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14章 神学者ハインリヒ
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聖堂の奥にある秘められた空間は、許された者しか入れない。
即位の儀に参加できるのは、本来ならば王の資格を問う者と、星教神殿の選ばれた立会人が2名だけだ。
だがラシードは、当時ロザンナとハインリヒを指名した。
ロザンナは星教の大長老であるので当然だった。
しかし、先代の王が疎んじていた神学の第一人者が選ばれるとは、誰も思わなかった事だ。
「10年、誰も足を踏み入れなかったはずなのに、空気が澄んでいるな。」
ラシードは目の前にそびえる、建国の星神の像を見つめながら呟いた。
像の足元にはあるはずのない幾つかの宝石が転がっている。
誰が用意する訳でもない。
不思議な事に、新しい王が即位する時、六神の守護石が像の足元に出現するのだ。
ハインリヒは息を飲んだ。
「俺が王か。他の者が王になるのか。」
互いに挑み合うように、ラシードと建国の星神が見つめ合っている。
ラシードは口の端を吊り上げた。
「……アレジャブルよ、示せ。」
像の前に歩み出ると、バーリミトラウスを前に突き出した。
儀式の手順に則るならば、バーリミトラウスを身につけ、膝をついて頭を垂れなければならない。
だがラシードは顔を上げて、建国の星神を睨みつけた。
「バーリ。」
ロザンナがラシードの礼を欠いた態度を咎める。
しかしラシードの目は、猛禽類のように鋭く、ただ真っ直ぐを見つめている。
深い低音が、ゆっくりと空気を揺らした。
「バーリーズ=モンド=アレジャブルが子孫、ラシード=アレン=アレジャブルが問う。建国の星、アレジャブルは我の呼びかけに応えたまえ。」
はっきりとした声が響き渡る。
空気が張り詰め、金属が弾ける様な音が鳴り響いた。
この耳障りな音は、10年前と全く同じだ。
甲高い不快な音は、壁に反響して耳を痛めつける。
ハインリヒは思わず眉を顰め、ロザンナは耐えられずに「うっ」と呻き声をあげた。
「やはりお怒りなのよ……。」
ロザンナが涙目になって呟く。
しかしラシードはジロリとエメラルドを睨みつけると、また像を見上げた。
「喧しい幼い星を諌めよ。俺の守護星を示せ。」
その瞬間、音はピタリと止んだ。
また聖堂に清廉なまでの沈黙が訪れる。
ハインリヒは息を呑んで、ラシードを見つめた。
まるで、空気までも支配するような、王の威圧感。
ここは、神を祀る聖堂だ。
だが……。
「アレジャブルは我の呼びかけに応えよ。……我が守護星を、今すぐに示せ。」
静寂に差し込む、一本の杭のような声。
その時。
部屋の中を爽やかに湿った空気が充たした。
甘い水の香りと共に、像の周りが淡く煌めき始める。
その光は、アクアマリンに吸い込まれていき、石の中で爆ぜた。
アクアマリンが割れるほど爆ぜた光。
ハインリヒは目を焼くほどの光に、咄嗟にロザンナを庇った。
「キャアっ!」
ロザンナが悲鳴をあげて、体を縮こませている。
ーーこのような事、前代未聞だ。
額に汗が浮かんだ。
ハインリヒは、自分が今何に立ち会っているのか、わからなくなっていた。
だが、この瞬間を見届けなければならない。
神学の徒として。
王の臣下として。
光が和らいだ頃。
恐る恐る目を開けてみる。
像の前で、ラシードは静かに立ち尽くしていた。
王の精悍な面差しを、まばゆい光が照らしている。
ラシードがアクアマリンを掴むと、光は静かに収まった。
辺りには清らかな空気が満ち溢れ、不思議な安堵感が体に染み込んでいく。
ラシードはその空気の流れに身を委ねるように。
ゆっくりと息を吐いた。
「まだ、王たる資格があるようだ。」
ラシードはそう呟くと、呆気に取られているハインリヒとロザンナを振り返る。
「ハインリヒ=トマス。ロザンナ=ネイビス。承認せよ。」
