銀貨一枚と引き換えに

天霧 ロウ

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 あの日以来、エウェンはキスを強要しなくなった。そして、リヴンも最初ほど頑なに拒絶しなくなった。それどころか、ぎこちなくだが、人目がないのを見計らってさりげなくエウェンの指先を握るようになった。
 そんなリヴンをエウェンは意外にも馬鹿にせず、さながら子供の成長を見守る親のような眼差しを向けてくる。どう考えても、クラスメイトに向ける視線ではないが、悪くない気分だと感じてしまう自分が恐ろしい。
 夏期休暇前の試験中とあって、校内は少しだけ浮ついていた。試験は二日間に渡り、今日はその二日目だ。

「リヴくん、合格できそう?」

 隣で魔力水を飲んでいたエウェンが聞いてくる。灯し木の下で、昼食を取るのは二人の日課になっていた。エウェンお手製ソース付きのローストビーフたっぷりサンドイッチを咀嚼し終えると返した。

「余裕。お前は……まあ、問題ないよな」
「えへへ、リヴくんも僕のことがわかってきたじゃん」
「うっせ」

 リヴンはいまだにエウェンがどんな魔物なのか掴みきれない。一方で、リヴンの性格を掴みきっているだろうエウェンの余裕な態度が腹立たしい。
 そっぽを向いて無心にサンドイッチを食べていれば、ススッと蔓草の髪がリヴンの腕に絡みついた。

「ねえねえ、リヴくん。もうすぐ夏期休暇じゃん? その、帰省の予定ってある?」
「まあ、あるけど」

 リヴンの故郷は今いるレインバルク王国から東南――砂漠による天然の防壁たるオーラティス山脈の麓にあるコペグという穏やかな村だ。
 村の裏手にはオーラティス山脈から水晶がふんだんに採掘でき、地脈に満ちる魔力の影響か、七色のハーブによる段々畑が村を彩っていた。
 夏は観光客が増えて、ハーブを収穫する人手が足りなくなる。そのため手すきの村人が総動員して収穫に励むのだ。去年帰省した際、リヴンも駆り出された。

「それがどうした?」
「夏期休暇になったら全然会えないから。だから、その。休暇前に出かけたいなぁ……って」

 象牙色に頬を染めながら、チラッとリヴンの顔色をうかがってくる。黙っていれば、すかさずエウェンが続けた。

「あ、でも、帰省の支度で忙しいもんね! やっぱり、出かけるのは休暇明けでいいよ!!」

 口では取り繕うものの、より強く蔓草の髪が腕に絡みつく。明らかにやせ我慢しているエウェンに胸がモヤモヤしてくる。
 無理して笑っているエウェンを一瞥した後、マーマレードがたっぷり塗られたサンドイッチを一気頬張る。お茶を飲んで一息つくと、なるべく自然に聞こえるよう呟いた。

「この時期、観光客の対応に覆われてハーブの収穫が大変だから、人手が増えると村の奴らも喜ぶと思う」
「え……?」

 きょとんとするエウェンの様子に、慌てて付け足した。

「ま、まあ、ど田舎だし、たいして見るものもねえけどな!」

 これでは誘っているのか、来るなと言っているのかわからないだろう。たった一言「ついてこいよ」と誘えない自分が嫌になる。ため息をつきそうになるが、ぐっと堪える。
 気になって隣を盗み見すれば、そんな悩みは杞憂だった。

「行く、行くよ! そうと決まったら、宿取っておかないと! 連絡水晶ってある?」

 琥珀色の瞳を満月のように輝かせながら、エウェンが聞いてきた。連絡手段として用いられる連絡水晶は商業施設なら必ず置いてある。
 エウェンが小さい頃は置いていなかったが、旅行客の間で村の評判が広まったのか、数年前から村にある商業施設はすべて置くようになった。
 さっそく宿の予約を取ろうと意気込むエウェンにリヴンは焦りから口走った。

「わざわざ予約を取らなくても、俺の部屋に泊まればいいだろ!」

 あまりにも大声で言ったせいか、通りがかりの生徒達がリヴン達へ振り向く。ハッとしたリヴンはわざとらしく空咳をして、腕を組んだ。

「別に、変な意味で言ったわけじゃねえからな。俺の家は温泉付き宿で広いし、お前にはいつも昼飯助かってるから、その……礼、だ」
「僕がおじゃましてもいいの?」
「お前が一人増えたくらいで狭くなる部屋じゃねえよ」

 そうあくまでも付き合い始めてから今日にいたるまでの昼飯代として泊まらせるだけだ。決して一緒に寝起きしたいわけではない。それでも、勝手に顔が赤く染まり、火照りだす。
 再び訪れた沈黙は居心地が悪くてしょうがない。ついぞ我慢できずチラチラ視線を送れば、呆けていたエウェンがハッとした。これでもか蜂蜜色に染まった顔で満面の笑顔を浮かべた。

