翡翠の炎ー幻影の手紙ー

柳椥

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「ジェイド! 新しい薬草ここに置いておくからな!」

 開いた窓から顔だけ覗かせて、薬草採取の依頼を請け負ってくれていた冒険者はそう声を張り上げる。俺はそちらの方を見ずに軽く手を上げて挨拶を返し、すぐに薬の調合に戻った。冒険者には前金を渡してあるし、いつものことだから大して気にしていないだろう。それ以上の声は聞こえない。
 大陸のはずれにある街、レストクリフにある薬屋。そこが俺の家兼職場だ。名の通りこの街は崖に沿うように存在し、海鳥の休憩場所としてよく利用される。その他様々な鳥たちが立ち寄っていくので、年中なにかしらの鳥の声が響き渡る街だった。その崖側ではなく、反対の森側に俺の家はあった。
 さっきの冒険者が、今日初めて顔を合わせた人物だった。まだ昼時ではあるが、なんとも暇である。まぁ薬屋に人が来ないのは皆が健康である印、と俺は延々と薬草を道具を使ってすり潰す。蒸留器がこぽこぽと音をたて、ごりごりと石と石がぶつかり合う音が延々と響き、だんだん無心になってきた。昼飯何食べよう。

「ジェイドざぁあん……」

 ドアベルの音と共に、そんなしわがれた声が聞こえてきた。この声は、昨日喘息の薬を買いにきた青年のものじゃないか? 何かあったのか、と扉の方を向くと、その姿にギョッとする。
 口元を隠すように大きめのスカーフを巻き、いつも着ている上着の上からさらにローブを羽織り、顔は真っ赤だ。そしてなにより本人は涙目である。

「……どうしたセラ、今夏だぞ」

 あまりにも蒸し暑そうな装いに似合わず、彼は一つ身震いをしてくしゃみをした。

「……のどいだい……」
「はぁ……」

 なぜこんな真夏に風邪を引くのか。呆れため息をつきながら、カウンターを出る。うちの店の接客するカウンターはL字型になっており、普段あまり使っていない側面はいうなればカフェのカウンター扱いだった。壁にかけてあった丈の合う椅子を引っ張り、ここに座るようにとセラに示す。時折今すぐに薬を飲みたいという客のために、ちょっとした休憩スペースとして使う席だった。
 棚にあった適当な薬草を空のティーバッグに詰め、それをその辺に置いてあったマグカップに入れる。本当は薬を作るために沸かしておいたお湯だが致し方あるまい、マグカップに注いで茶を作った。蒸らした薬草はすぐにお湯に色を付け、マグカップの中身は綺麗な琥珀色に染められていった。

「ほら、飲め」

 鼻をずびずびとすすりながら唸るセラはマグカップを受け取ると、ティーバッグを避けながらマグカップに口をつけた。そして速攻で離し顔を顰める。

「ジェイドさんこれ苦いぃ……」
「うるせえ文句言うな!」

 そう言うとは思っていたので、ハチミツの瓶をひねり匙一つ分マグカップに突っ込んだ。セラは涙目になりながら匙をくるくる回し、ハチミツを溶かしている。

「全く、なんでこんな時期に風邪なんか引いてるんだ。喘息の薬はちゃんと飲んでるんだろうな?」

 肘をつきながら病人の様子を伺う。セラはもう一度マグカップを傾け、甘く味つけられた薬茶に満足気だ。そして質問に照れたように答える。

「え……っと、昨日薬もらったじゃない。光る粉薬」

 確かに昨日、全部破棄しようと思っていたその薬を彼が欲しがったため一つおまけしてやった。俺が頷くとセラは続ける。

「家に帰っていつも使うペンに振りかけてみたら、とても綺麗に光ったんだよ。それも、手元を明るくするには十分でね、夜の間でも光に困らないでお話が書けるようになったんだ。あまり夜が更けてしまうと、今までは書けなかったから……」

