翡翠の炎ー幻影の手紙ー

柳椥

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 彼が僕の家を訪ねてから一ヶ月経った。僕はショルダーバッグの中に羊皮紙に物語を書きつけたものを数枚入れ、家を出る。今朝方ポストに投函されていた手紙には彼のサインと、昼過ぎに森の奥の泉に来いというたった一言のみ記されていた。二週間前にも手紙が投函されていたが、それには「羊皮紙に収まるだけの物語を書いておいてくれ」とだけ。結論をしっかり言ってくれるのはいいけど、できればその理由を書いてもらった方が納得して行動できるんだけどな……。
 ともあれ今日は良い天気だ。街からかなり離れている僕の家だが、ジェイドが言う森の奥の泉とは、さらに森の深いところにあった。わざわざそんなところに呼び出すのは何か理由があるのだろうか? あの泉に特別なものはなかったと思うのだが。強いて言えば、その泉付近だけ木が全く生えていなく、開けた場所だというくらいだ。
 歩き続け、想像通りの森が開けた場所に出る。円形の泉、その中心部だけ少しばかりの陸があり、そこに大樹が聳え立っていた。大きく枝を伸ばし、立派に葉を揺らしている。レストクリフに住む僕らはこの木を「神木」と呼んでいた。理由は何かしらあった気がするが、とにかく大きいので神様が宿っているに違いない、と考えている人もいる。
 その泉のほとりに、ジェイドはいた。座り込んでなにかをしているらしい、背中が少しだけ動いている。

「来たよジェイドさん」

 声を掛ければ振り返り、片手を振った。

「ようセラ。風邪は治ったか?」
「お陰様で治りました。何をしてるの?」

 近寄り手元を見ると、ワイン瓶らしい大きな瓶を手にしている。中は液体でいっぱいだ。

「神木が浸かる泉は何かご利益があるかと」
「うわ、罰当たりだ」

 けっと笑って瓶に栓をした。
 さて、と言いながらジェイドは伸びをする。そしてそばに置いていた紙袋を引き寄せ、僕に突き出してきた。あの時の紙袋と同じものらしい。

「さて実験だ。ほぼ成功すると言っていい実験を行う」

 にやりといつもの笑みで笑ってみせる。通常運転ではあるが、いつにもまして機嫌が良さそうだ。

「自信満々だね。この前の薬ができたってことかい?」

 するとジェイドは人差し指を立て、それを自身の口の前に持ってくる。僕に静かにしろというようだ。そして僕が肩にかけているショルダーバッグに目をやる。

「この前手紙で書いておいたが、羊皮紙はあるか?」

 もちろんだと頷き、僕も彼に向かい合うように座る。そしてバッグの中から数枚の羊皮紙を取り出した。

「でもなんで羊皮紙? あったから使ったけど、僕にとっては少し高級品だなぁ」
「まぁまぁ、そのうち気にしなくなるさ」

 ジェイドはその羊皮紙の束を受け取って中をチラチラと見ていた。中の文章というより、羊皮紙の質感を確かめているように、文字ではなく紙を見ている。難しい顔をしているわけではないから、その羊皮紙に問題があるわけではなさそうだ。

「さて、まずは物語をしたためた羊皮紙と俺が調合した最高の薬、そして紐を用意します」

 草原に羊皮紙を一枚広げ、その横に前見たような小瓶、そして綺麗に編み込まれた白い紐を置いた。その紐は若干光っているようにも見える。

「次に、羊皮紙を丸めます」

 ジェイドは羊皮紙をもう一度手に取り、くるくると丸め筒状にした。そして紐に手を伸ばして、羊皮紙にぐるぐると巻きつける。

「その羊皮紙を、マジックシームでできた紐で結び止めます」
「マジックシーム?」

 僕が疑問を投げかけても、それに対しての返答は特になかった。
 その羊皮紙はまるで宝の地図のようだった。冒険者が手にしているようなあれの、縮小バージョン。紐は蝶々結びにしているらしく、これで完成と言いながら地面に置いた。
 他のも同じようにするということなので、僕も手伝って羊皮紙を丸め、紐で縛り上げる。こうして羊皮紙の筒は五つ出来上がった。

