ティベルクの愛し子は海の悪魔に恋をする

天霧 ロウ

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海の悪魔

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 どこまでも澄み渡った青い空と緩やかに波を立てている海の上に一つの船が漂っていた。
 艶やかな黒い船体は長い年月を経て色褪せた黄金色のラインが一つあり、なにより怪魚を彷彿させる不気味な船首像は海に出るものなら知らぬものはいない。
 そんな船の地下で、ティオは最悪な事態になっていた。
 壁に背中をぴったりくっつけ、下卑た笑みを浮かべながら取り囲んでいる船員たちを見た。船員たちの視線の先は、この場に不似合いな質のいい白いシャツから覗くティオの滑らかな小麦色の肌だ。
 怖くなんかない。
 そう思ってもやはり怖い。自分よりも縦も横もある大男たちにぐるりと囲まれて怯えないものはいない。相手は海賊なのだ。腰に下げている凶器がいつ引き抜かれ、斬られると思ったら下手に動くこともできない。

「おいおい、ずいぶん上玉が転がり込んだじゃねぇか」
「ほーら、怖くねぇぞー」

 船員たちはまるで野良猫を宥めるように猫撫で声をだすが、ティオにとって不快でしかない。じりじりと距離が縮まり、囲んでいる輪が縮まっていく。そして、船員の一人がティオの腕を掴んだ。それがまるで合図かのように次々と手が伸びてきて、あまりの恐怖に指一本動かせなかった。
 船員たちの目は欲情した獣そのものだ。体の自由を奪われ、乱暴に服を脱がされていく。ベルトが外れる音やファスナーを下ろそうとする忙しない音の暴力がティオを襲い、叫びたくても喉はカラカラで、舌を噛んでしまおうかなんて考えもした。
 けれど、うす暗かった部屋が急に白い光で満たされた。眩しさにティオは目を細めた。

「おい、俺の声掛けに反応せずなにしてんだ」
「せ、船長っ!」

 ティオを囲んでいた男たちから驚きと怯えが混じった声があがる。光に目が慣れてきて、そろそろと声の方へと視線を向ければ、思わず目を見張った。
 ドアに立っていたのは、ずいぶんと場違いな色白の美丈夫だ。黒いロングコートに身を包んでいるせいでティオを囲んでいる船員たちと比べれば丸太と木の枝ぐらいに違う。けれど、船員たちは美貌の男を目にして反り立っていた高ぶりがすっかり縮んでいる。
 腕を組んだ男は苛立ちを隠すことなく、自身の腕を指先でトントンと叩いている。

「まさか俺が決めたルールを忘れたわけじゃねぇだろうな?」
「そ、そんなわけありません!」
「珍しいものが転がっていたのでついっ」

 船員たちは焦ったように口々に理由を述べる。男は目にかかった紺色の髪を耳にかけると、鮮血を彷彿させる瞳でギロリと船員たちを一瞥した。

「御託はいい。さっさとそのだらしねぇものをしまえ。当直はいるか」
「はいっ」
「仕事をサボるなら海に捨てるぞ。無能はいらねぇ」
「す、すみませんっ」

 船員の一人が頭を深く下げて謝れば、ほかの船員たちも我先にと頭を深く下げながらズボンをあげて部屋を出ていく。バタバタと忙しない足音が階段を駆け登っていき、船倉には男とティオだけになった。
 シンと静かな部屋の中は気まずく、ティオは視線を泳がせながらも、そっと整った男の横顔を見る。
 容貌の美醜には無頓着なティオですら、その横顔だけ――どこから見ても美しく見えるよう計算され尽くして作られたかのような――作り物めいた美貌だと思った。まじまじと見ていたせいか、男はティオの視線に気づくときゅっと吊り上がった目をすがめて大股で近づいてきた。
 目の前に来た男はティオを見下ろし、わずかに目を細めた後、ためらいもなくティオの鳩尾を蹴り飛ばした。

「――ッ?!」

 思いもよらない不意打ちに避けることができず、磯臭い床の上を勢いよく体が転がっていく。熱い痛みを訴える腹を押さえて胎児のように丸くなったティオに男は再び近づいてくると、乱暴にティオの前髪を掴んで顔をあげさせた。