 以前、自分の作業部屋に灯りがなくて困っているという話を聞いたことがある。むき身の蝋燭が嫌だと言うので、普通に持ち運べるランタンを持っていけばいいのではないかと提案したが、それもダメなのだそうだ。なにせ置き場所がなく、机の上に置こうものならどんな衝撃で倒れてくるかわからない、と。なのであの部屋の光源といえば、はめ殺しの窓から差す陽の光くらいだ。

「そしたら、夜通しずうっとお話を書いてしまって、気づいたら眠っていたみたいで……」
「……朝まで机に突っ伏して眠りこけていたと」
「そういうこと……」

 また重苦しいため息が出た。話を聞いている限り、俺が同じことをしたところで風邪など引かない。おそらく俺じゃなくても体調を崩したりはしないだろう。せいぜい疲れている程度だ。こいつは自分が他人より病弱であるともっと意識したほうがいい。

「寝るときはベッドで寝ろ。自分で出来る体調管理なんだから怠るな。あとお前あの部屋の埃も問題だからな、ちゃんと片付けろ」
「か、片付けるよ、そのうち……」

 ごまかすようにマグカップを傾けて、また一息ついた。満足気だ。ハチミツは好物なのだろうか?
 その時ドアベルが鳴り、女が顔を出す。地面に付いてしまいそうなほど長いスカートを履き、装飾品など一つもつけていないというのにどこか気品が漂う女性は、俺と顔を合わせるとにかりと笑った。

「こんにちはジェイドさん! あら、セラくんもいるのね、ご機嫌よう」

 セラは軽く会釈をし、女はカウンターの方へ寄ってくる。彼女も常連の一人だ。

「いつもの薬ですか?」
「えぇ。それと、娘がさっき遊んでいて転んでしまってね。血が出るほど足が切れてしまったから、それを治す薬なんかがあったら良いのだけど」

 裂傷に効く薬なら常備してある。彼女が毎回買っていく頭痛薬と塗り薬を棚から取り出しカウンターに置いた。女は銀貨を三枚差し出してきたので、数枚の銅貨を返却する。手にしていたカゴに薬を入れている間、少し時間があったのでカウンター下にいつも置いてある飴に手を伸ばした。あまりに暇な時に口の中で転がす用だ。

「これ、お嬢さんにどーぞ」

 色紙に包まれた飴を三つほど差し出し、女は笑顔でそれを受け取った。一つ礼をし、店を出ていくのを見送る。女が出ていったドアベルが鳴り止むまで店は沈黙が続き、静寂を破るのを躊躇するかのようなセラのおどおどした声が聞こえてきた。

「ジェイドさんって、子どもに甘いよね。おまけに飴をあげるなんて」
「あぁ、だからお前にも発光薬というおまけをつけてやったりする」

 遠回しに子ども扱いをしていると気づいたセラはわっと声を上げかけたが、喉を労わるためか大人しく座った。顔を見れば少しだけ不満そうだ。

「ねぇ、ジェイドさんって錬金術師なんだよね?」
「一応な」
「なんでこんなところで薬屋なんてやってるの? 他の人らみたいに、錬金していたほうがお金も稼げるんじゃない?」

 少し不満気だからだろうか。普段聞きもしないことを聞いてくる。
 確かに自分は錬金術師としてここにいる。実際あらゆる金属から金を抽出する技術も身につけてあるし、万物から別のものに錬成する術も身につけてはいる。セラが言う、本業をこなせばもっと稼げると言う言葉は間違っていなかった。こんな街のはずれでほそぼそと薬を売るよりも人生は楽になるだろう。だが、それは……。

「俺のやりたいことじゃないからな」

 その返答にも彼は不満気だった。

「よく分かんない」
「分からんでいい」

 そしてまた口を尖らせる。

「じゃあなんで錬金術師なんてなったの」
「親が知識を植え込んでくるんだから仕方ないだろう」

 ふ、やはり不満気だ。いい加減俺には口で勝つことはできないと理解したらいいのに。
 さて、俺の集中力もすっかり切れてしまった。俺も何か飲もう、と残った湯で粉のコーヒーを淹れる。薬作りは一旦中止だ。

