翡翠の炎ー幻影の手紙ー

柳椥

文字の大きさ
上 下
9 / 14

8

しおりを挟む
「しっかしまぁほんとよく書くよな」

 ジェイドの言葉はため息混じりだったが、もうそんなの気にしないぞと主張するように僕は胸を張った。

「好きだからね! それに多く感じるのは複写が混ざっているせいだよ」

 それもそうか、と二人で羊皮紙をくるくると丸めている。そこそこの量を丸めたところでジェイドは作業机に近寄り、羊皮紙に薬を落とす作業に取り掛かる。最初の頃は、僕が作業場で羊皮紙に物語を書き、それをジェイドの店へ持って行ってからヴィジョン・レターにする作業を行なっていた。が、最近は書く量も多くなってきたので、僕の作業場に彼が薬を持ってくるようになっていた。量が量なので必要な薬も増え、いつだったか神木がある泉で水を汲んでいた時のようなワイン瓶に入れて運んでいるようだ。それを遠い距離持ってくるのもなかなか大変だろうに。僕が店に羊皮紙を持って行ってそこで書けばいいのでは?と提案もしてみたが、それにしてはインクを乾かす場所がないということで、結局自分の机で物語を執筆している。

「そういえばだが、だいぶ広くなったな。大体の本は売れたのか?」

 言われ周りを見た。本が積み重なって足の踏み場も怪しかったこの部屋だが、山のように積まれていた本は全て消え去っていた。あと数冊地面に置きっぱなしのがあるが、それのほとんどは書きかけだ。

「ほとんどヴィジョン・レターを買ってくれてた人たちが欲しいって言って買ってくれたんだ。そろそろ、大きめの本を書き始めても良いかもね」

 短い話ばかりを書いていて、最近は長い話を書いていない。書くとしたらどんなのが良いだろう。そう考えてふと思いついたのが、あの人形だった。

「ねぇ、店でたまに留守番している人形って南の魔女なんでしょう? その人を題材にしてみたらどうかな」

 いうとジェイドは大声で笑った。

「お前、あいつに食われても知らないぞ!」
「え⁉︎」

 なにかまずいことを言っただろうか。慌てて弁解しようと声をあげようとした。
 その瞬間。
 地鳴りが響く。

「ッ、え——?」

 ぐらりと視界が揺れた。座っているというのに体が揺すぶられ、体を起こし続けることができない。何か強い力で殴られているかのように、体が勝手に地面に叩きつけられる。

「セラッ!」

 どうしていいかわからない暗転の中、胸ぐらを掴まれてどこかへ引き摺られる。ジェイドは僕を無理やり作業机の下に押し込み、自身の体もできるだけ隠れるようにと机の下に滑り込ませた。
 地震が起きた、と理解するのに時間がかかった。でもこんなにも大きな地震、今まで感じたことがない。横へ揺すられ、縦に跳ねそうになり、必死に机の足にしがみつく。部屋のどこかでガラスが割れる音が聞こえ、きっと本棚からも本が大量に落ちている重い音が聞こえる。その地震は長い時間続き、徐々に揺れる速度が遅くなり、そのうちピタリと止んだ。……止んだと判断できるものの、いまだに体が左右に動いている感覚に陥っていた。

「……大丈夫か?」

 ジェイドも息があがったまま、尋ねてきた。頭を押さえながら頷き、恐る恐る机の下から出る。

「とんでもない地震だったな。皿とか割れる音聞こえたが……」

 言われて、数少ない皿が割れてしまったとなれば料理もろくにできないな……なんて単純なことしか考えられなかった。あぁ、目が回る、こんな体験懲り懲りだ……と今隠れていた机の方を見た。少々の違和感にあれ、と声を上げると、ジェイドが振り向く。

「どうした?」
「ねぇジェイドさん、錬金薬の入った瓶、どこに置いてた?」

 聞かなくてもわかる。机の上に置いていたのだ。しかしそれがなくなっている。ジェイドを見ても、彼の手にもその瓶はなかった。
 恐る恐る、机の横を見る。書きかけの本が積まれていて影になっていたところに身を乗り出して見てみれば——。
 そこにあるのは一冊の書きかけの本と、粉々に砕けた瓶の残骸がそこにあった。
 瓶の中身は全て、その本にかかってしまったようだった。

「どうしたセラ、」

 彼の声が聞こえ、彼を突き飛ばそうとしたのと背後でフラッシュが起こったのはほぼ同時だった。
 耳が壊れそうなほど大きな破壊音と共に、生き物の咆哮が脳を支配する。頭が割れそうなほど響くその音をこれ以上聞かないようにと耳を塞ぎながら上を見た。
 室内だというのに空が見える。それがなぜかといえば、突如発現した大きな生き物が屋根を破壊したからだ。室内で産みだれてしまったため、その体の大きさが家の大きさに合わずに無理やり天井を押しだしてしまったんだろう。僕らがさっきまでいた場所は屋根の残骸が散らばっており、足元ぎりぎりまで、レンガが散乱していた。
 その大きな生き物とは、ドラゴンだった。

