヴンに背を向けた。片手を机に置き、もう片手で尻を掴んだ。あらわになった秘部はまるで未使用な薄緑色に対し、使い込まれた証しとして縦に割れているチグハグっぷりだ。
 物欲しそうにひくつく秘部から目をそらせない。

「共生学で学んだと思うけど、僕ら魔物は、無駄なく昇華するから人間でいう肛門はないんだよね。けど、雄は例外があって……自分より強い雄だと体が認めちゃうと、その雄を受け入れる器官がこうしてできちゃうってわけ」
「まじでできるんだな……」

 つくづく魔物とは不思議な生き物だ。弱肉強食に忠実な肉体は自然と歪さが隣り合っていて、奇妙な美しさを覚えた。ふと、経緯を聞いて疑問が湧いた。

「その、中だしとか言ってただろ」
「うん」
「妊娠とか大丈夫なのか?」

 本来ない器官ができるというのは、つまりそういうことだ。尻から手を離し、肩越しにエウェンが琥珀色の瞳をイタズラっぽく細めた。

「問題ないよ。さっき話した通り、胎生や卵生と違うからね」
「じゃあ、お前ら植物種はどうやって増えるんだよ」
「……秘密」

 蠱惑的な笑みと共に、エウェンはテキパキと身なりを整えた。
 先ほど目にした光景が脳裏から離れないリヴンとは違い、エウェンはすっかり冷静だ。机に座り直して、蔓草の髪の動きに合わせてつま先を揺らしながら解説をする始末だ。

「そもそも魔物は人間と違って、誰彼かまわず妊娠するわけじゃないんだよ。特に雄同士の場合は、肉体が認めた優秀な雄以外はどんなに出されても妊娠しないし、淫魔みたいな性質上妊娠しやすいタイプでも魔法でいくらでも避妊できるんだ」
「でもさっきスキンシース付きコースとか言ってただろ。なのに、わざわざ魔法で避妊するのか」

 リヴンは興味ないため持っていないが、年頃の男子なら、いざという時のために誰もがスキンシースをこっそり持ち歩いている。
 エウェンは鼻で笑うと、蔓草の髪がリヴンの顎をくすぐった。

「魔物の陰茎は人間と違って多様だからあてにならないよ。まあ、最近は魔物用も増えてきたけど、魔法が得意なら避妊魔法をした方が手っ取り早いね」

 遊び慣れているだけあって、エウェンの説明はあっけらかんとしていた。しかし、そういった話に免疫がないリヴンには知識として感心するものの、『性』という生々しさは、本能的な魅力と理性的な拒否感が混じり合って気恥ずかしい。
 いまだに脳裏にちらつくエウェンの秘部と話された内容を知識として処理できず、顔が火照ってくる。リヴンの些細な変化をエウェンは当然見逃さない。
 すかさずぴったりと腕にくっつき、蔓草の髪が頬や頭をくすぐるようになで回してくる。

「童貞君には、刺激が強すぎたかな? リヴくん顔真っ赤で可愛いー」
「うるせぇっ!」

 指摘されたせいで、ますます意識をしてしまう。完熟トマトよろしくと真っ赤になった顔があまりにも情けなくて、少しでも見られないようそっぽを向いた。
 頬を蜂蜜色に染めたエウェンがニマニマと笑い、指先がリヴンの頬をつついてきた。

「リヴくん、触ってみる?」
「お、おまっ! な、何言って!」

 とっさに振り向いて言い返す。けれど、エウェンの顔はよりからかいの色を浮かべ、イタズラに成功した子供のようだ。

「あれぇ? なんで顔真っ赤にしてるのかなぁ? 僕はどこを触らせるか場所を指定してないよ?」
「な……」

 完全に墓穴を掘った。これでは、まるで自分がエウェンの秘部を触れさせてもらえると勘違いした痛い男ではないか。
 なんとか言い返したいものの、反撃の言葉が浮かばない。それどころか、自分のスケベな一面を見られた羞恥で汗が滲み、バクバクと心臓の音が頭の中で反響する。
 リヴンは滅多に動じない自信がある。だからこそ、動揺に心身が乱され、結果、うまく呼吸ができなくなった。そのことでさらに混乱し、苦しくて視界がぼやける。

「リヴくん」

 冷静さの呼びかけにエウェンを見れば、伸びてきた手が優しく両頬を包んでくる。ついで柔らかな口と重なる。乱れる呼吸を正すように、ゆっくりと息を送られる。
 混乱の恐怖で藁にすがるようにエウェンの蔓草の髪を握りしめ、抱きしめる。
 ほのかな甘さと芳しい香りが酸素と共に全身を巡っていく。少しずつだが、脳と呼吸が落ち着いてきた。エウェンが瞳を細めて、囁く。

「うん、落ち着いたね。よか……」

 エウェンが唇を離したのもつかの間、リヴンは自ら押し当てた。大丈夫だとわかっていても恐怖から口を離すのが恐ろしい。これ以上くっつけないのに、エウェンを抱き寄せて唇を押しつける。
 リヴンの行動にエウェンがこれでもか琥珀色の瞳を見開く。だが、青白くきつく目を閉じるリヴンを確認すれば、甘く微笑んだ。
 キスの合間にエウェンの声が鼓膜をくすぐった。