「で、自分の体調を犠牲にしてまで書いてたんだから今回はいいものが書けそうか?」

 俺の問いに、いじけた顔がさらに陰った。眉を下げ、マグカップの中身をじいっと見つめていた。今度は落ち込んでいるらしい。こいつの喜怒哀楽はすぐに見てとれるから正直飽きない。

「書いたは書いたんだけど……。多分面白いとは思うんだけど、きっとまた誰にも見つけてもらえないんだろうなぁ、って思うよ」
「そうか」

 いつもそうだ。自信満々に良い話が書けたと薬を買いに来るたびに聞いていたのだが、結局こいつの本を手にとってくれる客がいないのだとか。子ども向けにかいた童話本でも、子どもは絵のついていない本を見向きもしない。だからと言って大人が読むかといえば、彼の書く物語をわざわざ手に取って見ようとする人物は俺の見たかぎり一人もいなかった。街に出た時に本屋に寄ることが度々あるのだが、店先にぽつんとその本が置かれているだけだ。俺が買ってやればいいだろうか、とも考えたが、変にぬか喜びさせたくもなかったので一度も購入したことはない。

「はーあ。きっと、読んでみたら子どもたちも面白いと感じてくれると思うんだけどなぁ。やっぱり文字だけだと触れづらいんだろうね。その壁があるから、そもそも人に見てもらえないんだ。あぁ、最初から中身が見えてくれたら良いのに」

 セラはそう愚痴っぽく口を尖らせながら呟き、手元の薬茶を飲み干した。最後の方は流石に苦かったらしく、眉に皺を寄せながら「ごちそうさま」と言ってマグカップをカウンターの上に置いた。

「おぉ、喉の痛みが軽くなってる。さすがジェイドさんの薬だね、ありがとうございました」

 そういって財布をごそごそと漁り出す。
 ……最初から、本の中身が見えてたらいいのに、か。

「ねぇ、おいくら?」

 一瞬なにか閃きそうだったのだが、セラの言葉で引き戻される。いくらかというのは、お茶代のことだろうか。そんなの代金が決まっているものではなかったので、いらないと口にしようとしたのだが。

「お代はいらないとかいったら銀貨三枚置いていくからね」

 さっき、子どもにはおまけをという話をしてしまったからだろうか。とんでもなく冷めた表情で俺を睨みつけてくるので、銅貨五枚だと伝えておいた。

「また喘息の薬なくなったころに来るね。じゃあ!」

 そういって頭を下げて、店を出ていく。

「ベッドで寝ろよー」

 背中に声をかけておくと、分かっていますと少し怒ったような声が聞こえ、ドアが閉まる。きっと次の薬を買いに来る前にもう一度風邪薬を要求しにくることだろう。なんだったらそっちの薬を持たせておくべきだったか。
 彼の使ったマグカップを片付けつつ、思い返す。
 文字ばかりで挿絵のないその本の中身を見ることができればいい。一眼でそれがどんな物語なのかが分かればいい。文字を読まずとも、見ただけで分かることができれば……。
 俺は錬金術師という名を持ちながら、ただ人が求める薬を調合するだけの毎日を送っている。錬金術で生計を立てようとしないのは、それが俺にとってつまらないことだからだ。その技術を用いてなんとなく作ってみた薬が多くの人に喜ばれたので、金を作るよりはこちらのほうがいいと薬屋を始めた。良く効くのだと噂が広まり、固定の客も付き、今後も生活に苦しむことはないだろう。だが薬の効果はいくら研究してもこれ以上上がることはなく、今が最高品質まみれになってしまって、薬の研究など必要なくなってしまった。そうして、作り、売るだけのつまらない毎日になってしまった。前までは客に「こんな効果をもつ薬はあるか」といわれて意気揚々に着手したものだが、そんな依頼も最近ではめっきりない。なんせ人に起こり得るほとんどの症状を補う薬は全て作り終えてしまったのだから。

「……文字を読まずとも、可視化させる……」

 どうしたのか。自分でも分からないうちに、胸の奥がぞくぞくと湧き立って、いてもたってもいられなくなった。あぁ、なんだかこの感覚が懐かしい。
 これから非日常が起こるのだと、俺の思考は冴え渡った。
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