翡翠の炎ー幻影の手紙ー

柳椥

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「うわッ!」

 突然の揺れに受身が取れず、また地面に叩きつけられるように放られてしまった。ベンチの足に必死に手を伸ばして、それ以上転んでしまわないようにとしがみつく。周りにいた大勢も地面にへばりついていたり、近くの街灯に掴まってその地震を必死に耐えていた。
 最初大きな揺れが起こってから、これで三度目だ。その度に揺れの幅は広がり、立つことが一切できない。体重の軽い子どもたちはその揺れだけで離れたところまで転がっていってしまう始末だ。その揺れの規模を考えると、崖が崩れて街ごと落ちてしまうのではないかという気になってしまう。この街の崖下は数キロの高さがあり、見晴らしがとても良いことで有名だ。もし街ごと落ちてしまったら……。
 そんなことさせないために書いてる物語じゃないか、考えるな!
 両頬を叩いて物語の仕上げを書いた。地震のせいでインク瓶は倒れ、使える量があと僅かしかない。最後まで願いを込めて書き切るんだ、必ずそうなるように、この街が平和であり続けられるように。僕の責任を、しっかり果たさなければ。

「セラ‼︎」

 顔を上げれば、水の止まってしまった噴水の向こうから走ってくるジェイドの姿が見えた。僕の姿を見つけてさらにスピードを上げて、迂回して駆け寄ってくる。彼にしては珍しく肩で息をして、僕の隣に座り込んだ。

「……薬、できたぞ。あのドラゴンの話に俺たち人間が介入できる薬を」

 そう言って彼は握りしめた小瓶を僕に突きつける。透明の瓶に、翡翠色の薬液がたっぷりと入っていた。

「ほんと……⁉︎ さすがジェイドさん、やっぱりあなたはすごいよ……」

 心からの礼を、と思って彼の顔を見て、僕は首を傾げてしまった。息を切らしているだけの彼の様子がどこか違うもののように思える。なんだか、そう……。

「……ジェイドさん、眼の色変わった?」
「はぁ? なに馬鹿なこと言ってんだ。そんなことよりお前の仕事はどうなったんだよ」

 気のせいだろうか。なんだか透き通った……宝石のような色彩に見えるのだが。まぁいいや、と僕は最後のページが乾ききったことを確認し、本を閉じた。タイトルはない、つける必要もないだろう。その本を抱えて立ち上がる。

「僕もちゃんと書けた。ジェイドさんはどこかで聞いた? さっきから連続して起こってる地震、自然現象じゃなくてなにか生き物のせいなんだって」

 驚いた顔をしている。最初の地震があってすぐに店に戻ってしまったから、誰からも情報を聞いていないんだろう。僕は彼を手招きしながら走り出した。森に向かって、いつもの帰路を行くように。ジェイドも続き走って追いつく。

「この街の崖の下に、未確認の巨大な生き物がいるんだって、冒険者の人が言ってたんだ。僕が書いた話は、あの幻影のドラゴンを僕が使役して、その地震を起こしている元凶と戦わせる命令をだす……っていう筋書きだ。こうすれば、地震を引き起こしているものもいなくなるし、ドラゴンも、街を襲うことなく、消えるその時まで人に使役されたままになるかもしれない」

 僕の話を聞いた彼は少し考え、頷いた。

「元の話をぶった斬って考えればそうなるな。ドラゴンを使役するってことは、あいつを呼ばなきゃ行けないんだろ、ってことは今向かってるのは……」
「泉だよ。あの木が開けてる神木の泉があるところ。あそこならドラゴンも降りられる」

 そうと決まれば、と二人全力で泉に走った。
 その道中、一度地震が起こる。立っていられずに転んでしまったのだが、ジェイドに担ぎ上げられてそのまま泉へと走っていった。彼はこんなに揺れているのに平気で走れるのか、と驚きながら。
 泉は相変わらず静かだった。泉の縁に咲く花々には全く水滴が付いておらず、さっきまでの地震の影響なんて何も受けていないようだ。神木故に、なにか特別な力でも働いているのだろうか。

「始めるぞ」
「うん」

 僕は木の開けた中央に本を置く。ジェイドは自身が作った薬の瓶を開けて、その中身を全部本に振りかけた。緑色に光るその液体は表紙にかかり、ページにかかるが、まるでスポンジに水をかけたようにすぐに吸収し、濡れた後が一切なくなる。その瞬間、これまでと同じように本が光りを放った。
 


