銀貨一枚と引き換えに

天霧 ロウ

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 結局、よく眠れなかった。待ち合わせは十時にもかかわらず、六時に起きて、シャワーを済ませていた。クローゼットを開け、何を着ていこうか迷っていた。
 といっても、服に無頓着なイヴンは選択の余地がない。手元にある上衣は白とグレーの半袖と同色のロングティーシャツに対し、ズボンは黒、ベージュ、グレーだけだ。
 改めて気づいたがデート――土産を買うとしてもラフすぎる。
 そもそも、数少ない外出である臨時労働先は荷運びなどの作業で、私服の上からギルド指定のジャケットを羽織っていた。それ以外で着るのは一人で校外へ買い物にでかけるか、休日に校内の購買部へルームメイトの付き添いで向かうくらいだった。
 悩んだ末、グレーの半袖シャツと黒いズボンに着替えた。クローゼットを閉じれば、めざとく気づいたルームメイトがカーテンを少し開けた。

「あれ、私服着てるなんて珍しいじゃん。どっかでかけんのか?」
「まあ、そんなところ」
「ふーん。ヘアセットしねえの?」
「へあせっと?」

 耳慣れない言葉に思いっきり眉を寄せる。大きなあくびを一つしたルームメイトが洗面台へ続く扉を指差した。

「誰かとでかけるんだろ? ワックスとスプレーが洗面台にあるから使っていいぜ」

 そういうとルームメイトは引っ込み、いびきが聞こえてくる。
 リヴンは戸惑いながらも洗面台に向かった。黒くて丸い容器とスプレー缶が隅にあった。丸い容器を手に取って開ければ、爽やかな匂いがする。だが、いつも手ぐしで整えるくらいでヘアセットをした経験がないリヴンには未知の物体だった。

「これを塗るのか? 髪に?」

 鏡に映る自分を見る。全体的に短い髪をどうセットしろというのだ。ただでさえ鋭い三白眼がさらに鋭くなって自分を睨み付ける。
 髪型にも無頓着なリヴンは迷った末、指先でワックスを少しだけすくい上げた。ベタベタした感触に顔をしかめてしまうが、意を決して前髪に塗り込む。ひとまず無難にかき上げてみた。
 額が出たおかげでいつもより爽やかに見える気がする。

「まあ、これでいいか」

 そうこうしている間に、八時を回っていた。焦げ茶のショートブーツを履き、財布を腰鞄に突っ込むと、早足で食堂へ向かう。休日でも、規則正しい生徒の何人かが朝食セットを食べていた。
 リヴンも手早く朝食セットを食べ終えると、待ち合わせの場所へ向かった。
 時計塔広場のモザイクタイルは爽やかな水色から濃い水色へ切り替わった。念のため時計の針を確認すると、九時ちょうどだ。
 素早く当たりを確認すれば、リヴンと同じように待ち合わせしているものもいれば、屋台が開店をはじめたり、近場のベンチで老夫婦が並んで座っていたりとで賑わい始めていた。
 セットした前髪がうまくいっているか気になって、思わず指先でいじっているとふわっと嗅ぎ慣れた甘い匂いが鼻先を通った。顔を上げれば、片手を大きく振りながらエウェンが駆け寄ってくる。

「リヴくーん!」

 まわりの目を気にせず満面の笑顔だ。リヴンの目の前まで来ると、エウェンが息を弾ませて見上げてきた。

「リヴくん、早いね。まった?」
「別に、今来たばかりだ」

 まさか一時間早く来たなんて恥ずかしくて言えない。まるで自分が今日という日を楽しみにしていたと勘違いされる。
 視線をそらしながら、ちょいちょいとはじめてのセットで気になる前髪をいじっていると、エウェンが片眉を上げた。

「あれ、前髪セットしたんだ?」
「まあ……気が向いたから」

 前髪をいじるのをやめるものの、エウェンの反応がどうしても気になってしまう。やはり変なのだろうか。慣れないことをしなければよかったと思いかけた時、エウェンの手が伸びてきた。

「リヴくん、ちょっといじってもいい?」
「おう」

 返事と共に、エウェンの手が素早く動く。ついで、ふわっと爽やかな空風が額を撫でていった。

「うんうん、額が見えると男前に爽やかさが増して、さらにカッコいいよ。僕、惚れ直しちゃった」
「あー、えっと」

 滅多に容姿を褒められないせいか、照れくさくてしょうがない。心臓がドキドキと跳ね、顔が赤くなるのを感じながら、なんとか言い返そうとエウェンの全身を素早く確認する。
 いつもはそのまま背中に流れている蔓草の髪は、後頭部でくくられていた。ベージュのゆったりとしたフード付き上衣にすっきりした黒いズボン。対して足元のキャラメル色のブーツはがっしりしていて、エウェンのしなやかさを強調していた。
 一見チグハグに見える要素だが、エウェンがまとうとラフさと活発的な雰囲気が融和して洒落て見えた。