「は……はぁ……?」

 ジェイドも僕も、ドラゴンに釘付けだった。白銀のドラゴンは四つ足で僕の作業場を踏みつけ、その頭を垂らして僕たちを睨みつけている。今にも僕たちを飲み込もうというように、じぃっと……。
 大きな口を開けて、僕らに向かって咆哮を放った。その鋭い音と衝撃にまた耳を押さえ、体を縮めてしまう。しかしドラゴンは僕たちを食べることなく、その大きな翼を動かした。地上を離れ空へ飛び上がり、そいつはゆっくりと、東の空へと飛んでいってしまった。
 突然の恐怖に息が荒くなり、体が震えている。ジェイドでさえ、しばらく動けない様だった。

「……おいセラ、なんだ今のは」

 肩を揺すられてようやく気を取り戻し、震える足で立ち上がった。さっき瓶の破片と共に落ちていた本の元へ行って、瓦礫の中からその本を掬い上げる。液体でびしゃびしゃに濡れて、もうページを開くことすら叶わない。

「……さっきの地震で、多分錬金薬がこの本の上に落ちたんだ。割れて中身が全部この本にかかって、幻影化した……」

 ジェイドは僕の手から本を奪う。そのタイトルには『ドラゴンと騎士』と書かれていた。

「ドラゴン……神話扱いのアレが、幻影化したっていうのか⁉︎」
「そう、神話のそれを、想像しながら僕が書いた……」

 資料でしか知らぬその姿だが、しかしそれを忠実に再現したドラゴンが、薬によって幻影化してしまった。しかもそれは書いてある物語と同じような行動をとっている。そりゃあそうだ、そういうように作った薬なのだから……。

「おいセラ、この話はどう始まってどう終わるんだ。あいつは東に飛んで行った、その先は予想がつくか?」

 僕は顔を覆った。頭を押さえた。薬ができる前に執筆中だったこの本。その先は……。

「……ドラゴンは、物語において大陸の中央の山に住んでいた。そこでドラゴンは大事にしていた卵を盗賊に盗られてしまう。ドラゴンはその腹いせに、近くの街を襲いに向かった」

 ジェイドは僕の肩を掴む。強い力で掴んで揺さぶった。

「なんでそんな話書いた⁉︎ ドラゴンなんて存在していないもの、どうして‼︎」
「こんなことになるなんて想像がつかないだろう⁉︎ 少し想像の世界を書きたかった、ただそれだけなんだ! でも自分がただ書きたいだけの話だって、途中で書くのをやめたんだ。だから、これの続きは、ないよ……」

 これまでのように、物語の順序で幻影が行動を起こすのなら、間違いなくドラゴンは街を襲いにくる。東にある山といえばここから数キロほど離れたところに嶺の高い山があった。そしてそこから近い街といえば、ここレストクリフだった。

「ねぇ、時間は……薬の効果が切れれば、あのドラゴンも消えるよね?」

 ジェイドは考えるようなそぶりをしたが、すぐに首を横に振った。

「薬、全部かかったんだろ? あれは一滴で三十分、効果範囲は五十メートル半径といったものだった。あれ全部だったら数ヶ月……どころか、一年近くは自然消滅しないんじゃないか。ドラゴンが飛んで姿を消したあたり、きっと効果範囲も広くなってる」

 足に力が入らなくなって、その場に座り込んでしまった。深く考えなくてもわかる、僕はとんでもないことをしてしまったんだ。あのドラゴンはいずれ僕らを憎み、街を破壊しにくる。幻影ではあるが、子鹿に触れられたように、雪に触れたように、ドラゴンは僕たちに干渉してくるだろう。街を破壊する干渉。そんなの、僕が街の人を皆殺しにする様なものだ。あのドラゴンがどれほどの恨みを人に抱くか、書いた僕が一番わかっている。とんでもないものを、世に放ってしまった……。

「続きを書くことは難しいか」

 そう、薬で濡れた本を突きつけてくる。

「……紙全部やられちゃってるよ。インクがのらない、書けない……」

 自責に押しつぶされそうになり、顔を伏せているとジェイドがまた両肩をつかんで強く揺さぶってきた。しっかりしろというように、僕の目を見て言う。

「なら、新しく書け。あのドラゴンをどうにかする話をお前が書くんだ。俺は今から現実の全てに影響を及ぼす薬を作る。前にできなかった、人間に直接作用する薬を。だからお前はあいつをどうにかする話を書け! それがお前の仕事だ!」

 以前、騎士に憧れる話を幻影化しようとしたときに何も起こらなかった。もしそれがうまくいく薬ができるとしたら、もしその物語で『騎士がドラゴンを倒した』となった時に、騎士を演じた現実の人間がその恩恵を受けて物語通りにドラゴンを倒すことができるかもしれない。
 しかし、それだけではうまくいかない。あくまで今から僕が書く話と、今幻影化しているドラゴンは別の物語なのだから。