 
 光が収まった後、特に何も起こらない。てっきりドラゴンが飛来してくるのかと思ったが、セラは一度頷いて俺に向き直る。そして置いてあった本を俺に手渡した。

「『人に憎しみを覚えていたドラゴンは、少年の歌声に惹きつけられて、森に姿を表す』。……じゃあ、ドラゴンを呼ぶね」

 言えばセラは空を見上げ、歌い始める。歌詞のない、初めて聞いた曲だ。このためだけに作ったのだろうか。適当な音を繋げて、ドラゴンを呼ぶメロディを。渡された本をよく見れば、速乾性を意識して調合した薬なので、小瓶全ての薬をかけても今までのように紙が濡れて文字が読めなくなると言うことはなかった。それを確認した上で本を開いてみれば、確かに最初のページには青年が歌を歌う描写が記されている。それは古くから伝わる、人とドラゴンを結ぶ歌、その歌を聞き入ったドラゴンは、青年と絆を結ぶ……と。
 その時、大きな影が俺たちに覆いかぶさった。上空を見れば、あの時セラの家で発現した白銀のドラゴンだった。翼を大きく動かして、ゆっくりと地上に降りてくる。
 大きな風を巻き起こしながらドラゴンは地面に足をつけた。二人その勢いに吹き飛ばされるかと思ったがなんとか耐え、セラは首を下げてきたドラゴンの元へ近寄る。
 瞬間、ドラゴンは吠えた。鋭い目つきでセラを捕え、今この瞬間にも食ってやると言わんばかりの大口を開けて、威嚇している。
 ……それでもセラは歌い続けた。『人を憎んだドラゴン』である彼の物語に介入するため、必死に歌う。俺が作った薬——が上手く作用すれば、きっとドラゴンはセラに心を開くはずだ。ドラゴンは次第に唸ることをやめ、セラの声を静かに聴いている。静かに、段々と目を閉じて。

「……『僕の言葉は伝わりますか』」

 セラがそう言うと、ドラゴンは一度瞬きをした。それを確認して、セラは言葉を続ける。

「『あなたの領域を犯したこと、代わりに僕が謝ります。どうか許してください。あなたの傷が癒えるまで、僕があなたに歌を送ります。ですからどうか、人を許してください』」

 その歌にどんな効果があるとされているのかは分からない。だがセラが歌い続けると……ドラゴンは確かにそれを聴き入って、落ち着いたような、柔らかな表情を浮かべているように思うのだ。微睡んでいる……そんな印象を持つドラゴンに向かって、セラは手を伸ばす。ドラゴンの顔に触れ、優しく撫でていた。ドラゴンは……嫌がる素振りも見せず、セラに撫でられるのを大人しく受け入れている。
 この時点で、この『幻影』に介入できたと言えるだろう。
 セラは一度俺に振り向いた。俺が頷けばセラも頷き、また視線をドラゴンへ戻す。

「『聡明なドラゴンよ、あなたの力が必要なのです。悪意あるものが、僕たち人を脅かそうとしています。あなたが人を憎んでいるのは分かっています。ですが、僕はあなたのために歌い続けると約束しましょう。ですからどうか、今ひと時、その翼を貸してください。共に戦ってください。どうか、お願いします』」

 片膝をついて、祈るように胸の前で手を組んでいる。その頭は、今やドラゴンの口元に置かれていた。憎しみに溢れ、食おうと思えばいつだって食らえる……そんな場所にいるセラをドラゴンは食おうとせず、ただ少し間を置いた後、ゆっくりと鼻を鳴らした。顔を上げたセラは、ドラゴンの目がゆっくり伏せられたのも確認する。

「……ジェイドさん、多分大丈夫だよ。僕が書いた物語通りだ」

 セラは少しだけ後退し、ドラゴンから離れた。

「よし、あとはドラゴンに命令を、」

 その瞬間、ドラゴンが大きく動いた。一瞬また咆哮を放つのかと思い身構えたが、ただ体の向きを変えただけだった。翼を、尾を大きく回して、ドラゴンは俺たちに背中を向けている。まさか飛び立とうとしているのか? まだセラは何も言っていないのに……そう考えた時に異変に気づいた。
 セラがドラゴンに駆け寄って行ったのだ。

「……待てお前何する気だ?」

 俺の言葉も聞かず、セラはドラゴンの背に登っている。前翼に足をかけるようにまたがって、ドラゴンの首に手を当てた。まるであの時、子鹿にまたがっていた時のように。

「何って、ドラゴンを使役して、地震を起こしている生き物を倒しに行くんだ」

 ……なんだって?