「お前も、その……」

 言葉に悩んでいると、キラキラした琥珀色の瞳が期待を込めて見上げていた。瞬間、考えるより早く言葉が転がり出た。

「すごく、綺麗で可愛くて……カッコいい」

 口にした途端、思いっきりリヴンは眉を寄せた。
 エウェンは男だ。細身であるが、小柄ではない。むしろ身長は平均的だろう。後者の発言があっても失言だ。
 エウェンが何か言い返す前に、姿勢を正して早口で続けた。

「適した言葉がでてこなかっただけで、馬鹿にしたわけじゃねえからな」

 ルームメイトやクラスメイトなら冷静にいられるのに、エウェンの前だとどうしても平常運転でいられない。今日だって、服選びやヘアセットとなれないことばかりしてる。
 それどころか、そんな自分を見たエウェンの反応まで気にしてしまう。自分とエウェンは銀貨一枚を人質に取られただけの関係だというのに。
 エウェンはポカンとしていたが、くすぐったそうに眉を寄せて笑った。

「カッコイイだなんて言われたのはじめてだよ。そっか、カッコイイかぁ」
 
 ふふっと頬を緩ませるエウェンからぎこちなく目をそらしフンッと鼻を鳴らす。

「で、土産だけど……、いいところあるのか」
「うん。ついてきて」

 リヴンの手を取って、引っ張るように歩き出す。その度、まとめられた蔓草の髪が左右に揺れ、ふだん隠れているほんのり緑おびた白いうなじがチラチラと見える。
 第二王都や第四王都へ繋がる大通りではなく、第三王都の商店街へ向かっているようだ。

「ほかの王都には行かないのか?」
「第二王都と第四王都のこと? 行かないよ。第二王都は物価が高いし、第四王都は荒くれ者もいるし、売られているものも実戦的というか。あと第二王都以上に価格幅が大きすぎるよ」
「そんなにか?」

 レインバルク王国には四つの王都がある。
 王から住居許可されたものだけが入居できる特別区域の第一王都、庶民から富裕層まで様々な国民が暮らす住居区域の第二王都、教育や研究機関を集めた区域の第三王都。
 そして、唯一騎士団が在中しておらず、自ら治安を維持し、様々なギルドや冒険者向けの商店街として活気に満ちた第四王都。一般人で一学生のリヴンには、物語のような人々が溢れている区域でもある。
 リヴンの疑問にエウェンの低い声が無機質に返す。

「うん、僕らとは無縁な場所だよ。それより、ほら! このお店だよ!」

 口調こそいつも通りだったが、聞いたことがない声音は一瞬エウェンの皮を被った別人に思えた。だが、肩越しに振り返って笑いかける笑顔は見慣れた――愛嬌とイタズラっぽい色を宿していた。
 きっと緊張して、いつもと違って聞こえただけかもしれない。
 エウェンが見つけた店はセピア色でまとまったこぢんまりとしている。派手ではないが落ち着いた外観は、キラキラしたほかの店で埋もれていた。てっきり、エウェンが選ぶ店はもっと華やかなものだと思ってただけに意外だ。
 ショーウィンドーもこぢんまりとしており、パッと見何を売りにしている店かわからない。
 困惑してる暇もなく、エウェンに手を引かれて店へ入った。店内に響く鈴の音が凜と響き渡る。店内は外観通り落ち着いていて、ガランとしていた。懐かしいラベンダーの柔らかな匂いは故郷の村コペグを思い出した。
 棚には、様々な魔法薬や魔法具が置いてある。魔法具といっても教科書で見るような仰々しさはない。アクセサリーとしてシンプルかつ普段使いしやすいデザインだ。

「へえ、第三王都にもこんな店があったんだ」
「結構穴場なんだよ。それでお土産なんだけど、リヴくんの実家がどこか教えてくれる?」
「こっから南東にあるコペグっていう村だ」
「あぁ、だからハーブの収穫って言ったんだね」

 エウェンが納得いったというように一つ頷く。

「コペグといえば、僕のイチオシは手織りの布だね。ハーブと水晶を加工した特別な染料を使ってるから色合いもいいし、頑丈だしさ。あれで作られた魔法服は特に気に入ってるんだよね」
「ずいぶんマニアックなところを気に入ってるんだな」