「お前はなにができる」
「なん、で」
「聞いているのは俺だ。質問を質問で返すな」

 男は舌打ちをして形の良いほっそりとした眉を寄せた。ティオはじっと男を見た後、苦しみに耐えながらも呟いた。

「文字が書ける……」
「それだけか」
「あとは応急処置の仕方と陸地のこともそれなりに」
「応急処置と地学ねえ?」

 男はティオの言葉を直すと少し黙った。シンと静かな船室の中は居心地悪く、おまけに前髪を掴まれているためかなり痛い。やがて男はティオを真っ直ぐに見つめて尋ねてきた。

「名前はなんだ」
「……ティオ」

 ティオの答えに男はふんと鼻を鳴らすと、前髪を掴んでいた手を離した。その拍子にティオは顔を床に打った。あまりの痛みに顔を抑えて呻くものの、男は気にせず立ち上がった。

「嘘がへたくそだな。立て」

 男はついてこいと言うように先に歩き出す。まだ痛む顔を抑えながらノロノロ立ちあがった。
 船倉から二つほど階段を上がると、そこかしらに船員がいた。船員は興味深そうにティオと男のことを見ていたが、男は気にせず奥の部屋へと入っていった。一瞬中に入るのをためらったものの、意を決して男に続いた。
 船の中にしては、室内はずいぶん広々としている。

「そこにソファーがあるから大人しく座っていろ」

 男の言葉にティオは窓際の近くにある黒いソファーに腰を下ろした。
 お世辞にも座り心地がいいとはいえないが、それでも船の中にあるものにしてはずいぶん質がいい。ソファーのそばにはテーブルがあり、嵐で船が揺らいでも動かないようにしっかりと壁と床に固定されている。
 窓から見える景色から、船長室は船尾に位置しているのがわかった。そして、頭上から足音がしないあたり、上の階は甲板に面しているが人が入れないようになっているかもしれない。
 船の構造を頭の中で思い描いていると、声をかけられた。

「お前、西大陸のティベルク王子だろ」
「ち、違うっ!」

 声が震えたもののとっさに言い返す。男はコップに水を注ぐとティオに差し出してきた。警戒して差し出されたコップを受け取らずにいれば、男は続けた。

「レモン水だ。毒なんてものは入ってないし、お前は使うほどの価値もない」
「……」

 外のものは口にしてはいけないとまわりから口酸っぱく言われてきた。ましてや、相手はティオの身分を知っている。けれど、はじめて毒味をしていないものに興味を引かれるのも事実だ。
 黄み帯びた白く濁った水を見つめた後、一口飲む。鼻を抜けるような爽やかな匂いと酸味が渇いていた喉を潤していく。
 男も自分の分をコップに注ぐなり、荒々しく椅子に腰を下ろした。そして、レモン水を飲んでいるティオの足の爪先から頭のてっぺんまで無遠慮に視線を滑らした。

「噂には聞いていたが、本当に暗がりでも炎みたいに輝く赤毛なんだな」

 男の指摘にハッとすると、ティオはコップから口を離してうつむいた。

「たまたま、だし……」
「ばーか。そんな髪を持つのは世界広しといえど、ティベルク王家だけだ。これぐらい常識だぞ」

 はっきりとした口調でいう男にティオは嘘を突き通すのを早々に諦めた。小さくため息をつくと、じろっと男を睨む。

「わかった、認めるよ。俺はティベルクの王子だ。だけど、ここにいるのは俺なりの訳がある」

 ティオがいったん区切ると、男は続けろと言いたげにレモン水を一口飲んだ。

「俺はこの船の船長がどんな人か会ってみたかった」

 愛し子と呼ばれる特別な自分は二十歳になるその時まで、王宮の中だけで生きていく。それを不自由だと思ったことはなかった。それがティオにとっての当たり前だったからだ。
 けれど、生まれた時からぽっかりと開いている心の穴はどんなものを与えられても決して埋まることなく、むしろ穴の存在を明確にするだけだった。

「去年の……ああ、そうだ。春と夏の境い目の日だった。風が強くて、雲ひとつない空だった」

 目を閉じれば今でも鮮やかに浮かんでくる。
 妙に目覚めが良くて、なんの気なしにバルコニーに出た日。海と空が交わっていそうな果てで、黒い船を追いかける海軍の群れを見かけたのだ。先頭を走る黒い船は後続の船などまるで物ともせず、海上を滑っていた。

