翡翠の炎ー幻影の手紙ー

柳椥

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 人自体に影響を与える魔法ならわかる。実際魔女や魔法使いが身にまとう装具を変えるとき、指先一つで簡単に衣替えをしてしまうのだ。そばで俺の様子を暇つぶし程度に見守っているその人形に頼み込めば、その程度の魔法いくらでも教えてくれるだろう。だが、発現している幻影に介入する薬だと? 言葉にするのは簡単だが、理屈を考えればどうしようもない。
 幻影は幻影だ。俺の作った薬は、あくまで繋がりのある一つの文章から読み取った情報を幻影として発現させる、といったものだ。だから、幻影としてはその範囲までの情報しか受け付けないのだ。それを他所から捻じ曲げようとしたって、幻影自体には何も影響が与えられない。中の文書を変えればあるいは、と思ったが、あれだけ液体に浸ってしまった本に書き足すなんて所詮無駄だった。そもそも表紙を開くことすら難しかった。本を燃やしたところで一度発現してしまった幻影は消えない。一度薬が習得した情報は、簡単には消えない……。

「あーもう」

 俺が頭を抱えていると、それを面白く思ったのか人形がくすくす笑った。

「珍しく悩んでいるのね。私が力を貸してあげましょうか」

 人形をぎろりと睨みつけるが、それでさえ面白いのかくすくすと笑った。宙返りをして、俺の周りをふらふらと飛んで回る。

「要は、結びつきをいじって仕舞えばいいんだわ。知っている? この世界の全ては見えない糸で契約がなされているの。人と木、人と水……人間は生きていくために木を欲しがり、水を飲むわ。しかし一方的であってはならない。木は人々に新しい芽吹きを求めているし、水は留めさせないために流れを作らせるわ。これらはね、互いの利益を契約しているということなの。それが成り立つからこそ、木は人に家を与えるし水は人に潤いをもたらすわ。あなたが作った幻影に人間が介入できないのは、幻影と人間に直接的な契約がないからよ」

 人形はふわりと俺の目の前に飛んでくる。

「もうわかるでしょう? あなたが求めている『介入』と言う言葉を成すために必要なのは、契約を結ぶ能力だわ」
「お前何を言う気だ」
「魔女になって仕舞えばいいのよ」

 契約、契約、契約。
 それは魔女が一番大切にするものだ。契約があるからこそ取引に応じる。または契約がなければ一切の責任を負わない。その契約を蔑ろにすれば、どちらかが灰になる。その、魔女の世界で最も重んじなければいけないという、契約という呪い。それを、使えと言う。

「……ふざけるな」
「ふざけてなんかいないわ? 私が今この言葉を発した瞬間に私の命が潰えなかったのが証拠よ。私は判断を誤っていない」

 目の前で風が渦を巻いた。黒い薔薇の花びらを思わせる塵が舞い、その風の中から女が現れる。足元まで届くような黒く艶のある髪、ひだのついた黒いドレスを着て、紅い瞳、紅い唇でにやりと笑うその女は。座り込んでいる俺を見下ろしていた。

「残念だけど、私の魔法をあなたの薬に混ぜ込むなんて出来ないわよ。あなたが作ったものに私の力を注いだところで、うまく混ぜ合わさらないもの」

 魔女は膝を付き、俺の頬をその両手で包む。手袋越しに伝わる冷たさが、あぁこいつは本当に魔女なのだと知らされる。

「魔女はね、自分の利益のためだけに力を行使することはないわ。それは全て、世界の理を正すために使うのよ。これはその目的のために必要なこと。さぁ、あとはあなたが決めるのよ」

 聖母のように微笑みかける。その笑顔に腹が立つ。ただの人間に魔女の力を与えるだなんて正気か。
 ……いや、正気かどうかはどうでもいい。わかっているのは、俺にはその道しか残されていないと言うことだ。自分が作った薬でこんな事態になっているのだから、その後始末はどんな結果になろうとも、俺がしなくちゃいけない。
 ……あぁ、いやだ。つまらないこの世の中を、これから永遠と生きなければならないなんて。

「分かった。なってやろうじゃないか」

 魔女は満足いったように目を閉じて笑った。ずいと鼻と鼻がぶつかるだけ顔を近づけて開いたその瞳は、血濡れた宝石のように輝いていた。

「あぁその瞳、とても素敵だわ。あなたが私の愛する人だったらよかったのに」

 憎悪を込めて投げた視線は愛でられてしまった。これだから魔女というのは面倒くさい。
 頬が、額が、唇が、冷たい。
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