「座ってやろう? ね?」
「ん」

 誘導されるがままにイスへ腰掛ければ、太ももにエウェンが乗ってくる。エウェンの腕が首へ回り、額や頬にキスされる度あやされる。ほんの数時間前までキスをするのに違和感を覚えていたのが嘘のようだ。
 落ち着いた途端、急に自分の言動が恥ずかしくなった。これでは、まるで本当の恋人みたいだ。
 あくまで自分は銀貨一枚を人質に付き合っているのであって、決してエウェンをどうにかしたいわけではない。そうやって自分へ言い聞かせても、急に離れるのも意識してますと言っているようなものだ。
 どうすべきか悩んでいれば、握りしめている蔓草の髪にようやく気づいた。
 握りしめていた葉はボロボロで、黄金色の汁が滲んでいた。リヴンの手にもそれは移っていた。まるで血のような黄金色の汁に、血の気が引く。

「悪い、大丈夫か?」

 わざとではない。それでも、きっと痛かっただろう。なのに、エウェンはリヴンが落ち着くまでずっと慰めてくれていた。狼狽するリヴンに落ち着くようにエウェンの蔓草の髪が優しく唇を押してくる。

「痛みには慣れてるから平気だよ。それより、リヴくんの手が汚れちゃったね」

 名残惜しげに首から腕を解くと、ポケットからハンカチを取り出した。小さな子の手を拭うようにリヴンの手についた黄金色の汁を拭った。

「うーん、ちょっと残っちゃったね」
「別にこのぐらい」
「だめ。植物種の体液は個人差があるとはいえ、人間にはよくないんだよ。唾液みたいに僕の方で制御できる分泌液と違って、髪に通るものは毒素が強いんだから」

 太ももから降りたエウェンがリヴンの手首を掴んで引っ張った。

「ほら、リヴくん。手を洗いましょうね~」
「ガキ扱いすんなよ」
「されたくないなら、手を洗おうね」

 結局、エウェンの手の平で転がされている気がする。渋々立ち上がり、廊下の外れにあるで手を洗った。

「これでいいだろ」
「確認するから手の平を広げて」

 言われたとおり、手を広げる。てっきりからかってくるかと思ったが、エウェンの顔は先ほどのちゃらんぽらんさはなく真剣だった。飄々とした振る舞いが主なせいか、真面目な顔でリヴンの手の平を見るエウェンは大人びて見えた。
 せっかく落ちついた動悸が再び刻み始める。スッと通った鼻梁や引き結ばれた唇。髪と同じ青緑色の長い睫毛は青草のようだ。サラッと肩から流れ落ちた蔓草の髪はぽつぽつと白い葉と薄紅色の新芽が咲いていた。黒い制服のせいで、ほんのり緑おびた白い肌が浮き立つ。
 顔ばかりで気づかなかったが、エウェンの爪は髪と同じ青緑をしていた。

「爪」
「ん? 爪に何か違和感あるの?」

 エウェンの手がリヴンの指先を確認してくる。美しい容姿やしなやかな指に引っ張られていたが、エウェンも男だけあってリヴンの手とさして大きさは変わらない。
 真剣にリヴンの手を見ているエウェンへリヴンは口ごもった。

「俺の爪じゃなくて、その。お前の爪」
「僕の爪がどうしたの?」

 顔を上げて小首をかしげる。なにげない仕草すら、無性に胸がドキドキする。それをごまかすようにやや声を荒げた。

「青緑だけど、それ生まれつきなのか」
「あぁ、そういうこと。うん、生まれつきだよ。魔物じゃあるあるさ」

 毒がないのを確認終えたのだろう。「問題ないね」と呟く。ついで、エウェンがリヴンの手を離し、見やすいように指先を手の平にのせてきた。

「植物種の場合、髪色と連動する傾向があるんだよ。特に花がメインの植物種は赤や紫で派手なんだよね」
「ふーん……、お前の髪は花が咲かないのか」

 花がなくとも色鮮やかな葉は十分綺麗だ。だが、気恥ずかしくて素直にそれを口に出来なかった。
 エウェンはそんなリヴンの内心を知らずか、自身の髪を摘まむと鼻で笑った。

「咲くよ。細い風車みたいな白い花で、パッとしないけどね」
「花ってそんなに大事なのか?」

 純粋な疑問だった。すぐに返ってきた答えは、この時ばかりは少し間があった。ゆっくり瞬きをしたエウェンは手にしていた髪を背に流した。

「僕はどーでもいいけど、魔物によるんじゃないかな?」

 明らかに作った笑顔はこれ以上追求するなと暗に告げていた。さすがのリヴンも助けられた手前、それ以上聞けなかった。代わりに、エウェンの指先をぎこちなく握るとボソボソと呟いた。

「俺は、派手な色より……こういう落ち着いた色の方が上品でいいと思う」

 急になにを言っているのだろう。それでも、言わずにはいられなかった。
 キザなセリフを言った気恥ずかしさで、また顔が熱い。真っ赤になった顔を見られないように顔をそらす。
 リヴンを見上げたエウェンの琥珀色の瞳がかすかに揺れた。今にも泣き出しそうな顔で「ありがとう」と返す。けれど、リヴンはその顔に気づかなかった。


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