って言っていただろ! どうしてお前がドラゴンに乗る必要がある? ドラゴンを使役し命令して、そいつを崖下に向かわせるんじゃないのか!」

 背筋がゾッとした。俺はてっきり、使役したドラゴンを戦いに向かわせて、その化物を退治するものだと思っていた。なぜドラゴンの背に乗っている? それじゃあまるでドラゴンはお前を運ぶ友人で、お前自身が化け物を倒しに行くみたいじゃないか!
 何よりも、これでもかというほど満足げに笑うセラの表情に、背筋が凍った。

「なんせ、崖の下にそれがいるって分かっていても、実際に見たことがない。目に見えていないものをドラゴンに倒させるのは想像上無理なんだよ。だから『使役した人物』がドラゴンの背に乗って、直接この目で見て、その場で指示をして化け物をどうにかする。それを想定して書いた物語だ、上手くはいくよ」

 セラはドラゴンの首筋をとんと叩く。するとドラゴンは翼を広げ、羽ばたこうとした。
 ……あぁ、そうだ、この物語に介入しているのはセラだけだ。俺の戸惑いも、怒りも関係なしに、物語は進んでしまう。

「そんなことをさせるために作った薬じゃない! ふざけるな、早く戻れ!」

 ドラゴンは翼を動かす。その体を大きく動かし、地上から少しだけ離れた。その風舞う上空からセラは俺を見下ろし、叫ぶように言った。

「僕自身が書いたからこそ、どう言葉を繋げれば、どう行動を起こせば化物を倒すという『終わり』に迎えるかが分かるんだよ。その本の最後には、確かに『平和が訪れる』ように書かれてある。そこに導くには、書き手自身がその中間を紡ぐしかないんだ。……それに、僕が書いた物語で街の人を危険に晒しかけて、さらにはその全員を救えるのかもしれないんだもの。本望だし、それがこの物語を書いた僕の責任だ」

 何が責任だ! そんなもので括ってしまうのなら、俺にだって同じ責任が伴うのだ。それに何より、そう、違う! 責任がどうとかじゃない、今こいつはドラゴンの背という逃げ場がないまま、別の化け物を葬ろうとしているのだ。

「下手したら死ぬぞ! いくらお前の物語通りに進むからといって、」
「どうせ僕、病気で長生きできないもの」

 セラは、そう言って笑った。
 再び風が巻き起こる。舞い上がる草花が邪魔をして、目を開けていられない。次に目を開けられたのは、ドラゴンが飛び立った後だった。声を張り上げようとしたが、おそらくそれも届かないほど遠くに羽ばたき、ドラゴンは街の方に飛んでいく。
 一人残され、行き場のない怒りを本に込め地面に叩きつけてしまった。そして無造作に開いたページを、まじまじと読んでみた。
 あいつは、最初青年の命令でドラゴンと化物を戦わせると言った。実際は、青年はドラゴンの背に乗ってともに戦いに行くというものだった。そして物語通りにいけば上手くいくのだと言って。
 流し読むように、最後のページまで手早く読んだ。青年はドラゴンの背に乗ったまま化物と対峙し、青年の判断でドラゴンを華麗に操作した。そして化け物の隙を突き……。
 ……相討った。ドラゴンは化物を食いちぎったが、化物もドラゴンに致命傷を負わせ、地に落とす。そして死に際にドラゴンは炎を吐き、化物もドラゴンも灰となった。そうして街には平和が訪れた、と。

「……ふざけんな、ふざけるな‼︎ ふざけるなよ‼︎」

 震える手で本を殴りつける。
 あいつは確かに「消えるその時まで、ドラゴンを人の元に使役したままにできるかもしれない」と言った。しかしどうだ、実際に書いた物語には、化物とドラゴンは相討ったと書いてある。加えて、相手の姿が分からないから「使役者はドラゴンの背に乗って共に戦いに行く」だと? 確かにこの物語には、使役した人間の末路など書かれていない。しかし、逃げ場のない、相討ちをしたと書かれるドラゴンの背中に乗って、互いが灰になるだけの炎を吐いた? 
 逃げ場なんてどこにもないじゃないか。それほどのリスクを負ってまで化物を倒しに行くと言うのが責任だとでもいうのか? ドラゴンさえも始末することが責任だと? その背に乗る自分は、そもそも長生きが出来ないのだから、物語の結末に身を委ねると?
 ……あいつは最初からそのつもりで、俺を騙した?

「ふざけるなこのバカがッ‼︎」

 本を抱え走り出す。北西を行けば街に戻るが、道のない北東へ向かった。レストクリフがある崖は東にいくほどカーブしており、街から離れた東側の崖に行けばレストクリフの真下の様子がよく見えるのだ。ドラゴンが向かうであろうその場所がよく見えるように、森をかき分けてその場所へ向かった。
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