「それじゃあ、夏期休暇中、お世話になるね」
「おう」

 エウェンを校門まで送って別れた後、寮に戻る足取りは高揚感と達成感でフワフワした。
 自室に入ると、無自覚の内に鼻歌を歌っていたようだ。先にくつろいでいたルームメイトが雑誌から顔を上げてからかってきた。

「お前がご機嫌に鼻歌を歌ってるなんて、なんかいいことあったのか?」
「別になんもねえよ」

 ルームメイトの指摘に慌てて鼻歌をやめる。自分でも気づかないほど浮かれている様に床に転がり回りたくなるが、ぐっと堪える。
 食堂で夕食を終えた後、シャワーを浴び終える。幸い、ルームメイトはまだ戻ってきてない。そそくさと階段を上って二段ベッドへあがる。カーテンを引き、寝転がった。
 去年、帰省する前日に土産を買っていた。今年はどうしようかと少し悩んだ末、エウェンの顔が思い浮かぶ。
 エウェンがどのくらいレインバルク王国に住んでいるかわらかないが、少なくとも寮生活でないあたり、レインバルク王国に家があるのだろう。なら、去年来たばかりの自分よりよほど土産選びに詳しいかもしれない。
 そうと決まれば、目を閉じてエウェンの顔をなるべく鮮明に思い出し、魔力を飛ばす。
 授業で伝達魔法を学んだとはいえ、家族以外で使うのははじめてだ。ドキドキしながら待っていると、かなり細いが魔力が繋がった。
 かすかに聞こえる呼吸音。今さらながら、開口一番になにを言おうか迷ってしまう。その間に、エウェンが声をかけてきた。

『リヴくん?』

 ややぼやけているが、しっかりエウェンの声が届いている。無事成功して自信がついたリヴンは気もいくぶん大きくなっていた。

「よかった……。はじめて家族以外に使ったけど、うまくいくもんだな」

 力なく横になると、枕に顎を乗せながら聞いた。

「帰省する日付言ってなかったよな。終業式が終わった翌々日に行く予定だ」
『となると、明後日だね』

 かすかに紙をなぞる音が聞こえる。リヴンは一つ頷くと、そっと深呼吸をした。

「あのさ、帰省にあたって頼みがあるんだけどいいか?」
『いいよ。なに?』

 頭を掻いた後、ありったけの勇気を振り絞って告げた。

「明日、一緒に土産を見繕ってほしいんだけ、ど……」

 いざ口にすると恥ずかしくなってきた。そのせいで、言葉尻はほとんどかすれていた。それでもエウェンには聞こえたようだ。エウェンが息を飲み、ついで声を弾ませた。

『いいよ! 大まかにこれがいいっていうのある?』
「あー、えっと。ない」

 素直に伝える。以前のようにからかわれるかと思ったが、エウェンは『そっか』とあっさり納得しただけだった。
 拍子抜けしつつ『うーん……』と呟く声は、リヴンのために悩んでくれていると考えると、胸が甘く疼き、なんだか落ち着かなかった。
 右から左へ寝転がっていると『よし!』とエウェンが声を上げた。

『じゃあ、僕の方でいくつかあげとくね。そうだ、明日どこで待ち合わせする? それとも、僕が寮へ迎えに行った方がいい?』
「迎えに来なくていい。そうだな……じゃ、第三王都の中心にある時計広場はどうだ?」

 転がるのをやめ、頭に浮かんだ場所を告げる。
 教育と研究機関が中心である第三王都の中心である時計広場は、常に正確な時を刻む巨大な時計塔がそびえ、時刻ごとに広場のモザイクタイルが魔力で色が変わるのだ。
 その派手さとどこにいても見える時計塔の存在もあって、待ち合わせ場所として王道だ。

『わかった。じゃあ、そこで待ち合わせしよ。十時頃でいいかな?』
「おう、十時な」

 約束の取り決めが終わった途端、気まずい。元々、リヴンは会話が得意じゃない。どう切り上げればいいか迷っていると、小さな笑い声が頭の中で揺れた。

『それじゃ、明日。十時に時計広場で待ち合わせだから。寝坊しちゃだめだよ? おやすみ』
「誰が寝坊するかよ! ……お、おやすみ」

 プツッと魔力が切れる。大の字になったリヴンは無機質なグレーの天井を見つめた。
 二人で買い物に行くだけだ。なのに、遠足の前日のごとく興奮で目が冴え渡っていた。おまけに、互いに「おやすみ」と言い合った。これでは、まるで本当の恋人のようだ。

「い、いや、俺はあいつに脅されて付き合ってるだけだし? そう、銀貨一枚を人質に取られてるから、しかたなく。しかたなく付き合ってるんだ」

 ドキドキする自分へ独りごちる。それでも、胸は痛いぐらい高鳴り、明日に備えて無理矢理目を閉じたのだった。
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