翡翠の炎ー幻影の手紙ー

柳椥

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Prologue

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 錬金術師はあくびをした。

 さぞつまらないと言うように、店のカウンターに肘をついて窓の外を眺めている。外に飛ぶ蝶を目で追っていたのだが、その蝶は開いた窓から入り込んできた。ひらひらと自由に飛び回り、そのうち錬金術師の鼻先までやってくる。蝶は舞い続けたが、そのうちカウンターに並べられている瓶の上で羽を休めた。
 彼は商品棚の中から手頃な薬瓶を一つ掴み、その蓋を開けて蝶へと振りかける。中に入っていた無色の粉は蝶の鱗粉と混ざり合い、淡い光を発し始めた。自分の身に何かが降りかかった、と蝶は飛び立つ。そして淡く光りながら再び窓から出ていった。錬金術師はにやりと笑う。本来は失くしものにあらかじめ振りかけておくことでいつでも発見できるように、と作った発光薬だが、暇つぶしの余興くらいには役に立つ。が、蝶も出ていってしまったことだし、また暇になってしまった。
 その時ドアベルが鳴り、一人の青年が入ってきた。

「ねぇ、今窓から不思議な生き物が出ていったのを見たんだ。あれは君が作ったの?」

 古ぼけた服を見に纏い、軽い咳をしながら好奇心に満ちた目で錬金術師を見る。そんな子どものような目で見られると、どうも罪悪感に駆られそうになる。そんな大層なものじゃない、と錬金術師は首を振った。

「いいや、ただの蝶だよ。薬を振りかけて光らせただけさ」
「へぇ! とても綺麗だったよ。目で追っているうちに三回ほど色が変わって見えたんだ。あれは角度で見える色が変わるらしい」

 なるほど、それは知らなんだ。時折「光っても目立たない」と苦情がくるのはそう言うことかも知れない。改善の余地ありだな、と錬金術師は棚にあった発光薬を全部箱にしまった。

「それ、捨ててしまうの?」
「改善するに越したことはないからな。で、お前はいつもの喘息の薬だろう?」

 言われそうだったと青年は頭を掻く。
 彼はこの店の常連だった。幼少期から肺を患っており、医者をめぐりにめぐっている最中この店の薬が一番効くと知り通うようになった、という経緯がある。錬金術師は彼の身内でもなんでもないが、月に一度見せる顔にもっと効く薬を、と彼の病状に合わせた薬を作るようになっていた。いわば特注だった。本来ならば喘息患者には皆同じ薬を売るのだが、彼の場合は別となっている。それを青年が知っているかどうかは定かではないが。

「はい、じゃあ銀貨ニ枚ね」

 毎度、と錬金術師が銀貨を受け取ろうとするが、青年はいつまでも手のひらにその二枚を置こうとしない。なんだ、と彼の視線の先を見てみれば、先ほど棚から下ろした発光薬の詰まった箱を見ていた。

「……ねぇ、この銀貨はお釣りが出そうかい?」
「いつものやりとりを考えれば、銅貨が二枚返ってくることくらいわかるだろ」

 それもそうだと青年は笑い、発光薬を指差した。

「もしよければお釣りでその薬を貰えないかい? 実は最近よくペンを失くすんだ。それがあれば失くしものがすぐに見つかるんだろう?」

 錬金術師は大声で笑うと共に、些細な怒りが湧き上がった。

「お前なあ。お前がペンを失くすのはあの荒れに荒れた作業部屋のせいだろう! 喘息患者が聞いて呆れる! 作業環境を整えなければ病気の改善なんて夢のまた夢だ!」

 いつぞや、青年が店を訪れなくなった期間があった。薬を必要としなくなったのならいいと気にしていなかったのだが、もし薬が切れた状態で倒れてしまっているのだとしたら……? 心配になった錬金術師が薬を持って青年の家を訪ねれば、なんて塵の積もった室内だろう! キッチンは使われた形跡がないと判断できるほどの塵が積もり、談話室であろう場所は閑散としている。自分の足元を見れば、足跡がくっきりと残るほどだった。部屋に入ってすぐに咳が聞こえてきたのでもう一つあった扉を開けてみれば、そこは大量の書物が積み上がり、足場が一切ないような狭苦しい部屋だった。そしてその山に埋もれる青年の姿がある。しきりに咳をしながら、それこそ何かしらの紙に埋もれた机にしがみついているようだった。声をかければいつものような笑顔で振り向き、錬金術師に片手を上げる。