「それでは最後に、この魔法の薬を羊皮紙に振りかけます」

 魔法の薬って。錬金薬だろうに、と真面目に考えてしまったがどうせ適当に言ったんだろう。ジェイドは一つ羊皮紙を手に取って、薬瓶からたった一滴を振りかけた。前に作業場で実験した時は瓶の中身丸ごとかけていたというのに。たったそれだけで効果が出るのか?とまじまじ見ていれば、他の羊皮紙たちにも一滴ずつ振りかけている。……そういえば、前は紙に振りかけた瞬間に効果が現れなかっただろうか。

「何も現れないけど、大丈夫?」
「もちろんだとも。さてセラ君、君が書いたといえど、羊皮紙をまとめられてしまえばどれがどれだか分かるまい。選びたまえ」

 五つ、綺麗に目の前に並べられている。確かに自分で書きはしたが、それぞれの羊皮紙の特徴まで記憶していなかった。まあいいか、と真ん中に置かれている羊皮紙を手に取る。するとジェイドは立ち上がって、泉から離れた比較的広いところに歩いていった。そして僕を手招きする。大人しくついていけば、またジェイドはニヤリと笑った。

「結んであるその紐を解いてみろ。面白いぞ」

 何が何だかわからないが、とにかく言う通りに紐を解いてみよう。紐の端を引き、するすると紐が解け丸まっていた羊皮紙が開かれた。
 その瞬間、いつか家で見たあの輝きが羊皮紙を包んだ。

「ッ——」

 思わず眩しさに目を瞑り、再び開けると足元に先ほどまでなかった花々が咲いていた。花畑というほどではない、単なる野花だ。となると、これは僕が書いた物語の情景が現れたということになる。彼の薬はまた文字の具現化に成功したのだ。

「ジェイドさん、つまりこれは『羊皮紙を開くことで幻想がかかる』ということ?」
「正しくは、その紐が幻影を封じ込めている。それを解放したことで羊皮紙にかかった効果が発動した、となるな。ところで後ろ危ないぞ」

 え、と振り返れば自分の肩ほどの大きさの動物が突っ込んできていた。

「ッ、え、ぅわぁあ‼︎」

 それは子鹿だった。僕にタックルしてきたかと思えば頭を僕の体にまとわりつけて、僕を跳ね上げる。強制的に子鹿の背中に放られ、僕を乗せたまま楽しげに野原を駆け回られた。

「お、落ちッ、ジェイドさん助けて!」
「むり~」

 子鹿の背中にしがみつきつつ、頑張って体勢を起こして乗馬の姿勢をとった。ただ手綱はないのでその首にしがみつくことになる。ああそういえば、森の中動物たちと戯れるといった話を書いたものがあった気がした。子鹿は顔を撫でてやると甘えるようにいなないた……はず。楽しげに走る子鹿の顔に手を伸ばしてそっと撫でると、首だけくるりと振り向いて徐々に走るスピードを緩めた。そして僕の手に頭を擦り付け、目を閉じて気持ちよさそうにしていた。落ち着いたその隙に子鹿の背から降りる。
 足元を見ればウサギもいた。少し離れたところには狐もいて、太陽の下でぽかぽかと居眠りをしている。そう、僕が手にした物語は、森の木漏れ日の中、野生の動物たちと遊びまわる子どもの様子を描いたものだった。その話は起承転結がなく、ただ子どもは森におり、そこにいた動物たちと楽しく駆け回る……それだけ。だからきっと、今見えている動物たちは僕の物語の中から飛び出してきた子たちに違いない。

「……そうか、動物たちは透けてない。それどころか温かみもあるし、背中に乗せてもらうこともできる。それにすぐ消えない……この前試した薬の長所を全部生かしたんだね」

 そうしゃがみ込んで、花を一つ手に取った。匂いをかいでみると、花特有の甘い香りがかすかに花を突く。ジェイドは満足そうに笑って、近くの子鹿に手を伸ばしていた。子鹿は彼の手にも頭を擦り付けて、撫でろと催促している。