ハインリヒは己の役目を思い出し、深く神戸を垂れた。
「……ハインリヒ=トマスが証言いたします。この瞬間より、ラシード=アレン=アレジャブル国王の守護星はホイザーとなる事を承認いたします。」
「ロザンナ=ネイビスも証言し、承認致します。」
ハインリヒとロザンナは床に膝をつき、深く拝礼をする。
間違いなくホイザーの加護を受けている。
恐らくそれが正しい縁だったのだろう。
10年前、ルーリンがこの儀に応えた時は、こんなに神々しいものではなかった。
まるで浮かれて高笑いでもするような、激しい光と金属が擦り合う様な音。
そしてラシードがエメラルドを手に取った後も、それはしばらく収まらなかったのだ。
ハインリヒはルーリンの暴挙にゾッとしながら、ユルユルと立ち上がった。
「新たな守護の誕生をお祝い申し上げます。」
「ありがとう。ロザンナ、心配するな。」
ロザンナは不安げに顔色をなくしている。
ラシードはニヤリと笑うと、ロザンナの肩を叩いた。
いつの間にか、王はいつもの掴めない笑みを浮かべている。
「ルーリンの報復を心配しているんだろう?大丈夫だ。ルーリンは兄姉の星神には逆らえない様だからな。」
「はぁ……。」
ロザンナはすっきりしない返事をこぼし、恐る恐るアレジャブルの像を見上げる。
「あら……?」
「どうした?」
「あの……ムーンストーンが光っているように見えるのですが……。」
ロザンナの言葉に、ラシードも後ろを振り返る。
他の石が静まっている中、ムーンストーンだけが僅かに煌めいていた。
ムーンストーンは風の守護石だ。
ラシードが大きく目を見開く。
ラシードの背中がすぐにムーンストーンを隠したが、ハインリヒの目にはしっかりとその煌めきが映っていた。
「バーリ……。」
「……見間違いだろう。」
ラシードは口早に呟くと、ロザンナを手招きする。
隠されたムーンストーンは、何事もなかったように静まり返っていた。
ラシードはフッと笑みを浮かべて、ロザンナを見る。
「俺にもそう見えたが。ほら、なんともないだろ?」
「そうですわね。」
ロザンナはホッとしたように笑った。
「光の加減でそう見えたのでしょうね。」
「だろうな。驚かせるな。」
「失礼いたしました。」
ラシードがサッとハインリヒを見た。
『言うな。』
刺すような視線が、そう告げる。
ハインリヒはロザンナを一瞥すると、静かに首を縦に振った。
ムーンストーンの意味はわからない。
だがそれを知ってしまえば、この国の根幹が揺らぐ。
ーーこの国の王は、バーリお一人だ。
ハインリヒは目を閉じて、ムーンストーンを視界から追い出した。
ラシードがロザンナの背中に手を添えると退室を促す。
ハインリヒは静かにその後をついて行った。
背中で静かに閉まる扉の音を聞く。
こうして、ラシード=アレン=アレジャブルの星神は、水のホイザーとあいなった。
アレジャブル建国以来、星神の交代は前例のない事である。
しかし、ラシードの治世を鑑みれば、慈悲のホイザーが守護星であることが自然に思えるのだった。
***
後日ーー
ラシードはまた聖堂を訪れていた。
重たく冷たい扉を押す。
蝶番の軋む音が、耳鳴りのように響き渡る。
時が経てば、縁の無かった星神の石は消え去っているはずだ。
ムーンストーンも無くなっているだろう。
それが通例だ。
無くなっていれば、何事もなかったと言える。
しかし。
ムーンストーンだけがまだそこにあった。
淡い光を放ちながら。
誰の為の守護石なのか。
ラシードにはその答えがうっすらとわかっていた。
恐る恐る石を掴み上げ、恨みがましい気持ちで石を見つめる。
星神の意思に、所詮人間の都合は関係ないのだろう。
強引に縁を結ばされる事も。
必要ないと拒絶しようとも。
「アリルスタン……。あの子に神は必要ない……。」
星を背負い、国を守るのは王だ。
そして、あの愛しいアルリーシャの青年を胸に抱くのはただ一人でいい。