 コペグはオーラティス山脈の麓にあるハーブと水晶の村だ。
 エウェンの言うとおり、名産品の布や水晶はレインバルク王国で有名な大手商業ギルドから仕入れがくるほど質がよく、なんでも魔法付与が普通の布より倍の効果がでるらしい。
 しかし、一般的に有名なのは、織物より町を彩るハーブだ。オーラティス山脈の地脈から影響を受けた様々な効能を持つハーブはジャムや茶葉に収まらず、薬や入浴剤にも応用される。
 特に、リヴンの実家――ハーブの効能がある温泉付き宿は、湯治に訪れるものが多い。
 感心していれば、エウェンが腰に手を当て、誇らしげに胸を反らした。

「まあ、コペグは昔訪れたからね」
「へえ」

 何の目的で、と聞けなかった。それ以上に踏み込むのが恐ろしかった。思考を切り替えるため、陳列棚を眺める。
 魔法薬やアクセサリーの魔法具以外にも、チョコやドライフルーツなど日持ちする菓子も置いてある。

「チョコか」

 手にしたチョコを見れば、その時の気分で味が変わる魔法菓子だ。
 弟のケリックは甘いものが好きだ。普通のチョコは田舎でも買えるため、こういった変わり種はいいかもしれない。

「リヴくん、チョコ好きなの?」

 エウェンはリヴンがチョコへ意識言っている間、店内を回ったようだ。カゴの中に土産向けの雑貨や日持ちする菓子がある。
 エウェンの問いにリヴンはチョコを見つめながら返した。

「ケリック……腹違いの弟なんだけど、甘いのが好きなんだ。特にチョコが好きで、俺が故郷にいた頃はよくチョコを分けて食べてたんだ」

 去年帰省した時、ケリックとはろくに話せなかった。
 思春期と反抗期が併発したのかもしれない。学び舎生活がうまくいっているのかなど聞きたいことはたくさんあった。だが、徹底的に避けられた。結局、帰り際チラッと顔を見せてもらえただけだ。
 懐かしさで、リヴンの鋭い目つきもいくぶん柔らかくなる。隣にいるエウェンはスッと琥珀色の瞳を細めた。

「ふーん、そうなんだ。それで、リヴくんもチョコが好きってこと?」

 口調こそいつも通りだが、エウェンの声はどこか素っ気ない。だが、ケリックを考えていたリヴンはその変化に気づかなかった。思いをはせていたリヴンは眉を寄せた。

「実を言うと、俺は甘いのが好きじゃない。食べられるけど、好んで食べる気はないというか」
「じゃあ、僕が持ってきたジャムサンドつらかったよね……」

 エウェンが目を伏せ、きゅっと唇を噛む。嘘をつくのも気が引ける。
 カシカシと頭を掻いた後、リヴンは慎重に返した。

「でも、お前がくれるジャムサンドはいつも後味がサッパリして食べやすい甘さだったから。その、嫌いじゃない」

 チラッとエウェンの様子をうかがってしまう。先ほどまで、いつもより緑色が強かった白い肌は一転、象牙色に染まり、内側から輝いているような錯覚さえ覚える。

「本当? えへへ、実は使っていたジャムは僕のお手製なんだ」
「お前、案外凝り性なんだな」

 リヴンもジャムを作った経験があるが、不器用なのだろう。焦がさないよう作るのに苦労した。感心するリヴンを優しく微笑んだエウェンが瞳をほんのり潤ませた。

「リヴくんが食べるものだからだよ」

 手にしたカゴを置き、エウェンの手がリヴンの腕を掴む。少しだけ背伸びをし、エウェンの顔が近づいてくる。それがひどくゆっくりに映った。

「キスするなら、人目のないところでやれ」

 あと少しというところで、耳に馴染んだ陰鬱な声で一気に現実に戻る。ハッと振り返れば、腕を組んで二人を眺めるグッドルがいた。いつも目元を覆う前髪をかき上げているせいか、まるで雰囲気が違う。
 つり上がった眉とあらわになっている黄緑色の瞳は切れ長で縦長の瞳孔は、爬虫人や竜種を彷彿させる。いつも陰鬱な雰囲気も色気となってまとっているくらいだ。
 頭の中が一気に散らかり、状況を整理できない。反対にエウェンは飄々と返した。

「えー、ちょっとくらいいいじゃん」
「お前はちょっとで我慢できるのか」

 勝手知ったるグッドルの態度に、エウェンと付き合う羽目になった光景を思い出す。
 あれほど熱く交わっていたにもかかわらず、そんなことはなかったと言わんばかりに、カラッとした態度だ。同時にそんな振る舞いができるからこそ、二人がとても親密な関係に見えた。
 先ほどまで気持ちよく日光浴をしていたのに、急に土砂降りの雨に見舞われたような――そんな不快さすらあった。
 リヴンはつとめて冷静かついつも通り声をかけた。

「俺、ほかの商品見てくる」

 エウェンが口を開くよりも早く、早足でその場を逃げた。

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