「王都が海沿いに面しているティベルクは強力な海軍を持っているのは、あんたならわかるだろう。その海軍が唯一捕まえられない海賊を率いる船長――海の悪魔と呼ばれるあんたがどういう人物なのか会ってみたかった」

 あの日あの時見た光景に空虚だった心が初めて鼓動を打ち、熱を持った。だから、どうしても自らの足で会いたかった。
 ティオの告白に男は「あっそ」と感情なく返した。

「じゃあ、もう会ったんだ。大人しく引き取られてくれ。あいにく、ここはガキの遊び場じゃない」
「俺はガキじゃない! 来年の春には王位を継承する人間だ!!」
「応急処置と地学を知ってる程度の王様か。世も末だな」

 男はわざとらしく眉をハの字にして小さく頭を振った。
 あまりの言い草にカッと顔が熱くなる。数々の恥辱に限界だった。ティオは壁に掛けられていた短剣を素早く取る。そして、ソファーを立ち上がる勢いとともに男へ振り下ろそうとした。
 けれど、男の体格はティオとたいして変わらないにも関わらず、赤子の手をひねるかのようにティオの手首を掴んで、あっさり床に組み敷いた。

「……ッ」

 あまりの痛みにティオの手から短剣が離れれば、虚しい音を立てながら床へと落ちる。それでも男の手は一切緩まない。ジワジワと蝕むような痛みに金色の瞳から涙が一気にあふれ出て、床の上にぽたぽたと垂れた。

「そんな動きで俺の首を取ろうなんて千年早い」
「ぅう……っ」
「おまけに泣き虫か」

 心底呆れたと言いたげに男はため息をついた。自分の情けなさに屈したくなくてティオはギロリと男をもう一度睨んだ。
 だが、間近で見る男の美貌に睨みはすぐに解け、呼吸をするのを忘れかけた。
 透き通るような生気のない青白い肌と冬の夜空を彷彿させる紺色の髪。たくさんの赤い宝石を見てきたが、それらがすべて霞んでしまうぐらい男の瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいた。魔性といっても差し支えない美貌は粗野なイメージがある海賊にしてはあまりにもかけ離れていた。

「綺麗だ……」

 ティオは無意識のうちにつぶやいていた。
 西大陸は小麦色や褐色の肌を持つものしかおらず、敵国である東大陸で色白と評されている人間でも黄みがかっているのだ。
 そのため、本当の意味で白い肌を持つものは非常に珍しく、その希少価値から高級娼館や見世物でしかみかけない。王宮にいたティオでさえ、色白の人間は片手で数えられるほどしか見たことがないのだ。そんな色白の中でも、目の前の男は群を抜いて色がない。
 ティオの言葉に男はわずかに赤い目を見開いた後、くつくつと声を押し殺して笑った。

「そりゃどうも」

 冷え切った刃物のような鋭さが潜められ、男はティオから離れるやいなやテーブルの上においてあったコップを手に取り、残っていたレモン水を一気に飲み干した。男の美貌に気づいてしまえば、あらわになる白い喉は撫でたくなるような輪郭だ。
 穴が開きそうなほど男を見つめるティオに、男は三日月のような笑みを色のない唇に浮かべた。

「いいだろう。この俺に真正面から向かってきた王子様の心意気に免じて『特別』に雑用として採用してやる」
「雑用……」

 特別という言葉を強調されたものの、その後に続く言葉にティオは唇を小さく尖らした。露骨に不満そうなティオの態度に男は肩をすくめた。

「当然だろ。どんなに能力があろうが、この船に乗ったら最初は強制的に雑用だ。そのあとは本人の実力次第だな」

 それでもなおムスッとしているティオに、コップをテーブルに置いた男は意地悪く笑った。

「それともお前は寝る仕事のほうが得意か?」
「そんなわけない!」

 男の言葉にティオは息をつく間もなく怒鳴り返して起き上がる。

「今に見てろ。今度は俺があんたを組み敷いてやる!」
「そりゃあ楽しみだ。きちんとできたらなんでもいうことを聞いてやるよ」

 ティオなりの脅しを男は楽しそうに答えた。
 そして、そこでようやくティオは気づいた。ティオは目の前の男の名をまだ聞いていないと。

「そういえば、あんたの名前は?」
「名前ねえ……」

 男は興味なさそうに呟いた後、窓から覗く雲ひとつない空と海を見てふっと笑った。

「アスルトンでいい」

 それがティオとアスルトンの出会いだった。
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