「……じゃあ、ジェイドさんは『既存の物語に介入できる』薬も作って。現実の僕たちが、介入できる薬を」

 入り込まなきゃ意味がない。あの続きのない物語を終わらせるために、新しく書いた物語を介入させることによって別の物語の騎士が、別の物語のドラゴンを倒さなければいけないのだ。
 ジェイドは頷いた。やってやる、と小さくつぶやいて、すぐさま立ち上がり家を飛び出す。僕も今すぐ書かなければと本棚を見たが、何も書き込まれていない本が一冊も見つからなかった。しばらく本を書いていなかったから、新しい物語を書くための空の本の予備がなかったのだ。
 机の上に乱雑に置かれていたペンとインクを引っつかんで、僕も家を飛び出す。破壊されてしまった屋根なんて今はどうでもいい。街のあの本屋へ行けば空の本なんてたくさんある。それに物語を書こう、早く、すぐにでも、僕がどうにかしなくてはいけないんだ。
 咳が出て呼吸が苦しくなっても懸命に走った。転びそうになりながら街に駆けていく。僕がなんとかしなければ、僕にしかできないんだと泣きそうになりながらただただ走った。
 そして辿り着いた街は、騒然としていた。大体街の人間が玄関の外に出ており、店を営んでいる人々も店先に出てきていた。皆ドラゴンに驚いて出てきたのか、と全員に向かって謝罪をしようと頭を下げたところ、急に目の前に人が走ってきてびっくりして顔をあげた。本屋の店主だ。

「おいセラ、さっきの地震大丈夫だったか⁉︎」

 一瞬拍子抜けた。彼らは皆先ほど発生した地震の影響で外に出ていたのだ。そうだ、ドラゴンのことで頭がいっぱいで地震のせいでそうなったのだとすっかり忘れてしまっていた。

「だ、大丈夫だよ。おじいさんも大丈夫でしたか?」

 店主は頷き、広場に響く声にふりかえった。
 広場の中央に、腰に剣を刺した騎士のような出立をした男が立っている。いや、この街には騎士などいないから、あれは冒険者だ。この街に滞在して、いろんな人を助けてくれる存在。そのおそらくリーダーと思われる人が、みんなに注目するように声を張り上げていた。

「みなさん、地震で怪我をした方は治療をしますので、教会の方へ向かってください! 手が必要な方はお声がけを! 地震を起こした元凶については現在対策を練っています。できるだけ建物の陰からは離れて、自分の身を守れるように行動してください!」

 その声とともに、ガラスで腕を切ったであろう婦人や転んで怪我をした少年が教会の方へ向かっていった。店主も僕の様子を見て、大丈夫そうだとため息をついていた。店主も特に目立った外傷はない。
 ……それよりも、あの冒険者はなんといった? 地震を起こした元凶、だって?

「あの!」

 大声を出して冒険者に近寄ると、彼は僕に気づいて視線を合わせてきた。彼はよほど背が高い。僕の姿を一通り見て、大した怪我はなさそうだと安心したような表情だった。

「どうした?」
「あの地震は天災ではないんですか。何かが意図的に引き起こしているということですか?」

 冒険者は頭を掻いた。その様子だと、彼も詳しいことはわかっていないらしい。

「天災ではない、ということは確かだ。それがどこに存在しているのかも把握はしている。ただその正体がなんなのかはわからない。このレストクリフの崖の下、つまりこの街の地中深くに、何かいるようなのだ」

 それ以上のことはわからない、といって首を振り、近くに歩けない怪我人がいたのかそっちに走っていってしまった。
 ……現在対策を練っているという、地震を起こした元凶がこの街の下にいる。何かがいるというなら、それは生き物なのだろう。あれだけの地震を引き起こすだけの生き物であれば、それは巨大な……?
 利用、できる?

「おじいさん、何も書かれていない白紙の本をちょうだい! お金は絶対に後で渡すから!」

 後ろで共に話を聞いていた店主は僕が珍しく声を張り上げたので驚いた様子だったが、その剣幕に何かを感じてくれたのかすぐに頷いた。二人本屋に向かえば、棚という棚全てから本が抜け落ち、足の踏み場がないほど本が散乱しているひどい光景だった。しかし店主もその本を遠慮なくかき分け、真っ新な執筆用の本を一冊投げて寄越してくる。

「建物の中にいると危ない。向こうに噴水の広場があっただろう、そこで書け!」

 まるで、今から書く話が余程大事なものであるとわかっているかのように店主は言う。そう、一刻を争うのだ。店主に頭を下げて、本を抱えて走る。少し離れた場所にある噴水は、その縁を囲むようにベンチが備え付けられている。地面に座り、ベンチを机代わりにして本を開いた。
 うまく行けば僕が生み出してしまったドラゴンも、地震を起こしているというその謎の生き物も、どちらも退治することができるかもしれない。……いや、退治するんだ。
 真っ白なページに、黒いインクを滑らせていく。
しおりを挟む

処理中です...