ラシードはゆっくりと手首に唇を寄せる。
薄暗がりに光る、アクアマリン。
揃いの美しい青。
「アリムは……俺だけが抱ける、唯一の神話だ。」
即位の儀に参加できるのは、本来ならば王の資格を問う者と、星教神殿の選ばれた立会人が2名だけだ。
だがラシードは、当時ロザンナとハインリヒを指名した。
ロザンナは星教の大長老であるので当然だった。
しかし、先代の王が疎んじていた神学の第一人者が選ばれるとは、誰も思わなかった事だ。
「10年、誰も足を踏み入れなかったはずなのに、空気が澄んでいるな。」
ラシードは目の前にそびえる、建国の星神の像を見つめながら呟いた。
像の足元にはあるはずのない幾つかの宝石が転がっている。
誰が用意する訳でもない。
不思議な事に、新しい王が即位する時、六神の守護石が像の足元に出現するのだ。
ハインリヒは息を飲んだ。
「俺が王か。他の者が王になるのか。」
互いに挑み合うように、ラシードと建国の星神が見つめ合っている。
ラシードは口の端を吊り上げた。
「……アレジャブルよ、示せ。」
像の前に歩み出ると、バーリミトラウスを前に突き出した。
儀式の手順に則るならば、バーリミトラウスを身につけ、膝をついて頭を垂れなければならない。
だがラシードは顔を上げて、建国の星神を睨みつけた。
「バーリ。」
ロザンナがラシードの礼を欠いた態度を咎める。
しかしラシードの目は、猛禽類のように鋭く、ただ真っ直ぐを見つめている。
深い低音が、ゆっくりと空気を揺らした。
「バーリーズ=モンド=アレジャブルが子孫、ラシード=アレン=アレジャブルが問う。建国の星、アレジャブルは我の呼びかけに応えたまえ。」
はっきりとした声が響き渡る。
空気が張り詰め、金属が弾ける様な音が鳴り響いた。
この耳障りな音は、10年前と全く同じだ。
甲高い不快な音は、壁に反響して耳を痛めつける。
ハインリヒは思わず眉を顰め、ロザンナは耐えられずに「うっ」と呻き声をあげた。
「やはりお怒りなのよ……。」
ロザンナが涙目になって呟く。
しかしラシードはジロリとエメラルドを睨みつけると、また像を見上げた。
「喧しい幼い星を諌めよ。俺の守護星を示せ。」
その瞬間、音はピタリと止んだ。
また聖堂に清廉なまでの沈黙が訪れる。
ハインリヒは息を呑んで、ラシードを見つめた。
まるで、空気までも支配するような、王の威圧感。
ここは、神を祀る聖堂だ。
だが……。
「アレジャブルは我の呼びかけに応えよ。……我が守護星を、今すぐに示せ。」
静寂に差し込む、一本の杭のような声。
その時。
部屋の中を爽やかに湿った空気が充たした。
甘い水の香りと共に、像の周りが淡く煌めき始める。
その光は、アクアマリンに吸い込まれていき、石の中で爆ぜた。
アクアマリンが割れるほど爆ぜた光。
ハインリヒは目を焼くほどの光に、咄嗟にロザンナを庇った。
「キャアっ!」
ロザンナが悲鳴をあげて、体を縮こませている。
ーーこのような事、前代未聞だ。
額に汗が浮かんだ。
ハインリヒは、自分が今何に立ち会っているのか、わからなくなっていた。
だが、この瞬間を見届けなければならない。
神学の徒として。
王の臣下として。
光が和らいだ頃。
恐る恐る目を開けてみる。
像の前で、ラシードは静かに立ち尽くしていた。
王の精悍な面差しを、まばゆい光が照らしている。
ラシードがアクアマリンを掴むと、光は静かに収まった。
辺りには清らかな空気が満ち溢れ、不思議な安堵感が体に染み込んでいく。
ラシードはその空気の流れに身を委ねるように。
ゆっくりと息を吐いた。
「まだ、王たる資格があるようだ。」
ラシードはそう呟くと、呆気に取られているハインリヒとロザンナを振り返る。
「ハインリヒ=トマス。ロザンナ=ネイビス。承認せよ。」
ハインリヒは己の役目を思い出し、深く神戸を垂れた。
「……ハインリヒ=トマスが証言いたします。この瞬間より、ラシード=アレン=アレジャブル国王の守護星はホイザーとなる事を承認いたします。」