「羊皮紙の方はどうだ? 薬に触れたが、前みたいに文字が滲んでいることはないだろう?」

 そういえば、子鹿に乗せられた時地面に落としてしまったらしい。拾いに行き羊皮紙を確認すれば、そのとおり文字は水に濡れて歪んでいない。羊皮紙を選んだこともあってか、紙が濡れて穴が開くということもなさそうだ。だから羊皮紙だったのだろうか。まぁもちろん羊皮紙も濡れすぎたら穴が開く以前に使い物にならなくはなるが、たった一滴だ。大した問題にはならないだろう。
 ……そう、文字が読める。本来書かれていた物語を文字として読むことができる。紐を引いて幻影を呼び起こした時はたくさんの動物たちとただ戯れて楽しい思いをしたが、あとからそれがどんな物語だったのか、読むことができる……それが手元に残る……。

「ジェイドさんが考えてることわかったよ。さっき羊皮紙を高級品だって言った時に、気にならなくなるっていったの……つまり、僕が本を作ってその一部を幻影化させるんじゃなく、この手頃な形にして、幻影の楽しみと読み物としての楽しみどちらも両立させて……」
「うんうん」
「……売ろう、ってことだ」
「御明察」

 僕が黙りこくると、ジェイドはわざとらしく首を傾げた。

「どうした? 売り捌こうっていう俺の腹を見て嫌気がさしたか」

 自分が物語を書いたその羊皮紙を握りしめ、手が震える。この震えはそう、怒りとか嫌気じゃない。そうだ、これは……興奮だ。

「……すごく良いと思う、うん、だってこんな、つまりさ」

 声も震えた。きっと僕の顔は今にやけて仕方ないだろう。その表情でジェイドを見ると、彼もなんだか面白げに笑っていた。

「挿絵さえない物語を子どもたちが興味を持つきっかけになる! たくさんの幻影に心が躍って、自分が体験したのはどんな物語だったのかって文章を読むことができる! 一度体験した出来事を文字で読むんだから、一からお話を読むより簡単に読めるはずだ、それに文章はそこまで長くない、子どもたちも飽きずに最後まで読むことができるんだ! 楽しい思いをしながら文字に触れるきっかけを与えられる! なんて素敵なものを作るんだあなたは‼︎」

 久しぶりにこんな大声を出した、と、言い終わったあとは肩で息をした。胸がどくどくと音を立てて興奮醒めやらない。ついでに咳まで出てきて余計苦しくなってきた。すると僕を心配したのだろう子鹿が近くまでやってきて、鼻先で僕の頭を突いた。撫で返してやると、目を細めていななく。

「ついでにいうと、大人もその光景を見て子どもが楽しんだその物語を覗き込むだろう。そしてお前の名を知り、その文章が気に入ったとすれば……お前の物語を手に取る人も増えるかもしれない」

 まだ丸められたままの羊皮紙を手に取って、それを空中へ放り上げた。

「それに、たかが羊皮紙一枚だ。これを束ねて紐で括ったとすると、ささやかな短編集の出来上がりだ。さぁセラくん、これは君にしかできない仕事だ。人々を笑顔にさせ続ける物語を書くことができるかい」

 そう言って、ジェイドはその羊皮紙を差し出してきた。
 この羊皮紙に収まるだけの、人々を笑顔にするための小さな物語。幻影化する短編集。僕が書く物語でしかそれは実現することなく、そして彼の薬でしか実現することがない、不可思議な物語。
 あぁ、なんて——。
 なんて楽しいんだろう。

「あなたがいないと始まらない。あなたの薬と僕の物語で、たくさんの人に触れてもらおう。文字が引き起こす奇跡と、薬が秘める無限の可能性をね!」

 僕は彼が差し出していた羊皮紙を受け取り、勢い込めてその結び目を引いた。
 




 晴れだというのに虹が架かる。
 昼だというのに星が降る。
 僕らの手のひらに、青い花びらが舞い落ちた。
 
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