「やあ! ご機嫌いかが?」

 と。

「だって、気づいたらあぁなってしまうんだ! 片付けても元に戻ってしまうなら、そのまま作業していた方がたくさん時間を使えるだろう?」

 錬金術師は自分の薬の意味がなくなると怒鳴り散らしたい気分だったが、何度言ったところでこんな笑顔で邪気なく語られるものだから、とうに諦めの気持ちが勝ってしまっていた。

「……はぁ、もういい。これはおまけにつけておいてやる。どうせ非売品だ」

 そういって錬金術師は銀貨を受け取り、喘息の薬と発光薬、そして銅貨二枚を彼に手渡した。最初申し訳ないという顔をした青年だが、好意には甘えようと笑顔を作って礼を述べた。そうして後ろ手を振り、店をあとにした。
 また、静寂が店を支配した。

「……つまんねぇなぁ」

 錬金術師は繰り返される平凡な毎日に、飽き飽きしていた。
 



 
「あぁあああもう‼︎ 書けない‼︎」

 大きく息を吸い込み、声に出すことで発散しようとした青年は、その部屋の埃を大量に吸い込んだことで大きくむせ返り、年に一回出るかどうかの大きな咳を少しの間繰り返した。喉が焼けるように痛み、水を飲むことも拒まれるほど荒れた喉を労わるように指で撫で付ける。やはりこの部屋に開閉できる窓がないのが問題な気がする。作業部屋が欲しい、と駄々をこねて親戚の空き家を使わせてもらってはいるが、どんな部屋か見もせずに即決してしまったのがまずかった。
 青年は幼い頃から病弱だった。外で遊ぼうにも体力がなく続かない、鍛えようにもその前に体を壊す。脆弱だと自分で理解してはいるのだが、どうもやりきれぬ思いでいた。
 彼は人々を笑顔にするのが夢だった。将来はパン屋さんになりたいとか、曲芸師になりたいとか色々考えはしたが、どれも「病気」が邪魔をして叶わなかった。彼は室内で何かすることしかできない。そんな中でも人を笑顔にするためにできること、そう考えて辿り着いたのが「物書き」という職だった。
 病床に臥していたが故か、彼は物語が好きだった。横になりながらたくさんの絵本を読んで、たくさん笑顔になった。加え自身で物語を作るようにもなった。自分が想像し作り上げた話を母に聞かせれば、大層満足気に笑ってくれたものだ。絵を描く才がないとすれば、自分にできるのは文字を書くことかもしれない。希望にあふれた青年は早速とペンを取ったのだが……。
 文章の構成は問題ないかもしれない。話の内容も。しかし思いつけるその題材は、人々を笑顔にできるか?と疑問が生まれてしまう。
 時にドラゴンが街を襲う。それを騎士が倒してめでたし、という話は子どもたちを心から笑顔にできるか?
 人が殺され、その犯人を探す物語は最終的に幸せになれるか?
 書きたい物語は浮かんでも、それは目的とかけ離れている!

「はぁ……」

 青年はテーブルに突っ伏して、部屋に積み重なっている本たちを見つめた。現にこれらは、とりあえず書いてみて本にしたものたちだ。そして、人の手に渡らなかった。人々を笑顔にしたいという願いを込めて書き続けたものは、それは人々の求めているものとは違うらしい。ずっと前に一つだけ売れたものがあったはずだが……それももはや、どんな物語だったのかも忘れてしまった。

「……自分で言うのもなんだけど、書けてる方だとは思うんだけどなぁ……。……あ、そうだ、さっきの薬」

 青年は、先程錬金術師のもとで買った紙袋を引っ張る。本来購入予定だった薬以外におまけで入れてもらった小さな小瓶。その小瓶の蓋を開け、その中身を今使っているペン先に振りかけた。すると先程外で見た蝶と同じように、ペン先は淡く発光する。これはいい、失くす心配もないし、少しだけ手元が明るくなる。青年にとっては一石二鳥だった。
 効果はどれくらい保つのだろう? すぐに切れてしまうのだろうか。そうなってしまった時にまた失くしてしまっては仕方がない。この小瓶は大事に持っておかなければ。……そしてこの小瓶さえ失くすわけにはいかない。小瓶は上着の内ポケットにそっと仕舞い込んだ。あぁ、ペンを仕舞えるポケットもついていたらよかったのに。
 ともあれ、これでもっと書きやすくなった。さぁ、書こう。

「……誰にも気づかれない話を、書くのかぁ」

 青年は積み上がった作品たちを眺め、自分の力不足を嘆いた。
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