「ロザンナ=ネイビスも証言し、承認致します。」
ハインリヒとロザンナは床に膝をつき、深く拝礼をする。
間違いなくホイザーの加護を受けている。
恐らくそれが正しい縁だったのだろう。
10年前、ルーリンがこの儀に応えた時は、こんなに神々しいものではなかった。
まるで浮かれて高笑いでもするような、激しい光と金属が擦り合う様な音。
そしてラシードがエメラルドを手に取った後も、それはしばらく収まらなかったのだ。
ハインリヒはルーリンの暴挙にゾッとしながら、ユルユルと立ち上がった。
「新たな守護の誕生をお祝い申し上げます。」
「ありがとう。ロザンナ、心配するな。」
ロザンナは不安げに顔色をなくしている。
ラシードはニヤリと笑うと、ロザンナの肩を叩いた。
いつの間にか、王はいつもの掴めない笑みを浮かべている。
「ルーリンの報復を心配しているんだろう?大丈夫だ。ルーリンは兄姉の星神には逆らえない様だからな。」
「はぁ……。」
ロザンナはすっきりしない返事をこぼし、恐る恐るアレジャブルの像を見上げる。
「あら……?」
「どうした?」
「あの……ムーンストーンが光っているように見えるのですが……。」
ロザンナの言葉に、ラシードも後ろを振り返る。
他の石が静まっている中、ムーンストーンだけが僅かに煌めいていた。
ムーンストーンは風の守護石だ。
ラシードが大きく目を見開く。
ラシードの背中がすぐにムーンストーンを隠したが、ハインリヒの目にはしっかりとその煌めきが映っていた。
「バーリ……。」
「……見間違いだろう。」
ラシードは口早に呟くと、ロザンナを手招きする。
隠されたムーンストーンは、何事もなかったように静まり返っていた。
ラシードはフッと笑みを浮かべて、ロザンナを見る。
「俺にもそう見えたが。ほら、なんともないだろ?」
「そうですわね。」
ロザンナはホッとしたように笑った。
「光の加減でそう見えたのでしょうね。」
「だろうな。驚かせるな。」
「失礼いたしました。」
ラシードがサッとハインリヒを見た。
『言うな。』
刺すような視線が、そう告げる。
ハインリヒはロザンナを一瞥すると、静かに首を縦に振った。
ムーンストーンの意味はわからない。
だがそれを知ってしまえば、この国の根幹が揺らぐ。
ーーこの国の王は、バーリお一人だ。
ハインリヒは目を閉じて、ムーンストーンを視界から追い出した。
ラシードがロザンナの背中に手を添えると退室を促す。
ハインリヒは静かにその後をついて行った。
背中で静かに閉まる扉の音を聞く。
こうして、ラシード=アレン=アレジャブルの星神は、水のホイザーとあいなった。
アレジャブル建国以来、星神の交代は前例のない事である。
しかし、ラシードの治世を鑑みれば、慈悲のホイザーが守護星であることが自然に思えるのだった。
***
後日ーー
ラシードはまた聖堂を訪れていた。
重たく冷たい扉を押す。
蝶番の軋む音が、耳鳴りのように響き渡る。
時が経てば、縁の無かった星神の石は消え去っているはずだ。
ムーンストーンも無くなっているだろう。
それが通例だ。
無くなっていれば、何事もなかったと言える。
しかし。
ムーンストーンだけがまだそこにあった。
淡い光を放ちながら。
誰の為の守護石なのか。
ラシードにはその答えがうっすらとわかっていた。
恐る恐る石を掴み上げ、恨みがましい気持ちで石を見つめる。
星神の意思に、所詮人間の都合は関係ないのだろう。
強引に縁を結ばされる事も。
必要ないと拒絶しようとも。
「アリルスタン……。あの子に神は必要ない……。」
星を背負い、国を守るのは王だ。
そして、あの愛しいアルリーシャの青年を胸に抱くのはただ一人でいい。
ラシードはゆっくりと手首に唇を寄せる。
薄暗がりに光る、アクアマリン。
揃いの美しい青。
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