星を戴く王と後宮の商人

ソウヤミナセ

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10章 ベルンハル③新たな主に捧げる

 青天の霹靂とはこの事か。
 キシュワールはその日、死刑宣告に等しい命を受けた。

「キース。第3妃の侍従になってくれ。」

 ラシードの命に。

 キシュワールは頭を殴られた気持ちになる。

 ラシードが幼少の頃から、話し相手として常に共に歩んできた。ラシードの剣として、盾としてなれるよう剣技を磨き、この歳で第一騎士団長、そして親衛隊長にまで登り詰めた。それから分家のドラニア侯爵を叙爵し、ようやく名実ともにラシードの右腕として仕えることができたのに。

 あの呉服屋に行った日。

 ラシードは熱に浮かされたように「あの者を召し上げたい。」とキシュワールに耳打ちした。

 キシュワールは西夷に良い感情を持っていなかった。
 先王との戦いはなかなか決着が付かず、アレジャブルの国民はしばらく厳しい生活を強いられた。
 西夷人の中には過激な思想を持つ者もいて、その者達は首長を祀り上げ、王位の簒奪を目論んでいたらしい。

 それに加えて。
 あの小狡い商人は、子を成せない男で、後ろ盾のない平民だ。
 デメリットしかない男だった。

「侍従ならば、相応の者をお付けください。」
「俺はお前が相応しいから、頼んでいるんだが。」

 何が相応しいのか。
 自分の主人に相応しいのは、貴方だけだ、という言葉を飲み込む。
 まるで捨てないでと縋っているようだ。
 その言葉を口にする自分を想像するだけで、浅ましい気持ちになった。

 そして後宮にやってきた青年は、いかにも西夷らしい容姿をしていた。
 特徴的な複雑な虹彩の色。
 闇のように黒い髪の毛。
 ただ騎馬を得意とする西夷らしい荒々しさは、彼には見られなかった。白い頬に戸惑い、取ってつけたような笑みを浮かべている。

 夜半の雷を連れてきた、星神に歓迎されない男娼。

 噂が一人歩きしていた。
 しかしキシュワールはそれを訂正してやろうとも思わなかった。

 しかしある日、騒動が起きた。
 1ヶ月ぶりにラシードとアリムが面会した後。
 キシュワールは国宝のエメラルドを、ラシードがアリムに贈った事に、憤慨していた。
 その帰り道ーー

 あろうことがアリムは、マルグリットの前にかしずいていた。

「妃殿下……!」

 カッと目の前が燃えた。
 激情のまま、アリムの腕を乱暴に掴んだ。

「お立ちください!かしずくなど、妃様にあるまじき行為です!」

 ーー自分がついていれば、こんな事にならなかったはずだ。

 己の失態が頭を過ぎる。

 だがそれを認める事ができず、声を荒らげて、力任せに腕を引っ張った。
 肩の関節がごきりといやな音を立てたが、気にしていられない。

 キシュワールは焦っていた。
 もしこの場を収めることができなければ、それは間違いなく自分の失態だ。
 この状況を作ったのは、キシュワールの職務怠慢である。嫌な汗が背中を伝う。

「……キシュワール!」

 その時、アリムの鋭い声がキシュワールを呼んだ。
 そして、肩に鋭い痛みが走る。
 キシュワールは何が起きたのかわからず、目を丸くした。

「僕に恥をかかせないでください!」

 再度肩を打たれ、ようやくアリムがそうした事に気がつく。
 アリムはキシュワールの背中に隠れたまま、それでも大きく体を見せるように胸を開いた。

 マルグリットとアリムの立ち位置がいつの間にかすり替わっていた。
 キシュワールの肩を打ち据えただけで、状況を一転させたのだ。事を荒立てない為には、最善の行動ではあった。
 しかしキシュワールの心情は荒れ狂っていた。

 ーーこんなことになったのは、誰のせいだ。

 アリムの足が遅いから。
 平民のくせに、歩調を合わせなかったから。
 異民族は卑屈だから。

「勝手な事をされては困ります。私の側から離れないでください。」

 自分の事は棚に上げて、キシュワールはアリムを詰った。
 自分の犯した失態よりも、アリムがキシュワールを貶めて場を解決した事が気に食わなかった。
 アリムが浮かべた憮然とした表情に、更に身の内が沸騰する。
 だがキシュワールは、次のアリムの言葉に驚いた。

「……親衛隊長様と、城下の商人とでは、歩く速度が違いましたので。」

 まさか、言い返してくるのは思わなかった。

 ーー浅ましい……分を弁えない異民族が……。

 目の前が真っ赤に染まった。
 何故あの時手首を握りしてしまわなかったのか。邪悪な声がキシュワールを責め立てる。
 しかし突然アリムの表情が一気に冷えた。
 何だ、と訝しむ前に、アリムは服を脱ぎ始める。その不用心な行動に、キシュワールは、更に眉間の皺を深くする。

「人前で無闇に衣服を着崩すのはおやめください。あらぬ疑いの元となります。」
「そう仰るのでしたら、今日の所はお下がりください。」

 アリムは更に釦に指を掛け、上着を脱ぎ捨てる。
 そして正面からキシュワールを見据えた。
 雑に脱ぎ捨てられていく衣服。
 本来ならばキシュワールが着替えの手伝いをすべきだ。
 しかしそれすら忘れて、ただ乱雑に脱ぎ捨てられる衣服に怒りが募る。
 言われなくても、早くこの場から立ち去るつもりだった。

 その白い首に手を伸ばしてしまう前に。

 アリムはトドメとばかりにまっすぐキシュワールを見据えた。

「下がりなさい、キシュワール。僕はもう休みます。」

 それからキシュワールは、怒りで朦朧となる意識の中、練武場で夜通し剣を振るった。

 何故ラシードは異民族の男を王族に召し上げたのだ。

 右腕の自分を手放してまでーー

 人を貶めて、場から逃げようとするあの狡猾さ。
 ただの平凡な男だったとしても国の為にならないのに、あの狡猾さは毒にしかならないだろう。

 ーー浅ましい……っ!

 真剣を勢いよく振り下ろす。目の前の巻藁が真っ二つになる。
 これが最後の巻藁だった。
 練武場にはキシュワールが切り捨てたもので悲惨な有様だ。
 うっすらと空が白み始めた事に気が付いたところで、ガクリと体の力が抜けた。
 夜通し、我を忘れて剣を振るっていたが、一度集中が切れたところで体が限界を迎えた。
 地面に倒れ込み、白々とした空を見上げる。
 汗と共に怒りはだいぶ流れたが、アリムに対する嫌悪感だけは残った。

 ーーそういえば、夕食の準備をしていなかった……。

 夜にアルバスを抜けるのも規則違反だ。
 しかしこれで侍従の任から解かれるならば、願ってもない事だ。降格はするだろうが、一から始めればいい。
 目を閉じてゆっくりと意識を沈める。
 疲れ果て、微睡かけていた。

 突然旋風が砂を巻き上げる。

 キシュワールは突然襲わってきた砂風に、ギョッとして跳ね起きた。
 風は渦を巻きながら通り過ぎていく。 

「……くそっ。」

 それを苦々しい気持ちで見送り、キシュワールはノロノロと体を起こしたのだった。
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